42 波長同通の法則がある。憑依する霊と憑依される人からは、同じ波長が発信されている。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『信仰の法』から第5章の「地球神への信仰とは何か」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、二〇一〇年十一月二日に、原題「エル・カンターレ信仰とは何か」として説かれた御法話です。エル・カンターレとは、「地球神」を認める信仰であることを明らかにしたうえで、新しい地球創世記の時代を生きる人間に対する信仰のあり方が説かれています。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■地球神への信仰とは何か―新しい地球創世記の時代を生きる
1 エル・カンターレは「地球神」
○幸福の科学は日本の一宗教の枠を超えている
現在、私は海外伝道も行っていますが、【※海外初転法輪は2007年11月18日ハワイ精舎】今後は、”危険地帯”にも巡錫に赴くことになるだろうと思います。
今は国際時代であり、昔ほど交通の便が悪いわけではないのですが、何か不測の事態が起きないとも限らず、万一、言い残したことがあるようだと、あとで後悔する可能性があります。
まだ、はっきりとは説明していないものとして、「エル・カンターレ信仰」があります。これについては詳しく語ってはいないため、一度、説いておきたいと思います。
私が常々、「不惜身命」と言っている以上、いつ何が起きてもいいように、大事なことは述べておきたいのです。それを語るべき時が来ていると思うのです、話すことにします。
幸福の科学の教えは地球規模になってきていますし、日本の一宗教としての分はすでに超えていると思うこともあります。
私は、二〇一〇年の十月に、石垣島と沖縄本島に行き、日中の国境にて、この国のあるべき方針を語りましたが、そろそろ宗教としての限度を超え始めていると思っています。
ほかの宗教には、今、ここまで言えるところはないので、当会は一宗教の枠を超えて情報を発信しはじめていると言えます。
それは、同年十月の愛知県体育館での法話「宗教の復活」(『この国を守り抜け』〔幸福実現党刊〕第五章所収)においてもそうだったと思います。世界に衛星中継をかけていたこともありますが、そこで私は「ワールド・ティーチャー」としての立場を宣言しました。
【大川隆法『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。
『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。
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●悪魔の軍隊 ⑨悪魔の軍隊 九 誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉
「第九の軍隊」という言葉は原文にはあませんが、第九の軍隊として分類するとしたら、「誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉です。宗教においては、ここを攻め落とされることが多いのです。宗教にも、やはり利得が出ることがありますし、誤って得られた名声・尊敬・名誉を受けることもあります。・・・
私は昔からよく言っていますが、やはり、「実力相応、実績相応の評価を受ける」―それでよいのです。それ以上を狙うと、誤って得られた利得や名声、尊敬、名誉を守るために、悪魔がいくらでも中に入り込んできて、もっともっと悪いことをするのです。気をつけなければいけません。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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☆悪魔の十の軍隊☆
①欲望
②嫌悪
③飢渇
④妄執
⑤ものうさ・睡眠
⑥恐怖
⑦疑惑
⑧「みせかけ」と「強情」
⑨誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉
⑩自己をほめたたえ、他人を軽蔑する
悪魔の軍団の第九は「誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉」でした。悪魔は、この世的な価値観や三次元的な物質世界に精通していますので、この世的にほかの人がうらやむような状況をあえて与えることで、三次元世界よりも高い次元である精神世界から目をそらせて、唯物論や無神論へ継投させるようなこともします。
本日のテーマで言えば、例えば、経典『悟りをひらく』では、東京大学で仏教学の最高権威として有名であった中村元氏が死後に無間地獄に堕ちている例が挙げられています。
〇「人間・釈迦」を強調して無間地獄に行ってしまった中村元氏
