(4/21-1)111『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む ⑫信仰心の発展段階―4月21日大川隆法総裁先生の伊勢支部精舎・御巡錫記念日

『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む

99 自分がこの世を去ってからの後のことを遠望せよ。
100 「いい人生だった」と言える晩年を目指そう。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

本日4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。今から12年前の2013年4月21日に大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。本日午後の復活の祈りの後、14:00より御法話『信仰心と国を愛する心について』を拝聴させていただきます。
皆様ご参集ください。

主に限りない感謝を捧げます。「主よ、誠にありがとうございました。」
私たち伊勢支部信者は、必ずや主の御心をわが心として、主のみ言葉を、主の愛を必ずや伝え広げてまいります。主を心から愛しているという証明を私たちの隣人を救い助けることによって成し遂げてまいります。

本日は、御法話『信仰心と国を愛する心について』をいただいた主への感謝を深め、今後の報恩行を深める機会とさせていただきます。

この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

はじめに、伊勢支部での伝道の心得を主より「御巡錫御法話」で賜りました質疑応答から学びます。そののち、菩提心の言葉「修行の誓い」の解説をいたします。
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2013年4月21日 大川隆法総裁先生 伊勢支部精舎御巡錫
御法話 「信仰心と国を愛する心について」質問第二問目 文字起こし
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■他の宗教に所属している方への伝道の方法について
【質問2問目】
お墓参りには毎日行かれる方が多いのに、信仰の話を分かりやすく話始めるのですが、
相手の方は、宗教の話と考えて話題を変えられる方たちが多くて困っています。どのように話をすれば、信仰心を持ってもらえるのでしょうか。

□主のお答え
〇他宗の方を伝道する時に考えること
・日蓮宗の一部や左翼キリスト教に熱心な方は伝道しにくい

お墓参りを毎日行くというのは普通ではないので(会場笑)。毎日行くもんですか?
お彼岸とお盆くらいに行くのかと思ったら、毎日行く人もいるんですね。仏壇とかに毎日手を合わせる人もいると思いますが、お墓参りを毎日行くぐらいになるとそうとう普通ではないレベルまで熱心な方ではありますね。

もちろん宗教を信じる人でも、宗派心や党派心というか、一つの派閥というか、何かのグループに属する帰属心がものすごく強い人がいらっしゃるので、そういう人の場合、他の人の話を聞いてはいけない、信じてはいけない。うちのだけ聞いていなさい。という指導が、なされているところも結構あることはあるんですよね。そういうところは、他の考え方や教えが入って心がぐらつくのを怖がっているような人もいるんじゃないかと思います。

私なんかがいる所の近くにも、けっこう寺町でして、お寺がいっぱいあるんですよ。お墓もあるんですけれども、教祖殿がある近くなんかは、一軒だけですけれども、「幸福の科学お断り」みたないなものを貼っているところもあるんですが、お墓がいっぱいありますんで、〇〇宗のお寺で、おそらく関係がある人がお住いなのだろうとは思いますが、「伝道されるのがかなわん」ということで、そういうことだろうとは思いますが、そういうことだと思って、こちらも何も言わずに放っておいておりますけれども、お寺が伝道されたら、向こうもどうしたらいいかわからなくなって、特に日蓮宗とかは他宗を認めない。原則ではあるんですね。

でもまあ、身延山系統は大石寺系統ではなく身延山系統は、おなじ日蓮宗でも、けっこう幸福の科学に好意的な人が多くて、(当会の)本も読んでいるし、日蓮の霊言とかも信じている人が多くて、比較的友好的に付き合ってくれている人が多いんですが、大石寺系がね、ちょっと創価学会のもとになったところですね。あちらのほうは心がやや狭くて、(話を)聞かないこともありますね。

