おはようございます。
本日4月7日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします
そして 主への報恩として
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります
私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】
この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
さてここからは、御法話『信仰心と国を愛する心について』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『信仰心と国を愛する心について』
2神や偉人の歴史を消し去ろうとする左翼史観
〇左翼史観には「偉人や英雄・神仏」を認めない心がある
気をつけなければいけないのは、左翼史観のなかに、「人間というのは、みんな平凡で、変わらないものだ。給料も一律、寿命も一律、家の大きさまで一緒で”美人でない”奥さんも同じようにもらわなくてはいけない」(会場笑)というよな、原始共産主義のような感じの”民主主義”がまかり通ってくることです。
ただ、もしそうであれば、これほど多くの人間が住む必要はありません。
それは、人間社会を蟻の社会のように見ているということでしょう。確かに軍隊蟻の社会であれば、どの蟻を見ても、その違いを我々の目で見ぬくのは大変だと思います。いつたい、どこに違いがあるのか分からないですし、「体の大きい蟻と小さい蟻とがいる」というのは、たまに分かっても、だいたい同じような動きをしているからです。
しかし、人間社会をそのように見るのは、自らを卑下する行動にもなっているのではないでしょうか。私は、優れた人物は過去にいくらでもいたと思うし、そうした「偉人や英雄を否定する心」は、やはり、「神や仏を否定する心」に完全につながっていくものだと思うのです。
そういうものを否定して、「自然に”空気”で民衆が動き、革命が起きて、国が変わってきたのだ」というようなことを言う人が、だいたい左翼史観であるわけですが、やはり、その底には、優れた人を認めたくない心や、「人間の力を超えた、大きな力が働いている」ということを認めない心があるように思います。
【大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第一章「信仰心と国を愛する心について」より抜粋】
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これまで「真理の言葉 正心法語」を読みながら、御仏の御心を共に考えてまいりましたが、主が「正心法語」で私たち、エル・カンターレ系霊団400億人(『太陽の法』に依る)、そして、地球で転生する魂が500億体あるといわれる地球系霊団の魂に伝えたい仏法真理―「正心法語」―地球人として最も大切な教えをふり返ります。
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■真理の言葉―正心法語
(一千億年の昔、まだ光が生まれる前)大宇宙に「光」が創造されました。光は仏の生命であり、仏の生命である光によって、人間は創造されました。そして、仏の生命である光によって被造物の歴史は創られました。仏の生命である光は時間において、永遠であり、空間において普遍です。
仏の生命である天上界の光が、この三次元世界の地上にも降り注いで、仏国土を照らしています。
仏の生命である光が慈悲として広がりました。光の一部である黄色は教えと法を司り、白色は救いと愛を司り、赤色は法戦と正義を司り、紫色は礼節と秩序を司り、青色は思考と理性を司り、緑色は調和と自然を司り、銀色は進歩と科学を司っています。仏の光は七つの光線が一体となって一つの仏国土を照らしているのです。
仏国土を照らす七色の光線それぞれに光の菩薩たちが集まり、一つの仏国土を照らして統治しています。この仏国土は「愛」と「慈悲」と「智慧」と「法」の国であり、この仏国土は霊の国なのです。
霊とは仏子であり、そして仏子とは人間です。人間の本質は霊であるのです。霊とは、不滅の知性であり、不滅の力です。そして霊は全ての全てです。
