(5/1-1)121『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について考える ⑧無我の心を持つならば―【愛は風の如く―Love Blows Like the Wind】

『智慧の言葉「仏陀の悟り』」

7 欲望の強すぎることを恥とせよ。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

5月4日はヘルメス大祭です。当日は13 
時から、大阪正心館を本会場に、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催いたします。皆様ご参集ください。

5 月 4日(日・祝)~5 月 6 日(火・祝)まで2025 
年「ヘルメス大祭」を開催し、ヘルメス大祭版「復活の祈り」を執り行います。神秘思想と霊界思想の源流におられ、2000 
年前のイエスの「復活現象」に力を与えられたご存在であられるヘルメス神のご指導のもと、主のご復活に向けて主への愛と祈りの力を結集してまいります。そして、私たち一人ひとりが、透明な風の如き天使の愛を実践し、主の愛がこの地に満ちて「愛の復活の時代」を到来させるべく、伝道の誓いを捧げる機会とさせていただきます。

5月14日は新復活祭です。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。
 当日は13 
時より、教祖殿に最も側近き礼拝殿である東京正心館から、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催します。そして、5/14(水)~5/18(日)まで、新復活祭を開催致します。皆様この機会にご来館ください。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そこで、本日から経典『信仰のすすめ』の第四章に所収されています「愛は風の如く―Love Blows Like the 
Wind」より、ヘルメスの愛について学びます。本御法話は主の新復活の直前となる2004年の4月29日に説かれています。
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■愛は風の如く―Love Blows Like the Wind
1ギリシャ神話の神ヘルメスの真実
○幸福の科学だけが伝えている真のヘルメス像

幸福の科学が制作し、二〇〇三年十月に公開された、映画「黄金の法」(製作総指揮・大川隆法)は、海外でも上映され、それを観た海外の人から、「映画のなかに登場してくるヘルメス神について、もう少し詳しく知りたい」という意見が寄せられました。

そこで、本章では、ヘルメスについて述べることにします。

映画「黄金の法」にはモーセやイエス・キリストも登場しますが、彼らについては、よく知っている人も多いでしょう。

一方ヘルメスについては、おそらく、ほとんどの人が、「ギリシャ神話に出てくるオリンポス十二神のなかの一人である」という程度の知識しか持っていないのではないでしょうか。確かに、ヘルメスについて、現代には、そのようなかたちでしか伝わっていません。

しかし、幸福の科学が伝えているヘルメス像は、ギリシャ神話のものとは違っています。もちろん、当会の人以外で、そのようなヘルメス像を語った人はいないので、当会が伝えているヘルメス像は、まったくオリジナルものであると言ってもよいでしょう。

その意味で、「映画で観たヘルメス像がよく分からない。あのようなヘルメス像は初めてだ」という感想には納得できます。そのとおりであろうと思います。

私は、以前、自分自身のなかにある、はるか昔の過去世の記憶をよみがえらせて、ヘルメスの物語を書き下ろしました。それは、本章の章題と同じ『愛は風の如く』(全四巻、幸福の科学出版刊)という題名の本です。

この本は、まだ外国語に翻訳されていないので、海外の人々の多くは、その内容を知らないかもしれません。しかし、この本を原作とする映画「ヘルメス―愛は風の如く」が、すでに、一九九七年に制作され、日本国内や海外で公開されています。

それは、新しいギリシャ神話であり、また、現代によみがえった、新たな英雄伝説でもあります。

○ゼウスより数百年も前に活躍した指導者
それでは、当会で説かれているヘルメス像とは、どのようなものでしょうか。
時は、いまから四千三百年前に遡ります。

ヘルメスは、ギリシャ神話の内容とは違って、実際には、ゼウスよりかなり古い時代の人です。「ヘルメスはゼウスより数百年も前の人である。ヘルメスは、いまから四千三百年ほど前に生まれて活躍をし、その後、数百年たって、ゼウスが生まれた」と私は述べています。