あとはキリスト教の一部は、キリスト教もいろいろあるのですが、右翼から左翼まであるのですが、キリスト教の一部が左翼的になっている。先の戦争の時に反対していたキリスト教ということで、左翼と一体化して、左翼運動をしている人もいるんですね。今はほとんど潰れかけているというか、政党要件が消える寸前の社民党の党首(※2013年時点 福島瑞穂党首)もいらっしゃるけれど、当然、無神論唯物論だと思ったら、キリスト教徒、クリスチャンであるというんで、ちょっと驚いたんですが、クリスチャンの議員の集いなんかになると、麻生太郎なんかと、一緒になってお酒を飲んでいるので、ちょっとびっくりしたんですが、へぇーそういうこともあるんだと思って驚いたんですが、非常に何か、特定の考え方に多く入れこん・
・・いる人の場合、「もう聞きたくない」というか、「迷いたくない」という気持がある人が一部いることはいるのは事実であるとは思うんですけどね。

〇原始に戻って、仏陀はどのように考えていたかを考える
・仏陀は人の心根に合わせて手を差し伸べていた

まぁこれは、人によっては、やはり、早い遅いが時期的には、あることはあるので、原始に戻って、仏陀の教えをもう一回、嚙み砕いて考えれば、伝道に関しては、仏陀は蓮池に咲く蓮の花のたとえで言っているように、蓮の華が出てくる前に、まだ水の底のほうで、まだ伸びているときの蓮。それから、水面ぎりぎりに出てきている蓮、それから、上に出て華がバァーっと咲かいている蓮。この三通りあるでしょ。上に出てきても、バァーッと華を咲かせて蓮は、もはやこれは完成しているので、これに対して、何も手助けすることはできないし、まだ水の底のほうで茎を伸ばしているような蓮であれば、これもまた何もできない。

我々が伝道すべき対象は、ちょうど今、水面に出てこようとしてきて、これから茎をのばして、華を咲かそうとしている、もうちょっとの所の人をまず助けてここに伝道するのがまず仕事だと、仏陀は言っています。

これはだから、もう塔が建つほどやりすぎている、行きすぎている人の場合は、もはや、もう手に負えないし、まだまだ、ずーと未熟で、全然話にならない人も、もうちょっと時間を待たなければいけないけれども、今その人の助けになる、ちょっとこれは助けてあげるとどうにかなる人あたりが、やっぱり、伝道の対象として優先度が高いということを仏陀が教えているんだと思うんですね。

〇少し助けると道が開ける人に対して伝道の優先順位を上げることが大事

だから毎日お墓参りしてでも、どうしても聞かないようなタイプの人のなかには、今言ったようにすでに、地上に浮き出て華が咲いてしまって、終わっている人もあるいはいらっしゃるかもしれないし、まだずーと下のほうにいる方もいるかもしれなません。その見極めはいろいろでございますけれども、とりあえずあまり手がかかるようでしたら、今やっぱり少し助けてやると、道が開けるような人のところに、重点ですね、要するに、プライオリティ・優先度を置くのが、やはり大事かなと、宗祖の仏陀が言っていることですからね。そういうことが大事かなと思います。

〇すべての人を伝道できるのは、日本が「幸福の科学」を国教化したあと
・新宗教が市民権を得るには30年くらい必要

で、すべての人ですね、いろんな方がいるし、墓参りしようが構わないのですけれども、すべての人を全部、信仰にもっていくとなると、国教化するところまで行く段階のレベルです
ので、それはもっと先の話です。だから、政治運動をやっているのも、その試しの部分ですよね。だから政治のほうで、じわじわ浸透しつつありますけれども、これがどの程度の勢力を取れるか、取れないか、あるいはグーと広がっていくか、これが幸福の科学の教えが国教化していくかどうかは試している部分ではあると思うんですが、国教化する前に世界に広がりつつありますので、いずれ何らかの形で浸透していくと思いますけれども、この宗教が、
だいたい市民権を得るのに、普通どこの新宗教でもそうですけれども、だいたい30年、ワンゼネレーションが市民権を得るのに必要な時期なんです。

