8 自らを神様のように思って入社する社員は、一年上の人に虫ケラ扱いされる。
20 すぐほめてくれる上司を信じるな。必ず陰で笑っている。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より抜粋】
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おはようございます。
本日9月7日七の日です。皆様誠におめでとうございます。
この聖なる日に、支部に相集い、主への感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきます。
『精舎霊域護持植福』など各種植福を本日承っています。
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「七」は勝利の日 「七」は目覚めの日 「七はあなたの生誕の日」
私たちは 主エル・カンターレ御降臨という
奇跡の時代に 仏弟子として 主と共に歩ませて
いただけますことを 心より感謝いたします
そして 主への報恩として
日本に 全世界に エル・カンターレ信仰を弘め
地球ユートピアを実現してまいります
私たちは これからも 仏弟子の使命である 伝道に邁進し
必ずや 「七の月」の「七の日」を
主の勝利の記念日とすることを お誓いいたします
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
9月7日(日)と9月9日(火)両日は伊勢支部にて「伝道力・勇気倍増祈願祭」を執り行います。【※熊野拠点では先行して9月6日(土)に執り行う予定です。9月8日(月)は在家開館日とさせていだきます】
伝道力・勇気倍増祈願祭では、本年のスローガン「主なる神を愛し、日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進めよう!」のもと、経典『愛することと愛されること』(8月下旬発刊)や『成功をつかむ発想法』の学びを通して、主への感謝や愛を深め、伝道を成功させるための教えを実践し、2030活動信者ミリオンに向けて、伝道力や勇気の倍増、伝道参加者が倍増していく正念を固めさせていただきます。
是非この機会に伊勢支部・熊野拠点にお越しください。
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちの方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第1章「仏教的精神とは何か」
5 四苦八苦
この四苦、生老病死というのは、誰ひとり逃れることができないのです。全員、確実にしぬのです。この予言だけは外れません。全員死ぬのです。間違いなく死にます。読者の方で、二十二世紀まで生きている人は、まずいません。二十一世紀中には死ぬことは間違いないのでしょう。
釈迦はまずこういう人生の真理を述べました。
さらに、八苦といって、四苦に四つを加えたものがあります。
まず、「愛別離苦(あいべつりく)」、愛する者と別れる苦しみがあります。
人生の間に、「この人とだけは別れたくない」というような親友もあったでしょう。また、懐かしい母親、父親、兄弟、友人、あるいは夫婦であれば、妻や夫、子供がありますけれども、愛(いと)しい愛しい自分の身内や友人といった懐かしい人と、ある日突然に別れがきます。病気あるいは事故もあります。それから、生き別れになって、もう二度と会えなくなることがあります。戦争等で生き分かれることもあります。あるいは、それまで仲よくやっていたのに、思想信条等がぶつかって分かれることもあります。信仰を得たために、たとえば夫と妻の信仰、宗教が違うために反目して、愛する者と別れることもあります。あるいは、たとえば幸福の科学に入ったということで、昔の親友と別れなければならないこともありましょう・
・愛する者と別れる苦しみというのは、人生の間に必ずどこかできます。
この反対に、「怨憎会苦(おんぞうえく)」といって、いやな人と会う苦しみ、嫌いな人と会う苦しみがあります。たとえば私ですと、こういう仕事に入らないで商社マンをしていたら、
