54 悪い目的のために、お金を使ってはならない。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて衛星中継されます。
幸福の科学 大川隆法大臣 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。
8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『信仰の法』から第5章の「地球神への信仰とは何か」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、二〇一〇年十一月二日に、原題「エル・カンターレ信仰とは何か」として説かれた御法話です。エル・カンターレとは、「地球神」を認める信仰であることを明らかにしたうえで、新しい地球創世記の時代を生きる人間に対する信仰のあり方が説かれています。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■地球神への信仰とは何か―新しい地球創世記の時代を生きる
3 すべての宗教の中心に「地球神信仰」を
○私は地球における最終責任を背負っている
「アルファの法」のなかには、「そもそも、この地球霊団は、どのように創られたのか。どういう目的で創られたのか」ということも明確に入っていますが、「エローヒムの法」のなかには、「地獄が分かれていく際の、善悪二元の考え方」と、「地獄界の解消」という問題が入っていました。
今、私が行おうとしているのは、この地球と宇宙の創成にかかわる部分から、現時点での地球と宇宙の今後の在り方、かかわり方の方向を決定することですが、それと同時に、私には、「地球において、地獄領域の拡大を阻止し、天上界領域や天使の力を強める」という大きな役割があるのです。
私は、最初は「アルファ」と名乗り、次に「エローヒム」と名乗り、今は「エル・カンターレ」と名乗っていますが、その意味は基本的には同じです。それは、一なるものであり、始めなるものであり、根源的なるものであり、光であり、地球である」という意味です。
私は、この地球における最終責任を背負っている者なのです。
これが、「エル・カンターレ信仰」の拠って立つところです。
したがって、「かつて説かれた、さまざまな教えを乗り越えたものである」ということを知っていただきたいと思います。
この「エル・カンターレ信仰」の下に、さまざまな国における、さまざまな種類の宗教が、「地獄領域を拡大させず、天上界の拡大に寄与する」という方向において、その存在を許されているのです。他の宗教を全部否定する気持ちは毛頭ありませんが、この「地球神信仰」というものが、一本、中心にあって、他のさまざまな教えがあるわけです。
○「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」が、今、意味するもの
ブラジルはカトリックが非常に強い国ですし、インドではまだヒンドゥー教が強く、さまざまな神々がいます。中東でも、また違う神が信仰されたりしています。
しかし、「一(いつ)なるものがあるのだ」ということを教えなければならないのです。
クリスチャンも、まだ、それを十分には理解していません。『聖書』でイエスの言葉をいくら読もうと、イエスより上位にある、イエスが「父」と呼んだ存在が、この地球に存在することは明らかなのです。
インドでは、釈迦の在世当時には、帝釈天(インドラ)が最高神であるように言われていたわけですが、これは、日本で言えば、天御中主神が宇宙神のように言われていたのと同じだと思われます。
しかし、インドの釈迦は、「帝釈天、および、その帝釈天を支えている、さまざまな神々よりも、自分のほうが実は尊い存在である」ということを、はっきりと述べています。
これは、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」という言葉の謂(いわ)れの一つでもあります。
この言葉は、ときどき誤解をされるかもしれませんが、今、その言葉の意味として、「実は、エル・カンターレという存在がある。その教えは、唯一なる、正当なる『始原の法』であり、また、エル・カンターレ信仰とは、地球神への信仰に基づくものである」ということを述べなくてはならないのです。
エル・カンターレの教えは、実は、地球に始まったものではありません。エル・カンターレは、その前に、「エル・ミオーレ」という、金星の統治者として、金星での人類文明の実験をしたものでもあります。【※詳しくは経典『太陽の法』p50参照】
また、「他の惑星から数多くの宇宙人類を地球に呼んだ」といっても、これは、「全然違う神の下にあった人たちを呼んだ」というわけではありません。
「他の星における、人類によく似た思考を持つ宇宙人の魂の創成にも、エル・カンターレがかかわっている」ということが、いずれ、明らかにされると思います。【※詳しくは、宇宙の四大メシアの宇宙人リーディング等参照】
「その真実が明らかにされるときが、一千億年の歴史が語られる時であろう」と考えています。
【大川隆法『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。
『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
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●最後の悪を打ち砕かん
