93 「滅私奉公」は時代遅れにならない。「公」を社会や国に置き換えればよい。
94 「家族愛」と「社会愛」がぶつかり始めたら、出世したか、会社が「公器」になったということだ。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
4月30日は幸福実現党の立党記念日です。2009年4月30日、大川隆法総裁先生がこの国の国難を救うべく、幸福実現党宣言をなされて、「幸福実現党」を立党しました。主に心よりの感謝を捧げます。
そこで、本日からは、幸福実現党立党の精神を振り返るべく、教典『宗教立国の精神』より第一章『天命を信じよ』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。経典をお持ちでない方は、全国の書店、支部や精舎にて拝受ください。【2000円(税抜)】
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■『宗教立国の精神』
1宗教も政治も「幸福の実現」を目指すもの
〇政治とは、地上から不幸を追放する具体的な活動
今、幸福の科学は、政治の問題に取り組んでおり、「宗教として、どこまでそのフロンティアを極めることができるか」という文明実験が進んでいるところです。
日本では、戦後、「政治と宗教を分ける」という政教分離が当然の常識として刷り込まれているために、スタート点においてはかなり難しいものがあります。率直に言って、「すでに多くの人に教育され、刷り込まれているものを覆し、さらに、その先に進む」ということは、困難なことのようにも見えます。
しかしながら、「政治とは何か」ということを翻(ひるがえ)って考えるならば、それは、ある意味で、「この地上から不幸を追放する」という具体的な活動であり、別の言葉で述べるならば、幸福の「科学」そのものであると言えます。
つまり、「いかにして幸福を実現するか」を、具体的な技術・方法を用いてやり遂げていくことが政治なのです。長らく、政治は、「可能性の技術」とも言われてきたように、非常に創造性の高い仕事の一つです。
ただ、「この世に生きる人々の人生を、いかに導くか」という点においては、宗教と政治は重なるものがあります。
私は、宗教も政治の一角を担うものであると同時に、政治をも包み込むものであると考えています。すなわち、幸福の科学が考える「人間の幸福」というのは、「この世とあの世を貫く幸福」であり、そのうちの「この世の幸福」の部分において、政治と宗教が並行的に存在するのです。
宗教が政治的にも成功し、幸福な人を数多くつくることは、当然、この世から不幸を減らしていく運動にもなり、それは、政治と宗教が、物心両面から、この世をユートピア化していく流れでもあると思うのです。
宗教が、言葉や精神的な問題だけで人を救おうとしても、救いきれない領域はもちろんあります。例えば、不幸な戦争や不幸な天変地異が起きたり、人為的な失敗による経済不況が起きて、所帯主が収入を失ったり、経営していた会社が倒産したり、あるいは、家族に病人が出たりしても、助けることができないこともあります。
したがって、私は、「宗教であっても、政治に関して目を離してはならない」と考えているのです。
ただ、現代のような飽食の時代においては、かつての飢えた時代のように、「炊き出し運動」的な宗教活動が全国に広がるとは思っていません。むしろ、日本の歴史において、仏教が「高等学問」として、政治やさまざまな学問領域を支えたように、今は、千新宗教が、より高度な技術として遅れている政治を立て直し、牽引(けんいん)すべきときが来ていると感じています。
【大川隆法『宗教立国の精神』第一章『天命を信じよ』より抜粋】
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このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれています。また、信仰についてさらに重要な経典が『本物の信仰』です。これらは「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。お持ちでない方は、絶対にいただいてください。お勧めしています。
さて、これまで、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』をともにじっくりと読ませていただきました。
『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。
私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。
本日は、信仰の原点に立ち返りまして、経典『信仰のすすめ』の質疑応答から抜粋をお届けして、自らの信仰心を振り返る機会とさせていだきたいと思います。
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「三宝というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。
