(7/12-1)193『正義の言葉「仏説・降魔経」について考える ⑩悪魔の軍隊 七 疑惑―真実を知らない人々の死後に待ち受けているもの

正義の言葉『仏説・降魔教』

40 悪霊の発生源は、呪いであり、利己欲と排他性である。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

7月7日は68回目の主の御生誕日でした。伊勢支部では7月15日まで連日、10時・13時・19時の三回、「御生誕祭」を開催いたします。全国全世界の仏弟子が参集し、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の期間とさせていただきます。皆様重ねてご参集ください。

7/14(日)は、津支部にて御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。

御生誕祭に合わせて発刊予定の『地球を包む愛』ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal 
ver.」を通して、すべての人の心を救済されようとしている主の大いなる愛を学び取り、エル・カンターレ信仰を深めると共に、天御祖神様の御名を全国・全世界に伝える決意を固めます。

楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal 
ver.」は、皆様の熱い信仰心の結集により、拝受数で全国一位となりました。献本・献CDをとおして、主と天御祖神の御名を知らしめてまいりましょう。引き続き、楽曲CD拝受・購入に皆様のお力添えをよろしくお願いいたします。

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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法 
初期重要講演集⑥悟りに到る道』から第2章の「仏陀再誕」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九〇年十月二十八日に、一九九一年七月の「エル・カンターレ宣言」に先立ちて、縁生の弟子達へ、仏弟子の本懐である伝道に邁進せよと激励された、再誕の仏陀の獅子吼です。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■仏陀再誕
○真実を知らない人々の死後に待ち受けているもの

ところが、わずか数十年の間にその使命を簡単に忘れ果て、あろうことか、この、神の創られた人間を「アメーバのごときタンパク質の一片が偶然に進化したもの」とするようなバカげた思想を信じ、学校教育でも流し、そして、大宇宙から見たならば取るに足らない箱庭のような世界のなかで、全世界を探求しているような気持でいるわけです。

すべては、生まれてくる前に天上界で誓った、地上で果たすべき役割を忘れてしまい、いや、あまつさえ、すでに反故(ほご)としてしまったことの結果であります。

すでに遅いことは遅い。遅きに失したと言えば、それまでであろう。

しかし、地上に生命があるということは、この地上において魂が生かされているということは、まだチャンスが残されているということなのです。毎日毎日が新たなる機会の連続であるということであるのです。

各人に残された日々は有限であります。命いつまでもあると思ってはならぬ。この地に生きていられる命は、数えられる日数であるのです。その一日一日を、己の使命を全うするために使わずして、もはや、来世への希望などないと思わねばならん。

あなたがたの多くは、わが記したる書物を読み、すでに知っているであろうが、現代の人々のその数、半数以上は地獄といわれる苦しみと悲しみと暗闇の世界へと旅立っているのが現実であります。

現実そのものがそうとうであるのに、それに輪をかけたような危険な事態が迫っているということは、どういうことでありましょう。それは、多くの魂たちが永遠の生命を押し潰されて呻吟(しんぎん)するということであるのです。

あなたがたは、その多くの同胞たちのこれからを待ち受けているところのその苦しみや悲しみに、目をつぶっていられるのだろうか。

例えば、ここに二万人の人がいるとして、このうちの一万人が、いや、一万二千人が、数年、数十年の先に、太陽の光も射さない地獄で闘争と破壊のままに生き、そして、一部の者はそこにいることもできずに地上に舞い戻って、生きている人間たちに憑依して、一時的な苦しみを逃れようとし、そして、彼らをもまた地獄の淵に引きずり込んでいるという現実があるのです。そして、そういうふうに、自分もまた、なる可能性があるのです。

その現実を知っていて黙っていることは、これは大いなる罪であります。この沈黙は罪であります。目の前にざっくりと大きな穴が開いていて、自分の友人たちがもう数歩歩けばそのなかに落ちていくというのに、黙っていることは、これは罪です。罪なのです。明らかに罪であるのです。

知っているのに、それを教えてあげることさえできないということは、何たることでありましょう。

それでも、自分の今まで数十年生きてきたところのその生活が守れたならば、それでよいと言うのだろうか。そんな狭い小さな心であってよいのであろうか。

大きな声で叫ばねばなりません。
そして、人数がとてもとても多いですから、
私たちは、知力・気力・体力のすべてを投入して、
彼らを救う時間を早めねばなりません。
早くしなければならないのです。
時間を縮めなければならないのです。
縮めなければ、それだけ遅くなるのです。手遅れになるのです。
多くの人びとが知ることなく、真実を知ることなく、
幸福な世界から消え去ってゆくのです。
もし、今、大きな戦乱が起きて、何万、何十万もの人が死ぬとしても、
そのなかに、一人でも多くの人が真理を知っているということが、
彼らを救うことになります。
肉体の生命を救うことができないとしても、
彼らの永遠の生命を幸福な世界に連れていくことは可能であります。
息を引き取るまでが勝負であるのです。
そのときまでに真実を知らなかった人々は、
それからあと、いったい誰に訪ねればいいのですか。
誰が教えてくれるのですか。
ましてや、死後の世界を信じもしなかった本人であるならば、
誰が救うことができましょう。
ちょうど、病院の前で病気になったとしても、
「医者など信用しない」と言ってその門をくぐらねば、
その人が死んでいくように、
己自身が気づかない者は、そうたやすく救っていくことはできません。
それは真実です。

