69 「天の蔵に富を積む」という思想は、異端・邪説でもなく、消費者契約とも違うものである。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
本日8月10日(日)と明日 8月11日(月・祝)の両日11時よりお盆の供養大祭を開催いたします。12日は在家開館日とさせていただきます。
この期間、ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、一年を通して非常に霊的な季節である「お盆」を迎えるに当たり、教典『信仰のすすめ』から第2章の「死後の世界について」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、経典『信仰のすすめ』のまえがきに、「手ごろなかたちで、幸福の科学の教え、その方向性をまとめたものであり、また、宗教書としてとても良心的な内容になっていると思う。一人でも多くの方に本書を読んでいただけることを切に願っている」と語られており、幸福の科学の信仰論の手引書ともなっています。本経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1500円】
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■『信仰のすすめ』第2章 死後の世界について
6霊界を論理的に証明することはできない
○霊界では「過去・現在・未来」が同じ空間に存在できる
死後の世界で過去の人生を見る際に体験することは、「時間の観念が、この世とは全く異なる」ということです。昔の場面のなかに自分が入り込んだような感じで見えることがあるわけですが、「霊界では、『過去・現在・未来』が、あるようで、ない」というのは、こういうことを言っているのです。
過去のことであっても、現在ただいまのことのように見え、ちょうど映画のスクリーンの中に飛び込んだような感じで、その場面を体験することができます。事実上、タイム・トリップ(時間旅行)をして過去の時代に行くのと同じです。
実は、一部の人には未来も明らかにされることがあります。未来のことが、まだ起きていないのに、起きているかのように見えます。「このままでいけば、このようになる」という未来はあるので、未来の世界を体験することもできるのです。
その未来は、「いまの流れでいけば、このようになる」ということので、「すでに起きている未来なのに、それを変えることもできる」という、不思議な不思議なことがありえます。
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という映画のなかでは、「この時点で、この二人が結婚しないと、未来が変わってしまう」という話があり、そのターニングポイント(転換点)でどうなるかによって、墓碑銘が変わったり、写真の画像が変わったり、いろいろなことが起きました。ちょうど、あのような感じで未来が変わるのです。
未来はあるのですが、変えることができます。「このままであれば、こうなる」という未来があり、その未来はすでに起きていて、その未来を体験することが可能です。ところが、それを変えることもまた可能なのです。そういう、まことに不思議な世界です。
したがって、霊界における「過去・現在・未来」は、地上の時計で計るような時間としては存在していないのです。「過去・現在・未来」が同じ空間に存在することが可能なのです。
だた、「どちらが先で、どちらがあとか」という順序はあり、親と子が逆になるようなことはありません。「どれからが先か」という順序は分かるのです。
霊界は、そのような世界です。
○霊界には「因果の理法」以外に論理的なものはない
科学教育を受けた人は、「科学的に実証できないものは信じられない。論理的に説明できないものは信じられない」などとよく言うのですが、あの世へ行くと、その論理的なものがありません。霊界は、まったく論理的ではない世界なのです。
論理的ではない世界を論理的に証明することは不可能です。それは、本章の一節でのべたように、三十センチ物差しで空の広さを測ろうとするようなものであり、測ることはできないのです。
霊界で、唯一、論理的なものがあるとすれば、当会でも教えている「因果の理法」、すなわち、「因・縁・果・報」の法則です。何事にも原因があり(因)、それに何らかの条件が加わり(縁)、結果が出て(果)、その結果によって影響が出てきます(報)。こうした「因・縁・果・報」の順序は論理的に存在します。「物事には必ず原因があり、何らかの条件が加わり、結果が出て、その影響が出る」という因果関係は存在します。しかし、これ以外には、論理的なものは、まったく存在しません。
あえて、理解可能な説明をするならば、テレビやラジオなどの電波の世界に似ていると言えます。あるいは、どちらかというと、学術書よりも小説の世界、フィクションの世界に近いのです。小説であれば、「何でもあり」で、いろいろなことが可能です。そういう、小説の世界のようなものなのです。
小説は論理的には書かれていません。登場人物がさまざまに絡み合って、いろいろなドラマが行き当たりばったりのような感じで起きてきます。霊界は、それとよく似ているのです。