〇立宗10年は周りからの批判に耐える時、立宗30年経てば親子間で断絶が始まる

最初の10年ぐらいは、とにかくいっぱい批判は受けるんですね。それから30年ぐらい経って、一世代回転してくるくらいになると、要するに、自分が生まれた時には、もうすでにこの宗教があった人がだんだん増えてくるんですね、そうすると、そういう人たちは、小さい時から幸福の科学の看板を見ているので、昔からある宗教だなと思っている。ところが自分が生まれた時に、大人になるときに、見たことがない宗教とかが後からぽつんとできて、大きくなったとなると、なかなか信じないという人が多くて、その人の子供の代は結構パッと「幸福の科学っていうのはメジャーじゃないか」と言って来ても、親の代では「わしらの時代にはそんなのなかった。後から急に出てきた宗教で、信用ならん」とこういうことで、親子の断絶が
あっ
て、喧嘩が起きたりすることがよくあるわけです。親子の間で宗教が合わない場合そういうことがあることが多いです。

〇先発した宗教は後発の宗教を簡単に認めないという人間の傾向性

だいたい自分より先にあるものは認め易いんですけれど、自分より後からでてきたものは、そう簡単に認めないという傾向がありますね、だからその辺のところは一般的な人間の傾向ではあるので、しょうがないところはある、ある程度ね、しかたがないところがあると思いますよ。

〇幸福の科学より後発の楽天やフェイスブック

私らから見たって、幸福の科学は、これでも長くなってきたから、後発のものを見たら、「えー、あんなところがねー」ということがあるんですよね。例えば楽天なんかだったら、知らない人はいないかもしれないけれども、1997年に設立しているんですね。うちが総本山をつくっている頃ですよね。あの頃につくった社員、三人や四人でつくった会社がいまあんなに広げて、球団まで持って、ワァーとやっている。うちより10年は後れていますよね。だからキョトッとやっぱりすることがありますね。

あるいは二千年代にできたフェイスブック(Facebook)みたいな、あんなところがものすごく広がって、イスラム革命が、アラブの春で起きているみたいな、こんなのもキョトッとやっぱりすることがありますね。だから、後から起きたものに対しては、そう簡単に、「えー、何でそんなものが、そんなにはやるのか」っていうのが疑問があるということが、実際に起きがちではありますね。

〇宗教も三十年過ぎて市民権を得ると関連事業が広がっていく

だから一般論としては、ワンゼネレーション・30年すると市民権ができてきて、学校ができたりする、今うちも創ってはいるんですけれどもね、学校ができたり、いろいろ病院ができたり、いろんなものが関連ものをつくっても、みんながだんだん慣れてきて、なじんでくるのが30年なんですね。それを過ぎて、大きくなるか、規模が止まって社会の一部として存在するかという、その辺の試金石は来るんですけれども、今ちょうどその微妙なあたりにいるのかなーと思いますね。

〇既存の伝統宗教は新興宗教を基本的に認めない

だからメジャー化しつつはあるんだけれども、それでも「つい、昨日今日始まったあれでしょ」と、新宗教といわれるライバル教団でもみんな戦前発が多いんですよ。新宗教って言ったってもう80年の歴史がある、だいたい70年80年の歴史があるというようなところがライバルのつもりでやっているところがあるんです。だからそういったところから見たら、「ついこの前、始まったところじゃないか」って、言っているんですね。だからそう簡単に受け入れられない気持ち、あるいは、伝統宗教で言えば、千何百年の歴史がありますとか、あるいは700年、800年の歴史がありますと、だから「7、800年生きてきているんですから正しい。けど、おたく(※幸福の科学)はどうなるかは分からないではないですか」というようなことがあるので・
・だから古いものは、なかなか新しいものは受け入れないというようなこともあります。