【※主は東京大学卒業後、6年間、総合商社トーメンにお勤めされていました】いやな人と会うことも多分あるでしょう。外国で騙されたりするようなこともあるかもしれません。そういういやな人と会うこともあります。宗教の世界に入ったら入ったで、「ちょっと意見がある」などと言ってくる人がいたり、いろいろあります。この道に入ったがゆえに、そういういやな者と会わなければいけなくなる。こういうことがあります。もとの生活をしていたら、そういうことはまずないでしょう。ところがこの道に入ったらあるのです。
そのように、人生にはいろいろな選択肢がありますが、そのなかで、愛する者と分かれる苦しみ、いやな者と会う苦しみ、これはなかなか避けられないものです。どうしても出てくるのです。愛別離苦や怨憎会苦は、みなさんも、いろいろな過程でおそらくあるはずです。
それから、「求不得苦(ぐふとっく)」といって、求めても得られない苦しみがあります。これは苦しみを象徴するようなものであって、ほとんどの人にあります。
いい職場を求めてもなかなか得られない。出世を求めてもなかなか得られない。結婚相手、伴侶を求めてもなかなか得られない。収入がもっとあればいいと思うのに手に入らない。日当たりのいい家に住みたいと思うけれども手に入らない。せっかく家を買ったと思ったら、隣に鉄筋のマンションが建って陽が射さなくなった。あるいは、学歴を求めても試験に受からないこともあります。
このように、いろいろなものを求めても得られない苦しみは山のようにあります。これは万人が万人、おそらくあるでしょう。そういう悩みはみんなが持っているはずです。求不得苦というものは、考えたから考えただけ出てきます。
みなさんは振り返ってみると、過去いろいろなことを求めてきたと思いますが、しかし、得られたものより得られなかったものの方が、やはり多いはずです。もし、自分が思った通りに人生をもう一回やり直すことが許されるならば、「あれもしたい、これもしたい。こうであってほしい」と思うことはいくらでもあるでしょう。得られなかったものは山のようにあります。
しかし、それはあなた一人だけではありません。他の人もやはりそうなのです。得られなかったものは、ものすごくあるのです。その人その人によって違いはありますが、その人にとっては得られなかったものが、たくさんあるのです。
奥さんを得られないで苦しんでいる人もあれば、奥さんを得たために苦しんでいる人もいます。良妻賢母を得られなかった苦しみというのもあるのです。また、子供が欲しかったのに得られないと苦しんでいる人もいますが、できの悪い子どもを持ったための苦しみもあります。賢い子供を持てなかった苦しみ、これもあるのです。
このように、何かを与えられたらそれでいいかと言ったら、そうでもないのです。得られない苦しみというのは、なかなか止まることがありません。
最後に、「五蘊盛苦(ごうんじょうく)があります。「五陰盛苦(ごおんじょうく)ともいいます。五陰というのは肉体の煩悩(ぼんのう)のことであり、これが燃え盛るさまが五陰盛苦です。精神生活に目覚めてくると、本当にこれがいやになることがあります。
なぜ毎日毎日お腹が空いてくるのだろうか。自分は霊的な存在だと思っているのに、お昼になったら、お腹が空いてくる。一食抜けば、もう人間でないようにガツガツしてきます。恥ずかしいです。食べていないと、このようになってきます。「食物にこだわってはいけない」思うのに、どうしてもやめられない。お酒などもそうです。アルコールがどうしてもやめられない。そういう煩悩があります。
また、異性の問題もあります。若い人もそうですし、中年以降、晩年でも結構あるようですが、異性を求めて燃え盛る炎が静まらないことがあります。「ああ、こういう欲がなければ、どんなにスッキリするか」と思うのに、それでも止まりません。こういう苦しみがあります。肉体を持っていること自体に伴う燃え盛る煩悩、これを抑えることができないのです。「なぜ、こんなに苦しい」「宗教というは、きついことを言うものだな」と思いながら、抑えることができないで苦しみます。
このように、「生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」の四苦八苦を言われたら、どの方も逃げならないのです。この世に生きているかぎり、ついてまわるものです。
【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第1章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第3章 悠久の山河
10儒学の火は消えず