(釈迦もキリストも、普通の人と変わらないのだ)というような考え方から物事を捉えようとする傾向について)もちろん、流れとしては、そういうものもあるでしょう。それは理解できないわけではありません。ただ、そうしたことを説いた大学者たちは、死後、天上界に還れずに、私たちが「無間地獄」と言っている、思想的に多くの人を迷わせた人が行く地獄に行っているのです。
それを見るにつけても、そのような大学者たちが、この世的に犯罪を犯したり、人間的に極めていびつな生き方をしていたとは思いにくいし、むしろ勤勉に勉強して勤勉に本を書いたり、全集を書いたりしていただろうと思われるので、「その思想の間違いに対して、厳しい判定が下っている」と言って間違いないということです。
例えば、仏教であれば中村元博士などは世界的に権威とされており、私が幸福の科学を始めたころにはまだ健在で本を書いておられました。仏教についてある程度の碩学であり、語学の天才でもあって、いろいろな文献を平易な日本語に訳し、分かりやすく書いて、それを広げたかのようにも見えてはいたのです。・・・しかし、亡くなったあとは、やはり天上界に還っていないことを知り、私もちょっと愕然とするものがありました。・・・
【大川隆法 『悟りをひらく』より抜粋】
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仏教学では、超有名で権威とされた人が地獄の最深部に堕ちて、生前にそれほど著作はなかったものの、仏陀の威神力を信じて、大乗経典の神秘的な教えをそのまま信じて解説をした渡辺照宏氏は、天国に還られていますので、この世で与えられた評価がそのままあの世の行き先を決めないということがよく分かります。あくまで、仏の眼から見て正しいか正しくないかが天国と地獄を分ける鍵であるのです。生前に人間から与えられる名声や名誉にも、それが仏の御心にかなったものであるかどうかを見極める智慧が必要であることが分かります。
儒教の佐藤一斎の著書「言志四録」に「分を知り、しかる後に足るを知る」(第47講)にありますが、その意味は、自分の実力を冷静に判断できれば、高望みをしないで現状で満足することができる。というものです。
「実力以上に評価される」「努力以上に報わる」「人望がないのに尊敬を受ける」「実績がないのに名誉に預かる」これらは、ひょっとしたら魔の惑わしかもしれません。大事なのはいつ何時にも、「謙虚さと精進する心」を忘れないことです。
主の解説最後の言葉、「やはり、「実力相応、実績相応の評価を受ける」―それでよいのです。それ以上を狙うと、誤って得られた利得や名声、尊敬、名誉を守るために、悪魔がいくらでも中に入り込んできて、もっともっと悪いことをするのです。気をつけなければいけません。」この言葉を、肝に銘じてまいります。
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心の指針117 『名誉心と不動心』
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人間として生まれた以上、
誰にも名誉心はある。
気の強い人は、
自分の名誉が傷つけられると、
理性を失って怒り狂う。
徹底的に相手をやっつけるまで、
戦い続けることもある。
気の弱い人は、
自己嫌悪におちいって、
自分はもうだめなんだと悲観し、
何もかもやる気を失って、
無為に日々を過ごし、
もっと自分の値打ちを下げてしまうこともある。
とかく人の世は住みにくく、
人の評価は得られがたく、
真なる自信を形成することは、
限りなく難しいことのようにも思える。
しかし、
ここにもう一つの考え方があることを忘れてはなるまい。
「不動心」だ。
人の評価の上がり下がりや、
自分の人生の浮沈にかかわりなく、
堅実に精進し、
必ず一歩を進めようとする考え方だ。
嵐の日にも動揺しない船長ほど、
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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第6章「世界宗教への道」
○真実と信仰の世界
しかし、別の面では、それはそれで、また大変ありがたいことを意味しています。肉体を被った不自由な生活を経験し、自分が自分の思うとおりにならないということを経験することによって、自己の本来の自由とはいったい何なのか、魂であることの喜びは何なのか、ということを人間は知ることができるのです。「自由にならない」ことを知ることによって、自由のよろこびを得るわけです。
天国に長年、何百年、何千年と住んでいますと、魂が自由であるということがわからなくなるのです。壁を通り抜けることも自由、空を飛ぶことも自由、ご飯を食べなくても死なない、好きな人とは会えて、嫌いな人とは絶対会わない。そうしたことが当然だと思って、魂は悦びを失ってゆくわけです。
ところが、肉体に宿って地上生活を送り、物質生活の難しさを経験することによって、天上界に還って解放されたときの魂のよろこびというのは、たとえようもないものなのです。その幸福感というのは、本当に比べることができないものです。「ああ、ありがたい」という感じです。