〇後発の宗教は先発の宗教を批判しながら大きくなろうとする
・元職員が宗教渡り鳥になることもある

それからうちより後発で始めた宗教に帰依しているような人の場合は、後発のものを批判しながら上がっていくことが非常に多いので、そこに属している人は、属している人で、それで信じないということが多いです。だから、そういうところは、先発の宗教をやめて来たような人、たとえば幸福の科学をやめて来たような人が来ると、ものすごく重宝して、幹部にしたりして、幸福の科学の悪口をみんなの前で言わせて、「この人は元幸福の科学の職員です。ちょっと〇〇さん来てください。幸福の科学のことを言ってください」「(幸福の科学は)こんな、ひどい運営をしております。理事長が毎年のように変わって、もうひどい独裁状態です」と、例えば、こう言うと、「そうか、そんなにひどいのか」と思ったりして、そうすると・
・(その人の立場が)ぐーっと、そこで上がるので、悪口を言う。で、一定期間が経つと、「どうもこの人、口が悪くて人柄が悪いらしい」ということが分かってきて、二、三年すると追い出される。そうするとまた他の違う宗教に行く。そこに行くと、また悪口をワーッと言う。幸福の科学の悪口とアンド(&)その次の宗教の悪口を言うと、二つの悪口を言うと、この人をみんな紹介して、「どうですか。そういうところ、みんな行かないように」というようなことを言って、このようにして宗教渡り鳥というようなことが出てくるんですね。

〇相手をよく見て、少し手助けすれば道が開ける人への優先順位を上げること

このたぐいは、あまり、やっている人はあまり信用してはいけないタイプではあると思うんですね。またそういうような難しさは、この世的にはあるので、一応そうした難しさがあるということは知った上で、相手をよく見て、特に少し手助けしてあげれば、道が拓けるような方を優先順位としては上げて、まだまだの人はちょっと時間を待ってあげて、すでにもう、あの世にぽっくり行くだけやな、と思うたら、いまさらもう無理だな、という方もいらっしゃるかとは思うので、お墓を買って、もうどうしても入りたいんで、この宗派を変えたら入れない。ということで無理なんで、という方もいるので、「まぁ、それはしょうがないんだなと」ということで、ご子孫の方に伝道するしかないですね。

〇どの宗教に所属するかは、とても大事なこと

うち(※幸福の科学)は別に構わないんです。どの宗教に属するかは大事なことでして、死んであの世に行くときに、行く先が変わるんですよ。そういう意味で宗教選択というのは結構重要なこところがあるんですね。やっぱり、その霊団にだいたい行くわけで、亡くなったときに導きの天使が来ますので、導きの菩薩とかが来るけれども、だいたいその関係者がそこ連れていくので、どこに属しているかが結構大きいので、どこが呼びに行ったら分からない状態があって、けっこう困ることが多いので、そういう意味で、信仰はある程度は一貫している方がいいことはいいんです。

あと、途中で、うちのような宗教ができた場合は、ちょっと混乱が起きることがあるので、その人の思いの強さによって、結局行く所が出ます。さきほど言ったような神道の勉強を教えているような先生(第一問目の質問者)が、誰が迎えに来るかは微妙なところがあります(会場笑)。亡くなったあとで、いったいどこがお迎えに来るかはわかりませんけれども、微妙なところはございますが、あの世では、もしかしたら、多数決をとってやるようなことが起きるかもしれませんが、まぁそのような難しさはあるということですね。

〇智慧を使って伝道していくしかない
・良い宗教であっても、すぐに入ってくれない人もいる。手がかかりすぎるなら優先順位を落として、時間を優先順位の高いところに使うこと

だから、まぁー、がっかりしないでください。それは宗教だけでなくて、ほかの世界でも同じことですので、「赤福がこんなに、ええ(良い)と言っても、買ってくれない人は買ってくれんのです」。買う人は繰り返し買ってくれる。赤福が一回悪い事故を起こしたら、(※過去にあった赤福の賞味期限詐称事件)「二度と買わない」という人もいれば、二、三年たったら買いはじめる人もいるし、いろいろ好みがあるのでね。それについては言えないところもあるし、まぁー同種類の食べものは、他にもありますからね。

