45 自分の欲を増大する方向で、いつも聞こえてくる霊の声は、悪霊の可能性が高い。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
おはようございます。
本日7月17日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
本日は、百歳会の三重県本部担当のため、蒲原は名古屋正心館へ参拝いたします。
支部では、厚木支部の信者の南さんに来館いただきまして、午後の復活の祈りの後、「八正道の取り組み方」について、茶話会を15時まで開催いたしますので、
是非参加ください。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします
そして 主への報恩として
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります
私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて衛星中継されます。
幸福の科学 大川隆法大臣 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。
8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『信仰の法』から第5章の「地球神への信仰とは何か」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、二〇一〇年十一月二日に、原題「エル・カンターレ信仰とは何か」として説かれた御法話です。エル・カンターレとは、「地球神」を認める信仰であることを明らかにしたうえで、新しい地球創世記の時代を生きる人間に対する信仰のあり方が説かれています。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■地球神への信仰とは何か―新しい地球創世記の時代を生きる
○エル・カンターレ信仰とは、地球神の存在を認める信仰
はっきり述べると、エル・カンターレ信仰は、別な言葉で言えば、「地球神の存在を認める」という信仰です。
しかし、これについて明確には言わずに、「それを悟れ」ということを言っていたわけです。
もちろん、それには、教団の客観的な力の成長を待っている部分も多分にあります。
例えば、浄土真宗では、親鸞は「弟子ひとり持たず候(そうろう)」と言っていたのに、今では公称一千万人という大教団になっています。また、日蓮は自分を「法華経の行者」と言っていたのに、日蓮教団もまた、「数百万人の信徒を持っている」と言われる大教団になっています。
このように、宗教も時代を下れば大きくなり、信仰の形態も変わっていくものだろうと思います。
釈迦も、生前には「人間・釈迦」の部分が確かにあったのでしょうが、時代を下るにつれて、「人間・釈迦」ならぬ、「久遠実成の仏陀」としての信仰が立っていったと思われます。
したがって、「今、地上に下りている大川隆法を通じて、みなさんが、”現在進行形”で感じているエル・カンターレが、本当のエル・カンターレであるかどうか」ということには、まだ疑問とする余地はあるのです。
みなさんは、人間としての属性を持ったエル・カンターレを、ちょうど3D眼鏡をかけて見ているかのような状況にあります。しかし、後世の人たちから見たエル・カンターレは、みなさんが見ているエル・カンターレとは、おそらく違ったものになるであろうと想像されます。
そして、「どちらが本当であるか」ということであれば、おそらく、後世の人が見ているエル・カンターレ像が、本当のエル・カンターレに近いであろうと感じられるのです。
【大川隆法『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。
『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
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〇降魔成道から伝道へ
こうして悪魔を撃退したのちに、仏陀は覚悟して言っています。
「みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。―教えを聞く人々を広く導きながら」
悪魔と対決し撃退したあと、「自分の心のなかに起きてくる思いをよく制し、また、仏道修行の念をきっちりと固めて、国から国へと遍歴しよう。教えを聞く人びとをひろく導きながら」「よく修行し、自分自身を統御しながら、人びとに教えを説いて、導いていこう」と、仏陀は言っているのです。
これをみると、「降魔と自己確立、さらには他の人々にも教えを広げることというのは一体だ」ということが、よくわかります。魔に勝ったその意志力でもって、また自分を固めながら、魔に蹂躙(じゅうりん)されている他の人々を導くのです。
この時すでに、「世間の人々であっても悪魔の軍勢を破り得ない。バラモン修行者たちも、もはや魔の手中にある」と言っています。「そのような火祀りをしていたところで、悪魔を撃退する力など何もありはしない。供養などできていない。私は知っている。世間の人々もまた魔の虜になっている。だから、この降魔をした後、それでよしとするのではなくて、さらに、人々に教えを弘めよう」としているのです。
このあたりを読むと、二千数百年の時空を超えて、ありありと情景がわかります。仏陀が悟っていたのがよくわかります。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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現代においても、既存の伝統宗教である仏教やキリスト教等は、魂の存在を否定したり、転生輪廻を否定したり、唯物論に傾倒してもはや救済力を失っています。こうした宗教界にも悪魔が巣くっていますし、主が在家時代、一流の商社マンであった時代にも、悪魔は、出家を念い止めるために、この世的な方法で惑わしを試みています。その信仰の試しを打ち破り真理の伝道に入った降魔成道を2600年の時を越えて主もご経験されています。
今世の主におかれても、2600年前の仏陀・釈尊やイエス様におかれましても、真理を自分以外の人に伝道をする直前に必ず、悪魔との対決に勝利をされています。
とても印象的です。
私たち弟子においても、レベルの差は天と地ほどありますが、これには例外はないのではないかと思います。
