(7/28-1)209思想としてみた釈迦仏教―五つの柱―仏光物理学の三テーゼ―『黄金の法』より

正義の言葉『仏説・降魔教』

56 お金で異性を釣るのは、恥ずべきことである。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて衛星中継されます。

幸福の科学 大川隆法大臣 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。

8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。

大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。

【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。

○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、少し視点を変えて、『黄金の法』から釈迦仏教についての抜粋を取り上げて、お釈迦様の教えの内容を確認してまいります。
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●思想としてみた釈迦仏教(1)
ここで、「アジアの光」とも言われた釈迦の教えを、思想的観点から考察してみようと思います。

釈迦には、八万四千の法網があったと言われるほどに、その教えの内容には高低があり、その幅にも、目を見張るようなバラエティがあります。しかし、その考えの柱を取り出すと、次の五つになります。

一番目の柱とは、実相世界と地上世界、すなわち、三次元現象世界とのかかわりです。釈迦が常々説いていたのは、こういうことです。

人間には、生まれてくる前にそこにおり、死して、またそこに還る永遠の実相、実在世界があり、この世は仮の世界にすぎないのだ。実在の世界が、根元の仏の創造意志によって現出したように、この三次元世界も、実在の世界の投映にすぎず、人間は、影絵の世界の住んでいるようなものである。この影絵の世界、仮の世界こそ唯一の世界だと錯覚して、人々は地上に執着を持ち、さまざまな苦しみをつくってゆくのである。この苦しみから逃れるためには、自分が本来いた実在の世界を思い起こすことだ。そして、物質人間の執着を断って、本来の実相人間になることだ。さすれば、そこに生の苦しみなく、老いる苦しみなく、病の苦しみもない。そこにあるのは、ただ歓喜の世界であり、光煌めく光明の化身としての人間なのである・


人々よ、このことを、まず、悟りなさい。と。これが教えの最初の柱でした。

教えの第二番目とは、時間論です。一番目の柱を空間論とするならば、二番目の柱は、時系列的なものの考え方にあります。そのひとつが縁起の法です。この現象世界、実在世界を貫く法則は、原因と結果の法則であり、ある出来事と次なる出来事を結びつけるもの、あるいは、ある人と次なる人とを結びつけるものを縁といいます。そして、すべてのものごとは、この縁によって生ずるのです。しかも人間は、永遠の時間の流れのなかで生まれ変わり続けてゆくという転生輪廻の法則から逃れられない存在なのです。この転生輪廻も、原因あって結果ありの因果の法則に支配されております。

来世がどのような世界で、どのように生きるかは、今世をどう生きるかにかかっており、今世の自分の魂の傾向とか、自分がおかれた環境など、前世に起因しているのです。しかし、逆に言うならば、今世を素晴らしく生きることによって、輝ける未来世が約束されているのだと言えます。ですから、悪しき因果の循環を断つためには、今世において努力精進し、運命に翻弄されている自分の生活を立て直す以外にないのです。これを解脱といいます。そして、運命に支配されない金剛不壊の自分を発見することを悟りというのです。しかも、悟りによって、如来の境地に達すれば、人間は、因果の法則で転生輪廻することから解放され、自分の自由意志によって、転生することが可能となります。こういう教えが、二番目の教えです。

三番目の柱は、八正道です。これは、人間完成の道であり、修行者の努力精進の目安となるものです。人間は、赤ん坊としてこの世に生まれると、実在界のことをすっかり忘れてしまいます。すなわち、わずかな表面意識だけを頼りに生きてゆくのであり、大部分は、潜在意識となって隠れてしまうのです。