諸子百家の時代から、すでに二千数百年が過ぎ去りました。その間、儒教は、儒学と言われるように、主として、学問的側面から学ばれ、かつ、立身出世の方法・手段ともなったのです。孔子は、釈迦やキリストと同じく救世主たちの住んでいる九次元存在なのですが、なぜか儒教には、宗教のにおいがほとんどありません。
しかし、この事実は、ある意味において、孔子の知的洞察を感じさせるものです。キリスト教や仏教が、世俗権力と遊離していた面か多かったとするならば、儒教が儒学として、世俗権力の中枢まで入り込めたことは、伝道方法としては、非常に光明なところがあったと言えます。【※この論点に関しては、教典『地球を包む愛』p30に『唯物論の中国にとって「孔子の思想」が使いやすい理由』として教えをいただいています】
単に、天国地獄の思想を説いて、人々を狂信、盲信に駆り立てるよりは、人間完成の道を説いて、着実に人間を向上の道へと導くことも大切なのです。実際、孔子は、教育者としては人類最高の教育者であり、実によく、人間の性情、本質を知っておりました。私は、これからの宗教は、信仰と知性と理性を統合してゆくものである必要があると思います。その意味からも、あらたな孔子的な教えが必要とされてきているのではないでしょうか。
さて、孔子の時代から千数百年の月日が流れて、北宋の時代に周敦頤(しゅうとんい・一〇一七年~一〇七三年)という儒学者が出ました。周敦頤は、いわゆる宋学を大成したのが朱子(朱熹・しゅき)(一一三〇年~一二〇〇年)でした。趣旨は、南宋代の学者で、『近思緑』『四書集註』『資治通鑑綱目』などを遺した人です。そして、朱子学の名を冠されました。朱子は、第2章3節「永遠のローマ」で述べたように、梵天界の住人であり、かつて、キケロという名の哲学者としてローマに生まれております。【※朱子は明治時代に福沢諭吉として転生しています】
朱子の思想を要約すると、「理」は、形而上の道であり、ものの生まれるもとである。「気」は、形而下の器であって、ものの生まれる材料であるとされます。また、「理一分殊」という考え方においては、この世界をあらしめているものは「理」であるが、理とは、この世のうちや外のどこかに孤立して存在しているのではなく、ひとつである。そのひとつのものが、ここの事物のなかにあるとしました。
すなわち、あちらの池やこちらの湖に映る月はいくつもあるが、月は一つだけというのと同じです。この「理一分殊」の説は、どこかプラトンのイデア説を思わせるものがあります。おそらくは、キケロ時代に学んだプラトンの学説が、過去世の記憶としてよみがえってきたのでしょう。
一方、南宋の学問界にあって、朱子と対立した大学者がおりました。すなわち、陸象山(陸九淵)です。朱子は、「理」を形而上の一般者とし、「気」を形而下のものとして、理論上、二つのものに分けておりました。しかし、陸象山は、宇宙内のことは我が心の内のこと、我が心のことは、すなわち、宇宙内のことというように、「心即理」を説きました。
また、朱子が、「心はなお陰陽のごとし」として、心を形而下に置いたのに対して、象山は、心も形而上においたのです。これは、いわゆる唯心論的な立場だと言ってもよいでしょう。すなわち、宇宙のありとあらゆる働きは、ただちに我が心の働きであり、我があるから宇宙があり、宇宙があるから我があるのだという考え方です。
この陸象山の考え方は、ローマ時代の哲学者プロティノスの考え方によく似ていると言えます。唯一なる実態からすべてが流出してくるというプロティノスの一元論は、象山の考えによく似ているのです。なぜならば、陸象山は、実在界から、プロティノスの指導を受けていたからです。この陸象山が大乗仏教興隆時の僧、世親であったことは、すでに、本章5節で述べたとおりです。陸象山は、菩薩界上段階の方でした。
さて、この陸象山の「心即理」の説を受け継いで出てきたのが、明代の王陽明(一四七二年~一五二九年)です。王陽明は、象山の考えを、もっとはっきりした形で徹底しました。すなわち心即理であって、天下には、心の外の「事物」や心の外の「理」はないと言い切りました。たとえば、「孝」や「忠」という理がどこかにあるわけではなくて、純粋に天理そのものである心を発現して、父に事(つか)えれば孝となり、これを発現して君に事(つか)えれば忠となるとしたのです。すなわち、王陽明に言わせれば、深山の岩間に咲く花でさえも、「寂(じゃく)」の状態にある。これが、人の心にあるということと同じなのだということです。
