43 判断や行動に異常性がある人には、高級霊がかかってくることはない。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて衛星中継されます。
幸福の科学 大川隆法大臣 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。
8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『信仰の法』から第5章の「地球神への信仰とは何か」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、二〇一〇年十一月二日に、原題「エル・カンターレ信仰とは何か」として説かれた御法話です。エル・カンターレとは、「地球神」を認める信仰であることを明らかにしたうえで、新しい地球創世記の時代を生きる人間に対する信仰のあり方が説かれています。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■地球神への信仰とは何か―新しい地球創世記の時代を生きる
1 エル・カンターレは「地球神」
○会の規模や教え相応に変化してきた、幸福の科学の信仰形態
今、私は、「幸福の科学では、信仰の段階が、以前の状態から脱皮し、進化し、次第に変化しつつあるのではないか」と考えているところです。
そもそも幸福の科学は、一九八六年に、東京都の杉並区で六畳一間の小さな仮事務所から始めたわけですが、それから現在までの約三十年間に、【※説法当時2010年時点、2026年に大悟45年、立宗40年、ご生誕70周年を迎えます。】やはり、会の規模や教え相応に信仰の形態は変わり、その信仰の内容も変化を遂げてきたのではないかと思うのです。
霊言集の刊行は『日蓮の霊言』(一九八五年刊。現在は『大川隆法霊言全集』第1巻・第2巻〔宗教法人幸福の科学刊〕所収)から始まりましたが、初期においては、まだ、霊のほうがこの世の人間よりかなり偉いように感じていたので、その霊の言葉を受けて活動してもいました。
しかし、霊人たちはそれぞれ個性が違うため、多様な霊人たちの言葉を聴くだけでは、教団として信仰を一本化するのが難しい面もあったのです。
その後、一九九四年ぐらいからは、「信仰をもう少しシンプル化しよう」という理由で、「仏陀・ヘルメス中心型の思想」に移行してきました。そのころ、霊言集の発刊をいったん止め、理論書中心の流れに変えたわけですが、会員たちには、まだ戸惑いもあり、その段階で、ついて来れない人もいたのではないかと思います。【一九九五年より会内にて三宝帰依体制が確立】
最近では、また霊言集もずいぶん出ています。「七百人を超える霊人がでてきている(二〇一七年十一月時点)とのことであるので、「単に昔返りをしたのか」という見方もあろうかと思いますが、そうではありません。
前述したように、私は過去にも霊言集を出していたのですが、霊言集を発刊しなくなってから時間がたったため、今の若い人たちのなかには、霊言現象を知らない人や、当会が霊言集を出していたことを知らない人も増えてきました。
また、この世の中には、「霊的存在や霊界について教えてほしい」というニーズ自体は、やはり、いつの時代にもあり続けると感じています。
そこで、新しい信者層を惹(ひ)きつけつつ、彼らが霊界に関心を持ち、自分自身の心の探求をしていくためにも、今、再び霊言集を出しているのです。【※霊言は2010年1月6日坂本龍馬の霊訓より再開】
これは、ある種の「遠心力」が働いているところだと思います。つまり、入り口がまたたくさんできようとしているわけですが、こうした「遠心力」が働いているときであるからこそ、「求心力」も同時になければ、教団としては、その方針、方向性を保つことができないのではないかと考えています。
【大川隆法『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。
『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
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●悪魔の軍隊 ⑩ 自己をほめたたえて他人を軽蔑する心
これも自己保存の心です。正しい宗教と思っていても、あまり度が過ぎると、「自己以外に正しいものはない」となってきます。あるいは修行者でも、「自分以上に悟った人間はいない。われこそが最高に悟った存在だ」と思いはじめると、だんだん慢心が起きてきます。そして、他から学ばなくなってきます。
ですから、自己をほめたたえて他人を軽蔑することも、宗教修行者に割によく出てくるパターンです。慢心してくる。自惚れの心が出てくる。人の意見を聴かない。客観的な在り方を見ない。これは特に、「独り修行」をする人たちに多いのです。山中で修行したり、ヨガ系統の行をするような人、あるいは仙人・天狗系統の人に非常に多いのです。
このように、仏陀は悪魔の軍団を十種類に分けて、「これがおまえの攻撃軍だ。汝の軍勢だ。これでお前は攻めてくるだろう」と言っているのです。これは現代でも通用するものだと思います。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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☆悪魔の十の軍隊☆
①欲望
②嫌悪
③飢渇
④妄執
⑤ものうさ・睡眠
⑥恐怖
⑦疑惑
⑧「みせかけ」と「強情」
⑨誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉
⑩自己をほめたたえ、他人を軽蔑する
悪魔の軍団の第十は「自己をほめたたえて他人を軽蔑する心」でした。
これは、「天狗の心」と言い換えることができます。天狗の心から生まれる心が、魔の軍団の一つであることをこの経典が発刊された1995年当時、すでに明らかにされていました。
これはいわば、「自己顕示欲」と「嫉妬」の問題であると考えられます。
どちらも、他者に対する配慮が欠けており、愛が不足している状態です。やはり、「自己をほめたたえて他人を軽蔑する人」が周りにいたら、その人には近づきたくない気持ちになりますが、本人は全くそれに気がついていないところが、とても気の毒でもあります。やはり、これは地獄に通じる心でもありますので、気をつけなければなりません。
自己顕示欲の問題に対しては、経典「幸福への道標」の第2章「プライドと自己顕示欲」に詳しく説かれていますので、お持ちの方はご覧ください。これに対する処方箋として「惜福・分福・植福」の考え方を人生に取り入れることが勧められています。
天狗は山の頂上に登っては、他の人が低きにいることを蔑み、自らを自慢します。実力がない場合は、自分の周りに堀をつくって、自分が高いところにいるのではないにもかかわらず、周りの穴を見ては、それを軽蔑して、あたかも自分が高きにいるようにも振舞います。この情景を思い浮かべると、本当に気の毒な状況ではあるのですが、本人は大まじめに周りをランク付けして、自らを頂点に評価します。
