73 言い訳をしないこと。少しだけ強くなれるだろう。
【箴言集『人生への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
3月7日は「宗教法人設立記念日」です。「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。
1991年のこの日に、「幸福の科学」は宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。
「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。
そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。
はじめに、津支部にて2009年2月8日に賜りました御法話『信仰と富』を学びます。
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〇幸福の科学は、他の宗教の意味を説明できる「本物の宗教」
今、幸福の科学も熱心に教えを広げています。
まだ入会していない人や、一定の距離を置いている人のなかには、”玄人的”に見ていて、「この宗教は本物かどうか」ということを、時間をかけて観察している人もいると思います。旧い伝統宗教は信じていても、新しい宗教に対しては、「そう簡単には説得されないぞ」と考えている人もいることでしょう。
しかし、過去にほかの宗教を信じていた人、他の教団で活躍していた人であっても、幸福の科学に来ている人は大勢います。
実を言うと、当会の信者のなかには、ほかの教団の”教祖”もいます。当会は寛容な団体なので、教団を率いている教祖のままで、当会の信者になっている人もいるのです。また、キリスト教の牧師の信者もいれば、天台宗の大僧正の信者や禅宗の僧侶の信者もいます。このように、いろいろな宗教の現役の宗教家も、ずいぶん当会に入っているのです。
幸福の科学の教えには非常に懐の深いところがあります。そのため、「ほかの宗教では解決できなかった問題や、どうしても理解できなかった部分が、幸福の科学の教えに接して初めて分かった」ということがあるわけです。
私は「本格的な宗教」を目指しています。できるだけ隙がなく、偏りのない宗教、すなわち、いろいろな宗教の意味を包括的にせつめいできるような「本物の宗教」を目指して、今、活動しているのです。
【大川隆法『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』第四章「信仰と富」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第4章 五停心観(ごじょうしんかん)
6「界分別観(かいふんべつかん)」―自我が強く驕り高ぶる人の修する人の観法
四番目は「界分別観(かいふんべつかん)」というものがあります。少し難しい言葉ですが、これは「我見(がけん)」を抑える修法です。
つまり、自我が強く、驕り高ぶる人が修すべき観法なのです。「俺が、俺が」と非常にプライドが強くて苦しんでいる人、あるいは、その「俺が、俺が」のプライドゆえに人を傷つけ、いつも問題を起こしている人がいます。自我というものがどうしても抑えられないわけです。それが問題だということは分かっているのだけれども、どうしてもそれを抑えるとができないという人がいます。
そのようなときに、この世的な自分というものを、もう一度、考え直してみるわけです。「自分が、自分が」という自我に執われてしかたがないのだけれども、自分というのは十八種類の構成要素でできているのです。分解していくと、「眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)」という六根、感覚器官があり、これによって自分は世界と接触しているのです。その六つの器官あるいは部分で接し、世界をつかんでいるのです。
そして、その対象は何かといえば、「色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(しょく)・法(ほう)」です。「色界・声界・香界・味界・触界・法界」、これが感覚器官の対象であり、これで「十二処(じゅうにしょ)」です。そして、それぞれの対象と、それを見る、あるいは感じる器官との間にできてくる認識の世界が、「眼識界・耳識界・鼻識界・舌識界・身識界・意識界」という六つの界(六界)です。
この「六根・十二処・十八界」に分解していくと、「ああ、この世で『私が、私が』と思っているけれども、この感覚器官が、この世にあるさまざまなものに対して、さまざまな反応をし、そして出た判断結果が、自分をつくっている世界なのだ。『自分の人生だ』と言って、あれこれと考えたり、『自分が、自分が』と思っているけれども、自分も他人も世界も、すべてこの十八界のなかに納まっているのだ。そういう要素に分解していくと、この世的な存在としての自分というのは、いかに虚しいものであるか」ということに気がつくわけです。
こうして、この世的なさまざまなことにこだわっている自分、あるいは自我というものにこだわっている自分を抑えていくことができます。
「五蘊(ごうん)の仮和合(けわごう)※」という言葉も、この世的な存在としての自分というものは、ほんとうは虚しいものだということを知り、霊存在だけになった場合に、まったく違った展開があるわけです。こうした意味で、我見、自我が強いと思う方は、この十八界に分解して物事を考えていくとよいでしょう。
※「五蘊の仮和合」とは、五蘊(ごうん)「色・受・想・行・識」が人間の形成要因であり、これが仮に和合して人間ができているという仏教学の考え。これにより、人間が死んだ後は雲散霧消してしまうと考える仏教学者が多い(『悟りの挑戦』(上巻)』第四章参照)
他人と比べて自分の顔がいいとか悪いとか言っても、それは眼の作用にしかすぎないのだということです。女性の場合にはよくあるでしょう。「彼女のほうが自分より美しい。自分はそれほど美しくない。苦しい。しかし、何かで自己を発揮しなければ」と、違うところで思い切り自己を発揮しようとしてがんばります。体力でカバーしようとしてみたり、口数の多さでカバーしようとしてみたり、いろいろなことで我を張るわけです。しかし、「これは単なる眼の作用にしかすぎないのだ。眼の作用と、眼が見る対象、そこに出てくる認識の世界にしかすぎないのだ」と考えていくのです。
また、香りの世界もあるでしょうし、声の世界もあるでしょう。歌手であれば、声がいいとか悪いとかいうことで苦しみをつくったりしています。他人との比較で苦しんでいるけれども、分解してみるとこんなものだということです。
このように、十八の界を分別する、分けて考える見方を、「界分別観」といいます(「界差別観」ともいう)。こうして無常を感じ取っていくことによって、自我の高まりを抑えていくことができるのです。
