47 天狗は頭に黒い烏帽子をつけていることが多く、かつて山岳修行した山伏の経験がよくある。そのためo「仙人」同様の超能力を持っているものが多い。
48 その超能力の一つが「遠眼鏡」で、山の上に棲みながら、木の上から、町の中の人間のなりわいを眺めている。このため、この世の流行や勃興してくるものに敏感である。ニュービジネス界の人材となることも多い。急成長して倒産する者も天狗に多い。
49 「天狗」の足には、鶏(にわとり)のような蹴爪(けづめ)があり、容赦なく、ライバルを蹴落とす。その競争心の強さには、他の「妖怪」も、「そこまでやるか。」と驚く
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
53 ある時、餓鬼霊の群れに出くわした。戦争ばかりやって、民衆を飢えさせた将軍が、ゾンビの大軍に食いちらかされているようだった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第2章 現代の武士道
1 日本的精神の一つ、「武士道」について語る
〇武士はほんとうの意味で「一日一生」の人生を送っていた
武士が刀を差して人と相対し、ときには技を競うこともあるということは、もちろん、生死(しょうじ)、つまり「生きるということ」と「死ぬということ」とが、いつも裏合わせであることを意味します。
したがって、そのような時代には、「一日一生」という言葉が、本当に現実としてありえただろうと思うのです。その意味で、武士の妻にも、「朝に出ていく夫が無事で帰ってくるかどうかについては、保証の限りではない」という面はあったでしょうし、そういう覚悟ができていたところもあったと思います。
そのように、日本刀を差せば、切り合わなければならないときもあるわけです。
また、刀がなかったとしても、人生においては、「命のやり取り」、あるいは、それに近いような、「職業を懸けた、切るか切られるかの戦い」や「進退を懸けた戦い」というものがあるのではないでしょうか。
【大川隆法 『現代の武士道』第2章「現代の武士道」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
5注意されたら感謝せよ
〇怒られて「ありがとうございました」と言える人は”偉人”
もう一つは、他人から怒られた場合の受けとめ方です。これには幾つかあります。他人から怒られたら、「人格を否定された」とおもって戦いを挑むようなこともあるでしょうが、そのような場合に、いきなり反発することはやめてください。怒られたときに、その場で反発するのをまずやめることです。これは「下の下」です。ゴリラや原始人であれば、殴られたら殴り返すかもしれませんが、そういうことは、文明人としては最低であると知ってください。
他人から怒られたり叱られたりした場合には、まず五秒や十秒、持ち堪えてみてください。私は、これをまず提言します。五秒でも十秒でも持ち堪えることです。そして、そのわずかな時間に、頭のなかで考えを巡らせてください。「そう言われるような原因が本当にあったかどうか」と考えてください。
そして、「ないかもしれない」という判定が出たとしても、さらに、ないかもれしないが、そのように誤解される余地があったかどうか、例えば、コミュニケーションの悪さのところで誤解を受ける余地等があったかどうかについても考えてみてください。
もし、その余地があったとか思えるならば、まず、その批判はいったん受けてください。「自分には、まだ至らないところがあった」と受け止めてください。そのように受けると、相手は収まってくるのです。
それから、「どこが悪かったのでしょうか。今後のために教えてください」と言うことです。
叱られたときには、「確かに、そう言われる余地がある。そのように考える余地がある」と思ったら、いったん受け止めてください。そして、「ありがとうございました」と言うことです。
怒られても、「ありがとうございました」と言える人は少ないのです。このような人は”偉人”です。そういう”偉人”はめったにいません。怒られたときに、「よく言ってくださって、ありがとうございました。私の悪かったところについて、もう少し教えてください」と素直に教えを請うだけの度量があったら、これは大人物への第一歩だと、私は思います。
○「素直な態度」は相手を変える
それだけの度量のある人はほとんどいないのです。私自身、初期には高級霊に叱られていましたので、度量はあります。怒られながらも、機嫌よく働いていたのです。「すみません。どこが違ったのでしょうか」「ああ、そうなんですか。分かりました。また頑張ります。」と言って仕事をしてきたのです。
もし、言葉癖がひどく悪くて、批判癖があり、厳しいために、どの人からも煙たがれているような人であっても、「ありがとうございました」と教えを請うような人に出会ったら、もう言えなくなるでしょう。言葉がグーッと詰まってしまいます。「いや、私も大人げなかった」ということになるのです。
反発してけんかをすればそれまでですが、そういう態度に出れば、相手まで変わってくることもあるのです。そのことを知らなければなりません。