「これより後
如来の 法を 妨ぐる
悪は この世に 許すまじ
降魔の 剣を 降りおろし
最後の 悪を 撃ち砕かん」
「最後の悪を撃ち砕かん」と言っています。霊的に見れば、光の戦力がずっと広がって、悪は追い詰められているのです。「そのことを、あなたがたは知りなさい」ということです。毎日毎日、仏法真理の伝道が進むたびに、悪魔の勢力というのは追い詰められているのです。ですから、「念いのなかでは、最後の悪を砕くつもりで、そこまで追いつめて戦っているつもりでいきましょう」ということです。
悪を巨大化して考え、ものすごく怖い強大な存在だと思って恐怖心を持つと、向こうの思う壺ですから、そのように思ってはならないのです。恐怖心を起こしてはいけません。「こちらが追い詰めているのだ」ということを知っていなければいけないのです。
「最後の悪を撃ち砕く」―これが『仏説・降魔経』です。
「そんな戦いをするのは仏教らしくない。おかしい」という人がいますが、そのようにいう人のほうが「おかしい」のです。仏陀も、「非難すべきは非難すべし」と、きっちり言っています。「非難すべきものを褒めて、褒めるべきものを非難するというのは間違いだ」ということを、仏陀も言っているのです。非難すべきもの、間違っている者に対しては、「間違っている」と言わなければなりません。
ですから、仏教においては、「忍辱の姿勢」ということがよく言われますが、これをどうも悪用されているようです。あるいは、何もしないことの隠れ蓑にしているところが少しあります。
善悪を言えないような宗教というのは、宗教としての使命を果たしていないのです。間違っているものについては「間違っている」と教えなければ、人は救えません。
「悪でもよいのです」という姿勢で、どうしますか。正しいものが、「悪い」「間違っている」などと言われても、「いや、そうした考えもあるでしょう」「それも一つの考えです」などというようなことで済ませていて、世の中がよくなるはずがありません。
私たちは、「暴力をふるってでも、何とか人に言うことをきかせよう」とか、どこかの国の政治体制のように、「いうことをきかない人たちは、殺してしまう」とか、そのようなことをする気は全然ありません。あくまでも思想戦です。言葉で、思想で、戦うのです。「言葉で戦い、行動でもって教化する」という戦いですから、非常に平和的ではありますが、「正は正、邪は邪」として、やはり、言うべきものはきちっというという戦いです。これは、やらなければいけません。
これまで、仏教の錆落としをずいぶんやってきていますが、この「忍辱」の考え方のところにも錆があります。仏教が忍辱を説いているのは、仏教教団が小さな段階から次第に大きくなっていく過程で、既成のいくつかの大きな団体からの攻撃があったために、「彼らの悪口や罵倒に対して耐え忍べ」ということを、仏陀が言ったということであって、「悪魔を許容せよ」「悪に屈従せよ」などということを教えているのではないはずです。まだ勢力が小さいうちは、世間からのそうした攻撃に対して、耐えなければいけない時期があるということです。「そうした攻撃に耐えなさい」と言っているのであって、「悪を許容せよ」と言っているのでは断じてないのです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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The evil that obstructs the Law of Tathagata
Will no more be tolerated in this world
Let us wield the devil-quelling sword
To strike and crush the last remnant of evil
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『「最後の悪を撃ち砕く」―これが『仏説・降魔経』です』。この言葉がとても印象的でした。
正邪を分かつことは、仏法真理においては極めて大切なことです。この善悪・正邪を分かつ智慧が、主の説かれる仏法真理です。これがなくなると、悪を断じて、魔を砕破する根拠がなくなってしまいます。
魔を降すということは、この世において、「天国的なもの」と「地獄的なもの」を判断する必要があります。「光・菩薩・天使的なもの・祈り」と「闇・悪魔・生霊的なもの・呪い」をはっきりさせる必要があります。私たちの身の回りに起こるさまざまな事象に対しても主から学ぶ仏法真理によって、降魔して聖なるものを守りぬかなければなりません。
主の経典や楽曲が、私たちの暮らしている地域に広がることで、仏の光をおろし、魔を退けているということがよくわかります。だから、日々の布教誌の配布や、献本活動がとても大切です。
とりもなおさず経典『太陽の法』や『なお、一歩を進める』『天御祖神 武士道を語る』などの経典を一人でも多くの方にお勧めするのも、世に巣くう魔を降し、教典を読んだ方々に幸福になっていただくためです。主からいただいた慈悲の結晶である経典『太陽の法』や『幸福の法』を一人でも多くの方に献本して、入会・三帰に導いてまいりましよう。楽曲では、ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal
ver.」を通して主に偉大さと三万年に上る日本民族の誇りを取り戻してまいりましょう。
そして、一人でも多くの隣人を救うために、本日の引用箇所の、「降魔」について大変重要な教えが詰まっていますので、教典『仏陀の証明』を繰り返し読み返してまいりましょう。
世間においては、近年、旧統一教会に解散命令が法的に下されました。旧統一教会がこれまで犯してきた騙しの手段で多くの方々の心が傷ついていることに私たちも深い悲しみを覚えると共に、旧統一教会の方々が本物の信仰にたどり着くことを心から願います。
ただ、今回の国が特定の信仰団体に対して強制的に解散の措置を下せることに国家権力の一種の宗教弾圧を感じさせる一面もありました。これに対しては、私たちも十分警戒をしなければならないと考えます。悪魔は、一部の邪教団だけに巣くっているのではなく、政治・経済・教育・マスコミにも浸透しています。これらの悪に対して、正法をもって戦っているのが幸福の科学です。最後の悪を撃ち砕くまで私たちの戦いは終わりません。
光を広げようとするとき、かならず私たちの前に立ちはだかるのは魔の存在です。
私たちは、魔を砕破して地の果てまでも主の教えを伝え広げなければなりません。
その意味において、魔の存在は仏法真理の尊さと逆証明する存在でもあります。魔の邪魔が入るということは、逆に私たちの活動が仏の御心に則っている証拠であるとも取れるのではないでしょうか。
巨大な光が天上界から降りる時、魔も競い立つことはいつの時代でも同じようです。1991年春に幸福の科学が宗教法人格を取得した後、夏に初の東京ドーム講演の「信仰の勝利」にて「エル・カンターレ宣言がなされたのち、その年の秋に、「講談社フライデー事件」が起きました。フライデー事件とは1991年の秋に、マスコミに巣くう悪魔が幸福の科学に対して、嘘の記事によって、主を辱めようと大手出版社の講談社が、当時大衆雑誌フライデーという雑誌を使って、幸福の科学を攻撃をしてきた事件です。
1991年冬に主におかれましては、「『永遠の仏陀』講義」を説かれています。
この年は、多くの奇跡の法が降ろされる一方で、大手出版社である講談社が全国の書店や取次店へ圧力をかけて、書店での幸福の科学の書籍の取り扱いと、販売が激減して、教団においても非常に経済的に困窮したという経験があります。その意味で、1991年は奇跡の年であり、現代における宗教弾圧・法難の年でした。
近年においても、K氏の問題もあり、そして、主のご家族であったH氏や、また、S氏の問題も出てきました。
魔は正法が立つ時に必ず立ちはだかる障害です。しかし、この障害を乗り越えたときに私たちの信仰心も純粋化されることが分かります。そのような障害はあらかじめ予定されていたかのようにも思えます。
『釈迦の本心』では、耐え忍びの徳目として、
「修行者にとって、魔による妨害は避けがたい面があります。悟りたる人が出ると、悪魔たちは地上の人間に憑依することが難しくなって、彼らの生活領域が奪われていきます。そのため、できるだけ早いうちに、そうした光をつぶしておきたいという防御本能が働くのです。
そこで、魔の妨害に耐え、打ち勝っていくことが、どうしても必要になります。心を光らせていく修行は、非常に消極的に見えるかもしれず、彼らを一刀両断にしたい気持ちも出てくるでしょうが、忍耐に忍耐を重ねて、なんとか乗り切っていく努力が大切です。
真に光に至るためには、真に悟りに至るためには、どうしても魔の試練を受けざるをえません。そのとき、修行者にとって、耐え忍びということがとても大切な徳目となるのです」(p122)と説かれています。
また、『信仰と情熱』では、「悪霊から身を守る」ことに関して、
『この悪霊との、ある意味での戦いは、自分自身との闘いであり、彼らが存在するのは、単に悪というよりも、みなさん自身に、「悟り」とはいったい何であるか、「正しき心の探究」とは何であるのか、また、「修行者の心得」とはいったいいかなるものであるかを教えんがために砥石として存在しているのだということを知らなくてはなりません』(p166)
と説かれています。
大切なのは、どのようなことがあっても、信仰心を磨き、高め、深め、純粋化させることです。すべての障害は私たちの魂を磨くための砥石となることも主から私たちは学んでいます。あらゆる経験を智慧に変えて、悟りの力に変えてゆくことが私たち仏弟子には求められています。
悪魔に対するには、嘘や偽りに騙されることなく、正しい情報や知識を得ることがとても大切になります。知は力です。何も知らないと、まわりの虚言に巻き込まれてしまいます。無知や無明は、魔に利用されるという点においても罪となります。私たちは常に仏法真理による光明を、日々の教学によって得なければいけません。
その点でも、悪の波動を断ち切るために「正義の言葉『仏説・降魔経』」は常に読誦したい経文であると痛感いたします。
主と共に光を高く掲げて無明の闇を共にてらしてまいりましょう。
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ここで、日本が1945年8月15日に敗戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
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■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