現代に伝わっているギリシャ神話では、ほとんどの神々がゼウスの子供であるかのようになっていますが、それは、現代人の感覚から考えても、ありえないことです。そこに描かれているゼウス像は、あまりにも人間的なゼウス像です。神話を編むにあたって、「ゼウスが、さまざまな女性たちを妻にして、たくさんの神を生んだ。そのなかの一人がヘルメスである」ということにしているわけです。

これについて、私は、「ヘルメスという指導者がいて、ヘルメス教団があった。それから数百年たって、ゼウス教団ができ、そのゼウス教団が自分たちを中心に神話を作り直した」と考えています。

【大川隆法『信仰のすすめ』第4章「愛は風の如く―Love Blows Like the Wind」より抜粋】
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さて、
『正心法語』のなかで、「菩提心の言葉『修行の誓い』」を読んで、三宝帰依の精神を確認して、仏道修行の誓いを主に捧げたのち、読む経文が『智慧の言葉「仏陀の悟り」』です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、2600年前の仏陀の悟りか何であったかを学ぶことができます。

私は、個人的に『智慧の言葉「仏陀の悟り」』を、伝道の中心に据えています。主エル・カンターレの名を知らず、無明の闇に苦しむ人に仏法真理を伝道するときに伝えるべき内容がここに集約されているからです。また生きている方のみならず、お亡くなりになった方への伝道という意味においても、葬儀での法話で、お亡くなりになった方への引導を渡すときに、この経文を題材に法話をしています。

さて、本日は、『仏説・正心法語』第三の経文である『智慧の言葉「仏陀の悟り」』について共に考えを深めてまいります。

私たちは、この経文を毎日読むことによって、私たちが日々つかむべき『霊的人生観』を知り、自分が肉体存在ではなく、「霊」であるという原点に立ち返ることができます。

『智慧の言葉「仏陀の悟り」の最後の部分は重要につき、繰り返し抜粋します。

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仏陀は語る
『人間よ 
生・老・病・死は真理なり
されど 悟りの 力こそ
悩みを 断ち切る 刃なり
無我の 心を 持つならば
肉体は これ 我ならず
煩悩は これ 我ならず
空の 心を 持つならば
霊こそ 全ての 根源(もと)にして
この世は 仮の 世界なり
仏陀(われ)を 信ずる 心こそ
救いの 道の 王道なり』

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You hear the words
Listen, people
Birth, aging, illness, and death are the Truth
But there is a sword
To cut through your suffering
This is the power of enlightenment
If you become ‘egoless’ you will see
That your physical body is not you
That your worldly desires are not you
If you become ‘void’ you will see
That the spirit is the source of all things
And that this world is only temporary
Your belief in Buddha
Is the royal road to salvation

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ここで、また無我の教えが出ています。
悩みを断ち切る悟りの力のもとは智慧です。智慧の一つである「無我」を受け入れて、無我という真実をまず知ることが大事です。

「肉体は我ならず」です。肉体というのは自分自身ではなくて乗り物なのだ、ということをまず知りなさい、ということです。『仏説・正心法語』の最初の経文である「真理の言葉『正心法語』」にあるように、肉体は魂の乗り舟なのです。これを知らなくてはなりません。

肉体が自分自身ではなくて乗り舟であるならば、煩悩というものも、肉体を中心に出てくるものです。「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六根煩悩から、いろいろな苦しみが現れてきます。その煩悩は、ほんとうに自分自身の魂が要求しているものなのか、それとも肉体が要求しているものなのか、考えてみることが必要です。・・・いろいろ苦しみがありますが、それに翻弄されているときには、「これが本来の自己の求めているものなのかどうか」を、よく知ってください。

「肉体はこれ我ならず」「煩悩はこれ我ならず」と思ったとき、そこに智慧が現れてきます。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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人生の迷いや、苦しみは、形ある世界の中にあって、形ある物がすべてであるという心の囚われから生まれます。
「目に見えるものは、本当は実在しない。本当に実在するのは心のみである」
目に見えるものは、私たちが死んだ後、何もかも無くなってしまいます。それは実在とは決して言いません。私たちが自分だと思っている肉体や、脳も、心臓もいずれ無くなるものです。形あるものに実在はありません。形あるものに宿りたる、「形なきもの」こそが実在なのです。