「頭がよいとか悪いとかいっても、たかが脳細胞の働きにしかすぎないのだ。脳細胞は、毎日毎日、死滅しているのだ。自分より賢いと思っているあの人も、あと二十年もすれば、脳細胞は全部死滅してゼロになっていくのだ。自分のほうが消滅するのが少し早いだけなのだ」というように、要素に分類していき、「執われるほどのことはないのだ」と自分を抑えていく方法なのです。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第4章「五停心観」より抜粋】
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さて、
本日も「植福功徳経」について共に考える機会を得たいと考えています。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。
一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。
ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。
本日、特集をしています「植福功徳経」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。
「植福功徳経」はこのように続きます。
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一途に仏を想いては
財施を修行と悟るべし
仏の創りし教団を
支えに支えて幾星霜
億千万の民 救うなり
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「一途に仏を想う」ことは、八正道の中の「正念」にあたります。正心法語の解脱の言葉仏説・八正道では、このように説かれています。
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第七は 「正念」なり
一切の 邪念を 排し
一筋に 仏の 道を 歩むべし
仏道 修行に 専念せよ
心を 深く 集中させ
念い(おもい)を必ず実現せよ
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一切の邪念を排して仏様のことを考えて、
「財施」-金銭的なお布施をしてください。
「財施」はこの世の執着を断つ修行です。
俗世間においては、お金があれば、形あるものは何でも手に入れることができるかのように見えます。
しかし、厳密にいえば、形あるものを私たちは本当の意味で自分のものにすることは決してできません。
この世にある間、お金によって、一時的に物を自らの近くに引き寄せることは出来ますが、あの世に持ち帰ることができる物(目に見える物、姿形あるもの)は何一つありません。私たちが死んで、あの世に帰る時には、その身体さえ脱ぎ捨てて、「魂」だけが天上界へ帰ります。私たちが生まれる前にあの世で、魂だけであったように。
その魂があの世に持ち帰ることができるのは、目に見ることができない「心」、つきつめていえば、生前に自らが何を信じたかという「信仰心」しかあの世に持っていくことができません。
だから、お金で手に入る、形ある物は、あの世に帰る時に、すべて価値のないものになります。
執着とは、姿形あるものを、「我がもの」であると、むさぼり、欲しがる心の傾向性であり、心の穢れです。あの世に持って帰ることができるのが「心」だけであるならば、せめて美しい「心」をもつために、心の穢れである、執着を、とり去り、目に見ることができない「神仏」を信じて、「愛」「悟り」の力をよりどころとして生きなさいと、そして地上に「ユートピア」を建設してください。と主は私たちに願われています。
お金は、それ自体に執着することなく、そのお金を「財施」に変えて、仏が創った教団、すなわち「幸福の科学」を支えるために捧げてください。その財施は幸福の科学の活動を経済的に支えることで、世界伝道を支え、億千万の方々を今後救う原動力に変えていきます。
主の『「植福功徳経」講義』では、
「お布施というのは、税金と同じで、幅広く薄く集めた方が良いのですが、そのためには、仕事がかなりまめでなければいけないので難しいのです。・・・本当は幅広い人から長く継続的に布施を頂くことが、教団が安定的に発展する基礎なのです。・・・「伝道せよ」という方針を出すと、本当に伝道だけをしているようなのですが、しかし、「伝道」と「植福」は両輪なので、実際に信仰心が立ってきたら、「伝道もすれば、植福もする」というのはあたりまえのことです。信仰心には、この両方が伴ってくるものだと思います。」と教えていただいています。
「伝道」と「植福」はどちらも欠くことができない両輪です。心の修行である「植福実践」は「伝道」の力の源泉です。幾千万の人の魂を救う、救世運動の大願船を創るために、「幸福の科学」を幾星霜支えるための、心の修行を精進として積み上げてまいりましょう。
繰り返し強調しますが、植福は、執着をとり去る無我修行の一つであり、心の修行です。
執着があることの霊的・この世的な問題点をまとめるとこのようになります。
・執着があると死後天国に還れない
・執着があると霊症になる
・執着があると正しい判断ができない
・執着があると悩み苦しみから逃れられない
・執着があると守護霊と同通できない
・執着があると阿羅漢になれない
・執着があると菩薩の力を発揮できない
・執着があると伝道ができない
このように、このようにこの世的な執着を断つ修行というものは、仏弟子にとって特に重要な修行課題です。そして執着を断った無執着の境地はきわめて天国的な境地です。私たちは、これを目指しています。
この心の清らかさに絶対必要な無執着の境地を得るために、私たちは布施行をとおした植福実践を心の修業として重ねています。
植福の大切さ―布施の大切さについて、いて主よりこのように教えていただいています。
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それから、「執着を断つ」ということも非常に大切な修行ではあります。そこで、やや仏教的にはなるかもしれませんが、当会においても、「植福」、あるいは「布施」というものがあります。仏教的には、「喜んで捨てる」ということで「喜捨(きしゃ)」とも言われています。これ自体は、対価があるものを買ったり、サービスに対する何かの対価を払ったりしているわけではありません。「自分の持っているお金は命の次に大事だ」という人もいるかもしれませんが、これを差し出すことによって、「自分自身の執着を断つ」という修行をしているわけです。
【大川隆法『悪魔からの防衛術』第三章「悪魔の発生源」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/23-2)54経文「植福功徳経」を読む ②一途に仏を思いて行う植福修行―幸福の科学は、他の宗教の意味を説明できる「本物の宗教」
