13 何度スープを口に運んでも、味を知らないスプーンのようになるな。
【箴言集『人生への言葉』より】
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
本日も「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
本日の11時から菊川新司様の49日法要がございます。
10:00の復活の祈りは、蒲原にて前倒しして第二礼拝室にて執り行います。
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新しき年を
迎えるにあたり
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします。
本年も
正しき心の探求と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピア建設に
力を尽くして まいります
生命(いのち)ある限り
この仏法真理を 弘めます
どうか 私の
新年の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました
(合掌)
【祈願文②「新年の誓い」より】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し新年大祭と合わせて①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
伊勢支部は1月24日に落慶16周年を迎えます。支部精舎建立をお許しくださった主に心からの感謝を捧げさせていただきます。
さて、ここからは経典『希望の法』第五章「光の使命を果たせ」を学んでまいります。
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『幸福の法』第五章「光の使命を果たせ」―地上を光で満たすために
〇試練は魂を鍛え上げる貴重な機会
甘いだけの世の中に成功があるのではありません。厳しさのなかにも成功はあります。なぜなら、「人間がこの世に生まれてくる」ということそのものが、かなりの試練を求めているからです。
実際に、この世において、苦労することもなく、やることなすことがすべて思い通りになって、成功し、あの世に還ったとしたら、あのよで「しまった」と思うことがほとんどです。「せっかく、三次元の世界、物質界という、厳しい世界に出たのに、自分は十分な試練に遭わなかった。『試練の中で刻苦勉励して魂を磨き上げる』という貴重な機会を失った。これは残念なことをした」と、生前とは正反対の考えを持つにいたります。
この世では苦しんでいるように見えても、そのとき、魂は磨かれているのです。
その意味では、偉大な魂であるほど、この世では、大きな試練に出合うことがあります。
したがって、自分が出あっている試練を見て、詩文の魂の器を知ることが大事です。「大変な試練が来ている」と思うならば、「自分には、それだけ、おおいなる使命があるのだ。いま、自分の魂を磨いているのだ。自分の魂を磨くための問題集が用意されているのだ」と思わなければいけません。
その問題集の内容を見て、問題集をつくった人、問題を出した人の考えを読み取り、「われ、何をすべきか」ということを考えていただきたいのです。
【大川隆法『希望の法』第5章 「光の使命を果たせ―地上を光で満たすために」より抜粋
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続きまして、伊勢支部の発展を祈念して、教典『なお、一歩を進める』より抜粋いたします。経典をお持ちでない方は、ぜひご拝受ください。【税抜き2000円】
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なお、一歩を進める―あたらしい付加価値をつくる知の力
2 社会に出たあとの読書の習慣がもたらすものとは
〇「本を読み続ける人」と「そうでない人」では、ものすごい差がつく
もし私がかすかにでも成功を収めているとするならば、その原動力はいったい何であるかと言えば、やはり、「本を読んだこと」だと思います。お笑いになるかもしれないけれども、単純に言えば、やはりそういうふうになると思います。
私がこれを笑われても、それを叱る気持ちは全然ありません。私自身も、そういうことを言う人を、若いころ笑ったとがあるため、その罪の思いをいまだに十字架のように背負っております。
まだご存命で健筆をふるわれている、小堀佳一郎先生という、ドイツ文学者の先生がいて、東大の先生でした。その人の授業に私は出ていたのですけれども、小堀先生は、「君たちねえ、教養が大事だよ。教養をつける方法はね、本を読むことなんだよ」と言ったのです。
私はそれを聞いて、大声で「アッハッハッハッハッハッ」と笑ってしまいました。あまりに当たり前すぎて、笑ってしまったのです。東大教授ともあろう方が「教養を知蹴るのは、本を読むことだ」と言ったので、「何ということを言うのか。もうちょっとマシなことを言え」と思ったのです。
まあ、若かったから、十九かそのくらいだったから笑ってしまったのですけれども、今、笑ったことを四十六年ぐらいたって、反省しています。
そのとおりでした。そのとおりなのです。