肉体は霊の影であり、肉体は現象界である三次元世界で修行をするための乗り舟にすぎません。乗り舟(肉体)には船頭が必要で、船頭にあたるのが、魂の中心にある心なのです。
(船頭である)心に誤りがあれば、小舟は、岩に象徴される人生の苦難困難にうち砕かれてしまいます。つまり肉体が(生・老・病・死・怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦の四苦八苦によって)壊れてしまうことを意味するのです。そうならないために、小舟をしっかりと制御する心に必要なのが舵にあたる竿であり、竿とは仏の言葉、仏の教え【法語】なのです。
悟りをひらかれた仏陀が説法した言葉が教え【法語】となって、人類の宝となります。この宝の山とは主の説かれる数多くの経典なのです。【法語】とは仏法真理であり、人間の生命を輝かせる仏の慈悲の結晶です。
私たち人間は今後、仏陀の導きである【法語】に従って、素直に生きるならば、光明を得て、道に迷うこと、つまり無明に苦しむことは決してありません。
人生は、唯一この世だけではありません。(つまりあの世にも人生があるのです。)人生には過去・現在・未来の三つの姿があります。(あの世では、現在世の人生のほかに、過去世・未来世の人生があり)たとえ時が流れて過去は過ぎ去っても、心に過ちが残ります。だから他人に対して理解をして、つまり他人を愛して、自分に対しては、自らの心をふりかえる反省が必要なのです。
なぜならば、私たちは、みな仏の性質である仏性を宿していて、もともと仏と一体であった存在であり、自分と他人は実は別々の存在ではなく、自他は一体であるのです。自分と他人は共に仏の子であり、私たちは大きな家族です。だから、お互いに憎しみ、嫉妬するのではなく、共に愛し合い、生かし合い、許し合う必要があります。これは永遠の法であり、現在と未来を貫いて(無明がつくる)闇夜を照らす光なのです。
この世である三次元世界―現象界の(無明がつくる)闇夜は地獄と言われる世界です。あの世である実在界の(無明がつくる)闇夜も地獄の世界です。(つまり、天国・地獄は、あの世にもこの世にも、私たちの心の中にも存在します)私たち仏の弟子である光の菩薩が地上に転生すれば、仏法真理の太陽が地上に昇ります。(つまり、仏の弟子が仏の教えを地の果てまでも伝道することによって仏の光が広がって闇夜を打ち消すことになるからです。)
今、永遠の仏陀(法身なる主エル・カンターレと応身なる大川隆法総裁先生)が説かれる仏法真理の太陽は、未来を照らす希望の光です。仏国土ユートピアへの導きです。(永遠の仏陀が法を説かれた)これより後に地上に不和、不信、悪事、悪霊は存在してはなりません。そして来世に悪魔は存在してはならないのです。これが仏の願う理想の世界です。(仏はこの世とあの世の地獄を消滅することを願われており、仏の御手足である菩薩がその担い手です)
仏の悲願は、理想の世界である(仏国土)ユートピアが地上世界に実現して、全ての人が、愛し合い、睦み合い、信じあう世界を創造することです。(それは、地上に天上界の天国世界を創造することです)
私たち(仏弟子)は、皆、仏国土ユートピア創造の光の菩薩になることができます。
本当の世界では、光のみ実在です。愛のみ実在です。仏法真理のみ実在なのです。(そのほかのものはみな夢幻のようなものです)。私たちは(伝道によって)仏法真理の光を語り伝える菩薩になることができます。その仏の悲願を成就するために、私たちは光の菩薩は、幸福の科学のサンガに集って、力を合わせて、「正しき心の探求」を宗(中心)として、仏の御教えである仏法真理を則(手本)として生きていくことを、ここに誓います。 (合掌・感謝)
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このように、真理の言葉『正心法語』は、「光」にはじまり、菩薩の誓願にて終えています。
地球で魂の修業をしているすべての霊に対して共通する一番大事な教えが「真理の言葉『正心法語』」にて説かれています。九次元意識で説かれて言葉であるので、この地上にあるどの言葉よりも一番尊い波動を持っています。これが仏と私たち仏子である仏弟子との魂の絆であり、母と子をつなぐ紐帯ともいえる経文です。
私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。
また、これは経典を読むときに共通する心掛けですが、たとえば維摩経という大乗経典には、