それは、十キロ、二十キロと歩く長旅を一日中してきて、夕方旅館に着き、一風呂浴びたときの気持ちにもいたものなのです。地上生活はわずか数十年ですが、この苦しい旅をして還った時のよろこび、爽快感、「魂というものは、こんなに幸福であるのか」ということを知らされるよろこびは、素晴らしいものなのです。
そして、万一、地獄という世界に落ちることがあっても、これもまた、善とはいったい何なのかということを学ぶ絶好の機会なのです。
魂のままでいますと、前途は何か、悪とは何か、幸福とは何か、不幸とは何かということが、なかなかわからないことがあります。
菩薩ばかりの世界にいますと、誰もが幸福で素晴らしい人ばかりですから、素晴らしいということがわからなくなるのです。ところが地上に降りて、いろいろな魂修行をし、いろいろな人間に会いますと、「なるほど、天使になるというのは大変なことなのだ。天使の生活というものは、大変立派なことなのだ。そういう人格というものは、なかなか磨けるものではないのだ」ということを、つくづく知るわけです。このように高級霊にとっても勉強になるのです。
また、低い次元の世界に入る方がたは、地上を縁としてさらに悪いところに行くこともあります。しかし、そのときには、「ああ、地上生活のときは、自分は他人に対する不平不満、悪口、被害妄想で生きてきたけれども、地獄に堕ちてみて、初めて地上時代のよさがわかる。妻がいたことのよろこび、子供がいたことのよろこび、学校にもきちんと行けたし、会社でも給料は出た。飢え死にすることもなかった。出世は十分ではなかったかもしれないけれども、楽しい日々であった。しかし、そうしたことを感謝することもなく生きてきた自分であった。そして、地獄に堕ちてはじめて、地上生活のときの幸福感というものがわかった。また、天国にいることの幸福がどれほどのものかがわかった」このような反省の期間というものが、・
・年、二百年と与えられるわけです。
その修行途中にある人は大変ではあります。しかし、霊的世界から見れば、長いか短いかは相対的なものであって、考え方一つの問題なのです。そして、そのように大変苦労したとしても、地上生活で言いますと、ケガをして病院に入院し、やがて全快して退院する時のよろこび―これを感ずればよいのです。
ケガをする、病気をするということはあります。しかし、魂が、その歴史のなかで、病気をして入院するようなことに当たるのが、地獄に堕ちることだと思うのです。これもまた、長い意味においては、本人の悟りを深める大いなるきっかけであるわけです。
ただ、入院することも本人の成長のためには役立つとは言いつつも、病気は病気、ケガはケガですから、病院の医者、看護婦は、その病気を治すために一生懸命手を尽くさなければいけないわけです。このために、光の天使たちが、地獄をなくそうとして努力しているのです。
経験は経験として貴重なものではあるけれども、それをそのままに現状肯定するわけにはゆかない。だから、医者や看護婦は、それを治すために一生懸命するわけにはゆかない。だから、医者や看護婦は、それを治すために一生懸命力を尽くしている。そういうことが、天国・地獄のあり方の意味なのです。
したがって、悪というものは現実にはあるけれども、それを消し去ることのできない実在として認めるべきではない。あるけれども、認めるべきものではない。この葛藤のなかで、「かくあるべし」の世界が展開されなければいけない。これが信仰の世界、宗教の世界なのです。
事実を事実として単に存在を認めて妥協してしまうのが宗教ではない。そうではなく、信仰的事実、あるいは宗教的真実、真理的事実というものをあくまでも求めて、努力しなければならない。事実は事実として、明らかに善悪はある。しかし、そのなかで真実なるものを追い求めてゆくところにこそ、弁証法的な統合がなされて、いっそう素晴らしい世界が展開してゆくわけです。
以上、さまざまに世界宗教の条件を述べてきました。この方向性のもとに、全人類をいかにして幸福にしてゆくか、唯一なる思想でもってまとめあげてゆくか、これが世界平和と世界発展をもたらすための鍵である。このように私は考えています。(完)
【大川隆法『宗教の挑戦』第6章「世界宗教への道」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義
幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。
お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。
現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。
しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。
供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。
お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(7/14-2)195『正義の言葉「仏説・降魔経」について考える ⑫悪魔の軍隊 九 誤って得られた利得・名声・尊敬・名誉―【地球神への信仰とは何か】エル・カンターレは地球神