あとは、渡部昇一先生も本を読む大切さをずいぶん教えてくださいましたけれども、本当に、「こんなに違いが出るのか」ということを、まざまざと感じてきました。
東京周辺では、大学入試までは、大学に入ることを本当に目的にして、小さいことろから一生懸命、努力してやっているのですけれども、入った段階で、もう「入場切符を手にしたらオッケー」という感じです。しかし、ディズニーランドの一日使えるように入場券とは違って、大学に入った段階では全然まだ使い物にならないレベルなのです。
それは、「頭脳訓練が一定のところまで終わった」ということであり、知的訓練をやって、もし教養の道とか専門分野の道に入るにしても、「これから本格的な勉強ができますよ」という、この許可が、大学入試のレベルです、大学で四年ぐらい勉強したからといって、それが終わるわけではなくて、それで、やや、「自分の専門性がどちらに向いているか」ということが決まってくるぐらいのレベルなのです。
だから、ここまでは、差がついているように見えてもそんな大きなものでは実はないのです。
このへんは、浪人しようが留年しようが、「一年遅れたら一年長生きをすればいい」というぐらいのレベルのものです。
でも、社会人として出てからあと、「本を読み続ける人」と「そうでない人」では、ものすごい差がついてきます。これは嘘ではないので、繰り返し申し上げております。
特に、卒業から三十歳ぐらいまでの間に、本を読む習慣を持ち続けられた方は、その後大きく成功する可能性は高いと思います。そして、それをまた、その先も続けることができれば、自分のことをかなり下の方に見ていても、次第しだいに人から認められるようになっていきますので、まず本を読むことをお勧めしたいと思います。
書店が潰れる時代は、いい時代ではありません。やはり、本を買わなければいけない。ネットでいろいろな電子情報を見て済むことは済むのですけれども、やはりそれではいけない。本を持って、読むことです。
自分の年齢によって、そこから読み取るものは変わってきます。二十歳の頃に読んだのと、三十歳でよんだのと、四十で読んだのと、五十で読んだのと、六十で読んだのとでは、全然違うのです。だいたい作者の年齢、それがかかれた年齢を自分が肥えたら、やはりちょっと幼稚に見えてくるのです。このへんが不思議なものです。
【大川隆法『なお、一歩進める』第4章「なお、一歩進める」―新しい付加価値をつくる知の力―より抜粋】
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さてここからは伊勢支部の発展を祈念して、経文「支部発展のための祈り」から一つずつポイントをご紹介させていただきます。
私も毎日ありがたく読誦させていただいています。お持ちでない方はぜひご拝受ください。
経文「支部発展のための祈り」に次のように続きます。
さて、本日から、伊勢支部の発展を祈念して、経文「支部発展のための祈り」から一つずつポイントをご紹介させていただきます。
私も毎日ありがたく読誦させていただいています。お持ちでない方はぜひご拝受ください。
経文「支部発展のための祈り」に次のように続きます
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主なる仏陀よ
われら支部信者一同
一丸となって
信仰を高め
教学に励み
悟りを磨き
伝道に
植福に
精進いたします。
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主の初期の講演に、『ユートピアの原理』がございます。この中で、「ユートピアに向けた個人の行動原理」に段階ある、教えていただいています。
第1段階は、自己変革の意欲とエネルギーを持つ段階ですが、その中でこのように説かれています。
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〇「自己変革」の意志を持ち、自らの心に神の国をつくるのが出発点
まず、目を内に向けよ。これが出発点です。自己変革する意思があるかないか、これが出発点なのです。これは幸福の科学の会員の資格ともなっています。「自らの正しき心の探究」と書いてあります。・・・
結局、「自己変革への意欲とエネルギー」であります。「自分の心を変える気があるかないか」を問うているのであります。・・・実在界の高級霊たちから見れば、私たちの世界というのは、もう海の底を歩いているようなものなのです。それほどフワフワとして不安定なものなのです。あるいは、砂漠の蜃気楼のなかを歩んでいるような、そうした状態であります。
「そんなことでは駄目だ」と言っているのであります。もう一度、心を入れ直せ。やる気を出して、「自らの心に神の国をつくる」、そういう決意を持たねばいけない。その決意を持つことが、まず出発点です。
これを、仏教では「菩提心」(ぼだいしん)といいます。悟りを求める心です。これを釈迦も強調しました。まず求める心がない人間は、変えようがないのであります。
大川隆法 『幸福の科学の十大原理(下巻)p125より引用』
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続いてユートピアの原理の第二段階として「仏法真理の探究・学習・伝道」を挙げています。ポイントとなる二点を『ユートピアの原理』からご紹介します。