【『大川隆法初期重要講演集⑥悟りに到る道』第2章「仏陀再誕」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第七番目、最後の経文である『仏説・降魔経』についてです。

『正義の言葉「仏説・降魔経」』は、『仏説・正心法語』の最後を飾るお経であり、今までにない経文だと言われています。悪魔との対決についても、「幸福の科学」の基本教義として、明確に根本経典の中に入っています。それでは、引き続き経典『仏陀の証明』より主の御解説をご紹介いたします。

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●悪魔の軍隊 ⑦疑惑
そして、疑いです。悪魔にそそのかされると、人が信じられなくなってきて、何もかもが疑わしくなってきます。

間違ったものや、人を騙そうとしているものを見抜くのは智慧の力であって、それは大事なものです。しかし、それと一見よく似ていても、ものごとを疑っているうちに、疑惑が中心となって、すべてが悪魔に見えてきたりするようなことは、また悪魔の手なのです。何もかも疑わせてしまう。そうしたことがあります。

たとえば、邪教団に対してはしかたがないことかもしれませんが、マスコミなどがよく使う手は、宗教家が幹部の前で話したことを、テープか何かで録音してきて、外で暴くというようなことです。こうしたリーク(漏洩)をします。そうすると、「誰が漏らしているのだろうか」「誰に言っても漏れるかもしれない」と、お互いにだんだん疑心暗鬼になってきます。不信感、猜疑心(さいぎしん)が強くなってきます。

それが強くなると、たとえば政治体制でいえば、KGBという秘密警察が目を光らせていた旧ソ連のようになります。「どこに盗聴器が付いているかわからない」「どこに敵と通じている人がいるかわからない」―このようなことをお互いに思いはじめると、これもまた、もはや悪魔の掌中にあります。

ですから、「悪いことを考えている人がいるので、気をつけなければいけない」ということも智慧なのですが、みんなが疑心暗鬼になってきはじめたら、これもまた悪魔の掌中にあるのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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悪魔の軍隊の七番目は「疑惑」でした。宗教組織に限らず、一般社会でもそうですが、組織の力が低迷するのは、だいたい内部で人と人同士が疑いの目でお互いを見てしまうところから始まるのではないかと思います。悪魔も悪知恵をはたらかせて、言葉巧みに「正語」の反対である、「嘘」「悪口」「両舌」「過ぎたお世辞」などを使って、人と人の中を引き裂こうとします。

悪魔のやり口は結構ワンパターンで、人の持つ欲や、嫉妬心をくすぐって、集団から個人を引き離し、引き離した個人を取り囲み餌食にしていきます。この人と人の間を引き裂くのに使うのが、本日のテーマ「疑惑」でした。人の心の中に疑惑が生まれると、人の善意や愛の心を疑い、逆に悪意に捉えたり、嫉妬を搔き立てられたりして、私たちの心に宿る神仏の力を奪ってしまいます。

悪魔は私たち人間の心の隙をいつも狙っています。逆に隙が無い状態はどういう状態であるかというと、八正道による中道が取れている状態です。だから悪魔は、私たちが正しいものの見方をしている状態では、取り憑く余地がありませんので、かならず、私たちの「正見」の部分に揺らぎを与えようとします。その方法が「疑」と「悪見」です。

ですから、私たちは常に心の「中道」が取れているか。常にチェックする必要があります。そのためには、仏の教えである智慧と、自分の心をしっかりと観察できる反省の習慣が必要です。
そして、万一、サンガの中で、疑惑が生まれた時に必要なのは、三宝帰依の精神にすぐ立ち返ることが大切です。「仏」「仏の教え」「仏の教えを学び伝道する仲間」―この三つの宝を信じるという「信仰の原点」に立ち返ることです。なぜならば、正しいものの見方である「正見」の前提として必要なのは、正しい信仰である「正信」だからです。三宝帰依があっての八正道です。正しい信仰の下で、智慧を生かして、原因と結果の法則に基づき周りをよく観察して正しいものの見方―「正見」をとることで、魔の惑わしを見破ることが必ずできます。新聞・テレビ・週刊誌などのマスコミやスマートフォン・タブレットなどのインターネットの世界においても「疑惑」や「悪見」が渦巻いていますので、常に自らの正見が護持できてい・
・かを注意してまいりましょう。

正しい信仰―「正信」に基づいて「正見」をなし、魔の手口を見破り、魔境を破りましょう。
そのためにも、こまめな反省を心掛けることが大切です。

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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史 

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