あの世の世界は論理的ではありません。非現実的と言えば非現実です。「こんなことがあるのだろうか」と思うようなことが現実に起きます。時間や空間は全く関係のない世界です。
霊界では、「知っている」ということが力です。知っていることは、起こすことができるのです。
さらには、現実感のあるもの以外に、象徴として現われてくるものかあります。「直接的に映像や姿が見えるのではなく、一種の象徴として何かが現われてきて、それを解釈しなければいけない」ということがあるのです。それはファンタジー(幻想)に近いものであり、論理性はまったくありません。そのため、同じものを見ても、人によって、見ているものが違うこともあります。その人の理解度によって、違う世界が見えてくることがあるのです。
「象徴として見える」というのは、どういうことでしょうか。「臨死体験者は、お花畑を見る」という話をしましたが、それも一種の象徴なのです。それはおそらく、美しい世界の象徴でしょう。川の底にも、宝石のようにきれいな石がたくさんありますが、これも、いろいろなものの象徴であり、その他のさまざまな景色も象徴なのです。
これは、いわく言いがたいものがありますが、子供が描いた想像画のようなものだと言ってもよいでしょう。「想像で、いろいろな絵を描くと、それが現実のものとして現われてくる」というようなことなのです。その意味では、魔法使いの世界に近いかもしれません。
そういう霊界の感覚を知った人は、この世に戻ってきて、他の人が「科学的思考で測れないものは信じられない」などと言っているのを聞くと、頭がクラッとくるような感じがするでしょう。
たとえて言えば、「どろどろの寒天のようなものが、二十五メートルのプールいっぱいに入っていて、そのなかに釘が一本落ちている。彼らは、その釘で、何かを測る、何かをするなどと言っている。彼らの言っていることは、周りの世界とあまりに違いすぎて、理解できない」という感じなのです。
現代医学を見ると、あまりにも脳に重きを置きすぎていて、何もかも、すべてのことの原因を脳にもっていこうとします。人間の魂の存在も、脳の作用によるものにしようとしています。
臨死体験についても、「臨終期に脳内モルヒネが出て、その作用で恍惚感が出るのだ」と言ったりします。しかし、肉体が火葬場で焼かれたあとでも、お花畑もあれば三途の川もあるので、脳内モルヒネは関係ないのです。
【大川隆法『信仰のすすめ』第2章「死後の世界ついて」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第一章 黄金の人生を創る
2 時間のなかの真理
あなたがたが考えつく限りのすべてのものを、すなわち、善も悪も、美も醜も、真も偽も、ありとあらゆるものを包含しつつ、時間というものは流れているのです。あの天の川の流れのなかにも、個人の人生のすべての要素が、あるいは、人類の歴史のすべてが、一切合切が含まれているのだといえます。
もし時間の流れというものを、手に取って眺めることができるならば、多くの人々は、おどろくでしょう。時間の流れという細長いチューブの中には、ありとあらゆるものがぎっしりと詰まっていて、まるで、見て下さいと言わんばかりにひしめき合っている。その姿に、びっくりするはずです。
私は、単なる比喩をいっているのではありません。あなたがたが実在界に還れば、そこには、「アーカーシャーの記録」(アカシック・レコード)というものがあります。そしして、それを読みとる力のある人が見れば、人類の歴史は、まるで手に取るがごとくわかるのであり、また、ほとんどの人は、人類の秘史に驚かされるはずです。
このアーカーシャーの記録は、如来界以上の人でないと、読めないことになっています。つまり、八次元、あるいは、九次元の住人でないと、この記録を閲覧できないのです。
なぜならば、人類の歴史を知るということは、仏の計画を知るということであり、人類の未来社会の見取り図まで分かってしまうため、世人の誰もが見るというわけにはいかないからです。
近代で、生きながらにして、このアーカーシャーの記録を実在界で見てきた人としては、十八世紀の北欧の神秘家・スウェーデンボルグがおります。近年では、人智学のルドルフ・シュタイナー。両者とも、八次元如来界の人です。
古くは、イエス・キリストの時代に、「黙示録」のヨハネが、光子体離脱をして、つまり、生きながらにして魂が肉体を抜け出して、アーカーシャーの記録を見て来て、それについての報告をしております。ヨハネもまた、八次元如来界の人です。
ただ、このアーカーシャーの記録は、文字に書かれた一冊の書物ではないため、だれもが同じ理解をしているというわけではありません。許可を受けると、その記録が、立体映画のように眼前に展開されるのですが、見る人の悟りの段階に応じて、理解できるようになっています。たいていは、象徴的なピクチャーを見せられて、そこから、各自が感じ取るわけです。「黙示録」のヨハネが見てきたという、新約聖書にある人類の未来予想図も、ひとつの象徴であって、完全なヴィジョンではなかったと言えます。
