(8/9-1)221『黄金の法』一日を黄金に変える魔術―「死後の世界について」相手の「その後」を追体験する―「永遠の生命について」弘法大師空海と名誉顧問の深い縁

黄金の法

68 お金は、一部を貯金し(惜福)、一部を分福し、一部を将来のための投資(植福)に使え。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

8月10日(日)~ 8月11日(月・祝)の両日11時よりお盆の供養大祭を開催いたします。12日は在家開館日とさせていただきます。
この期間、ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。

大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。

【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。

○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)

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さて、ここからは、一年を通して非常に霊的な季節である「お盆」を迎えるに当たり、教典『信仰のすすめ』から第2章の「死後の世界について」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、経典『信仰のすすめ』のまえがきに、「手ごろなかたちで、幸福の科学の教え、その方向性をまとめたものであり、また、宗教書としてとても良心的な内容になっていると思う。一人でも多くの方に本書を読んでいただけることを切に願っている」と語られており、幸福の科学の信仰論の手引書ともなっています。本経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1500円】
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■『信仰のすすめ』第2章 死後の世界について
5自分の人生の回顧と反省
○相手の「その後」を追体験する

また、自分としては、「人生の途上で、自分は仕事で勝利した。他社を競争で退けて取引に成功した」という記憶を持っているとします。そうすると、人生の回顧のなかで、確かに、そういう場面が出てくるのですが、そのときに、「敗れた相手のほうが、その後、どうなったか」ということも見えてくるのです。

敗れた人が、肩を落として帰っていく姿や、その後、しばらくして左遷されたりリストラにあったりする姿、さらには、一年後、おでん屋を始めた姿などまで見えてきます。

競争に勝ったあとのことは、その人とは会っていないので知らなかったわけですが、「自分は『勝った』と思っていたけれども、その後、あの人は、こんなことなってしまったのか」「それが原因で、奥さんとけんかをして、こんな結果になってしまったのか」「それが原因で、子供が非行に走ってしまったのか」などということが分かるのです。

そのように、自分に関係があったことや自分がしたことによって、まわりの人たちがどうなっていったかを見せられます。

それを、ビデオを見るような感じで見る人もいれば、その場面の中に入っていって、ありありと見る人もいます。しかし、いくら声をかけても相手には聞こえません。「私は、そういうつもりではなかったのだ」などと言うのですが、相手にはわからないのです。

臨死体験として報告されているものによれば、「武器商人をしていた人が、自分としては、武器を売ったところまでの記憶しかないのに、『その後、その武器がどのように使われ、どのように人が死んでいき、死んだ人の家族がどのように悲しみ、苦しんだか』ということを見せられた。家族が死体に泣きつくところや葬式をしているところまで追体験させられた」という話もあります。

その人の商売としては、武器を売るところまでで終わりなのですが、「その後、その武器がどのように使われて、誰が死んだか」という、生きているときにはわからないことまで、霊界の記録には残っているのです。

おそらく、広島や長崎に原爆を落とした人たちも死んだあとは大変でしょう。その人たちは命令によって原爆を落としたのでしょうが、「私は上官の命令通りにやっただけだ」と言っても、原爆で亡くなった人たちと遺族の苦しみや悲しみを追体験したら、大変な辛さだろうと思います。

霊界では、そのようなことがあります。フラッシュバックのかたちで見る自分の過去が、この世の目で見る場合と違う点は、「第三者の目で、その場面が見え、相手の気持ちが伝わってくる」ということと、「自分のしたことが、その後、どのように影響していったかまで分かってくる」ということです。

人間関係においても、仲違いをしたり、くっついたり離れたり、さまざまなことがありますが、「その後、相手がどうなっていったか」ということが分かって来るわけです。

こういうことを、死んで間もないころに、あの世で勉強されられます。それを一通り勉強し終わって、反省が終わらないと、霊界での行き先が決まらないのです。

一つひとつ人生の場面を見せられて、「あなたは、この場面について、どう思いますか。これは、正しかったですか、正しくなかったですか。この場合、どうすべきでしたか」と、自分の判断を訊かれます。

たとえば、「会社の同僚が病気になって入院したときに、花束を持って、お見舞いに行った。しかし、それはかたちだけで、心のなかでは、『これでライバルが一人減った。ざまを見ろ』と思っていた」ということまで明らかになってしまいます。