もちろん、これは一般論的に言ってのことであり、ケース・バイ・ケースです。ヤクザに絡まれて、「どうぞ教えてください」などと言っていたらバカを見ますから、そう言うことはほどほどにしてください。そこは知恵を働かせなければ駄目です。
【大川隆法『真説・八正道』第4章「正語」153pより抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
今日の一日を振り返りつつ、1989年7月に説かれました『仏陀再誕』を振り返ります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第一章 我、再誕す
○我に従い来よ
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
今生にて、ふたたび、相見(あいまみ)えることができたことを、我は嬉しく思う。
今生にて、ふたたび、相見えることができたことを、我は嬉しく思う。
我はかつて、あなたがたに約束したはずだ。
末法の世に、ふたたび甦るということを。
末法の世に、ふたたび転生し、
あなたがたとともに、仏国土建設のために、
その実を投げ出すということを。
末法の世にこそ、
新たなる法を説かんがために、地上に降りるということを、
我は、かつてあなたがたに約束したはずである。
我は、その約束を違(たが)えたことはない。
今、また、末法の時代が来、
時代が我を要請し、
時代が、あなたがたを要請している。
縁生の弟子たちよ。
我が声を信じよ。
わが声に目覚めよ。
我が向かう方向に、つき従え。
我に従い来よ。
我の振る、この白き手に従い来よ。
われは、あなたがたの永遠の師である。
永遠の師の、その後ろに続くことが、弟子の使命であるということを、
ゆめゆめ忘れてはならない。
【大川隆法『仏陀再誕』第一章「我、再誕す」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第五章 縁起の法
4 運命論について
縁起の理法と業について述べてきましたが、「いわゆる運命論については、どう考えるべきなのか」という疑問を持つ人もいるでしょう。そこで本節では、「運命」について考えてみたいと思います。
まず、「業と運命は同じものなのか。それとも違うものか」という観点があります。これについては、「業は運命の形成要因の一つである」と考えてよいでしょう。
たとえば、自動車には、速度のよく出るものと出にくいもの、燃費の良いものとそうでないもの、ブレーキが利きやすいものとそうでないもの、小回りが利くものと訊かないものなど、いろいろな性能や特徴があります。坂道に弱い車もあるでしょうし、それほど荷物を積めない車もあるでしょう。さまざまな車があるのです。
魂の傾向性は車の性能や特徴のようなものだとみてよいでしょう。車を運転するようにして、人生行路を進んでいるとするならば、車の傾向に合わせた走行方法があるはずです。
運命というものを「人生の道筋」と考えると、業の思想は、運命という道筋を進んでいく際の車の特徴、あるいは、運命という川を下っていく際の舟の特徴と考えてよいでしよう。そうした傾向性を持ちながら、そうした環境を生きていけば、どのような結果が出るかは、ある程度、推測できるのです。
たとえば、ボウリングの玉を転がす際には、「この方向に、この強さで転がせば、この程度のピンが倒せる」ということを予測するわけですが、人生にもまさしくそうしたことがあるのです。
はたして運命があるのかと言えば、個人によって、その内容にも程度にも差がありますが、運命を形成している因子がいくつかあることは事実です。
第一の形成因子は、業、つまり魂の傾向性です。第二の因子は、両親や兄弟といった家庭環境です。第三の因子は、時代環境、社会環境です。第四の因子は、本人自身の努力です。第五の因子は、他の人びとの協力です。
この五つの要素が運命をかたちづくっているのですが、第四の「本人の努力」と第五の「他人の協力」の部分が、未確定のものとして残されていると言ってよいでしょう。
第一から第三までの部分、すなわち、魂の傾向性や家庭環境、時代環境は、生まれたとき、すでに決まっているので、変えがたいものがあります。それゆえ、運命には前提条件として決まっている部分が確かにあると言えます。あとは、「本人の努力」と「他人の協力」の部分が、その人の人生でどのような役割を果たすかということにかかっています。
結局、「運命というものは、生れ落ちたときに決まっている条件と、その後の条件とが、複合的に関連し合って決まっていくものである」と考えなければならないのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第五章「縁起の法」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き
■
文責:蒲原宏史
(2/13-2)44『仏陀再誕』を読む―我、再誕す―我に従い来よ―運命論について