『仏は一つの音声で法を演説されるが、衆生は、その悟りの段階に応じて、おのおの理解することができる。そうして仏はみなと同じ言葉で話されたと彼らは思うのです。これは仏のみ特有の神力であります。
仏は一つの音声で法を演説されるが、衆生はおのおの理解したところに従い、あまねく受け行うことができて、その利を得るのです。これは仏のみ特有の神力であります。
仏は一つの音声で法を演説されるが、聞く人はあるいは恐れ、あるいは歓喜し、あるいは厭離を生じ、あるいは疑いを断じます。これは仏にのみ特有の神力であります』
とあり、同じ説法を聴いても、弟子の受け取りは、弟子の実力に応じて千差万別であることが明らかにされています。ですから、こうした経文は繰り返し、読み込むことによって、仏の御心を深く受け取ることが必要となります。決して一回読むだけで理解できるものではありません。
「仏説・正心法語」は毎日、必ず読むことで、仏との縁を結びながら、仏の光をいただきましょう。そして光の力を愛の力に変えて、私たち仏弟子の使命を果たしてまいりましょう。
『仏説・正心法語』の全編読誦は、毎日必ずしましょう。主のため、世のため、人のため、そして、自分のために。
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「正心法語」の大切さについて、あらためてまとめました。
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■「幸福の科学の根本経典です!」
・『仏説・正心法語』は幸福の科学の根本経典であり、三帰誓願者にのみ授与されるものです。
(『信仰論』p.114)
■「この一冊を理解するために、仏法真理の書籍が数多く出されています!」
・『仏説・正心法語』一冊を完全に理解するためには、幸福の科学の書籍のすべてが一種の参考書になります。ある意味では、この経典一冊を理解するために、仏法真理の書籍が数多く出されていると言ってもよいのです。
(『信仰論』p.114)
■「釈迦如来の意識で書かれた経典です!」
・『仏説・正心法語』は、全編を私の潜在意識である釈迦如来の意識で書いた経典です。古い伝統的な仏教教団では、毎日、さまざまなお経を読んだり、題目を唱えたりしていますが、『仏説・正心法語』という経典が出されたということは、そうした古い経典類はもう要らなくなることを意味しています。
(『信仰論』p.114)
■「読むことで、宇宙の叡智、人類の叡智とつながることができます!」
・『仏説・正心法語』という経典は、釈迦の生命体から発された言魂で書かれているものです。これは宇宙の叡智、人類の叡智です。この光がみなさんの黄金のパイプを通じて伝わってくるのです。こういう経典が現にある以上、これを通じて無限の叡智へとつながっていくことです。 (『幸福の原点』p.155)
■「『般若心経』や『法華経』の一万倍ぐらいの力がある、地上最強の経文です!」
・この経文は、いま幸福の科学の三帰誓願者(仏・法・僧の三宝に帰依することを誓った者)にのみ授与されている『仏説・正心法語』という経典のなかの経文のひとつですが、たとえば、いま尊いお経と言われている「般若心経」や「法華経」の一万倍ぐらいの力があります。
・『仏説・正心法語』という経典は、九次元霊界、最高霊界のなかの仏陀意識からストレートに降りているものです。ゆえに、地上にはこれ以上の経文はないのです。過去もなく、今もないのです。ですから、これは実際に一万倍ぐらい効くと思ってください。「般若心経」を一万回唱えるのと、「正心法語」を一回唱えるのとは同じぐらいです。そのぐらいの力なのです。それだけの力を持っています。三帰誓願者はそういう経文を使うことが可能です。 (『信仰と愛』p.153~154)
■「九次元以上の世界とつながった経典であり、霊視すると光の塊に見えます!」
・この『仏説・正心法語』という経典は、あの世の九次元世界、あるいはそれ以上の世界と一本でつながっているのです。それほどのものなのです。これを霊視しますと、光の塊に見えます。 (『無限の愛とは何か』p.188)
■「ページをめくっただけで、光が風のように吹き抜けていきます!」
・『仏説・正心法語』を手に取ってめくってみると、そのなかから吹いてくる風は光そのものなのです。そこから出てくるものは光です。読むのではなく、ページをめくっただけで、そこから出てくるものは光です。仏の愛です。内容を読むのではなく、それを持っているというだけで、温かいものが吹き抜けていきます。