まぁーそういうことで、「智慧を使って、伝道していくしかやっぱりないかな」ということですね。でもあんまり、ずっと嫌がるようでしたら、その人の時ではない、と思ってもいいとは思います。そう割り切ってもいいと思います。だからその時間をちょっと、もうちょっといいほうに使ったほうがいいんじゃないでしょうかね。

〇主が来たときに入会するのが一番尊い

だからもし今日、会員じゃない方がいるかもしれないれども、入会するんなら今日ですよ。あのね。いいですか。会員じゃない方もいるとは思いますけれども、ほかの日に入会したってあまり値打ちはあまりありません。大川隆法が来たときに入会したほうが値打ちがありますよ。これは一言、言っておきますけれどもね。大川隆法来たんだけれど、三年疑って、そのあと入っても値打ちはぐぅーっと落ちますからね、あんたよっぽど、悟りが薄かったんやね。って言われますから、入るなら今日、入ったほうがいいですよ。これ一言申し上げておきます。(完)

※御法話「信仰心と国を愛する心について」は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。また、質疑応答第一問目は同書第四章P154に所収されています。併せてご参照ください。
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さて、このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれています。また、信仰についてさらに重要な経典が『本物の信仰』です。これらは「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。お持ちでない方は、絶対にいただいてください。お勧めしています。

さて、これまで、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』をともにじっくりと読ませていただきました。

『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。

私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。

それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介したのち、解説を加えます。
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「三宝というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。

参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】
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菩提心の言葉『修行の誓い』

仏弟子 ここに 集えるは
三宝帰依を 誓うため
三宝 すなわち 仏・法・僧
仏とは 仏 仏陀なり
法とは 仏の 教えなり
僧とは 仏の 御弟子なり
仏陀ありてこそ 法はあり
法ありてこそ 僧団(さんが)あり
僧団(さんが)は 理想の 担い手なり
仏国土への 導きなり
仏弟子 ここに 誓えるは
三宝を 篤く 敬いて
帰依の心を 示すため
仏・法・僧は 光なり
心を 照らす 鏡なり
帰依は 仏を 頼りとし
法の 力を 信ずるなり
僧団(さんが)の 規律を 守るなり
われら 仏陀の 教団は
三宝帰依を 最初とし
三宝帰依を 守り抜き
永遠なる 誓いと するものなり
ああ
生命は 永遠なり
仏陀と ともに 永遠なり
仏陀と ともに 下生して
久遠の 法を 伝えるなり
地上を 去りても 永遠に
仏陀の 法を 学ぶなり
師弟の 契りは 永遠に
来来世まで 続くなり

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菩提心の言葉『修行の誓い』は英語経文ではこのように訳されています。
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■Words of Aspiration for Enlightenment■
―The Pledge of Discipline―

We, Buddha’s disciples, have gathered here
To pledge our devotion
To the Three Treasures
The Three Treasures are Buddha
Dharma and Sangha
Buddha is the Enlightened One
Dharma is Buddha’s teachings
Sangha is a group of Buddha’s disciples
Only when there is Buddha
Can there be Dharma
Only when there is Dharma
Can there be Sangha
Sangha is the vehicle of our ideals
The guide to the Land of Buddha
We, Buddha’ disciples. Have so pledged
To sincerely respect the Three Treasures
And to show our true devotion
Buddha, Dharma and Sangha are the light
The mirror that reflects in our minds
Devotion is trusting in Buddha
Believing in the power of Dharma
And following the ways of Sangha
We, In Buddha’s order
Begin with devotion to the Three Treasures
Abide by this devotion the end
And embrace it as an eternal pledge
O, life is eternal
With Buddha, our life is eternal
With Buddha we descend to earth
And convey to others the eternal law
We will continue to learn Buddha’s law
For ever
Even when we have left this earth
The bond between master and disciple
Lives on for ever
Through all our future lives

