(3/15-1)74真理の言葉『正心法語』を読む ⑮霊は仏子であり、仏子とは人間―神の理想が見失われた現代民主主義への疑念

『正心法語』を読む

5 仕事の初心者で、叱られなかった人はいない。
6 高卒だろうが、大卒だろうが、学校の勉強は役に立たず、最底辺からのスターとなる。

【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

3月23日は「大悟祭」です。大悟祭とは、1981年3月23日に、大川隆法総裁先生が、霊的覚醒を経て、自らが、根本仏にして地球神であるエル・カンターレであるという大いなる悟りを得られたことをお祝いする日です。

3/23(日)~25 
(火)を大悟祭期間とし、大宇宙の根本仏であり、宇宙のマスターでもあられる主エル・カンターレ大川隆法総裁先生の「大悟の瞬間」(1981 年 3 月 
23 日)に思いを馳せ、人類救済の原点である主の大悟への心からの感謝を捧げます。

信仰は、悟りの高まりと共に深みを増していくものであると教えていただいています。『永遠の仏陀』ならびに、大悟祭に合わせて発刊予定の精舎経典『「永遠の仏陀」講義』からの学びを通して、大宇宙を創られた主の偉大さへの理解を深めるとともに、主に向かって悟りを高めていく精進を誓い、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てていく決意を固めさせていただきます。

そして、主が「エル・カンターレの法」をお説きくださる未来を心から願い、主の心と一体となる念いを込めて、「復活の祈り」を捧げさせていただきます。

さて、ここからは1991年3月24日に説かれました大悟祭御法話『発展思考』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『発展思考』
〇神の理想が見失われた現代民主主義への疑念
また、今、地上では最高の価値があるとされている「民主主義」なるものも、神の側から見たならば大いなる疑念を持たねばならない部分があります。

本来、神に誓って、永遠の魂修行を許され、その法を守って何度もの転生輪廻をしていた人間であるのに、その神を忘れ去って、忘れてしまったがゆえに、「正しさの基準なるもの」を見失って、人間の「頭数」で正しさを決めようとするようになってまいりました。

そうであるならば、霊格の低い人たちが、今、数多く地上に生まれておりますから、頭数でやりますと、地上は次第しだいに地獄的な思想が蔓延するようになってまいります。これは、現代が最高の隆盛のように見えながら、その実、転落の淵に差し掛かっているという時代認識とまったく一致するのであります。

民主主義なるものが許される前提は、「神」というものを明確に認めて、そして、「人は、神に向かって、神に誓って己の正しさを追求していく存在である。神を目指して、理想として生きていく存在である。そのために、努力・精進しつつ生きている存在である」ということが前提にされて初めて、多くの人の意見というものが正しいものになっていくのです。

みんなが神の教えを守って生きていこうとし、みんなが神の理想をこの世に実現しようと思って生きているからこそ、多数の人々の考えが理想に近づくのです。そうであってこそ、素晴らしいものができるのです。

ところが、その根本なるものが失われた時にどうなりましょうか。

それぞれの人の”エゴイズムの頭数”で、もし、この世のことがすべて決まっていくとしたら、これはたいへん怖いことであります。そういう端境期(はざかいき)に、私たちは今立ております。

【大川隆法 初期重要講演集ベストセレクション⑦『許す愛』第2章「発展思考」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。

教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。たくさんの仏法真理を主よりいただいていますが、数多の経典は「正心法語」を正しく理解するためにあるといっても、けっして過言ではありません。
「仏説・正心法語」は仏の光であり、仏の生命であり、私たちの力であり、仏弟子の生きていく寄る辺です。

七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。理屈抜きで、毎日、正心法語を読むと元気になるからです。

経文にも、「ああ 七色が 相集い 仏の御国を 照らし出す」とあるように、「仏説・正心法語」は本来、七つの経文が合わさって一つの法身を表現しています

正心法語は法華経・般若心経の一万倍の力があると教えていただいていますが、私たちサンガは正心法語の威力を十分に使いこなせていないのではないかと思います。
私も含めて皆様の中で、今日からさかのぼって一日のうち、正心法語の全編読んだ人がどれだけいるでしょうか。読経の習慣化が法力を生むことを私たちは主から教えていただき知りながら、なかなか実践できずにいます。実にもったいないことです。