こうした唯心論の理解は難しいと言えますが、仏教的な悟り、「宇宙即我」を考えることによって、よく分かります。つまり、こころというものは、開けば無限となり、閉じれば一点となる。そうしたものだという意味です。
また、王陽明は、知っていて行わないというのは、まだ知らないことなのだとし、「知合一致論」を説きました。これは、すなわち、父に功を尽くすべきだということを真に知っていれば、自然に孝を行うようになってくるということです。ここには、知ること、すなわち、思いと、行為との間に分離がありません。陽明の真意は、「心と行い」の関連を説くところにあったのです。王陽明は、八次元如来界の人でした。キリスト教的には、新教のルターやカルバンに匹敵する人だと言えます。【※その後の霊査で、王陽明は現代に大川家次男として転生していることが分かっています】
【大川隆法『黄金の法』第3章「悠久の山河」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2011年に発刊されました主の著書である、経典『真実への目覚め』の第5章「愛と天使の働き」を引用しながら、幸福の科学の教義をお伝えいたします。経典をお持ちでない方は、是非ご拝受ください。【1500円(税抜)】
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■愛と天使の働き
2嫉妬は自分の理想像の否定
〇嫉妬を感じる相手に対して「祝福の心」を持つ
人間は誰に対しても嫉妬するわけではありません。そうではなくて、自分が最も強い関心を持っている方向で優秀な人に嫉妬心を持つのです。
例えば、みなさんが「サッカー選手になりたい」と強く願っていれば、自分よりサッカーの上手な人を見ると、嫉妬を感じます。しかしながら、「サッカーの選手のようになりたい」と思っている人が、柔道の選手を見て嫉妬することは、あまりないのです。
同じように、「お金が欲しい」と強く願っていると、お金持ちは嫉妬の対象になるでしょうし、「異性から愛されたい」と強く願っていると、異性から愛されている人に対して嫉妬の心が湧いてくると思います。
そのように、第一段階として、「愛の対極にある嫉妬は、本当は、自分がなりたい理想像、自分が『あのようになりたい』と願う理想像を打ち壊そうとする、心の作用である」ということを知らなければなりません。
本当は、表面意識下では実現を願っているにもかかわらず、目標になるべき方向にいる人に嫉妬することによって、みなさんは、その方向に進むことができなくなるのです。なぜならば、みなさんには、嫉妬している対象に対して、必ず、批判をし、悪口を言い、その人の欠点を指摘するようになる傾向があるからです。
ここは大事なところです。みなさんが心に感じる嫉妬が「本当は、この人のようになりたい」と思う人に対するものであることを、素直に認めることができたならば、嫉妬の心を抑えて、逆に祝福の心を持っていただきたいのです。
祝福の心は「肯定の心」です。「かくありたい」と願う心です。祝福の心は、「他の人の幸福を願う心」なのです。
その心を持っていれば、みなさんは、自分が祝福している人の方向に向かって、人生を歩んでいくようになるのです。・・・
「嫉妬というものは、実際には自分の理想像を否定しているのだ」ということを、よくよく理解していただきたいと思います。
また、最も嫉妬が集まりやすいのは、お金に関することでしょう。裕福な人を見れば、嫉妬の心が湧いてきます。その嫉妬の心は、さらに増幅されてくると、憎しみになってきます。憎しみが、さらに増幅されてくると、攻撃性になってきます。そして、犯罪がはびこるようになってくるのです。
しかしながら、「自己実現ができないことで反社会的行為や破壊活動をすることは、それによって自分の夢を撃ち砕いているのだ」ということを知らなくてはなりません。
お金持ちと友達になりたければ、祝福の心を持つことです。彼らを祝福し、「彼らのようになりたい」という気持ちを持った時には、その裕福な人たちは心を開いてくれます。そして、貧しい人たちの友達になってくれます。さらには、「どうすれば経済的に成功するか」ということを教えてくれるようにもなります。
人は、「自分を祝福してくれる人と友達になりたい」という気持ちを持っているのです。それを忘れてはなりません。
「この世の中をよくしたい」と願うのであれば、不幸な人を増やすのではなく、「幸福な人を増やそう」という気持ちを大切に育てていかなくてはならないのです。まず、それを知っておいてください。