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本日は、信仰の原点に立ち返りまして、経典『信仰のすすめ』の質疑応答から抜粋をお届けして、自らの信仰心を振り返る機会とさせていだきたいと思います。
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〇信仰とは何か
・信仰心の発展段階
【質問】信仰心にも発展段階があるのでしょうか。

●信仰心には無限に近い階梯がある
私の著書『太陽の法』(幸福の科学出版刊)では、「愛の発展段階説」として、「愛する愛」「生かす愛」「許す愛」「存在の愛」などの段階が説かれています。

それでは、信仰心にも発展段階があるかというと、もちろんあります。

ただ、信仰心には無限に近い発展段階があります。結局、信仰心とは、究極の仏、究極の神に至る階段そのものなのです。この階段が、いったい、どのくらいあるのかというと、何千段階か、万段階か、あるいは、それ以上か、それは分かりません。実際には、もっとあるでしょう。要するに、「信仰心には無限に近い階梯がある」ということです。

「無限に近い階段があるなら、努力のしようがないではないか」と思い、落胆する人もいるかもしれません。しかし、信仰心の階段は、悟りの階段と同じでもあるのです。

たとえば、「自分の守護霊が自分自身に何らかの合図を送ってくる。守護霊が、きちんと自分の行動を護ってくれる」という状態は、おおよそ、仏のほうに心が向き、正しく精進している段階です。間違った考えを持たずに、よい方向に向かって、正しく精進している場合には、守護霊がしっかり守護してくれるように、なります。これは、修行者が目指すべき、信仰心の最初の段階でしょう。

この段階になると、光が入りやすい状態になります。たとえば、「仏法真理の学習をしていると、頭の後ろにポッと後光が出る」という感じになります。

また、その人が他の人と向かい合って話をしていると、相手の体が急に温かくなったり、それまで暗い表情をしていた相手がパッと目を輝かせたりします。そういうことが起こってくるのは、その人と話すことによって、相手にも光が入ってきている証拠なのです。

これは、悟りの第一段階である「阿羅漢」の心境とよく似ています。

●信仰心の段階に応じて、あの世から指導がある
信仰心のレベルそのものは、人間のほうでは測りにくいものであり、そのレベルは、あの世から測られます。

ただ、伝道を実践しているときに、自分から見て「奇跡だ」と思われることとして、どのようなことが起きてくるかを見れば、ある程度は確認できます。

信仰心に基づいて、実際に伝道活動などをしていると、「これは奇跡だ」と思えることが続出するようになります。「奇跡だ」と思えることが続く度合いや、その起こり方などを見ていると、「自分は、だいたい、どの程度の信仰心になっていているのか。自分は、どの辺の霊の指導を受けているのか」ということが、よく分かるようになるのです。

信仰心のない人には何も起きませんが、信仰心のある人には、だんだん、意外なよいこと、思わぬよいことが起きてきたり、一年前の自分から考えると信じられないような、他の人からの良い反応や、よい結果が出てきたりすることがあります。そういう奇跡のようなことが増えてきたときには、「これは守護・指導霊の光をかなり頂きはじめたな」と思って間違いないでしょう。

結局、信仰心の発展段階に応じて、あの世から指導があるのです。

守護霊は自分とだいたい同じような魂なので、「これは、守護霊の力にしては少し大きすぎる。自分の力以上だ」と思えてきたら、指導霊が援助しはじめています。指導霊が、「あなた自身の力では、もうそろそろ無理な領域に来ているので、専門家である私があなたを指導しましょう」ということで、指導に来ているわけです。

このように、「いままでの自分からは考えられない」という状態になってきたら、もう一段上の段階にまで来ています。

たとえば、当会の講師が、どれだけ多くの人を教化する能力があるかは、見ていると、だいたいわかります。信仰心が高い人ほど、教化能力、すなわち、多くの人々を納得させ、その心を変化させる力があります。この力の弱い人は、一人か二人の心を変えることができる程度ですが、この力の強い人になると、何十人、何百人という人々を一気に教化することができるのです。