現在、八次元では、エリア、「黙示録」のヨハネ、ノストラダムスなどが、アーカーシャーの記録を管理するという仕事をしております。そして、九次元宇宙界でこの記録のカギをもっているのが、ゴータマ・シッダールタ(釈尊)やイエス・キリストです。
このように、時間というものは、単に三次元の時計によって計られるものではありません。時間とは、実在界のアカシック・レコードが回されるときに奏でられる音楽のようなものなのです。
たとえば、二時間のクラッシック音楽をCDに記録してしまうと、二時間という時間が、ひとつの静止した物体のなかに閉じ込められてしまいます。そして、CDを回転させることによって、それが再現されるのです。
ですから、もし、CDの盤面だけ見ただけで、二時間分の音楽を看取することができる人がいたならば、その人にとっては、二時間のメロディーが、一瞬にして全曲を聞いたのと同じように分かってしまうはずです。
ただし、普通の人は、そうはできないので、CDを回転させて、二時間たっぷりかけて、曲を楽しむのです。
人類的な時間の秘密、歴史も、ここに理解の鍵があると言えます。つまり、過去の歴史とは、すでに回転を終えたCDの何枚かなのです。未来の歴史とは、まだ回転させないでいるCDなのです。通常人であれば、これが曲として演奏されなくては、どんなものかが分かりません。しかし、盤面だけ見ただけで、一瞬にして、曲全体を読みとる能力者にとっては、人類の未来がかなり明確に分かってしまうということなのです。
このアカシック・レコードは、人類的なものだけではありません。個々人の魂の記録も遺っているのです。これがすなわち、各人の「想念帯のテープ」です。そして、高級霊ならば、生きている人の想念帯のテープを看取して、過去・現在・未来という、三世を見通すことが可能です。これが、時間のなかの真理なのです。
【大川隆法『黄金の法』第一章「黄金の人生をつくる」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとしている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2003年に発刊されました主の著書である、経典『幸福の法』の第四章「幸福の科学入門」を引用しながら、幸福の科学の基本教義を学んでまいります。経典をお持ちでない方は、この機会に拝受ください。【税抜1800円】
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●幸福の科学入門―「幸福になる心のあり方」を、すべての人に
〇ほんとうの意味での「正しさ」とは
そして、その心の法則のなかの、幸福になる心のあり方を、最初のころから、「正しき心の探究」と呼んできました。
正しき心の探究というものを一言でいうのは難しいのですが、私たちが求めている「正しさ」とは、結局、「大宇宙を創っている根本仏の理法に添った心のあり方」のことを言っているのです。
この正しさのなかには、宗教でなければ近づくことができない、アプローチすることのできない、信仰心というものが、当然ながら含まれています。その意味で、この正しさは、この世的な正しさとは一致しないかもしれません。
この世的に「正しい」と言われているもののなかには、たとえば、科学の領域での、いろいろな定理や仮説、学説などがあり、「科学的にこうだ」と言われています。しかし、学説や仮説というものは一つの意見であって、真実性の証明は必ずしも充分にはなされていないのです。
いくら、科学者が、「人間は何万年前に生まれた」「何十万年前にこうなった」「人類は四百万年前にチンパンジーから分かれた」など、いろいろなことを言っても、私は信じていません。それを正しいとは思っていません。
ただ、学校でそのように教えている以上、学校の試験では、それを正しい答えとするのはかまわないと思います。そういう教科書は必ずしも正しいわけではありませんが、現時点では、文部科学省から学問として認められているのでしょうから、その範囲内のことについては、とやかく言うつもりはありません。
当会の説いている正しさは、そういった科学の研究成果や学問の成果などと必ずしも一致するものではないのです。ただ、それをあまり強引に言いすぎて学校などでトラブルが起きてもいけないので、「学校のことは学校でやり、学校外のことは学校外でやればよい」と思っています。
かつて、イエスがコインを見て、「カエサルものはカエサルに、神のものは神に」と言ったように、この世にはこの世の法則があるので、この世でうまく回っているものについてはあまり細かいことは言わないつもりです。
しかし、本当の意味での正しさというものは、仏神の存在を前提とした正しさであり、霊界観を前提とした正しさなのです。その意味において、教科書には書かれていないものです。
科学といわれているものにおいては、霊の存在さえ、まだ、ほとんど実証できないでいます。また、生老病死の疑問を解くために、釈尊は二千五百年以上も前に出家しましたが、医学は、いまだに、人間が生まれてくる本当の理由を解明できていませんし、「死とは何か。死後の世界とは何か」ということも解明できていません。二千五百年たっても、まだ解明できていないのです。したがって、宗教の世界は、まだ根強く必要性を持っていると言わざるをえないと思います。