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①内部蓄積の原理(仏法真理の探究・学習)
一つは、内部の蓄積です。これをやらねばなりません。・・・さすれば、まず、もう一度、出発点を振り返り、蓄積を開始することです。光のエネルギーの蓄積を開始する。仏法四隣の蓄積を開始する。愛のエネルギーの蓄積を開始する。これが大事であります。・・・
それは、心に蓄えたその糧こそが、多くの人々の心を潤していくための材料になっていく~です。多くの人たちに施していくための材料になるからなのです。
布施にもいろいろあるけれども、「法施」(ほうせ)「法を与える」「法を説く」という布施が、最大の布施であります。この法施は、心のなかに仏法真理の蓄積をせずにはできないのです。それゆえに、私は言っています。「まず知れ。まず学べ。仏法真理の探究・学習・伝道の順番を間違うな」と。
②学習から伝道に至るプロセスを間違えない
そして、「伝道」があります。結局、第二段階の一つは内的蓄積の原理であり、もう一つはこの伝道の部分、すなわち活動の原理であります。・・・
そうした材料は材料としてあるけれども、それをまず自分の血肉とせよ。自分のものとせよ。
自分のものとしたならば、自分の言葉として語れ。自分の行動の一部としてそれを消化せよ。これが大事なのであります。・・・今日、私から聞いたことで、皆様の心のなかに響くことがあるならば、魂に響くものがあるならば、それを自分のものとしてください。
それを自分の思想としていただきたい。
自分の信条としていただきたい。
そして、自分の信条としたなら、それをどうする。
どう、自分の毎日のなかに組み込む。
どう、人に伝える。
これは、「自らが、小さな神の王国の一部として活動せねばならない」と言っているのであります。これを知っていただきたい。
大川隆法 『幸福の科学の十大原理(下巻)p137より引用』
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最後に「植福功徳経」より抜粋をご紹介いたします。
〇「無私」「無我」の心で、喜びを伴う植福を
護法の誓いの証明に
無私無我にして
福植える
これぞ信者の誇りなり
「法を護る」といあう誓いの証明として、無私あるいは無我の心で植福することが、信仰者の誇りであるのだと言っています。
大川隆法 『エル・カンターレへの祈り講義』p197より引用』
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本日のポイントをまとめますと、
まず、伊勢支部を発展させるために必要な、道筋とは、
私達伊勢支部の信者がそれぞれ「正しき心の探究」のもとで、まず「信仰」を高めることが、原因となり、
「教学」に励み、「悟り」を磨くことが縁となって、
「伝道」と「植福」という修行行為のである「精進」を重ねるが結果として、支部を支えて下っている信者の皆さまの悟りが高まると同時に、それが伊勢支部の発展にもつながるということでございます。
ともに、信仰・教学・悟り・伝道・植福の精進を重ね、自分も、他人も、法友、そして支部も幸福になる道を歩んでまいりましょう。
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新年大祭にて皆様と誓願を新たにさせていただく「四弘誓願」について経典『沈黙の仏陀』より抜粋いたします。経典をお持ちでない方はぜひ拝受ください。菩薩の修業論がまとめてありますので、修行者必携の一緒です。【税抜き1800円】
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4 法門無量誓願学
三番目は「法門無量誓願学」です。これは、幸福の科学の会員には、特に身に沁みている言葉ではないかと思います。
「法門」というのは、要するに教えです。「釈迦に八万四千の法門あり」といいますが、これは教えの数が非常に多いことを意味します。私の教えも、一回一回の講演や一冊一冊の書籍は、すべて違うことを言っていますので、そのつどそのつどが一つの法門であり、新しい法門なのです。要するに、法に到るための門です。その教えを聴いて、悟りへの道の門をくぐるわけです。
そうした教えがたくさんあるのです。次から次へと新しい本が出、新しい説法が出ます。「同じことを言ってくれれば暗記できるのに、違うことを言う。これはたまらない。新しいことを覚えたら、古いものは抜けていく・・・」。この苦しみは、学習している者は誰しも持っていると思います。
そこで、この「法門無量誓願学」の教えが来るわけです。「法門は無量なれども、学び尽くす」と誓願するわけです。仏の教えのすべてを学び取ろうと誓うことです。
この「無量」のところを「無尽」と言うこともあります。「法門無尽」―法門は尽きないけれども、「誓願学」―学ぼうと誓う。あるいは「知」という言葉を使って、「法門無量誓願
知」と言うこともあります。さっそくいろいろな言い換えが出てきますから、これだけでも学び尽くせなくなりそうですが、最初に挙げた言い方を中心に覚えるとよいと思います。