信仰心がきっちり確立すると、あの世から、それ相応の力を引いてくることができるようになるため、それにふさわしいだけの結果がきちんと出てきます。あの世で起きることと、この世で起きることとが一致してくるのです。

あの世で起きることでも、この世では、通常、なかなか起きませんが、信仰心によってあの世とこの世がビシッと一本に貫かれると、あの世とこの世がほぼ同じようになってきます。
実在界と現象界とを同じようにしてしまうのが信仰心なのです。「次元の差を超えるものが信仰心である」と理解すればよいでしょう。

愛の発展段階のように明確なものではありませんが、信仰心にもそのような発展段階があるのです。

【大川隆法『信仰のすすめ』第三章より抜粋】
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先日のメールマガジンで、菩薩の段階には52段階あるということをご紹介いたしましたが、「信仰心には無限に近い階梯がある」と教えていただきました。つくづく私たちは永遠の修行者なのだということを身に染みて感じる御教えでした。

主が永遠の師であり、永遠の仏陀であるならば、
私たちは永遠の弟子であり、永遠のサーバント(救済の仏の助力者)である。
という気概を信仰心の高まりとともに持ちたいものです。

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どうか、「本物の信仰」をつかみ取ってください。
そのなかで、「方便の信仰」との違いや差をよく分かっていってください。

みなさんの活動のなかには、この世的なレベル、常識レベルでの活動も多いと思いますし、それをも「宗教活動」と称していることも数多くあるとおもいます。その全部を否定できるものではなかろうと考えますが、最終的には、やはり、「信仰が残らなかったら、すべては虚しい」ということを知っておいていただきたいと思います。

どうか、「信仰」の二文字を持って、この地上を去ってください。

【大川隆法『本物の信仰』第二章「本物の信仰」より】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第5章 無我観の効用
6 無我と生かす愛

そのためには、まず最初に、自分の欲、自我欲を抑えていくことが大事です。
プライドや競争心、人を貶める心は非常に醜いものですが、これを抑え、調和のなかに生きようとすることです。

しかし、まだそこに到っていない人に対しては、よく見て、その人が悪い方向、間違った方向に行かないようにする。無我の思想でもって他人の我を増長させ、そして悪くするようなことをしてはいけない。それに対しては、やはり厳しい智慧の目を持って対処していく。そして、間違ったものに対しては、きちっと対応していく。そして、間違ったものに対しては、きちっと対応していく。間違いを教えてあげることも愛。その厳しさもまた愛。これが「生かす愛」になっていくわけです。

与える愛というのが、単に方向性のみを持って智慧を伴わないときには、場合によっては相手を駄目にすることだってあります。そこで、愛はいちだんと進化して、生かす愛へと移行しなければいけないのです。生かす愛は、やはり相手を正しく導く愛なのです。

正しく導くためには、善悪を知らなければなりません。善を得るためには、悪を知らなければ駄目なのです。悪を知っていてこそ、善というものを選び取っていくことができるのです。善悪の区別がつかめなくては、善というものをつくりだすことはできないのです。悪を知って、悪に染まらない。悪を手に入れることができても、悪を手にしない。そこに善が現われてくるのです。この区別を知っていることが大切です。

間違っても、無我というものを、「善悪どちらにでも染まるような、染まりやすい自分にすること」と捉えてはなりません。無我というものは、本来は白い生地と一緒なのです。真白の生地と一緒なのです。真っ白の生地、染まってない生地、これを保つことが無我なのです。

白い生地は染まりやすいけれども、真っ黒にすることが無我ではない。無我の思想というのは、白い生地を白いままに使っていくこと。すなわち、その白い生地にいろいろな汚れがついたなら、その汚れを落としていくこと。あくまでも、本来の輝きというものを絶えず強くしていく、ということが無我の思想であるということです。

それを間違わないで、自己の向上、また人々のグループとしての社会の向上に役立てていくように考えてください。

【大川隆法『心の挑戦』第5章「無我観の効用」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史

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