4 軍事的、宗教的に観た日本の敗因
○教えのない宗教は世界宗教になれない
日露戦争に勝ったことで、日本人はかなりうぬぼれたのですが、高天原の日本神道系の神々も、「神国日本。神州不滅。日本は絶対強い。日本が負けたことはない」と大いにうぬぼれ、「日本は、アメリカと戦争をしても負けない」と思っていました。
ロシアとの戦争のときと同じく、アメリカとの戦争のときも、開戦当時、相手の国力は日本の十倍はありました。普通は、国力が十倍の国と戦って、勝てる見込みはありません。これは横綱と十両ぐらいの違いでしょうから、勝てないのが普通で、長引けば必ず負けます。
しかし、ロシアに勝ったので、日本の民族神はかなりうぬぼれており、またアングロサクソン系の神々と、はっきりとは手合わせをしていなかったこともあって、「アメリカに勝てる」と思っていたのです。
ところが、戦ったら負けてしまいました。これには地上の人もがっかりしましたが、あの世の神々も、なぜ負けたのかが分からなくて腰が抜けたのです。
その原因は、すでに述べたように、軍事的には補給が足りなかったからですが、宗教思想で見ても、なぜ負けたのかが私にはよくわかります。
神社本庁の人も言っていたことですが、日本神道には教義がなく、そのため、日本神道は宗教法人の対象となるような宗教ではないのです。宗教法人法は、宗教には教祖と教義と儀式が必要だと定めています。しかし、日本神道には儀式しかなく、教祖も分からなければ、教義、教えもありません。
その教えの部分を埋めていたのが、伝統的には仏教や儒教です。日本神道は何も教えておらず、がらんどうなのです。まるで日本の政治のようですが、がらんどうの上に儀式だけが乗っているというのが日本神道のスタイルです。そこに仏教などのいろいろな教えが入っていたわけで、日本神道自体には中身がないのです。
国家神道は、いわば柱と屋根だけなのですが、明治以降、日本神道の神々はそれで全部を覆うつもりでいて、「朝鮮半島、中国、そしてアジア全体をその屋根の下に納めれば、日本神道が世界宗教になるのだ」というような考えを持っていたのだと思います。
したがって、先の戦争の計画のなかには、日本神道の世界宗教家という目的が入っていたはずです。ところが、日本は戦争に破れました。
実は、教えがない宗教は世界史的にはメジャーになれないのです。そのことが日本の神々にはわからなかったわけです。これが宗教的に観た敗因です。
仏教もキリスト教も、教えのある宗教です。高等宗教には教えがあり、その教えにもとづいて、人々は勉強し、行動します。そのなかに人間性向上の原理が含まれているのです。
ところが、日本神道の神々は、「高等宗教には、教え、教義が必要である」ということを知りませんでした。
なかが空洞のままで走っていくのが、昔からの日本の特徴だったわけです。
日本の社会には、そういう面がいまでもかなりあって、「中身がなく外側だけ」ということが多いのです。そのため、人物の実力が判定できず、年功序列になったり、銀行が企業に融資する際に、「どれがよい企業か。どの企業が伸びるか。どの事業が成功するか」ということがまるで分からず、土地を持っている企業にだけお金を貸すことになったりします。
このような中身空洞化の歴史は、日本の宗教の特徴に非常によく似ています。日本の社会には、「実質が判定できない。価値観、倫理観がなく、善悪の判定ができない」という弱点があるのです。
この弱点は、日本が戦争に負けたことによって、初めて明らかになりました。これは日本の民族神の大きな挫折なのです。
彼らはそれまで、「仏教や儒教などより日本神道のほうが優位にある」「鳥居を建てれば、みんなが救われるのだ」と思っていたようなところがあります。しかし、日本以外のところに立てた神社が焼き討ちや排撃を受けて初めて、彼らは「教えがない宗教はメジャーになれない」ということを悟り、反省したのです。
【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
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72 日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天原は、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓のなかを逃げまどった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義
幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。
お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。
現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。
しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。
供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。
お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(7/26-1)207『正義の言葉「仏説・降魔経」を読む ㉔最後の悪を撃ち砕かん―私は地球における最終責任を背負っている