「肉体」の反対は「霊」です。宗教的信条を持たない人は、自分が霊的存在であることを理解することができないで苦しみを自ら生みます。

肉体は自分ではありません。
そして肉体についてまわる煩悩(ぼんのう)や欲も自分ではありません。
無我であり、無執着であることが、本来私たちのあるべき心の姿です。

これを理解するのが「霊的人生観」の始まりであり、悟りの第一歩なのです。
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仏教の教えの旗印として四法印というものがあります。「三法印」がとくに有名ですが、一切皆苦を加えて四法印という言葉が大乗仏教のなかにあります。

①一切皆苦 肉体存在としての人生はすべて苦しみである
②諸行無常 全て事象は留まることなく、常に変転していく。
➂諸法無我 全ての存在に「我」はなく、我がものというものは存在しない。
④涅槃寂静 全ての執着や煩悩の炎を吹き消して何にもとらわれない平和で自由な境地を目指すこと。

仏教では、まず、人生での苦しみは自分が肉体であると勘違いすることから発生すること教えています。人間の本質は、「霊」なのです。人間はその本質である霊が魂となって幾転生、あの世とこの世を繰り返し生まれ変わりながら、自らの魂の親である仏へと帰還する心の修業を重ねています。

ですから、人間の本質は肉体だと考えることそのものが苦しみであると人生の本質をお釈迦さまは喝破されました。苦しみの象徴としてこの経文でも取り上げられています。「生・老・病・死」の四苦が苦しみの代表として登場しています。

その次には、「空」と「無我」の教えがとても重要であり、「空」は「諸行無常」に関係があり、「無我」は「諸法無我」に関係があります。それでは、ここで、経典から無我と空についての主の教えをおさらいいたします。

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〇真に「無我」となる方法
釈尊が無我を説かなければならなかった理由の一つは、「結局、人生の苦しみのほとんどは執着にある」というところです。執着とは、何かに執(とら)われることです。この執着のもとにあるものが「我(が)」なのです。我欲。あるいは「我あり」と思う心。あるいは我見(がけん)―我でもって見る、自我でもって見る、自分が非常に都合のよい偏りのある目で見る。こうした我に基づく見方や欲望によって人生の苦しみはすべてできているのです。ほとんどそうです。・・・

「我なし」ならば「我がもの」もないのです。「我あり」と思うから、「我がもの」があるのです。・・・まず「我」があって、「私のもの」というものが出てきます。これが執着の原因です。この「私のもの」があって、そこに執着が生まれてきます。

ですから、この執着を断つためには、まず「私のもの」というのを切る必要があります。「私の私の」「我の我の」というのを、やめることです。

本来のあなたの存在というのは、いったい何でしょう。それは、大宇宙の根本の神仏が、光として人間を存在らしめようとして出したのです。それが本来の姿でしょう。それを忘れてはいけません。その本来の姿を想い起こしたときに、人間は神仏と一体になれるのです。

この無我の教えは、二つの面から、もう一度点検されなければなりません。無我とは、物理的物体としての「我」が無いということを言っているわけではありません。無我なるものの本質の一つには、「あなたは神仏と一体にならなくてはいけません」という部分があります。己を空しゅうしなければ、神仏と一体にはなれません。「自分が自分が」と思う心が強ければ、神の光も射してきません。

神仏と一体になるためには、仏教的に言えば、もちろん反省、瞑想がありますし、キリスト教的に言えば、神への祈りもあるでしょう。ひとりで神に一生懸命祈るのもそうでしょう。「神仏と一体となる」、これが一つです。

無我なる方法として、もう一つは、「利他、愛他」があります。

他人のために生きる。
他人の苦しみを自分の苦しみとして、
他人の悲しみを自分の悲しみとして、
他人のよろこびを自分のよろこびとして生きる。
愛他の心を持って生きる。
これも無我になっていくための道です。