しかし、インスピレーションあるいは、魂の傾向性という形でのみ、実在界に残してきた自分の本来の意識を、感じ取ることが可能だと言えます。この潜在意識と表面意識を分離しているものが、肉体中心とした生活から発される煩悩です。この煩悩を取り除かない限り、本来の自己、すなわち、百パーセントの自己を取り戻すことはできません。煩悩とは悪しき精神作用の総称であり、生まれてこのかたに至るまでのゆがんだ環境、教育、思想、信条、習慣、あるいは不調和な想い、良心に照らして恥ずべき行為などによって、形づくられます。ということは、自分が生まれてから今までに生きてきた歩みを振り返り、不調和を心のなかにつくった原因を追究し、そうしたものをひとつひとつ反省することが大切だと言えます。そして、・

�の反省の基準が、この八正道、正しい八つの道なのです。

まず、自分は、ものごとや、縁あって出会った人々を正しい宗教的信条に照らして見てきただろうか。

次に、正しく思うこと、これが大切です。思いは悍馬(かんば)のごとく荒々しく乱れ、いっときとして、清浄であったことはないのではないか。自分の心を透明なガラス箱だとすると、人に見られたら恥ずかしいという思いでいっぱいでなかったか。

さらには、正しい言葉を話しただろうか。人の苦しみの原因のほとんどは、無造作に他人から投げかけられた言葉や自分の発した悪しき言葉にあるのです。しかし、正しく言葉を使うということを、自分はしてきただろうか。

また、自分は正しく行為し、仕事に励んでいるか。職業は、仏から与えられた感謝行であり、使命なのです。しかし、その使命を全うしているでしょうか。

あるいは、正しい生活ということに関して言えば、どうでしょう。自分は、この世を人生修行の場だと考えて、一日一生のつもりで正しく生きているだろうか。真理を心の糧として、調和された生活をしているだろうか。

あるいはまた、自分は、正しく道に精進しているか。仏の子として迷っていないか。常に真理の勉強を怠らず自分を磨いてきたでしょうか。

そして、正念です。正しい人生計画を描いてきたか。正しく仏に祈ったか。仏の前で恥じないような正しい自己実現を考えているでしょうか。

最後は、正定です。自分は、精神統一の機会を持っているか。精神統一の本当の意味は、無念無想になることではなく、実在界から仏の光の供給を受けることであり、自分の守護・指導霊から導きを受けることなのです。そして、これは、修行者として、欠くことのできない勉強方法なのです。

こうした八正道を基準に、人間は過去を反省し、未来を築いていくべきだというのが、三番目です。

●思想としてみた釈迦仏教(2)
釈迦の教えの四番目の柱は、利自即利他の教えです。これは、いわゆる六つの完成といわれる六波羅蜜多(サス・パーラミター)の思想です。波羅蜜(パーラミター)とは、内在する叡智という意味であり、多とは、その叡智があふれ出てくるさまをいいます。その内容は、以下の通りです。

一 布施波羅蜜多(ダーナ・パーラミター)
これは、施しの完成ともいい、慈悲のこの世的なる現われです。物質的に、あるいは、精神的に人々に施しを与え、救ってゆこうとする姿勢であり、キリスト教の愛の思想に通じるものだと言えます。

二 持戒波羅蜜多(スィーラ・パーラミター)
これは、戒を保つ完成とも言われています。戒とは、いわゆる五戒であり、不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒の五つの禁止事項を守ることです。曰く、殺してはならない、他人のものを盗んではならない、不倫を犯してはならない、虚言を言ってはならない、飲酒癖によって身を持ち崩してはならない。この五項目です。

三 羼提波羅蜜多(せんだいはらみた・クサーンティ・パーラミター)
これは、耐え忍びの完成とも言われ、いわゆる忍辱のことです。他人の不調和な言動や怒りの思いに自分も同調して、怒り始めたら、修行者としては失格だと言わなくてはなません。たとえ他人に原因があるとしても、修行者としては失格だと言わなくてはなりません。たとえ他人に原因があるとしても、その毒を食らってしまえば、その人もまた、心は地獄に通じてしまうのです。しかし、心動ぜずに、聞き流していれば、悪口や嫉妬や怒りは、やがてそれを発した本人に返ってゆきます。これを作用・反作用の法則ともいいます。