私たちサンガ・幸福の科学の活動は多岐にわたっていますが、あらゆる活動の力の源泉は「仏説・正心法語」から生まれています。だから、この経文を毎日、読誦することを繰り返すことで、私たちは主より法力という名の力を授かることができるようになります。

このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれていますので、伊勢支部にてぜひご拝受ください。「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。

それでは、「真理の言葉 正心法語」から始めましょう。「正心法語」はこのように続きます。
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霊は 即ち 仏子なり
仏子 即ち 人間なり

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本日の引用部分は英語版の「正心法語」-The True Words Spoken By Buddha-では、このようになっています。

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Real Souls are the children of Buddha.
The children of Buddha became Real Human beings.

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さて、ここからは、私個人の「正心法語」の「仏国土ユートピア」に関する理解です。
すこしちがう視点から、経文の理解につなげてまいりましょう。

ここまでの経文で教えていただいた、仏の御国として挙げられた仏国土の要素を、座標を使って、絵や平面図を描くようにまとめてみましょう。

七つの光がしろしめす、仏の御国、すなわち仏国土ユートピアは、
「愛の国」・「慈悲の国」であり、「智恵の国」・「法の国」でした。そして、「霊の国」を中心として、「仏子」と「人間」の要素が加わっています。

これを、まず「愛」と「慈悲」をX軸にして、直線を描きます。
次に「智慧」と「法」をY軸にして、直線を描きます。これで平面になりました。
X軸とY軸の交わる中心部分が「霊」となります。

この愛と慈悲と智慧と法の国の中心は霊の国であり、仏国土ユートピアです。
仏国土ユートピアの主人公は仏の子である人間です。

私たち人間は、根本仏の御心を受けて、宇宙に進歩と調和を生み出すために創造されました。私たち仏の子が地上につくろうとしている仏国土ユートピアは、根本仏の御心により、愛と慈悲と智慧と仏法真理によって創造されます。

このように考えると、
幸福の科学の理念が「愛と悟りとユートピア建設」であるので、この中心にあるのが「霊」である仏子、つまり人間であることの理解が深まるのではないかと思います。

「霊」とは仏の子である「仏子」です。
「仏子」とは仏性を持っている「人間」のことです。
私たち主から創造された人間が、仏国土ユートピアの中心として存在が許さています。
そして、造物主である根本仏―主エル・カンターレは仏国土ユートピア建設のために私たちにすべてをすでに与えて下さっている存在です。

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最後に、「人間」について経典から引用いたします。
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〇人間と動物の違い

人間と動物の大きな違いは、信仰の本能を有無にあるのです。感覚の能力だけを比べれば、人間は動物にかなわないでしょう。この世にあるものを感知する機能においては、人間は動物よりも劣っているといえます。

しかし、人間が動物よりも明らかに勝っているのは信仰の本能の部分です。信仰の本能とは、「目に見えないものを信じ、理解し、それに基づいて行動できる」という性質のことです。何を信ずるかといえば、伝統的には「仏」や「神」という言葉で表わされるもの、すなわち「仏神」です。「仏神を信ずることができる」という点こそ、人間が動物より優れている部分なのです。

【大川隆法『繁栄の法』第3章「繁栄のための考え方」(P128~P131)】

〇信仰を持つと人間は神仏に近づいていく
・ 
仏神を好きになると、「仏神に気に入ってもらえるような自分になりたい。仏の子、神の子としての性質をできるだけ多く持った自分になりたい」と願うようになり、自分を変化させていく。

信仰とは一種の尊敬なのです。何を尊敬するかによって、人間は進む方向が違ってきます。
悪魔を尊敬すれば、自分も悪魔のような人間になります。犯罪者を尊敬し、手本にして、
「あのようになりたい」と思えば、犯罪者になります。大泥棒を手本にすれば、大泥棒に
なります。反対に、立派な人を手本にすれば、自分も立派な人になります。それと同じく、
「仏神のようになりたい」と願い、仏神を尊敬して理想化すれば、それに近づいていきま
す。そして、仏神を理想化し、それに近づいていく過程のことを、信仰と呼ぶのです。