参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】
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〇信仰とは何か
・仏という言葉をどう理解するか
【質問】仏典には、仏について、「仏は初めから仏である」とも、「長いあいだ修行して仏になる」とも書かれています。
仏というものをどのように理解したらよいのでしょうか。
●仏には二つの現れ方がある
人間的属性を超えた存在である仏には二つの現れ方があります。すなわち、「初めから、役割上、仏としての姿形を持って仕事をしている存在」と、「いったん、片々(へんぺん)たる魂となって個々の肉体に宿り、永遠の修業を経て、元なるものに近い姿に帰っていった存在」という二つの現れ方があるのです。
実は、魂というものは、創られた時点ですべて同時期ではありません。いろいろな時期に、いろいろな環境下でつくられた魂の群れというものがあります。また、創られた時点に性あるだけでなく、創られた目的が違う場合もあります。
創られた時期の違いでいうと、たとえば、ある百億ほどの魂の群れがいまから二十億年ぐらい前につくられたとします。その魂群は、転生輪廻をして魂修行を行います。その後、十億年ぐらいたってから、また何十億かの魂の群れが創られたとします。そうすると、二十億年ぐらい前につくられた魂群のなかには、その十億年間の転生輪廻の過程で、そうとう魂修行をして、かなり魂が進化しているものがいるはずです。こういう魂たちは、あとから創られた魂群のところへ、最初から高い悟りを得ている仏の姿で現れてくることもありうるのです。
これは究極の秘密なので、あまり明かせないのですが、「古い魂ほど、進化して偉くなっていることが多い」と考えてよいでしょう。
ただ、魂の群れのなかには、やはり、一定の目的のために最初に創られた、先生役の存在があります。
たとえば、日本の大学には、まだ百数十年という短い歴史しかありませんが、多くの場合、「その大学の卒業生が、そこで助手になり、助教授になり、教授になる」という過程を経ることになります。
しかし、最初に大学をつくったときには、やはり、先生がいないと授業はできないので、よそから先生に来てもらったでしょう。
それと同じように、初めて魂を創るときには、どうしても先生役の魂もつくらなくてはいけなかったのです。
そのあとは、「教育の過程で、優秀な人が、どんどん先生になっていく」ということになったわけです。
このようなたとえで、仏という言葉を理解してください。
【大川隆法『信仰のすすめ』第三章より抜粋】
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仏陀が「私には信仰がある」と言った、その「仏陀の信仰とは何かというと、それは、「自分が悟りを開いたときに感じた、大宇宙の理法、大宇宙を貫いている理法と一体なのだという確信です。
仏陀は、「宇宙は、なぜ動いているのか。どういう仕組みの下に人生修行があり、この世とあの世は、いったい、いかなる仕組みによって動いているのか」ということを見ぬきましたが、そういった宇宙の法則を見ぬいただけでなく、さらに、「自分自身はその宇宙の理法と一体なのだ」ということを悟ったのです。
【大川隆法『本物の信仰』第二章より抜粋】
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どうか、「本物の信仰」をつかみ取ってください。
そのなかで、「方便の信仰」との違いや差をよく分かっていってください。
みなさんの活動のなかには、この世的なレベル、常識レベルでの活動も多いと思いますし、それをも「宗教活動」と称していることも数多くあるとおもいます。その全部を否定できるものではなかろうと考えますが、最終的には、やはり、「信仰が残らなかったら、すべては虚しい」ということを知っておいていただきたいと思います。
どうか、「信仰」の二文字を持って、この地上を去ってください。
【大川隆法『本物の信仰』第二章「本物の信仰」より】
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最後に『永遠の仏陀』より抜粋いたします。
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〇仏は法なり、仏は教えなり
くり返し、おまえたちに告げる。
このわが教えは、
単に、おまえたちの心を救うがためにのみ、
説かれているのではない。
この教えを本(もと)として、全宇宙は統べられているのだ。
この教えを実践すべく、
人類の過去・現在・未来があり、
人類なき過去にも、
この教えは厳然としてあり、
人類なき未来にも、
また、あるであろうということを、
私は明言しておく。
このわが説く法は、
人間の出現に先立ち、
人間の消滅におくれて、
なおもあるものである。
教えとは、姿を変えたる仏そのものであるということを、
おまえたちは知らなくてはならない。
わが教えを読むは、仏を見ると同じなのである。
仏を知らんと欲せば、わが教えを見よ。
その教えこそが、姿形なき仏の実体なのである。