すべての教えを学ぶ―これはたいへんなことですが、考えてみればありがたい話で降るのです。一回の転生、一回の人生で一つの教えしか学べないとしたら、生まれ変わりもたいへんです。みなさんがこの世に生まれ変わってくるためには、あの世の”生まれ変わりセンター”に行って、繭(まゆ)のようなものにくるまってじっとして、やがてお母さんのおなかに入り、十月十日がまんして出てこなければなりません。そして大人になるまで二十年間辛抱して勉強し、やっと通常の社会人の判断ができるようになります。それから法にたどり着いて、一つ学んだらあの世行になり、また一回―というのでは効率が悪すぎます。あまりにも生産性の低い転生輪廻と言わざるをえません。
一回の人生で学び尽くせないぐらいの法があるということは、ありがたいことなのです。それはどういうことかといえば、自分自身の経験では遭遇できない学びが、そこに展開されているということです。本来ならば、いろいろな転生輪廻をして、いろいろな立場や人格、身分等で生まれ変わり、経験して初めて悟るようなことを、教えとしてすでに示されているということですから、転生輪廻を何回もしてわざわざ体験しなくても、一度に学べるわけです。これは宝の山なのです。
ですから、「もうこれ以上は勉強できない。無理だ」とため息が出はじめたら、次のようなイメージをしていただきたいのです。山道をどんどん歩いていき、足は腫れ、くたびれ果てて、やっと頂上に近づいたら、そこに洞窟があった。毒鬱に入ってみると、宝石箱があった。その宝石箱を開けてみると、宝の山だった。真珠もダイヤモンドも何でも入っている。山道を登ってきて、ようやくこれだけの宝を手に入れた。さあ、どうしようか。山道を登ってきて、ようやくこれだけの宝を手に入れた。さあ、どうしようか。山道を下りていくときに、「こんなに荷物を持つと重いから」と言って、一個だけ持って下りていくでしょうか。一個だけ持って下りて、また上がってきては一個だけ持って下りる・・・。そのようにするかどうかで・
・
�。
やはり、重くても全部担いで帰るでしょう。再び登ってきたときには、すでに他の人が見つけてしまって、もうなくなっているかもしれません。ですから、たとえ重くても、登ってきたときの荷物を全部捨ててでも、宝石を担いで帰るのは間違いのないことです。一日ぐらいご飯を食べなくても構わないから、宝石を担いで下山していくのが普通だと思います。
「法の数が多い」と文句を言う人というのは、「ダイヤモンドや真珠や金がこんなにたくさんあったら、重くて持っていけないではないか」と不満を言っている人と同じです。「ああ、そうですか」と、パタンと蓋を閉められたらそれまでで、不満を言うほうが悪いのです。
「持って帰りなさい」と開けてくれているのですから、それは考え方を変えるべきなのです。先ほど述べたように、学び尽くせないと思ったときには、「ああ、自分は宝石を無駄にするのだな」と思っていただきたいのです。」「一度下山してから、上って取りにくることができるだろうか」と考えたときに、「それはできないだろう。それならば、この際に頑張って全部学んで還ろう」と決意すべきなのです。
また、来世で転生しても今世とは環境が違いますし、同じ法は説かれていません。来世で学ぶときには、おそらくこうしたオリジナルではなくて、翻訳本か解説本科、あるいは弟子の注釈書を読むことになるわけですから、宝物でも少し不純物が入ってきはじめます。金細工のように見えても、メッキされたものが、だいぶその中に入ってきます。そのため、そのなかから、メッキされたものをとるか本物をとるかという作業をしなければいけなくなります。来世ではそうした難しい修行がまた別にありますから、今世のうちに頑張って、学ぶべきところは学んでおくことだと思います。
ですから、もうこれ以上勉強できないと思ったときには、「法門無量誓願学」と何回も唱えればよいのです。紙に書いて貼っておくのもよいかと思います。
【大川隆法 『沈黙の仏陀』第2章「四弘誓願」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について
・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。
・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。
日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。
・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福です。
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・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)
(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)
・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。
(『現代の武士道』)
・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
(「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史
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