このように、死後の世界では、過去の人生が、非常にリアルに、ドラマ性のあるかたちで見えてくるのです。

【大川隆法『信仰のすすめ』第2章「死後の世界ついて」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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『黄金の法』まえがき
すでに数多くの光の矢が放たれました。そして、ここに、新しく一本の黄金の矢が放たれます。『黄金の法』―それは、エル・カンターレの歴史観です。エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥観図でもあります。

本書に述べられた光の菩薩、光の如来たちの活躍は、いままで隠されていた人類の秘史を公開し、仏陀にして、地球系霊団の至高神、ロード(主)・エル・カンターレの本心とその価値判断を示すものです。

そしてその願いは、地球的仏法真理の確立にあります。天国的価値観と地獄的価値観を峻別し、天国的価値観が西洋・東洋・日本に岐れた光の系譜として論じられます。

「全世界に散らばりし光の末裔たちよ、今こそ目覚めよ。地球的仏法真理が説かれる時代が来たのだ。

あなたがたは国籍を超えて地球人として、地球的ユートピアを建設しなくてはならない。過去にあなたがたが仏の子であり、光の仲間であったように、今も、そして未来も、あなたがたは仏の子であり、光の仲間であるのだ。憎しみを捨て、愛をとれ。違いを嘆かずに、仏性相等しきを喜べ。希望の二十一世紀が近づいている」―これがエル・カンターレからのメッセージです。

一九九五年 七月七日 生誕記念出版 
幸福の科学総裁 大川隆法 
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第一章 黄金の人生を創る
1 一日を黄金に変える魔術

数十年の人生を、長いと感じる人もいるでしょう。逆に、それを短いと感じている人もいるはずです。しかし、その人の人生の内容がいかなるものであっても、一日に朝があり、昼があり、夜があるように、人生にも朝があり、昼があり、夜があるのです。この事実を否定することは、だれにもできません。

ひとたび昇りきった太陽を、もう一度逆戻りさせることができないように、あるいは、沈みかかった太陽を、再び中空に引き戻すことができないように、あなたがたの人生も、後戻りすることは許されないのです。過去は、反省の材料としてあるだけです。未来は、未知数です。すなわち、あなたがたの手のなかにあるのは、現在だけであり、だれもが平等に、「一日」という、自分の「現在」と直面しているのです。

人生とは、一日の連続体だと言えます。一昨日があり、昨日があって、今日がある。そして今日があり、明日がある。ということは、よりよき人生を生きたいとするならば、一日一日を着実に生きてゆくしかないのです。黄金の人生を創ってゆくためには、一日一日を黄金に変えてゆくしかないのです。そして、一日一日が、すべて黄金に変わってゆけば、人生全体も、必ず黄金色の光を放つものとなるはずです。

勝負は、一日の中にあります。人生が金色に変貌するか否かの勝負は、一日二十四時間のなかにあるのです。すなわち、この二十四時間を、いかに有効に使うか。そこに、勝負があるのです。

人間は、時間の下に平等だといえます。たとえ、どんな大金持ちでも、どんな貧乏人でも、あるいは、いかなる偉人でも、いかなる凡人でも、人間はすべて、時間の下に平等なのです。どのような人に対しても、一日は二十四時間しか与えられておりません。逆に言えば、いかなる人にも、平等に、一日二十四時間が与えられているのです。

たとえば、お金は借りてくることができます。しかし、時間は借りてくることはできないのです。お金は貯金することができますが、時間は貯金をすることもできなければ、利子が増えて、一日が二十五時間になることもありません。したがって、昨日使わなかった時間を今日に持ち越して使うこともできないし、明日の時間を今日使うこともできないのです。

私は、本書を書きはじめたわけですが、過ぎ去った昨日の時間を使って書くことはできないし、まだこぬ明日の時間を使って書くこともできません。私に使える時間は、今日の二十四時間しかないのです。

そのために、今は、私は一字一字を書いているのです。そして、この一字一字が、金色の文字となって、読者の胸に溶け込むかどうかは、私が一日二十四時間をのなかの一秒一秒をいかに使うかにかかっております。一日を黄金に変える魔術は、私にとっても、この一秒一秒をいかに使うかにかかっているのです。

一日は、言うまでもないことですが、二十四時間からなっています。一時間は、六十分、そして、一分は六十秒。ストップ・ウォッチを片手に、毎日を生きている人はいないでしょうが、本人が意識しようがしまいが、人生の時間という名の砂は、砂時計のように、毎秒、サラサラと流れ落ちてゆくのです。