おまえたちは、空を見上げて、仏を見んとするか。
おまえたちは、目を閉じて、仏を見んとするか。
おまえたちは、想像のなかで、仏を見んとするか。
それとも、
おまえたちは、霊的なる目を開いて、仏の姿を見んとするか。
いずれの試みも、虚(むな)しく終わるであろう。
そう、真実の仏とは、姿形なきものである。
真実の仏とは、
この地上を超えた実在世界にある高級霊の姿をとった、
その霊的実在でもない。
その霊的実在を超えたるものが、真実の仏であり、
真実の仏の姿は、教えに表れているのだ。
よくよく聞くがよい。
手で仏をさわらんとして、目で仏の姿を見んとし、
その体の大きさに合わせて仏を測ろうとする者たちよ。
仏とは、
おまえたちの想像するようなものではない。
仏とは、法であり、
仏とは、教えであるのだ。
わが説く、この法こそが、
わが説く、この教えこそが、
仏の実体の本質であるのだ。
わが教えを学ぶ時、
おまえたちは仏の姿を見たのである。
わが教えを聴く時、
おまえたちは仏の声を聞いたのである。
わが教えを理解する時、
おまえたちは仏の心を理解したのである。
くり返し、くり返し、言う。
仏とは、姿形なきもの。
仏とは、人間を超えたるもの。
しかして、霊を超えたるものでもある。
仏とは、人間的なる感覚を超越し、
この宇宙を統べるところの、
教えそのものとなっている存在なのだ。
おまえたちは、
その手にしているページの一枚、一枚に、
仏の姿を見ているのである。
仏とは何であるかを知りたくば、
わが説く教えを、深く、深く、理解せんとせよ。
そこに、
仏とは何であるかという、その問いに対する答えが、
明らかに現れてくるであろう。
【大川隆法 『永遠の仏陀』 第5章「永遠の仏陀」より抜粋】
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ここでさらに、幸福実現党立党の精神に原点回帰すべく、教典『宗教立国の精神』より第5章『宗教立国の精神』を振り返ります。経典をお持ちでない方は、全国の書店、支部や精舎にて拝受ください。【2000円(税抜)】
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■『宗教立国の精神』
1幸福実現党の引き金
本章では、「宗教立国の精神」に関して述べたいと思います。
幸福実現党という政党をつくるに当たっては、最初に、「幸福実現党」という題で、二〇〇九年四月三十年に幸福の科学総合本部で説法をしたのですが(『幸福実現党宣言』〔幸福の科学出版刊〕所収)、「そういう説法をする」と決めたのは、総本山がある栃木県宇都宮でした。
その直前の四月二十六日に郡山支部で説法を行い、宇都宮で少し静養してから東京へ帰るつもりでいたのですが、宇都宮にいるとき、心に降りてくるものがあり、「どうやら、『宗教団体としての名前を出さずに、特定の政党や候補者を裏から応援する』という段階は終わったのかな」ということを感じたのです。それは四月二十九日だったと思います。
それを宇都宮にて感知し、三十日、東京で説法をしたのです。
それまでの十数年においては、政策本位、あるいは立候補者本位で、ある程度、共鳴、共感できる政党や候補者に対して、一部、教団の勢力を割いて応援することはよくありましたが、「どうやら一つの階段が終わったのかな」と感じたのです。
そのもとを辿(たど)れば、おそらく、私が、海外伝道で諸外国を回り、いろいろな国の主要都市で講演をしていたことに行き着くでしょう。
世界の情勢を見ながら説法をし、日本というものを外国から見たときに、「このままではいけない」という思いが、ずっと積もっていたような気がします。そのような目で日本の政治というものを見ると、とても心もとない感じがしたわけです。
私は、宗教家としての分を守り、心の教えだけを説いていれば、どこからも攻撃を受けることなく、日々を平穏に過ごせる幸福は維持できたのですが、あえて、波風を起こす道を選びました。
それは、海外を回ってみて、「日本という国が、果たすべき役割をはしてない」ということを感じていたからでもあります。
それは、絵画を回ってみて、「日本という国が、果たすべき役割を果たしていない」ということを感じていたからでもあります。
過去にも何度か述べましたが、幸福実現党立党の具体的な引き金は、昨年(二〇〇九年)の四月五日に北朝鮮からミサイルが発射されたことでしたが、その時点ではまだ、政治運動にまで入るとは考えていませんでした。
しかし、その後、政府の対応はどうだったかというと、日本という国の置かれている立場から見て、発信しなければならないことがあるにもかかわらず、それができていませんでした。その現状に対して、やはり、「一石を投じるべきではないか」という気持が強くなったのです。
【大川隆法『宗教立国の精神』第5章『宗教立国の精神』より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(4/22-1)112『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む ⑬仏とは―【天命を信じよ】宗教も政治も「幸福の実現」を目指すもの