四 精進波羅蜜多(ヴィールヤ・パーラミター)
いわゆる努力の完成です。この努力、精進とは、もちろん、修行者として真理を体得するための磨きであり、日々の積み重ねにあります。

五 禅定波羅蜜多(ディヤーナ・パーラミター)
これは、精神統一の完成です。いわゆる禅定により、実在世界との交流を目指す方法です。

六 般若波羅蜜多(パンニャー・パーラミター)
智慧の完成です。この智慧こそ、釈迦の教えの中核であり、釈迦の光は、黄金色に輝く知性の光線なのです。すなわち、釈迦は知性的に法の全体像、体系を説くことを使命としている光の指導霊だからです。実在界の智慧の宝庫の扉を開く鍵を持っているのは釈迦なのです。

以上の六波羅蜜多は、利自即利他の教え、すなわち、自分を高め、他人との人間関係の向上を目指すことによって、成仏できるとしました。

八正道と内容的には似ており、重なっているところもあります。しかし、八正道は、阿羅漢、すなわち、菩薩への登竜門に至るための修行方法であり、この六波羅蜜多は菩薩から如来へと至るための修行方法であったのです。

前者を中心とする小乗仏教、後者を中心とする大乗仏教などというふうに見方はいろいろありますが、結局、悟りの段階に応じた教えだと言えます。布施の心、すなわち、与える愛が分からないようでは菩薩とは言えません。また、智慧に目覚めねば如来とは言えません。つまり、如来には、愛と知が必要だということなのです。

釈迦の思想の五番目の柱は、空の思想です。仏教の空の教えについては、ここ二千年以上にわたって、議論が続けられてきました。「色即是空・空即是色」の空とは、一体、何なのかということです。この空とは、私が、本章第1章3節で、仏光物理学の第二のテーゼに述べたことなのです。すなわち、仏の光は、その凝集と拡散というプロセスによって、創造と破壊を行うということです。四次元以上の実在界では、仏の光が目的性を持って凝集することによって、霊的実体が現れます。その霊体実体は一定の波動を持っており、この波動をさらに緊密なものとしてゆくと、三次元空間に物質が現れてきます。

すなわち、この世の物質は、仏の光の粒子の凝集によってできており、それに一定の形を与えるものは、念という、目的性を持った精神エネルギーなのです。したがって、その念が消滅すると、この地上の物質は、また元の光の粒子にと還元されます。では、光の粒子というものは、そもそも、実体として存在するのでしょうか。本来は、その光の粒子、すなわち、光子さえも実在ではありません。光子は、「光あれ」という仏の念いが一点に集中して、エネルギー磁場をつくって存在しているかに見えるだけであって、仏の念いが消滅すめば、光子さえなくなってしまうのです。そして、三次元現象界は、光子が目的性を持って集合して原子をつくり、さらに原子が集まって分子ができ、分子が集まって粒子ができ、物質ができているの・
・す。ですから、仏の「光あれ」という念いがなくなれば、三次元の現象界も、
四次元以上の実在界もなくなってしまうのです。

これが、「色即是空・空即是色」のほんとうの意味だと言えます。現象界で実体ありと思われているものも、分解してゆけば、ついには光子となり、光子は仏の念によってできているのですから、結局、実在するものではありません。しかし、その実在するものでない光子が凝集して「霊子」→「陽子」→「原子」→「分子」→「粒子」となって、物質ができるのです。これが、釈迦の「空」の思想の本当の意味だったと言えます。

【大川隆法『黄金の法』幸福の科学出版 より抜粋】
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釈迦仏教の要点に五つあり、本日三つについて教えを頂きました。