【大川隆法『真実への目覚め』第5章「愛と天使の働き」より抜粋】
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続きまして、英文要点読解3『真実への目覚め』の主に日本語訳部分を抜粋いたします。本日からは、ブラジル海外御巡錫での信者さんとの質疑応答をご紹介します。
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■THE MOMENT OF TRUTH-BECOME A LIVING ANGEL TODAY
〇Chapter6-Q&A with Master Okawa
―質問③―〇質問肉食は是か非か
ベジタリアン(菜食主義者)ではなく、肉食をする人は、間違っていないのでしょうか。
Is it right to be vegetarian? Is it wrong to eat meat?
〇答え
・近代以降の哲学者デカルト以降、欧米型の宗教のなかには、霊魂と肉体を分けて考える考え方があります。また、「霊魂は人間だけに宿っていて、動物には宿っていない」という考え方が長く続いているのです。そのため、肉を食べる人は、「動物には魂が宿っていない」と考えている場合が多いのです。ところが、インドなど、東洋のほうでは、「動物にも魂が宿っている」という考え方を持っています。特に、インドの古い考え方では、「魂は、人間に生まれたり動物に生まれたりする」と考えています。
・私は、基本的に「人間は人間の霊だ」と考えていますが、人間よりレベルは下がるものの、動物にも魂が宿っていて、喜怒哀楽レベルの感情を持っています。その意味では、「動物には魂が宿っていないから食べてもよい」という思想は、必ずしも正しいとは言えないのです。
・では、ベジタリアンならよいのでしょうか。実は、植物にも、かわいいかたちでありますが、ささやかな魂は宿っているのです。植物は、動物のように激しく動くことはできませんが、長時間、ビデオカメラで撮影し、それを高速で再生すると、植物も、ゆっくりとではありますが、やはり動いていることが分かります。彼らも生きているのです。
・植物であっても、喜びを感じます。例えば、暑い日が続くときには、雨が降ると喜びますし、雲の日が続くときには、太陽の光がさしてくると、やはり喜んだりするのです。つまり、単純な意味での喜びや悲しみは植物にもあるわけです。
・ただ、そういうことだけを言うと、人間は、そもそも動物も植物も食べられなくなって、生きていくことができません。ベジタリアンであるかどうかの問題ではなく、何も食べられなくなってしまいます。そうであるならば、神がこの世に人間を創った意味がなくなってしまいます。
・あるものを、食べるか、食べないか」というようなことは、文化によって違いはあると思いますが、魂の存在ということを考えると、もしくは、その視点が抜けると、「ベジタリアンか、ベジタリアンでないか」というような区別だけでは駄目です。そうした考えだけでは十分ではないと私は思っています。
Cultural differences exist over what you eat and don’t eat. But it does
not make sense to use the existence of a soul, or the lack of it, as the
criterion to judge whether you should eat something or not.
・地球に住む生き物として、人間が最高レベルの魂を持っていることは、間違いありません。そして、人間は他の動物や植物を食べます。それは動物や植物にとっては気の毒なことではあります。しかし、別の目から見れば、彼らは人間の魂修行、人生の経験を助ける役割をしているわけです。
Humans are the most highly developed souls among the life forms on
Earth. We eat other animals and plants, and this may appear to be a
cruel thing to do. However, viewed from a different perspective, animals
and plants are helping humans experience life and achieve spiritual
growth.