要するに、神仏と一体になるのも、他人と一体になるのも、両方、無我の教えなのです。
「これが結局あなたがたを生かしていく道なのだ」ということを教えているわけです。

この教えに間違いはありません。

【大川隆法『悟りの挑戦』(上巻)より】
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59 自己中心的な人ほど「我」が強い。
【大川隆法 『人生への言葉』より】
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最後に、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。ここからは1991年5月5日、三重県鈴鹿サーキットランドで説かれました五月研修―「天使の条件」について、その教えを再確認させていただきます。私たち仏弟子の使命は、私たちが、天使や菩薩となって、この地上を仏国土ユートピアにすることです。
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■『天使の条件』
1開かれた菩薩への道
①菩薩の世界に入るべし

幸福の科学という団体が、現在のように非常に大きくなってくると、総裁である私には少し不本意なところもあります。それは、私と会員一人ひとりとのあいだに、しだいに距離ができてくることです。

しかし、それを残念がっていてもしかたがありません。「会員のみなさんが私に近づいてきてくださればよいのだ」と私は考えています。みなさんが精進をして、その境地を挙げたならば、私との距離は自然に縮まると思います。

思い返せば、幸福の科学が発足して最初の講演である「幸福の原理」において、私は「千人の阿羅漢が欲しい」いう話をしました。(1991年説法当時)

しかし、幸福の科学の教えを数多く学んできた人ならば、阿羅漢の悟りで一生を終えたいとは思はないでしょう。「菩薩の世界に入りたい」と思っているはずです。

ただ、霊界の六次元光明界と七次元菩薩界の境目というのは、きわめて厳しい境界になっていて、六次元から七次元に入るには大変な努力を要します。

打ち上げられた宇宙ロケットが大気圏外に出るときには、力強いエネルギーが必要となりますが、あの厳しさにも似たものがあります。七次元の壁はそう簡単には壊れないのです。

仏は人間を愛しており、人間に喜びを与えたいと思っているのですが、砂糖菓子のように舌触りのよい、甘い喜びを与えようとしているわけではありません。仏が人間に与えようとする喜びは、もっともっと深く、長く続く喜びです。それは、かめばかむほどに奥深い味と香りが出てくる、蜜のような甘さなのです。

仏は、そのような至福の喜びを人間に与えるため、人生の途上に、一見、苦難・困難と見えるような状況をも用意します。しかし、それは決して人間を苦しめるために存在するのではありません。仏はあくまでも、一人ひとりの人間が、その困難を乗りきり、至福の世界に入ってくることを願っているのです。

それは鯉の滝登りにも似た喜びでしょうか。あるいは、淵に潜む竜が、天に駆け登るときの喜びにも似ているでしょうか。さまざまな抵抗を乗り越えて向上しているとき、人間は初めて一皮むけ、人間ならざる境地に入ることが可能となるのです。

したがって、幸福の科学に集い、修行しようと心に誓っている人は、すべからく、「菩薩の世界に入るべし」という誓願を立てていただきたいのです。「今世、地上を去ったとき、菩薩の世界に還らずにはおかない」という気持ちを持ってほしいと思います。

②幸福の科学における修行
そして、菩薩の道は、幸福の科学の出現によって、きわめて容易な道として開かれたのです。みなさんが別の時代に生まれたならば、どのように修行をすればよいか分からず、山の中を歩きまわってみたり、滝行をしてみたり、経文の意味もよくわからないままに写経してみたりと、さまざまな修行をしていたかもしれません。

このように、どうすれば悟れるのかが分からない時代が、千年も二千年も続いてきました。その間に、みなさんは何度も生まれ変わっているのですが、そうした時代においては、高い悟りを得て菩薩の世界に還ることが容易ではなかったのです。

しかし現在は、仏法真理がふんだんに説かれ、悟りの道がはっきりと示されています。こうしたときだからこそ、みなさんには、他の時代の十倍も二十倍もの確率で、光の世界に還る可能性が開かれているのです。

この事実を歴史的な目で見て、自分がいま立っている地点を知ったならば、それは喜び以外の何ものでもありません。他のものをすべて捨て去っても惜しくないほどの、極めて得がたい機会であることが分かると思います。

しかも、幸福の科学の修業たるや、難しいことはけっして説いていません。「スーパーマンのようなことをしなさい」とは言っていません。「睡眠を削れ」「一日じゅう山のなかを歩け」「書物を丸ごと暗記せよ」などと言っているわけではないのです。