【大川隆法『繁栄の法』第3章「繁栄のための考え方」(P136~P137)】

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■「あの世でのパスポートです!」
あの世に勲章を持って還っても、残念ながら、まったく通じません。ノーベル平和賞を持って還るよりは、『仏説・正心法語』を持って還ったほうが、あの世でのパスポートとしては、よほど効き目が大きいのです。

【大川隆法『修行の王道とは何か』p.32より抜粋】

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仏に三身ありと言われており、仏のお姿には「応身」「報身」「法身」の三種類あります。そのなかの最も尊いのが「法身です。これは、肉体存在や目に見えるものではなく、宇宙を統治する法則としての存在です。たとえば、「原因・結果の法則」「波長同通の法則」「生々流転の法則」など、仏教で言えば「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の「三法印」も仏の法身です。また幸福の科学の基本教義である「愛」「知」「反省」「発展」の四正道もエル・カンターレの法身仏にあたります。
そして、何よりも「光とは何か」を教える『仏説・正心法語』こそが、私たちの主、エル・カンターレの法身そのものなのです。

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最後に、経典から抜粋いたします。
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仏神は光です。
光は、あるときは粒子として顕われ、あるときは波として顕われます。
光が粒子として顕われたとき、そこに物質が出現します。
光が波として顕われたとき、それは想念、念いの作用としてのみ存在します。
仏神の心というものは、
凝集されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心というものは、
凝縮されて一点となれば物質となり、
それが人間となり、地球となり、三次元宇宙となります。
仏神の心が、
凝集された粒子というかたちではなく、波として顕われたときには、
想念の波動として、念いとして、宇宙を飛び交う電波としてのみ存在します。
これが大宇宙の秘密なのです。

【大川隆法 『不滅の法』序章「心のなかの宇宙」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第7章 魔とは何か
1 釈迦の降魔成道

前章までで、いわゆる「三学」と「五分法身」(戒・定・慧・解脱・解脱知見)という、悟りの本道について述べました。この理論通りに修行を進めていけば、悟りへの道に入ることができ、それを完成できるはずですが、ただ、ここに一つ問題があります。

それが本性のテーマである「魔とは何か」ということです。何の邪魔もなく、ごく自然に、仏弟子に用意された戒・定・慧の三学や、解脱への道を歩んでいくときには問題はなさそうですが、世の中は得てしてそうはいかないものであり、と知友で邪魔が入ることがあります。それも、本人の修行がたいして進んでいないうちは、それほどの邪魔もないのに、「もう少しで悟りが開ける」という直前になって、今まで体験したことのないような妨害に遭うことがあります。これが魔の問題です。

「魔」という言葉もありますが、「悪魔」「サタン」など、さまざまな名称で呼ばれることがあります。「魔」という言葉は、もともとサンスクリット語の「マーラ」(mara)からきています。これは「悪魔」という意味です。

歴史的には「降魔成道」といい、釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたときに、最期の悟りを開く前に、魔がやはり現われてきて、さまざまな誘惑や攻撃をし、なんとかして悟りを開かせまいと努力したということが、歴史的事実として遺っています。

しかし現代では、それを物語としては読んでも、大部分の人はあの世を信じないし、ましてや、おとぎ話のように魔というもが出てきて、さまざまな妨害をするということなどが、ありうるとは思えず、話半分で聞いている方も多いようです。仏教学者のなかにも、物語のなかにも、物語としてしか理解していない方がいます。

あるいは、「釈迦の成道、すなわち悟りに入ること、悟ることへの妨げとして現れた魔とは、実は釈迦自身の内面の葛藤であったのだ。悩みのことを魔と言ったのだ」と理解している方もいます。

【大川隆法『沈黙の仏陀』第6章「解脱の意味」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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