(5/4-1)124『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について考える ⑪救いの道の王道―この世とあの世の両方に責任を持った存在―「エル・カンターレ」という存在の特徴

『智慧の言葉「仏陀の悟り』」

18 年上の人から学べ。年下からも学ぶ人は、もっと賢い。
19 自分の黄金時代ばかり思い出す癖のある人は、進歩のない人である。

【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

5月4日はヘルメス大祭です。当日は13 
時から、大阪正心館を本会場に、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催いたします。皆様ご参集ください。

5 月 4日(日・祝)~5 月 6 日(火・祝)まで2025 
年「ヘルメス大祭」を開催し、ヘルメス大祭版「復活の祈り」を執り行います。神秘思想と霊界思想の源流におられ、2000 
年前のイエスの「復活現象」に力を与えられたご存在であられるヘルメス神のご指導のもと、主のご復活に向けて主への愛と祈りの力を結集してまいります。そして、私たち一人ひとりが、透明な風の如き天使の愛を実践し、主の愛がこの地に満ちて「愛の復活の時代」を到来させるべく、伝道の誓いを捧げる機会とさせていただきます。

5月14日は新復活祭です。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。
 当日は13 
時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(水)~5/18(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そこで、本日から経典『信仰のすすめ』の第四章に所収されています「愛は風の如く―Love Blows Like the 
Wind」より、ヘルメスの愛について学びます。本御法話は主の新復活の直前となる2004年の4月29日に説かれています。
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■愛は風の如く―Love Blows Like the Wind
3この世とあの世の両方に責任を持った存在

○ヘルメスとイエスの違い
イエスはヘルメスと同じように愛の教えを説いてはいるのですが、両者には、若干、違いがあります。

イエスが、愛の教えにおいて、いちばん大事にしていたものは、やはり、神への愛です。目に見えない神への愛、また、神を愛していることの証明としての、隣人(りんじん)への愛、隣人(となりびと)への愛でした。

そして、イエスは、この世のことに関しては、あまり多くのことを期待していなかったと思われます。彼の求める、神の国、天の国は、この世のものではありませんでした。彼の求める、真なる霊の国、ユートピアは、この世のものではなかったのです。

しかしながら、イエスより二千年あまり昔、ギリシャで活躍したヘルメスの愛の思想は、実は、「この世にも、その証(あかし)を立てる」というものでした。イエスは、この世にユートピアを建設することを諦めましたが、ヘルメスは、「ユートピアの世界を、あの世だけでなく、この世にも打ち立てる」という思想を持っていたのです。

ヘルメスは、前述したとおり、非常に霊界に詳しい、霊的な存在でしたが、もう一方において、この世に通用する合理的な思想を強く持っている人でもありました。

その背景には、「王家に生まれ、王となるべき人間として育てられた」という事実があります。これは、ヘルメスだけでなく、ヘルメスの、のちの世における転生の姿であるゴータマ・シッダールタ(釈尊、仏陀)にも言えることです。そのため、この世において、かなりのことを実現する力を持っていたのです。

ヘルメスは、愛の人でもありましたが、実際には、軍隊を指導する能力もありました。また、人々を富ませる力を持っていました。人々を豊かにする智慧を持っており、この世において、人々の生活を豊かにし、人々の心を豊かにすることができたのです。

その意味で、「イエスは、実は、ヘルメスの教えの半分ぐらいしか伝え切れなかった」というべきかもしれません。

それは、この世における人間の生涯として見た時に、ヘルメスが、完成の人であり、この世において自分の事業を最終的に実現した人であったのに対して、イエスが、「三十三歳の若さで、この世を去る」という、悲劇の最期を遂げた人であったことと関係があると思います。

○「エル・カンターレ」という存在の特徴
「宗教家として、この世において事業を全うできるかどうか。完成できるかどうか」ということは、「その人が、どれほど合理的思想を持っているか」ということとかかわっています。

宗教的で霊的なる人は、たいていの場合、合理的な思想を持っておらず、神秘的な思想、摩訶不思議な思想を持っています。

神秘思想と合理的思想とを両立させるのは非常に難しいことであり、人は、そのどちらかに必ず傾くことになっているのです。

しかし、ヘルメスは神秘思想と合理的思想の両方を持っていました。

同じことは、ヘルメスの転生の姿であるゴータマ・シッダールタにも言えます。彼は、神秘的な思想を持っていると同時に、この世における合理的な思想も持っていました。

これが、ヘルメスやゴータマ・シッダールタとして転生した魂の姿の持っている、一つの特徴なのです。すなわち、この魂は、あの世とこの世の両方に責任を持っている存在であるということです。

あの世における幸福、来世における幸福を説くだけでも、宗教の使命としては十分でしょう。しかしながら、あえて、その世をも、ユートピア、幸福な世界に変えようと努力する人たちがいるのです。