万人にとって、一日二十四時間が与えられており、無一物で生まれてきた赤ん坊は、時間の使い方次第で、他の人とはまったく違う人生を歩んでゆくことができるはずです。ですから、人生を、黄金色に変える魔術は、時間を人生の質に変える秘法だともいえるのではないでしょうか。

【大川隆法『黄金の法』第一章「黄金の人生をつくる」より抜粋】
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幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとしている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2003年に発刊されました主の著書である、経典『幸福の法』の第四章「幸福の科学入門」を引用しながら、幸福の科学の基本教義を学んでまいります。経典をお持ちでない方は、この機会に拝受ください。【税抜1800円】
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●幸福の科学入門―「幸福になる心のあり方」を、すべての人に
〇「正しき心の探求」と「『幸福の原理』
これまで、私は講演や法話を何百回したかわからないぐらいですが、一回も同じ話はしていません。毎回、違う話をしています。その意味で、みなさんも学びにくくて大変でしょうが、私からいえば、これは説法する側の良心なのです。

新しい作品をつくるようなつもりで、一つひとつ丁寧に、新しい説法を重ねていっているのです。

「ひとつ残らず勉強していただきたい」ということで、人間が悟りを得て幸福になるために必要だと思われるテーマを、一つひとつ押さえていっています。「これも必要だろう。あれも必要だろう」と思って、やっているのです。

その予想は当たっているようで、みなさんが、法のなかのどの教えに反応してくるかは、人それぞれなのです。ある本に感動する人もいれば、また別の本に感動する人もいます。同じ本でも、違う個所に反応し、違う個所で救われます。

そのようなことがあるので、「こんなことは必要ないかな」と思いつつも、「万が一、こういうことが救いになる人がいるかもしれない」と思って、言っておくと、それが、ぴたっと当たる人がいるのです。「まさか、こんなことは要らないかな」と思っても、やはり数十人か数百人には当たる場合があります。

私の説法を聴いている人たちには、「これは自分のことを個人的に言われている。自分の間違いを指摘されている。怒られている」と思う人が多いのです。しかし、別に個人的にかおをしっていて怒ったりしているわけではありません。

法というものは、そのように、多くの人にあたるものなのです。多くの人の心の間違いにあたって、励ましを与えたり、人生の再建を呼び掛けたりする内容になっているのです。

それは、私が、大勢の人の心の動きをずっと見ながら、「普遍性のあるもの、法則性のあるものとは何か」ということを、いつも探求しているからです。

そして、「人間の多種多様な生き方のなかで、一定の『心の法則』というものがあり、その法則に則って生きれば幸福になるが、その法則から外れると不幸になる」ということを、私はいろいろな形で説いています。「どこかで法の機縁に接してほしい。どこかで悟りの縁に触れてほしい」と考えて、いろいろなことを説いているため、私の説法の内容は多岐にわたり、いろいろな分野にわたっていますが、それでいて、一本の「心の法則」は貫いています。

私の思いは、いつも心の法則に向いているのです。「人間が幸福になるには法則がある。人間が不幸になるにも法則がある」その心の法則とは何であるか」ということを、あるときは、個別の具体的な例から帰納的に導き出す場合もあり、あるときは、「仏の心はこうなのだから、このように生きれば幸福になれる」というように、演繹的に言う場合もあります。その両方をやっていますが、中心は心の法則があるのです。

※帰納的(きのうてき)個々の特殊な事実から一般的な原理、法則を導く方法。
※演繹的(えんえきてき)一般的・普遍的な前提から、より個別的・特殊的な結論を得る論理的推論の方法。

【大川隆法『幸福の法』第四章「幸福の科学入門」より抜粋】
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続きまして、経典『新・心の探求』より抜粋を紹介いたします。
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〇肉体は乗り物、心という運転手こそ主人公
各人、自分の心のなかは、自由に任されているのです。これを「心の王国」といいます。この心の王国を、各人が自治権を持っていて、自分でそれを守り、自分でそれを治めていきなさい、ということになっています。

しかし、この自治権というのはたいへんありがたいものであるけれども、反面からみると、その人の心のなかに他人はちょっかいを出せない、ということであるならば、逆にどのような心であっても、放っておけるということになってしまいます。

私たちは、この三次元とか、地上界とか、物質界とかいわれるようなこの世を通り越して、肉体が滅した時に、あの世という世界に入っていきますけれども、この、あの世の世界においては、心というものは、人間そのものになってしまいます。地上においては肉体という乗り物があって、その乗り物のなかに運転手としての心があるわけでありますけれども、この地上を去って、他界をしたときに、あの世に行くところの運転手そのものが、あなたになり、私になるわけであって、これ以外に車というものがあるわけでもなければ、乗馬すべき馬がいるわけでもありません。したがって、心そのものが主人公となるわけです。