(『無限の愛とは何か』p.188)
■「あの世でのパスポートです!」
・あの世に勲章を持って還っても、残念ながら、まったく通じません。ノーベル平和賞を持って還るよりは、『仏説・正心法語』を持って還ったほうが、あの世でのパスポートとしては、よほど効き目が大きいのです。
(『修行の王道とは何か』p.32)
■「読むと光が降りてきて、後光が出ます!」
・「正心法語」などを読んでいても、上からバーッと光が入って光の柱のようなものが立ってくるのです。
・それは、霊能者でも何でもない普通の会員の方でもそうです。「正心法語」を読んでいますと、光がパーッと降りてきて後光が出てきます。そういうふうになってきて、自分を救うことができるようになります。
(『信仰と愛』p.163)
■「読むだけでも、心が安らぎ、救われます!」
・悩んでいる人に対しては、「毎日、『仏説・正心法語』を読誦しなさい。それだけでも心が安らいでいきますよ」「仏陀に対する信仰を持ちなさい。それだけで心は安らいでいきますよ。救われますよ」と言ってあげることです。心を安んじるということは、とても大事なことです。 (『到彼岸の心』p.37~38)
■「読むと、悪霊が嫌がります!」
・毎日、家庭御本尊の前で『仏説・正心法語』を唱えると、悪霊のほうは、説教をされているような感じがして、たまったものではないのです。「この人は、これを永遠に続けるのかな。死ぬまで続ける気かな。それなら、付き合いは、もうほどほどにしたい」というのが悪霊の本音です。 (『幸福の法』p.279)
■「くり返し唱えると、悪霊の影響から逃れ、楽になります!」
・経文を暗記していれば、心のなかで経文を唱えることができます。たとえば、仕事でだれかと面談をしているとき、相手に悪霊が憑いていると、その悪霊の波動を受けて、自分も霊的に調子が悪くなることがあります。しかし、そのような場合でも、心のなかで経文をくり返し唱えているうちに光が入ってきて、悪霊の影響から逃れ、スッと楽になることがあります。 (『信仰論』p.116)
■「経文を解説できるほどの理解力がつくと、祈願や悪霊払いなどができます!」
・仏法真理の学習が進み、ある程度の悟りを得た、講師レベルぐらいの人が『仏説・正心法語』を読んでいるところを霊視すると、金色の光の珠のようなものが口からパーッと出ているのが見えます。そうした人がこの経文を読誦すると抜群の効果がありますし、各種の祈願や悪霊払いなどができるのも当然のことです。経文に対する理解力が備わり、解説できる段階まで行くと、そうした力が身についてきます。(『信仰論』p.117~118)
■「読んでいる人を霊視すると、口から光の玉が出ています!」
・(反省の)最初に『正心法語』を朗読するということを述べましたが、なぜかというと、『正心法語』は言魂でできているため、非常に光の波動が強いからです。『正心法語』のなかの言葉全部がそうなのです。
・同じ日本語でありますが、言葉の響きと配列によって、光のリズムが出てきます。ちょうど和音のようなもので、その言葉の配列によって、一定の信号になり、天上界への合図が出ているのです。『正心法語』を読んでいる人を霊視すると、口から光の玉が出ている姿が明らかに見えます。
(『真説・八正道』)
■「読むことで、仏教的精神の“光の回路”ができます!」
・「真理の言葉『正心法語』」というのは、仏陀の生命体の言葉であります。幸福の科学の中心的な光であります。その光エネルギーを、『正心法語』を読むことによって、引いてくることになり、力が出てくるのです。幸福の科学にはいろいろな教えがありますが、やはり中心にあるのは、この仏教的精神です。それが根本にあるので、『正心法語』を読むということによって、仏教的精神に光の回路ができてくるという意味合いがあります。 (『真説・八正道』)
■「当会の修行の中心です!」
・当会は、修行としては、『仏説・正心法語』を中心に行い、思想としては、「愛」「知」「反省」「発展」の四原理を中心に展開しています。
(『悟りの挑戦(上巻)』講義 p.14)
■「仏への感謝を表す行為です!」
・仏教では、そのような感謝の気持ちを表わすときに、「供養」という言葉を使います。