(一) 仏教的空間論として、あの世の世界があるということ。この世の世界は現象界とよばれる幻の世界であり、あの世こそ実在の世界であり、魂の故郷であるということ。

(二) 仏教的時間論として、縁起の理法がうみだす転生輪廻の思想

(三) 根本仏の心、正しさと中道を発見する上で人間完成の道としての八正道

(四) 永続する悟り、内在する叡智としての六波羅蜜多(サス・パーラミター)の思想

(五) 実在である霊界世界【第一義諦】と魂の修行の場である物質世界【世俗諦】の間における、物質の生成と消滅における「空」の思想

釈迦仏教の要諦をこれだけ凝縮されて文字になるなんて本当に奇跡です。そう思います。八万四千のお釈迦様のエッセンスです。『正心法語』の理解を深める意味でも極めて重要な教えであると思います。繰り返し読み返してまいりましょう。最後に参考までに、仏光物理学第二の命題(テーゼ)を以下ご紹介いたします。

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〇黄金の人生を創る―想念帯の秘密【仏光物理学第一の命題(テーゼ)】
ここでは、「想念帯のテープ」とはどういうものかについて、お話ししましょう。

釈迦は、その教えのなかで、業(かるま)の法則についてずいぶん詳しく説いております。イエスも、「蒔いた種は刈り取らねばならぬ」ということで、この法則について述べております。また、現代では、物理学の法則を援用して、「作用・反作用の法則」として、このカルマの法則について言及する人もいます。

そこで、これらの方がたが説いた法則と、想念帯との関係を解明してゆくことにしましょう。

昔から、善い行いをすれば報われるとか、悪いことをすれば必ず天罰が下るといって、因果応報の理が、人口に膾炙(かいしゃ)しております。これは、主として、道徳的見地から、人間がお互いに住みよい社会を築いてゆくために、教え込まれてきたものだと解釈する人が多いでしょう。しかし、実は、そうではないのです。人間の「心」というものは、単に道徳的な存在ではなくて、「仏光物理学」に基づいてつくられたものだと言えます。

この「仏光物理学」とは、宇宙は仏の意思によって存在し大宇宙の法則は、仏の光の物理学的法則によって支配されるということです。つまり、三次元宇宙空間とそれ以降の多次元空間を支配する法則を、仏の光の性質に帰そうとする考え方なのです。そして、この考え方は、実在界の物理学者たちの多数の支持を受けております。

仏光物理学には、三つの基本命題(テーゼ)があります。

第一のテーゼは、仏の光は、親和的性質を持ったものに出会うと増幅され、排他的性質を持ったものに出会うと、それを避けて通るというものです。

これは、イエスが、「持てる者はさらに与えられ、持たざる者はさらに奪われるであろう」と語ったことの真意なのです。つまり、仏の光と親和性のある人には、ますます、仏の光、恵が与えられ、仏の光を排斥する性質を持つ人には、だんだん、仏の光が射さなくなる。これが真相です。「心の曇りを晴らせば仏の光が燦燦と差してくるが、心の曇りをつくったままだと、これが仏の光を遮り、人生の苦悩の原因となる」と説明する人もおります。

釈迦は、一切の苦悩の原因は、肉体煩悩からくる執着があり、個の執着を取り去らない限り、(仏の光は差さず)真実の幸福はありえないと説きました。

モーセは、その十戒のなかで、悪を捨て、善を選びとるなかに、神の光との親和性が出てくることを示しております。また、孔子は、君子への道が、天意にかない、幸福に至る道だと諭しました。

これらのことからも分かるように、人類史が示す偉人たちの教えは、すべて、仏の光の親和性と排他性というという仏光物理学の第一テーゼに触れているのです。

〇黄金の人生を創る―想念帯の秘密【仏光物理学第二の命題(テーゼ)】

第二のテーゼは、仏の光は、その凝集(ぎょうしゅう)・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行うということです。つまり、念の力によって、仏の光が目的性を持って凝集すると、そこに、霊的実態が現われる。さらに、その波動を緊密なものにしてゆくと、物質が現われる。その逆に、念による目的意識が解除されると、物質はその形態を失う。霊的実態も、仏の光が拡散を始めると、別なものになる以外は存続しえなくなる。こういう物理法則があるのです。そして、人霊創造のプロセス、人体創造のプロセスは、この仏光物理学のなかの、光の凝集・拡散の法則によって、明らかにされるのだといえます。