そういうことを考える魂は、どのような魂であるかというと、「人間がこの世へ生まれかわってくる」ということの、そのオリジナルの計画をつくった存在の考えを、体現している魂であると言わざるをえません。

これは、「この余とあの世を貫く幸福を実現勝としている、霊的なる存在がある」ということを意味しています。この存在のことを、幸福の科学では、「エル・カンターレ」と呼んでいます。

このエル・カンターレは、この世とあの世の両方に責任を持っている存在なのです。

【大川隆法『信仰のすすめ』第4章「愛は風の如く―Love Blows Like the Wind」より抜粋】
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さて『正心法語』のなかで、「菩提心の言葉『修行の誓い』」を読んで、三宝帰依の精神を確認して、仏道修行の誓いを主に捧げたのち、読む経文が『智慧の言葉「仏陀の悟り」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、2600年前の仏陀の悟りか何であったかを学ぶことができます。

私は、個人的に『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を、伝道の中心に据えています。主エル・カンターレの名を知らず、無明の闇に苦しむ人に仏法真理を伝道するときに伝えるべき内容がここに集約されているからです。また生きている方のみならず、お亡くなりになった方への伝道という意味においても、葬儀での法話で、お亡くなりになった方への引導を渡すときに、この経文を題材に法話をしています。

さて、本日は、『仏説・正心法語』第三の経文である『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について共に考えを深めてまいります。

私たちは、この経文を毎日読むことによって、私たちが日々つかむべき『霊的人生観』を知り、自分が肉体存在ではなく、「霊」であるという原点に立ち返ることができます。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」の最後の部分は重要につき、繰り返し抜粋します。
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仏陀は語る
『人間よ 
生・老・病・死は真理なり
されど 悟りの 力こそ
悩みを 断ち切る 刃なり
無我の 心を 持つならば
肉体は これ 我ならず
煩悩は これ 我ならず
空の 心を 持つならば
霊こそ 全ての 根源(もと)にして
この世は 仮の 世界なり
仏陀(われ)を 信ずる 心こそ
救いの 道の 王道なり』
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You hear the words
Listen, people
Birth, aging, illness, and death are the Truth
But there is a sword
To cut through your suffering
This is the power of enlightenment
If you become ‘egoless’ you will see
That your physical body is not you
That your worldly desires are not you
If you become ‘void’ you will see
That the spirit is the source of all things
And that this world is only temporary
Your belief in Buddha
Is the royal road to salvation

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「私という存在は、肉体ではなく、霊である」という認識が、悟りの第一歩です。
これを本当の意味で理解するために二千年以上のときを超えて「無我」と「空」と「中道」が説かれ続けてきました。

真なる自己とは、「不生・不滅」「不常・不断」「不一・不異」「不来・不去」の八不中道なる存在です。その本体は仏性であり、仏の法身の欠片(かけら)でもあります。私たちの心に存在する仏性は永遠に不滅であり、穢れなきものであり、完全無欠なものです。それが地上世界での生活のなかで、あらゆる煩悩によって埃や汚れにまみれて、真なる自己が一時忘れ去られ、地上世界での経験だけで、自分は肉体存在で、死んだらすべて終わる。と考えるようになってしまいます。

この迷いの生存からあらゆる人間存在を救うために、主がこの地上に下生され、真なる法・教えを説かれています。そして、私たち菩薩はその教えを伝え広げるために、今世下生しているわけです。

私たちの本当の姿は、色に見るものでなく、声に聴くものでなく、香に嗅ぐものでなく、味に感じるものではなく、肌に触れるものではなく、それらを知覚する意識でもありません。それらの一切が空であり、自らの自我は本来存在せず、真なる自己のみが実在であることを悟るために、私たちは幾転生、あの世とこの世を繰り返し生まれ変わってきました。

本当の魂の救済―自分の魂を救い、隣人の魂を救い助けるためには本物の信仰が必要です。信仰心を通して出なければ、「無我」と「空」と「中道」の悟りを得ることは絶対にできません。信仰こそが私たちのすべてであることを私たちは、『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を読む度に確認させていただいています。これは、私たち仏弟子にとって極めて大切な心がけです。
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仏陀を信ずる心―これが救いの道の王道です。「仏陀」と書いて、「われ」とルビを打っています。この「われ」というのは仏陀なのです。それは、教えを説く仏陀であり、その仏陀の教えと共感する、自分の内なる仏陀、仏性の部分でもあります。

「自分の思うままに生きたらいい」というのは自我我欲であって、これは真なる教えでも宗教でも何でもありません。仏陀を信ずる心があり、「仏陀についていこう。その教えについていこう。その後ろ姿についていこう。自分も同じようになろう」と思って、その道を歩みはじめることが、救いの道になるのです。