・神仏に関わる人に対し、あるいは神事に関わるときに、神仏への作法を守ることを、敬供養といいます。当会においては、根本経典である『正心法語』を読誦するというようなことも、敬供養のなかに入ります。神仏を尊び敬っていることを、実際に表わすことをいうのです。
(『希望実現の法則』p.12~13)
■「日々の『戒め』として、読んでみましょう!」
・幸福の科学の三帰誓願者であるならば、戒めとして、一日に一回は「真理の言葉『正心法語』」を読むことや、一日に一回は自分を振り返る反省の時間を持つことを考えてもよいでしょう。(『信仰論』p.122)
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第3章 禅定の本質
6 禅定の本質―霊的なパワーの源泉
禅定の状態に入っていきますと、心はもう三次元にはありません。心の状態は四次元以降の異次元世界のなかにあります。
そして、たとえば、あなたがその瞑想の状態で死んだとするならば、あなたの魂は、その心の統一度に応じた世界に還るということになります。瞑想の際に、自分の精神がもし地獄的なるものであったら、死ぬと地獄に還るわけです。天国的なるものであったら、その思いのレベルに応じた世界に還ることができるのです。
不思議なもので、人間の心にも一定の実力があって、常日頃、自分が考えている世界から、ほど遠い所にはいかないものです。そして、最高のものを念(おも)おうとしても、やはり”その人なりの最高”というべきものがあって、なかなか、それ以上のものには近づくことができないものなのです。
心を瞑想状態におき、本来の自己が本来の世界に還ることにより、どういう世界と交流することができるのか―これが実は「あなた自身が、いかなる魂の世界から、この世に降りてきた存在であるか」を如実に表わしているわけです。
天国に還るところまでは、どの方にも、ある程度は可能です。それからあと、光の菩薩として、いかなる階梯(かいてい)を昇ることができるのか。高級なる、高度なる、いかなる世界への参入が許されるのか。それがやはり、「みなさんの常日頃の精進がどこまで進んでいるか」ということと関係があるのです。
もちろん、過去世での魂修行もあります。過去、幾転生したなかで、どの程度の魂の実力を培ってきたかということがあります。その魂の実力に応じて、今世でも潜在意識の宝庫の開き方は、当然違います。ですから、今世だけの修行で、すべてが可能なわけではありません。
しかし、「少なくとも今世の修行において、心の塵や垢を落とし、磨き上げることによって、自分の守護霊と交信するところまでは可能です」(※阿羅漢の境地)ということを、私は何度も何度も申し上げております。これが、「阿羅漢になることはできます」と言っているのと同じことであるわけです。
常に心の錆落としをし、そして心を統一することを心がけていますと、自然自然に、潜在意識の世界である、自分自身の魂の兄弟、守護霊たちと交流することができます。
その体験は、なんともいえず幸福な体験です。「彼らは常に見守ってくれている」ということを感じます。毎日の生活をしていても、温かい眼差しで自分を見ているものがある、自分を支えているものがある、という気持がします。そして感謝の気持ちが出て、ぽかぽかとした温かい気持ちになって、すべての人々に善悪をふりまいていこうという気持が起きてきます。
禅定は、禅定のみのためにあるのではありません。禅定をすることによって、自分自身が本来、来たった世界と、もう一度交流するチャンスを得て、本来の世界に対する理想を抱き、また本来の世界から、自分の魂の兄弟、あるいは、より上位の先生役である指導霊からも光をいただいて、毎日毎日を生活していくための新たな活力源、エネルギー源と変えていく―それが禅定の本質なのです。
常に自分自身の人生の軌道修正をし、新たな生きる力を得て、世の中により多くの善を推し進めていくための力とする、霊的なパワーの源泉とする―そういうことのためにも、禅定というのは非常に大きな意味を持っているものです。
どうか、本章の話を参考にして、もう一度、原点に帰って、自分自身の心を調えるということを考えてみてください。(完)
【大川隆法『心の挑戦』第3「禅定の本質」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(4/7-1)97真理の言葉『正心法語』を読む ㊳正心法語という奇跡