〇黄金の人生を創る―想念帯の秘密【仏光物理学第三の命題(テーゼ)】

第三のテーゼは、仏の光は周波性を持つということです。つまり高周波は高周波と通じ、低周波は低周波と合うということです。多次元空間をも含めた大宇宙空間には、仏の光のなかに伝達の意識を込めた念波というものが飛び交っています。しかし、この念波も、同波長のものしか通じ合わないのです。

したがって、地上人でも、高級霊と同様の意識を持たなくては、高級霊とは感応できません。低級霊と感応しやすい人は、はやり、その意識も、低級霊と同調しているということです。ですから、もし、ある教団に属する人が、「我が教団には、如来界の人と通信できる人が数十名おり、菩薩界の人と交信できる人が数百人いる」と吹聴しているとすれば、これは、まったくの誤解か、さもなければ、誤りだと言えます。

生きながら、如来界に意識の通じる人は、如来の霊格を持った人だけなのです。我が国で、如来界に意識の通じる人というと、どういう人がいるでしょうか。聖徳太子、空海、哲学者西田幾多郎など、数えるほどしかいないのです。親鸞や道元などは、菩薩です。現代の新興宗教の教祖では、如来といえる方はほとんどおりません。正しい宗教人であっても、せいぜい、六次元光明界の人であり、十中八九までは、地獄の悪魔にそそのかされているといってもいいでしょう。

さて、仏光物理学の三つのテーゼを説明してきたわけですが、ここで考えなければならないのは、人間の実態も光子体であり、仏の光の性質をそのまま内包しているということです。

第一のテーゼにより、愛、善、美、真といった、仏の光に親和性のある心の状態を保てば、幸福な人生が待っています。しかし、憎悪、怒り、嫉妬、猜疑心、愚痴、利己主義などの心の状態を保てば、仏の光を排斥、やがては不幸を招来することとなるのです。

第二のテーゼにより、光明思想を持っていると、霊的に健全になるものはもちろんですが、肉体も健康です。逆に心に悪想念を持っていると、それが病念をつくり、やがて肉体的にも病気となって現れます。とくにガンなどは、すべて病念が現象化したものですから、仏の光を吸収する方向に心を向けてゆくことによって、すなわち、光明思念を持つことによって、必ず消滅してゆくはずです。

第三のテーゼにより、心を高級霊と波長の合う性質に変えてゆくことによって、幸福がもたらされます。しかし、低級霊と同調すると、だんだん不幸になってゆくことは明らかです。

人間の心は、仏の光が一定の目的意識のもとに凝集して、創造されたものですが、想念帯という部分が、一種の記録テープとなっております。そして、仏の光の磁気をおびているのです。このテープには、その人が、過去から現在までに思ったこと、行ったことのすべてが記録されております。仏の光に親和性のある記述は、金色で書かれていますが、仏の光を拒むような内容の記述は、灰色で書かれているのです。したがって想念帯のテープを一瞥すると、金色に輝いている人と灰色にくすんでいる人との区別が、はっきりとわかります。

業(カルマ)の法則というのも、結局は、この想念帯のテープの色によって、その人の人生行路が色分けされるということなのです。ですから、金色の多い人は、金色の人生、すなわち、光の菩薩としての人生を歩んでゆくはずです。しかし、灰色の多い人は、灰色の人生、すなわち、やがては地獄で厳しい試練が待ち受けているということを暗示しているのです。

しかし、想念帯には、ひとつの神秘的な秘密があります。秘密とは、何か。つまり、いったん灰色で書かれた文字であっても、その心と行いを反省することによって、金色に変わるということです。すなわち、大いなる回心は、人生を黄金色に光らせるという真実があるのです。
【大川隆法『黄金の法』幸福の科学出版 より抜粋】
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主の創られた大宇宙の創造の秘密にせまる重要な教えでした。このあたりは主の復活の後にとかれる「宇宙の法」ともかかわりがあるかもしれません。主の復活後に説かれる「エル・カンターレの法」を受け取れる魂の器を共につくってまいりましょう。