幸福の科学では、「仏法真理を学習し、その内容を理解し、それによって自分の心をよく調(ととの)えるということを、日々実践していきなさい」と、きわめて常識的な修行方法を説いているのですから、非常に簡単な道なのです。

もっとも、方法は簡単ではありますが、それを維持することは難しいのです。

一見、人目につくような難しい修行を申し渡されると、得意になり、他の人たちの目もあるため、その修行に五年十年と打ち込むとことを決意する人がいます。また、それは実際にできないことではありません。

ところが、きわめて常識的で日常的な修行方法であればあるほど、日常生活のなかで甘えが出て、みずからの堕落を招くようになるものなのです。また、容易な道であるからこそ、自分なりの甘えから、自分に都合のよい方向へ持っていこうとする人たちも出てきます。

これは、修行が進んでいるかどうかということが、他の人びとの目によって厳しく監督されているわけではないからです。すべては自己管理に任されており、怠ける自由、精進する自由であって、どれも厳しいことを言ってはくれません。そうした環境のなかで、みずからが日々決意し、精進していかなければならないのです。

幸福の科学における学びの道は、非常に平易な道であることを述べました。では、その平易な学習の道において予定されている教えとは何でしょうか。天使(菩薩)になるための条件として要求されているものは、一体何なのでしょうか。

みなさんのなかには、いくつかの事柄が胸に浮かんでくる人もいることでしょう。幸福の科学では、どの本にも、どの講演にも、天使の条件に関する教えが入っているからです。

しかし、「それを、自分なりの修業の徳目として、簡潔に書き出してみよ」と言われると、そう簡単ではないかもしれません。天使になる条件は教え上げれば百も二百も三百もあるかもしれませんが、「いまの自分自身にとって、いちばん大切な課題は何か」ということを考えなくはらならないのです。

天使の条件を考えるに際して、私は二つの方面からアプローチしてみたいと思います。

まずは、「地獄的なものを遠ざける」ということが必要です。そして、地獄的なるものを遠ざけ、天国的なものとなったならば、次に、「より優れた自分になっていくためのプラスアルファを見出していく」ということが必要になるのです。

【大川隆法『ユートピア創造論』より抜粋】
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本日から経典『ユートピア創造論』の第三章「天使の条件」となります。私たちが目指す「天使の条件が三重県の鈴鹿の地で1991年に説かれていたことに感動です。

ここで少し幸福の科学の歴史を振り返ると、
教団草創期の1991年はまさに激動の年でもありました。【立宗は1986年】1991年3月7日に宗教法人格を取得し、永遠の法灯が灯りました。

5月5日に鈴鹿で「天使の条件」が五月研修として説かれ、7月15日に第一回東京ドーム御生誕祭御法話「信仰の勝利」が説かれ「エル・カンターレ宣言」が全世界になされました。このとき、記念経典として『永遠の仏陀』が発刊されています。

その後秋に「講談社フライデー事件」があり、本格的な魔との戦いが始まりました。魔との戦いの最中に12月8日―後に「降魔成道記日」となる日に「『永遠の仏陀』講義」を賜りました。

そして、1991年 12月 
26日に東京ドームでの第一回エル・カンターレ祭にて御法話「新世界建設」を賜り、エル・カンターレ本仏下生が今回三度目であり、如来の四法印【諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・光明荘厳】が示されました。

このように、1991年を振り返ると、幸福の科学が魔との戦いのなかで、教団として大きく羽化登仙していく年となっています。

そのなかで、主は私たち仏弟子に天使の条件を示し、光の天使―菩薩となって主の救世事業の御手足として尽力することを求めました。本日の引用ではこのようにありました。

『したがって、幸福の科学に集い、修行しようと心に誓っている人は、すべからく、「菩薩の世界に入るべし」という誓願を立てていただきたいのです。「今世、地上を去ったとき、菩薩の世界に還らずにはおかない」という気持ちを持ってほしいと思います』

そして、そのための修行の第一歩として「地獄的なるものを遠ざける」ことが示されています。詳しくは次回のテーマとなります。

共に精進に精進を重ね、菩薩の世界に入りましょう。私たちにはその力が眠っています。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

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