そうすると、どうなるかというと、車の中に乗っていては、運転手がどのような人であるかわからなかったにもかかわらず、車からいったん降りて、運転手が外に歩くようになると、その人がどういう人であるということは、だれから見ても明らかになってくるわけです。

つまり、この世を去った実在界においては、人間はだれからも、その姿と人となりというものを見られることになります。その人の心の姿は、だれからも見抜かれてしまうということになってしまいます。これが、実在界においては当然のことにとなるわけであります。

【大川隆法『新・心の探求』第一章「正しき心とは」より抜粋】
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主は経典『黄金の法』において時間に関する真理を説いてくださっています。ですので、冒頭から極めて重要な教えとなっています。人生とは、私たちの持つ時間であり。私たちの命とは私たちの持つ時間である断言してもよいと思いまいす。

『地獄の法』の文脈でいえば、私たちの持ち時間をどのように思い、考え、行動することによって使うかで、私たちの現在の心の世界を決定づけて、来世の行き先を決定します。本日の学びは繰り返し繰り返し読み返しましょう。とても重要な教えです。

一般の方からよくある質問で、
「幸福の科学って何をしているところなの?」がありますが、
『幸福の科学では「正しき心の探求」をしています』とお答えいただければ、まず間違いありません。

「正しき心って何?」とさらに問われれば、「神様・仏様の心が正しい心です」とお答えください。

「心とは何?」と問われたら、心とは本来霊である、私たちの考える力であり、自分という存在の主人公です。心とは私たちの魂の中心であり、私たちが今考えていることが、本当の自分自身であることをお伝えください。だから私たちの本質は、肉体ではなく、霊なのです。

さらに、「神様・仏様って何?」問われれば、「神様・仏様のお名前はエル・カンターレというお名前で、大川隆法総裁先生が私たちの信じる神様・仏様です」とお答えください。

「どうして科学なのか?」という問いには、
「人間が幸福になるには法則がある。人間が不幸になるにも法則がある」その心の法則とは何であるか」ということを日々心の科学として探求しています」とお答えいただければよいと思います。

幸福の科学の教えは、この地球や宇宙を創造した根本仏(エル・カンターレ)が人間を想像したときに、宿した仏性(仏の性質)を心の法則として教えています。

伝道をしている時、信仰告白の時、映画のお誘いなどで、突然いろいろな質問を受けることもあるかと思いますが、シンプルに答えていただいて、詳しくは、月刊誌や布教誌をもとにご説明いただければ、大丈夫です。
主の御名と主の御教えを一人ひとりにお伝えするために今日もともに頑張りましょう。

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8月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第5章「生命の永遠について」を学び、地上世界を超えた実在世界の視点から私たち生きるべき視点を学びます。経典『永遠の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
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■『復活の法』―第5章「生命の永遠について」―常に実在界の視点を持って生きよ
2 善川三朗・幸福の科学名誉顧問の帰天
○弘法大師空海と名誉顧問の深い縁

名誉顧問が亡くなって、ちょうど二週間後の夜【※八月二十六日】、十時半か十一時ごろだったと思いますが、弘法大師空海の霊が私のところに現れてきました。

私は、普段は空海とはそれほど付き合いはないのではないですが、空海がやってきて、「善川三朗・名誉顧問は、帰天十四日目、二週間で、菩薩界最上段階である梵天界に見事に還られました。そして、魂の兄弟であり、中国の高僧であった善無畏三蔵(正統密教第五祖)と、涙の対面を果たされました」と私に告げたのです。

名誉顧問は、四国での葬儀において幹部たちに霊言をしたときには、「いろいろと霊界を見ながら還らなければいけないので、元の世界である菩薩界まで還るのに、年内いっぱいはかかめるだろう」と言っていたのです。しかし、空海から、「二週間で菩薩界最上段階まで還った」という報告を受けました。

なぜ空海は、入唐求法(にっとうぐほう)する前に、三十歳ぐらいまで、山野を放浪しながら修行をしていました。そのときに、あるお坊さんから、『虚空蔵求聞持法』(※こくうぞうぐもんじほう)というお経を教えてもらうのですが、一説では、それは勤操(ごんぞう)という名の僧侶であるとされています。