・人間のほうがなすべきことは、ベジタリアンであろうとなかろうと、植物を食べるとき、彼らに感謝の心を持つことです。殺生の罪を感じるかもしれませんが、その分、感謝の心を十分に持ち、自分が、よい人生を生きること、よい仕事をすることによって、お返しをし、彼らの尊い命をさらに活かしていかなくてはなりません。
Whether you are a vegetarian or not, it is important that you give
gratitude when you eat. You may feel the guilt of taking a life, But you
can make up for it by having a heart full of gratitude, and by living
and working in a way that will make the loss of these creatures’
precious lives worthwhile.
・彼らの命を5倍10倍に活かしていく方向に使うことができれば、彼らも喜んでくれると思います。
・私の考え方は、(動物や植物に)魂が宿っているかいないかで、「ベジタリアンが正しいか、正しくないか」というようなこととは離れています。人間が生きていく過程で、いろいろなものが犠牲になることがありますが、それを尊い犠牲としながら、よりよい社会をつくるために努力することによって、人間は、そうした罪を乗り越えていくことができると私は考えています。
【大川隆法 英文要点読解3『真実への目覚め』Chapter6-Q&A with Master Okawa より抜粋】
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本日の学びで、特に印象的だったのは、
『祝福の心は「肯定の心」です。「かくありたい」と願う心です。祝福の心は、「他の人の幸福を願う心」なのです』
という言葉でした。
光の属性として、「明るく、積極的、建設的、肯定的」というものがありますが、「祝福」は「他者への肯定感」を高める同時に「自己肯定感」を同時に高めます。
逆に、闇の特徴とは「暗く、消極的、破壊的、否定的」と考えられます。「嫉妬」は他者を否定することで、自己否定に最終的につながるマイナスの感情です。
人は、闇の属性であるマイナスの感情に関しては、努力しなくても、自然にできてしまいます。一方、光の属性であるポジティブな思いは、自助努力しなければできません。いつも笑顔であることであることも、常に努力が必要です。
隣人を救い助けるためにも、そして自らを救い助けるために、嫉妬心を乗り越えて、勇気を出して人を祝福して、隣人の幸福を祈りましょう。私たちは心の力に目覚めなければなりません。
嫉妬は、愛を広げる活動を必ず妨げます。私たちは心の力で、嫉妬する心を諫め、その力のベクトルを祝福に向けることが大切です。隣人を嫉妬して、他人の不幸を呪うのではなく、隣人の幸運を祝福して、他人の幸福を祈る私たちでありたいと考えます。それは、自らを幸福にするためにも必要な心がけです。
主のみ教えを私たちがまず学び、その力で多くの人を救い助けなければなりません。主なる神を愛すること、そして、私たちの隣人を愛することがとても大切です。私たちの隣人を助けるために、信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。
【大川隆法 英文要点読解3『真実への目覚め』Chapter6-Q&A with Master Okawa より抜粋】
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『「愛」の対極にあるのは「嫉妬」である』
まさに、一転語でした。
嫉妬する心が、生霊となり、呪い引き起す原因ともなります。経典『呪い返しの戦い方』には、「嫉妬は、奪う愛であり、与える愛の反対である」と教えていただいています。
思えば、悪魔の総大将たるルシフェルは、九次元霊のエンリルに嫉妬して悪魔になりました。一億二千万年前のことです。これは大昔だけのことではなく、例えば、現在深い地獄に堕ちた例として、共産主義をこの世に打ち出したカール・マルクスは、光の天使であるヘーゲルに嫉妬しました。このように嫉妬心は天使を悪魔に変えるほどの巨大でネガティブな悪想念です。