このような傾向性を持つ人の特徴は、この世的な尺度や権威に非常に弱いことが挙げられます。自他の高低差をつけるために、この世的な尺度を使うしか方法がないからです。結局慢心も相対的な、この世的人生観の上に生まれる哀れな心です。人には、名誉欲、出世欲、金銭欲、などがありますので、この欲の部分をくすぐって、人を慢心させて、人を孤立させて、魔境に落とすのが悪魔の常とう手段です。
箴言集「妖怪にならないための言葉」の53番目にはこのように説かれています。
『「天狗」は何らかの長所を持った人間として生まれることが多い、謙虚さと反省の大切さを学び、仏法真理を学習することで、長い成功を収めることができる。』
天狗が、本物の信仰心を持つためには、「謙虚」に加えて、仏神と仏法真理に対する「従順」と「服従」が必要です。
宗教修行を重ねる私たちにとっても、慢心は最後の最後まで、自ら諫めるべき心の状態です。謙虚さと精進の心で、この慢心を戒めてまいりましょう。そして魔を降して「惜福・分福・植福」による本物の幸福を創造しましょう。
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心の指針195 『自己愛』
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人は、他者への愛は、
教わらなければ分からない。
けれども自己愛だけは、
教わらなくても自然に芽生えてくる。
誰にとっても、自分ほど大切なものはない。
誰にとっても、自分ほどかわいいものはない。
それが出発点であることは、
赤ちゃんをみればすぐに分かる。
いつもいつも、
母親の愛や、父親の愛、
家族の愛を求めている。
まだ小さくてかわいいので、
大人たちは、優しく受けとめようとする。
だから、
ほんの数秒捨て置かれるだけで、
赤ん坊は、「ウワーッ」と泣き叫ぶ。
まわりの大人たちの非情を責めているのだ。
思うに、「赤ちゃん」のままで、
大人に成り切れない人が多いのではないか。
時折、自分の中に「赤ちゃん性」を振り返るとよい。
自分自身の意志で、
自分を護れるようになることは、
学習でもあり、成長でもある。
自立できるということは尊い。
されど、
いい年齢をした大人が、
自己愛にふけっているのを見ると、
人はそれを「醜い」と感じる。
これも教わらなくても目覚める、
自然の感情である。
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ここで、日本が1945年8月15日に終戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
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■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
1 日本人の深層心理にあるもの
アメリカを超えることへの恐れ
「繁栄への道」という題で、マクロ(巨視)的な話をしたいと思います。
繁栄を考えるにあたっては、いまの年代、すなわち戦後五十年を過ぎたあたりで(1997年説法当時)、日本人の立場や、世界のなかでの位置というものを考えてみる必要があるでしょう。これから繁栄の世紀が来るかどうかは、こういう歴史の見方にも関係していると思います。
日本では、一九九〇年以降、いわゆるバブルたたきが始まり、私にとっては非常に嫌な言い方ではありますが、「バブル崩壊」といわれる現象によって経済が急降下し、うまくいかない状況がかなり長く続いています。
これについて、日本人の集団心理というものを考えると、一つ思い当たる点があります。
一九八〇年代には、一人当たりのGDP(国内総生産)で日本はすでにアメリカを超えており、「順調にいけば、二〇〇〇年ごろには日米両国のGDPは同じくらいになる」ということが見えていました。
その前兆として、日本では、いわゆる金余り現象が起き、日本企業がアメリカの土地や建物などを買いあさるということもあました。
アメリかは日本の二倍の人口と二十数倍の国土を持っています。そのアメリカと日本のGDPが同じになるということは、どういうことでしょうか。それを考えてみると、多くの日本人は深層心理では繫栄を恐れていたのではないかと私は感じるのです。
目標とする国があって、それを追いかけていくのは、わりと楽だったのですが、「追い抜いてしまうのは怖い」という集団心理、深層心理が日本人にあったのではないでしょうか。「このままアメリカを超えてしまったら、そのあと、どうするのだ」ということです。「追い抜いたあと、どうするか」という見取り図がなければ、その先が非常に怖いわけです。
それに、日本人には、五十年前の敗戦(1997年説法当時)の記憶もまだなまなましく残っています。
そういう潜在的な恐れが日本人には強くあり、それが集団ヒステリー現象のようなものを生んで、「濡れ手で粟のようなもうけ方はいけない」「経済のあまりの発展は行きすぎだ」「バブルはよくない」などと発言する、にわか倫理学者がたくさん出てきて、日本経済をつぶしにかかったのです。
彼らは「一時的な調整で済む」と思っていたようですが、私の予想どおり、日本の経済は長期的な低迷に入ってしまいました。
二十一世紀以降のビジョンがはっきりしないかぎり、日本はこの低迷から抜けられないと思います。なぜなら、いま述べたとおり、アメリカを超えることが恐ろしいからです。
したがって、そのあいだは、時間稼ぎとして不況でもやっていないとしかたがないのです。これ以外に方法がありません。日本が不況で苦しんでいれば、アメリカは非常に安心し、日本に対して、「もう一回、戦争するか」などと言うことはないわけです。
その意味で、いま日本人は時間稼ぎをしているのではないかと私は感じています。
【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義
幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。
お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。
現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。
しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。
供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。
お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(7/15-1)196『正義の言葉「仏説・降魔経」を読む ⑬悪魔の軍隊 十 自己をほめたたえて他人を軽蔑する心―会の規模や教え相応に変化してきた、幸福の科学の信仰形態