虚空蔵求聞持法とは古代の暗記力増強法のようなものであり、これを学んで実践すれば、あらゆる経文の文句を覚えることができると言われていました。このお経を漢訳したのが、実は、善川三朗・名誉顧問の過去世である善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)なのです。

さらに、空海は、「入唐する前、久米寺の東塔に入って、密教の中心的なお経の一つである『大日経』を勉強していた」と言われています。空海は、善無畏の訳した『大日経』の言葉の意味は理解できたのですが、修行として、どのように使っているのか、その作法が分かりませんでした。そこで、空海は、その疑問点を解明するという目的を持って入唐したわけです。

唐に渡った空海は、般若三蔵からサンスクリットやいくつかのお経の手ほどきを受けたあと、青龍寺に入り、恵果和尚に会います。それは、恵果の亡くなる半年ぐらい前のことです。

空海は、恵果に合うやいなや、恵果から、「あなたが来るのを待っていた」と言われ、密教の奥義をことごとく授けられるわけです。両界曼荼羅、すなわち、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅という、密教の二つの基本的な教えと仕組みを教わりました。

恵果は、異国から来た青年(※当時空海は31歳)に密教の奥義をことごとく教え、「もう長く中国にいる必要はない。この教えを日本に持って帰りなさい」と言いました。そこで、空海は正統密教の第八祖として日本に帰るわけです。

その後、中国では密教が廃れてしまったので、密教の正統を伝えるのは空海のみとなりました。もし空海が恵果のもとに行くのがまにあわなかったならば、密教は遺らなかったでしょう。(空海は真言宗の開祖となる)。

そのように、『虚空蔵求聞持法』と『大日経』の縁で、善無畏三蔵は空海に対して非常に大きな影響を持っていたわけです。

唐の密教は、インドから善無畏三蔵(※第五祖)が来て、その後、不空三蔵(※第六祖)、恵果(※第七祖)へと伝えられ、恵果から空海(※第八祖)へと流れてきているのです。

空海は、唐に行ってから、『大日経』その他の勉強をしたのですが、そのときにも善無畏が霊界からいろいろと指導をしていたようです。

そういう深い縁もあって名誉顧問は空海と同じ四国の地を選んで生まれたのではないかと思われます。

名誉顧問は、晩年、七十歳を過ぎてからは、やはり体も衰え、亡くなる八か月前ぐらいから言語機能が少し不自由になり、やや気の毒な状態であったので、私は、その状態があまり長く続くことを望んではいませんでした。「あの世に還ったほうが、活躍できるし、幸福になれるだろう」と追っていたので、特別な延命措置は望まなかったのです。

名誉顧問のもともとの寿命自体(天命)は八十二歳まででした。生年月日は一九二一年十一月二十日なので、満八十一年と九ヵ月での帰天でしたが、名誉顧問が生まれたときに、父親が出生届を役場に出すのが遅れたらしいので、実際には満八十二歳ぐらいになっていたようです。昔は、なかなか届を出さずに放っておくことが多かったので、数か月ぐらいの誤差はあったのかもしれません。

したがって、ほぼ寿命を満行して、あの世に還ったと言えるでしょう。

以上が、名誉顧問の帰天に関連して、私が体験したことです。

【※久米寺 久米仙人・龍門寺(奈良県吉野郡吉野町)の堀に住まって、いつものように飛行していたが、あるとき久米川(現・曽我川。大和川の支流)の辺で洗濯する若い女性の白い脹脛(ふくらはぎ)に萌えて神通力を失い、墜落する。その女性を妻として普通の人間として暮らした。

聖武天皇(在位:724 – 
749)の命により東大寺に大仏殿を建立(竣工:758)する際、久米仙人は俗人として夫役につき、材木の運搬に従事していた。周囲の者が彼を仙人と呼んでいるのを知った担当の役人は、「仙人ならば神通力で材木を運べないか」と持ち掛けた。七日七夜の修行ののち、ついに神通力を回復した彼は8日目の朝、吉野山から切り出した材木を空中に浮揚させて運搬、建設予定地に着地させた。
その甲斐あって大仏殿の建立は速やかに成就したと伝えられている。聖武天皇は、免田をたまわり、久米仙人はそこに寺を建立した。これが久米寺であるという。(Wikipediaより引用)『妖怪にならないための言葉』54参照】

【大川隆法『復活の法』―第5章「生命の永遠について」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義

幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。

お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。

現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。

しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。

供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。

お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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