救いは、個人個人が自分の手によってつかみとっていくものです。救いの方法はすでに示されています。仏陀を信じ、仏陀の教えを信じ、仏陀の創った僧団の指導を信じて、ついていくこと、そして修行をしていくこと―そこに苦しみから逃れていく道があるのです。

「無我」や「空」と言っても、会社生活をしていては、なかなか実感できません。宗教の世界において実践することでのみ、それが真実のものとして身についてきて、悩みを切っていくことができるようになるわけです。これが、「救いの道の王道なり」ということです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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仏陀を信じる心、つまり主なる神である、エル・カンターレを信じることこそが救いの道の王道であることが、このお経によって明らかにされました。現成の仏陀である「大川隆法総裁先生」を信じ、「大川隆法総裁先生」の教えを学び、そして「大川隆法総裁先生の教えを広げる幸福の科学」の指導を信じることが、自らの魂を救い、そして隣人の魂を救い助ける王道です。そしてこれは同時に伝道の王道も意味しています。

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●伝えよ、仏陀の悟りを
『仏陀の悟り』について、「生・老・病・死」と、「無我」「空」の話をしました。
この話を他の人に伝えるときには、このようにすればよいのです。

「他の人から、「仏陀の悟りとは何ですか」と訊かれたら、まず、「人間には生・老・病・死の苦しみがあります」と言えばよいのです。誰もこれを否定できません。そして、「あなたも、その苦しみから逃れられません。どうされますか」と問いかけることです。さらに、「苦しみから逃れる方法があります。それは、やはり、悟りの力によって逃れていくのです」と伝えてください。

「その悟りの力は、どうしたら得られるのですか」と問われたなら、「それは無我や空という悟りです。この智慧の言葉を得て初めて、悟りというものは力を持ってくるのです。その悟りの力をもって、人生を漕ぎ渡っていきなさい」と答えてください。

さらに付け加えるとすれば、「あなた独りの力では、なかなか無理です。やはり、仏陀の教えを信じて、ついていくことです。それがいちばん間違いのない王道なのです。いま、仏陀の教えに従って、大勢の人が修行しています。大勢の人が大乗運動を興しながら、今、地上を仏国土にしていこうとしているのです。この大船に乗りなさい。この救いの船に乗りなさい。皆さんを彼岸まで届けてくれます。仏陀を信じて、あなたもついてきなさい」―このように教えてほしいのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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このように、『智慧の言葉「仏陀の悟り」』は、仏の強い、伝道の思いが込められた、まさに悟りの言葉です。仏の教えや仏の名を知らない人に伝えるべき真理は、人間は霊であるということ、四苦の苦しみから解脱するために、仏陀を信じて、仏陀の法を信じて、サンガの力を信じることを、はじめとして「無我」と「空」の教えを学ぶ必要があることが示されています。
この『智慧の言葉「仏陀の悟り」』にこめられた救いの道の王道を、伝道の王道として、一人でも多くの人に伝えてください。というのが、仏の御心です。

このように、『智慧の言葉「仏陀の悟り」』は、仏の悟りと救済の願いが込められた慈悲の経文です。この経文を毎日唱えて、主と共に、法と共に、サンガ一体となって、今日も主の御手足としての使命を果たしてまいりましょう。

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最後に、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。ここからは1991年5月5日、三重県鈴鹿サーキットランドで説かれました五月研修―「天使の条件」について、その教えを再確認させていただきます。私たち仏弟子の使命は、私たちが、天使や菩薩となって、この地上を仏国土ユートピアにすることです。
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■『天使の条件』
2地獄的なものを遠ざける
〇天使の条件―③転落の原因―悪しきプライド

まず、「地獄的なものを遠ざける」とはどういうことかについて、考えてみましょう。

みなさんの心のなかにある地獄的なものとは何でしょうか。幸福の科学の数々の書物や講演で、読んだり聞いたりしたことを材料として、自分の心のなかにある地獄的なるものを見出すことができるでしょうか。

みなさんは「自分は非常に複雑な人間である」と思っているかもしれませんが、心のなかにある地獄的なものを紙に書き出してみると、意外にシンプル(簡単)なものになってしまいます。箇条書きにしたとすると、せいぜい十項目か二十項目のなかに入ってしまうでしょう。右か左にしか切れない自動車のハンドルのように、人間の考え方や行動というものは一定の性質を持っているものなのです。

したがって、間違いの多くは割と簡単なところに原因があるので、そうした原因をあらかじめ自覚していることによって、間違いを避けることができるようになります。

以下では、間違いの原因となる性質や考え方のうち、代表的なものをいくつか検討してみましょう。
(ここから前回の続き)

③転落の原因―悪しきプライド
地獄的なものの一番目として、他人を責める傾向について述べましたが、二番目はプライドの部分です。これはどうしても述べておかねばなりません。