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ここで、日本が1945年8月15日に敗戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
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■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
6 第二次世界大戦が遺した大きなツケ
○東欧と中国の社会主義化

欧米の歴史観のなかには、第二次世界大戦を「民主主義対ファシズムの戦い」と二元的に分ける見方がありますが、その見方は間違っています。

その見方から言えば、ドイツやイタリア、日本はファシズムの国ということになり、指導者たちは地獄に堕ちなければいけないはずです。しかし、ドイツのヒットラーはいま地獄に堕ちていますが、日本の昭和天皇は、天国、高天原に還っています。これは両者に違いがあったことを示しています。

ヒトラーは、黒魔術系統の霊にそうとう支配されていました。キリスト教系にも、日本でいう仙人・天狗系統のようなものがあり、そのなかで、魔術系に白魔術と黒魔術があります。白魔術は、やや明るいというか、ややよいほうです。一方、黒魔術は悪さをするほうです。黒魔術の系統はゲルマンの森にかなり巣くっていて、ヒトラーは生前、この黒魔術霊界からそうとう影響を受けていたのです。

そのヒトラーのドイツと、なぜか日本やイタリアが同盟を結んだわけです。

大戦の初期には、ドイツがあまりにも強かったため、イギリスのチャーチル首相は、「祖国滅亡の危機だ。フランスもやられたし、我が国も滅びそうだ」と考え、ソ連のスターリンと手を組みました。

チャーチルは、「国を守るためであれば、悪魔とでも手を結ぶ」というようなことを言ったそうですから、スターリンのことを見抜いていたと言えます。彼は、「悪魔(ヒトラー)と悪魔(スターリン)を戦わせたほうがよいのではないか」と考えたようです。

チャーチルの直観どおり、スターリンはいま、あの世で現実に悪魔になっています。スターリンは生前、ソ連において、六千万人とも七千万人とも言われる人びとを粛清しました。こういう人物と、チャーチルは同盟を結んだのです。

チャーチルから見れば、ヒトラーとスターリンはほとんど同質、同類型の人物だったのですが、イギリスを守るために、スターリンと手を結んだわけです。

その結果、ヒトラーは滅び、スターリンは生き残りました。そして、戦後、東西両陣営による冷戦が始まり、東欧は長いあいだ非常な苦しみを味わうことになったのです。

先の大戦は、もう一つ、皮肉な結果をもたらしました。

もし戦後の中国が蒋介石の天下になっていたならば、おそらく中国はかなり自由主義的で民主主義的な国になったと思います。【※蒋介石が率いる国民党は、戦後中国共産党の内乱に破れ1949年に台湾へ逃れて現在に至ります】

架橋を見れば、あるいは台湾や香港を見ればわかりますが、中国人はもともと非常に商売上手な国民性を持っています。それにもかかわらず、戦後の中国があれほど貧しかったのは、政治が悪かったのです。

毛沢東はゲリラ戦には秀でていましたが、経済がさっぱり分かりませんでした。経済の分からない毛沢東が長生きしたことが、中国にとって最大の悲劇だったのです。彼が流れ弾にでもあたって一九四〇年ぐらいに死んでいれば、もう少しよかったのでしょうが、長生きしてしまいました。

しかも、毛沢東は、スターリンほどではありませんが、二千万人近い中国人を粛清しています。【※その後の霊査で毛沢東は、地球最大級の悪魔であることがわかっています。「今回、現代中国建国の父、毛沢東が、地球最大級の悪魔であることを看破した。これが人類の未来への革命の原点となるだろう」『毛沢東の霊言』あとがき参照】

このような戦後の状況を見ても、先の大戦は神と悪魔の戦いではなかったことがわかります。問題は必ずしも解決されたわけではなかったのです。

【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
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72 日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天原は、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓のなかを逃げまどった。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義

幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。

お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。

現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。

しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。

供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。

お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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