そういう意味で、科学や医学、それから教育などにおいての正しさも、完全なものだとは私は思っていません。それについて、この世での生存や生活が成り立たなくなるほど議論するつもりはないのですが、ただ、やはり、信仰の世界においての正しさというものを基軸に持っていただきたいのです。
【大川隆法『幸福の法』第四章「幸福の科学入門」より抜粋】
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続きまして、経典『新・心の探究』より抜粋を紹介いたします。
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■正しき心の探究―ただしさの基準を知って、そのルールに添った自分をだんだんに作っていく
正しき心の探究というのは、この正しさの基準というものをまず知って、このルールに添った自分というものを、だんだんに創っていくということになります。人間の心というものは自由自在でありますけれども、これを唯物的なものと考えて、脳みそのなかにあるしわだけが心だと思っているような人にとっては、死んであの世にも心があるということの納得がいかないはずです。それは一つの迷いであります。
心の操縦、運転、作用というものを考えた時に、今いった基準によって判断した正しい教えというものを実践していくということがだいじなわけです。これは、知り、かつ行うこと、陽明学でいう知行一致といいます。知るということと、行うということが合一して一つとなる、これが大事なことです。・・・
正しい教えというものを知って、それに則った生活を実践していくということが陽明学の本質でありますから、これはまさしく、仏教の根本と同じであり、それが違った形で出たということになります。
このように、「正しき心とは」という問いに対して答えていくとするならば、まず真理を知るということ。これが第一で、次に、知った真理に則った行動をしていくということです。
【大川隆法『新・心の探究』第一章「正しき心とは」より抜粋】
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主は経典『黄金の法』において時間に関する真理を説いてくださっていますが、今日も驚きの秘密が明かされています。三次元での時間の流れがレコードやCDにたとえられていたのがとても印象的です
最後のところがとても重要なのではないかと思いました。
『人類的な時間の秘密、歴史も、ここに理解の鍵があると言えます。つまり、過去の歴史とは、すでに回転を終えたCDの何枚かなのです。未来の歴史とは、まだ回転させないでいるCDなのです。通常人であれば、これが曲として演奏されなくては、どんなものかが分かりません。しかし、盤面だけ見ただけで、一瞬にして、曲全体を読みとる能力者にとっては、人類の未来がかなり明確に分かってしまうということなのです。
このアカシック・レコードは、人類的なものだけではありません。個々人の魂の記録も遺っているのです。これがすなわち、各人の「想念帯のテープ」です。そして、高級霊ならば、生きている人の想念帯のテープを看取して、過去・現在・未来という、三世を見通すことが可能です。これが、時間のなかの真理なのです』
『幸福の科学入門』では、
「本当の意味での正しさというものは、仏神の存在を前提とした正しさであり、霊界観を前提とした正しさなのです。その意味において、教科書には書かれていないものです」
この言葉が印象的でした。
私たち人間は、肉体が中心の存在ではなく、あくまでも肉体に宿っている魂や心が中心であることは、仏法真理の学習や、正しき心の探究において基礎中の基礎となります。
これが霊的人生観の基礎です。正しき心探究は、ここから始まり、仏や神の御心に迫ることになります。正しき心の探究は、仏教の言葉に当てはめると「菩提心」ということになります。
菩提心とは、悟りを求める心です。「正しき心の探究」とは、現代的に翻訳された菩提心を象徴するものです。そして、「正しき心の探究とは、正しき四正道の探求である」ことも主より教えていただいています。四正道とは「愛」「知」「反省」「発展」の四つの正しい道です。
幸福の科学は、「正しき心の探究」を通して、「愛と悟りとユートピア建設」をモットーに現代の四正道「愛・知・反省・発展」を全世界に広げて、全地球人類を本当の幸福に導くことをめざしています。
ほんとうの意味での正しさとは、地上の人間だけがそれを規定することはできません。この世を超えた広大な世界である実在界も含めて、仏神の存在を前提とした正しさと、霊的人生観が本当の正しさには必要です。
だから、真理の探究・学習・伝道がとても大切であることを主は、教団草創期から強調されています。伝道に必要なのは、あくなき真理の探究から始まります。
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8月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第5章「生命の永遠について」を学び、地上世界を超えた実在世界の視点から私たち生きるべき視点を学びます。経典『永遠の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