私たちにおいても、自らの隣人を救い助けようと伝道を開始するとき、立ちはだかるのは魔の存在ではないでしょうか。
その時に、問われるのは、私たちの信仰心です。
この世的な、三次元的な常識や、世間体や、世論や、他人の評価など、様々な壁が立ちはだかるときに、
私たちは、主への信仰を貫き通すことができるかどうか。私たちの信仰の試しは人生の途上に必ず訪れるのではないでしょうか。
その時に、心静かに、主と対面する時間を「正しき心の探求」を形にする精進としての日々の教学・反省・瞑想・祈りのなかで主に近づき、主と一体となる絶対時間をどれだけ取ることができるかが、信仰における人生の勝利の鍵ではないかと思います。信仰における凡事を徹底して、魔を降し、主の愛を広げましょう。
「降魔と自己確立、さらには他の人々にも教えを広げることというのは一体だ」という言葉が大変印象的でした。
そして、永遠の仏陀という論点では、本日の引用で大変印象的だったのが次の言葉でした。
「このように、宗教も時代を下れば大きくなり、信仰の形態も変わっていくものだろうと思います。
釈迦も、生前には「人間・釈迦」の部分が確かにあったのでしょうが、時代を下るにつれて、「人間・釈迦」ならぬ、「久遠実成の仏陀」としての信仰が立っていったと思われます。
したがって、「今、地上に下りている大川隆法を通じて、みなさんが、”現在進行形”で感じているエル・カンターレが、本当のエル・カンターレであるかどうか」ということには、まだ疑問とする余地はあるのです。
みなさんは、人間としての属性を持ったエル・カンターレを、ちょうど3D眼鏡をかけて見ているかのような状況にあります。しかし、後世の人たちから見たエル・カンターレは、みなさんが見ているエル・カンターレとは、おそらく違ったものになるであろうと想像されます。
そして、「どちらが本当であるか」ということであれば、おそらく、後世の人が見ているエル・カンターレ像が、本当のエル・カンターレに近いであろうと感じられるのです」
主への信仰を純粋化して、主を「人間・釈迦」の生まれ変わりとして見るのではなく、法身として『永遠の仏陀』として観る。そしてそれを伝える精進を本日も重ねてまいります。
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心の指針108 『道を求めて生きる』
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この世の世界、
この物質世界は、
欲望の渦巻く世界である。
地位、名誉、
権力、金、
異性をめぐる確執、
物質的な利便性、
あれもこれもと、
心に芽生えた欲望は、
とどまるところをしらない。
この世を生き抜くためには、
欲望や野望もある程度は必要だろう。
しかし、常に忘れてはならないことは、
心の調和であり、
道の完成である。
心の調和という言葉に、
消極性を感じとる人もいるだろう。
だが心を調和させるには、
強い意志、勇気、精進が必要なのだ。
穏やかな心の持つ真のパワーに、
まだ気がついていない人が多すぎる。
利己心、自己保存欲、
自分自身の身勝手さに打ち克ち、
常に内なる道を求め、
道の完成を一生の理想とするがよい。
心の指針を忘れてはなるまい。
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ここで、日本が1945年8月15日に敗戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
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■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
2 明治以降の日本の歩み
○開国後の日本人の努力
先の戦争を考えるにあたっては、「明治以降の日本の歴史は暗黒史であり、犯罪と侵略の歴史であったのかどうか」という問題が関係すると思います。【※司馬遼太郎氏の司馬史観もこれにあたると考えられます】
そこで、開国から第二次世界大戦までの日本の歩みを簡単に振り返ってみましょう。
一八五三年、ベリーが四隻の黒船を率いて浦賀沖に現われ、日本に開国を迫りました。日本では、「ベリーは貿易などを要求した」とよく言われていますが、ベリーは日本が開国しなければ戦争をする覚悟で来ていたようで、宣戦布告文のようなものを日本に渡したそうです。
ある学者は、「アメリカの教科書には、『日本は二度、アメリカに降伏した。一回目はペリー来航のとき、二回目は第二次世界大戦のときである』と書かれている」ということを伝えています。
ペリーに大砲で脅されて開国した日本は、諸外国と不平等条約を結ぶはめになりました。その不平等条約を、平等なもの、互恵的【※相互に利益を与え合う関係や、協力関係を築き、それぞれが相手に見返りを与えること】なものに変えるために、明治以降の日本人は努力をしてきたのです。
当時、清国(中国)はアヘン戦争(一八四〇~一八四二)等に破れ、ヨーロッパ列強の植民地と化しつつありました。アヘン戦争に負けた清国がイギリスに割譲した香港は、一九九七年に中国へ返還されるまで、百五十年以上もイギリスに支配されたのです。
明治の日本人は「このままだと日本も占領されるだろう」と非常に焦り、富国強兵・殖産興業に励みました。その努力自体は、どう見ても、間違ったものであるとは思えません。よく努力したのではないかと思います。
【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義
幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。
お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。
現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。
しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。
供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。
お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(7/17-1)198『正義の言葉「仏説・降魔経」を読む ⑮降魔成道から伝道へ2-エル・カンターレ信仰とは、地球神の存在を認める信仰