このように、嫉妬は光や愛と反対の力であるがゆえに嫉妬は、愛を広げる活動を必ず妨げます。私たちは心の力で、嫉妬する心を諫め、その力のベクトルを祝福に向けることが大切です。隣人を嫉妬して、他人の不幸を祈るのではなく、隣人の幸運を祝福して、他人の幸福を祈る私たちでありたいと考えます。それは、自らを幸福にするためにも必要な心がけです。
また、質疑応答の引用では、ウツの状態が長期間続くようならば、憑依の影響を受けていると考えてよいと教えていただきました。ウツに対しては、自分も光の子であるという自己認識と、感謝と祝福の心が必要であることを学びました。ウツに必要なのは、自分と他人への愛であることがよく分かります。こんなご時世ですから、ブラジルだけでなく日本や世界中にもウツの方が多くいらっしゃいます。そうした方々に主の光、主の教え、主の愛を届けることで、世の中からウツを一掃してまいりましょう。
ウツを乗り越えて、自らの仏性を発見し、主を愛し、私たちの隣人を救い助けるためには、主のみ教えを私たちがまず学び、その力で多くの人を救い助けなければなりません。私たちには、その使命があります。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■【支部・拠点】2025年9月「伝道力・勇気倍増祈願祭」開催概要
✧開催日 2025年9月7日(日)・9月9日(火)11:00~
※熊野拠点では9月6日(土)に先行開催 14:00~
✧参加奉納 2千円目安。
式典のみの場合は、感謝奉納。祈願は、別途奉納。
✧内 容
祈願1件につき、「支部祈願書」を1枚配布。
伝道力倍増祈願―強力編―(5千円目安、学生1千円目安)
伝道推進祈願―仏陀特別霊指導―(5千円目安、学生1千円目安)
勇気倍増祈願(5千円目安、学生1千円目安)
人を動かす祈願―デール・カーネギー特別霊指導―(5千円目安、学生1千円目安)
【趣 旨】
伝道力・勇気倍増祈願祭では、本年のスローガン「主なる神を愛し、日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進めよう!」のもと、経典『愛することと愛されること』(8月下旬発刊)や『成功をつかむ発想法』の学びを通して、主への感謝や愛を深め、伝道を成功させるための教えを実践し、2030活動信者ミリオンに向けて、伝道力や勇気の倍増、伝道参加者が倍増していく正念を固めさせていただきます。
「真実の愛が、本物の慈悲が、人々の心から心へと伝わりますように。」(「『伝道力倍増祈願』—強力編—」)という御言葉の通り、ご復活された主が「エル・カンターレの法」を説かれ、主の愛が全世界に広がるイメージを深めつつ、『天御祖神 武士道を語る』で学んだ「天御祖神様の武士道精神」を発揮し、勇気を出して、なお、一歩を進める伝道の誓いを捧げる機会とさせて頂きます。
「真実の愛が、本物の慈悲が、人々の心から心へと伝わりますように。」(「『伝道力倍増祈願』—強力編—」)という御言葉の通り、ご復活された主が「エル・カンターレの法」を説かれ、主の愛が全世界に広がるイメージを深めつつ、『天御祖神 武士道を語る』で学んだ「天御祖神様の武士道精神」を発揮し、勇気を出して、なお、一歩を進める伝道の誓いを捧げる機会とさせて頂きます。
<伝道において「愛の精神」を徹底するための具体的な方法>
魂の親であられる主の無限の愛(仏の恩)や、人の恩を発見し、「相手にとっての、太陽になり、空気になり、水になる」気持ちを深めてまいります。また、「伝道成功のための愛の実践例」や「仕事(伝道)能力や組織全体の力を高める共感力」について学び、参究を通して一人ひとりの心をお救いし、愛の精神を徹底していく決意を固めます。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
文責:蒲原宏史
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(9/7-1)250幸福の科学入門30「愛と天使の働き」嫉妬を感じる相手に対して「祝福の心」を持つ―『黄金の法』儒学の火は消えず