といっても、プライド自体は自尊心から出ているものなので、本来は決して有害なものではありません。自尊心を持つことは大切なことです。

自尊心とは、「自分は立派な人間だ」と思いたい気持ちのことであり、そう思いたいからこそ、向上心も湧いてくるのです。自尊心が根本にあるものは、「人間は仏の子である」という思想であり、「仏に近づきたい」という気持ちだと思います。したがって、プライド自体が悪いわけではありません。

ただ、プライドが人間の自然な感情から離れて、自分の顔に張りついた仮面のようになってくると、これが一つの独立した存在として仕事をしはじめ、本来の素直な心から遊離していきます。これが非常に怖いことなのです。イエスが「幼子のごとくでなければ天国には入れない」(マタイによる福音書18.3)と説いた理由もここにあります。

人間は数十年の人生を生きてくると、地位や収入、評判などによって、自己確認をするようになってきます。ところが、名刺に書いてある会社名や役職名が、しだいに自分そのものになってくる場合があります。

こうなると怖いのです。自分が自分でなくなってくるからです。ある意味では、自分というものが、値札をつけて棚に並べられている商品のようになってきているのです。それではいけないわけですが、本人はなかなか気づきません。

この数十年、私はいろいろな人を見てきましたが、途中で転落していく人は、ほとんどがプライドのところに原因がありました。単純なこの一点で転落しています。柔軟な心があれば、そうはならないのに、柔軟な心を持ち続けることができないのです。

いろいろな事態が起こっても、常に自分を変えていくという、柔軟な心を持っていればよいのですが、そうした心がないと、顔に塗ったパックがガチガチに固まって取れなくなったようなものを、「これが自分自身だ」と思うようになってしまいます。

素肌というものは弾力性があって柔らかく、変化に富むものですが、これをパックで固めてしまうと、ガチガチになってしまいます。そして、それを「自分だ」と思うようになるのです。しかし、そうであってはいけません。

すべてのものは変化し、変転していきます。その変化のなかで、竿を巧みに使って川下りをするからこそ、人生の喜びはあるのです。変化にともなう、そうした喜びを知らねばなりません。自分で自分を固めて、それ以外には変化できない自分をつくってしまってはいけないのです。

実は、プライドが原因で転落していく人のほとんどは、ブライドと能力のあいだに、だんだんギャップ(隔たり)が生じ、それが埋められなくて、そこに魔が入ってくるという傾向が非常に強いのです。

会社でも発展期には、「現状維持は即脱落」となりやすいものです。組織の拡大に応じて役職者の実力も向上していかなくては、必ずギャップができてくるものなのです。

現在の自分の実力と要求されているものとのあいだに、差が開いてきたことが見えず、自分の地位や役職にこだわっていると、完全に転落への道になります。過去、そうした姿をいくつか見てきた人もいるでしょうが、「それは自分の将来の姿かもしれない」ということを、よくよく知っておいてください。

その意味では、発展には罪なところもあります。しかし、発展を選ぶ以上は、覚悟しなくてはなりません。

【大川隆法『ユートピア創造論』より抜粋】
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本日も経典『ユートピア創造論』の第三章「天使の条件」となります。

天使・菩薩になる条件としてまず第一に挙げらるのが、「心のなかに巣くう地獄とつながる思いを取り除くこと」でした。
そして、「人を責める思いと地獄霊」を取り除くこと、「粘着型を克服する」ことを学びました。

本日の論点は「転落の原因―悪しきプライド」でした。
自尊心にも良いものと悪いものがあり、天狗の高転びと言われる現象もだいたい過ぎたプライドが問題になっています。

本日の教えで印象的だったのは、
『すべてのものは変化し、変転していきます。その変化のなかで、竿を巧みに使って川下りをするからこそ、人生の喜びはあるのです。変化にともなう、そうした喜びを知らねばなりません。自分で自分を固めて、それ以外には変化できない自分をつくってしまってはいけないのです。

実は、プライドが原因で転落していく人のほとんどは、ブライドと能力のあいだに、だんだんギャップ(隔たり)が生じ、それが埋められなくて、そこに魔が入ってくるという傾向が非常に強いのです』

悪しきプライドを持つ者は、環境の変化についていけない人であることが分かります。これは意外な論点で、変化を受け入れることができないからこそ、自らをプライドの仮面で偽り、仮面がはがれたときに一気に転落するパターンをくり返してしまうことで、修行者である私たちも気をつけなければいけません。

これに関して、箴言集『妖怪にならないための言葉』に妖怪性の問題点が明らかにされていますので、併せて読み込んでこの傾向性を克服してまいりましょう。

まず魂のなかに存在する天国的なものに反する思いを取り除くことが大切であることを教えていただきました。これは四正道のなかの反省の法門、「八正道」にも大きく関わりのある教えです。本物の天使・菩薩となるためにしっかり学んでまいりましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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