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■『復活の法』―第5章「生命の永遠について」―常に実在界の視点を持って生きよ
3 多くの人々に真理の灯を伝える努力を
○悟りさえ持っていれば、あの世で自由自在になれる
名誉顧問は、すでに梵天界に還って、あの世での経験をいろいろと積んでおり、「幸福の科学へのアドバイスをしたい」と強く願っています。当会としても、また一人、支援霊団に新しい力が加わったことになり、私も楽しみにしています。
帰天後、その年の内に、最近の霊界事情について勉強し、報告をしてくれました(帰天の年の霊言が大川隆法著『善川三朗の霊言―帰天説法①』『同2』『同③』として、帰天満三年の記念日の霊言が『同④』として発刊されている〔宗教法人幸福の科学刊〕。あの世に還ったほうが、おそらく力は何倍にもなるでしょうし、そういう人が霊界事情を報告してくれれば、私にとっても参考になるのです。
名誉顧問は、精舎研修用に霊示で下ろしてきた「善川三朗の霊訓公案」のなかで、「再誕の仏陀の教えには、ただ一つの間違いもなかった」と言いきっていました。実際に亡くなって二週間の経験としてすべてが、私の説いているとおりのものであったそうなので、とてもありがたいことだと私は思っています。
この世には、幸福や成功だけでなく、肉体的な問題など、いろいろなことがあるでしょうが、「死ねば自由自在になれるのだ」ということを、どうか忘れないでいただきたいのです。
脳外科医が何と言おうとも、人間は心で考えているのであって、脳で考えているのではありません。脳はコンピューターのような”機械”にしかすぎないのです。機械の機能が十分でなければ、考えを伝えることはできませんが、考えそのものは完全なのです。
また、名誉顧問は、亡くなったときは八十二歳ぐらいでしたが、死後二週間たった時点で、話している言葉や内容からすると、六十五歳ぐらいにまで戻っており、早くも、十五歳以上、若返りました。死後、二、三年で、本人が一番活躍したころの年代、おそらく四十代ぐらいの若さまで戻ると思います。
そのように、霊界では年齢も若くなっていきます。本人の希望する年齢、本人が自己イメージとして持っている年齢ぐらいまで若返っていくのです。
それから、晩年は体が不自由になり、手足や脳、口、目、耳など、いろいろな部分が不自由になっても、それは一時的なものにしかすぎないので、死んだ段階で消えていきます。したがって、それにとらわれてはいけないのです。「魂の部分は完全であり、完璧に機能している」ということを理解していただきたいと思います。
名誉顧問の帰天に関連して私が体験したことは、内容的に、全部、私が悟っていることではありましたが、身内の死を実体験したことで、改めて、「この教えに間違いはない」ということと、「この真理を広げることが必要だ」ということを感じました。
「死後の世界があり、死ぬと、このようになっていくのだ」ということを知って生きる人生は、やはり、素晴らしいものだと思います。
「名誉顧問が死後二週間で梵天界まで還れた」ということを聞くと、やはり、「悟りを持っている」というのはすごいことだと感じます。
この世的な価値観で判断してはいけません。たとえ、この世的には、無名であっても、地位が高くなくても、悟りさえ、もっていればよいのです。
この世の常識には反するかもしれませんが、人々を真の意味で導き、啓蒙する仕事をした人は、死後に必ず評価され、あの世において、自由自在の世界に入り、もっともっと活躍できるようになります。
したがって、この世的なことで最終ゴールを目指してはいけないのです。この世的な視点ではなく、常に実在界の視点を持ち、この世での自分の生き方や修行の方法、対人関係、小成の方法などを考え、判断しなくてはいけません。
自分自身が、霊的な工事用に資する方向で、霊的にプラスになる方向で、そして、周りの人々も霊的な認識が高まる方向で生きられるように、努力してほしいのです。
「悟りを持っている」ということは素晴らしいことなのです。
【大川隆法『復活の法』―第5章「生命の永遠について」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義
幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。
お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。
現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。
しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。
供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。
お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(8/10-1)222『黄金の法』時間のなかの真理―「死後の世界について」霊界を論理的に証明することはできない。
