14 目だけの恋ほど愚かなものはない。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。本日は鈴鹿支部開設記念日です。2022年9月4日三重県鈴鹿の地に新たな光の灯台を主よりいただきましたことを、心から感謝いたします。共に主の御名と主の御教えを、遍く広げ、主の光を広げるサンガの発展をともに目指してまいりましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
9月7日(日)と9月9日(火)両日は伊勢支部にて「伝道力・勇気倍増祈願祭」を執り行います。【※熊野拠点では先行して9月6日(土)に執り行う予定です。9月8日(月)は在家開館日とさせていだきます】
伝道力・勇気倍増祈願祭では、本年のスローガン「主なる神を愛し、日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進めよう!」のもと、経典『愛することと愛されること』(8月下旬発刊)や『成功をつかむ発想法』の学びを通して、主への感謝や愛を深め、伝道を成功させるための教えを実践し、2030活動信者ミリオンに向けて、伝道力や勇気の倍増、伝道参加者が倍増していく正念を固めさせていただきます。
是非この機会に伊勢支部・熊野拠点にお越しください。
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さて、私たち、幸福の科学の信者の幸福とは「悟りの幸福」です。私たちは、「正しき心の探究」を通して「愛と悟りとユートピア建設」をこの地上に実現するための使命を仏から与えられ、その実現のためにすべてを既に与えられました。
ここで、お釈迦様の教えである仏教的精神を振り返り、私たちの幸福を全世界に述べ伝える原動力となすべく、教典『悟りの挑戦(上巻)』を共に学びます。経典をお持ちの方はこの機会に是非ご拝受ください。【税込み1800円】
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■『悟りの挑戦(上巻)』第1章「仏教的精神とは何か」
4 四諦の発見
では、釈迦が初転法輪のなかで語った教えとは何であったのか。彼が梵天勧請されて、「説いてください」と何度も言われながらも、「これは難しいので無理だ」と思って説き渋ったその悟りの内容とは、いったい何であったのか。これについて述べてみたいと思います。
最初の五人の阿羅漢たちをつくったときに語った教えはいったい何であったのか。いったい何を彼は語ったのか。何を悟ったのか―。
そのときに言ったことは、まず最初は修行態度における中道です。これは先ほど述べた通りです。
「まず、中道を心掛けなければいけない。両極端を避けなければいけない。自分が骨と皮になって飢え死にし、死体になるような修業は望ましいことではない。また、あまりにも快楽中心の、一般の人たちと同じような修業でも、やはりだめだ。
自分に適度な厳しさを持ちながらも、この人生というものを充分に充実させてやっていく。適度に厳しく、そして苦しめすぎない。自分をそういう苦しみの中に置いたら、来世もまた同じ苦しみが待っているに違いない。そうであってはならない。あくまでも自分の人格を発展させるための修行でなくてはならない。中道というものを大事にしなければいけない。そういう中なる道というものを、まず修行の中心に置くべきだ。
それはちょうど、琴を弾くとき、弦が張りすぎていたらプチンと切れてしまい、緩みすぎていたら音が出ないようなものだ。弦を中ほどに張ってこそ音色がよい。これと同じように、修行というものも、美しい音色を長く奏でるためには、ちょうどよい具合にその弦を張らなければならない。これが修行の出発点である。修行態度としては、こうでなければいけない」。
まずこれを説きました。
そして、その教えの内容はいったい何であったか。要するに、釈迦が最初に説いた教えは、「四諦(したい)」といわれる教えだったのです。四諦というのは、四つの真理という意味です。この「諦」のことを”サティヤ”といいます。四つの真理を彼は悟ったわけです。そして、それについて五人の修行仲間に話をしたのです。
では、その四つの真理、四諦とは何でしょうか。
まず、この世の中に生きているということはどういうことであるのか、これ自体を定義しなくてはなりません。それを釈迦は「苦である」というように言ったわけです。「この世の中における生存、生きていること、迷いの生存、これは苦である」これをまず最初に言ったのです。
それを聞くと、みなさんは不思議にな感じがするかもしれません。「なぜ人生が苦なのだろうか」と思うかもれしませんが、これをもう一度よくよく味をっていただきたいのです。「苦である」というのは、いわゆる凡夫、要するにこの世での人生の目的と使命を知らない人間が、この世で生きている姿を言っているのです。悟りを開いた場合には、苦は消えるものなのです。これは苦しくはないのです。よろこびの世界がそこに現われるのです。
本書を読んで勉強しているような方は、悟りがだいぶ進んでいるでしょうが、まったく真理を知らない人、あの世があるということをまったく否定する人、死んだらもうそれで終わりだと思っている人、人間はアメーバから進化してきたと思っている人、そして人間は機械のようなものだと思っている人、そういう人がたくさんいるわけです。
そうした方の人生観や生きている姿、そして晩年になって、「死ぬのが怖い怖い」と言って暴れている姿はどうでしょうか。「人生はもう何十年かで終わりだから、生きている間にできるだけわがままをして、やりたい放題のことをやらなければいけない」と快楽にのめり込んでいく。酒浸りになったり、博打(ばくち)にのめり込んだり、家庭をないがしろになしたり、さんざんことをしています。無軌道な生き方をしていきます。あげくの果てには、強盗や殺人をするような人もいます。滅茶苦茶の人生を送ります。
もともとは、自分の正しいあり方、正しい人生観、人生の目的と使命を知らないという、単にそれだけのことです。これを知らない人生というのは、みなさんの目で見ても、やはり苦であると思うでしょう。かわいそうです。苦というのは、本当にかわいそうな、気の毒な生存です。
そして、彼らのその後はどうなるか。生きている間でも、大変な反作用がありますが、死んであの世に還ってからは、天国と地獄というものがあります。真理を悟っている人にとっては、「そのままでいったら、十年後あるいは二十年後、三十年後、確実に彼は地獄に行って苦しむだろう」ということがわかるわけです。しかし、それを伝える手段がないのです。それを聞いても、彼らは信じようとはしないでしょう。「あなた、そのままではたいへんなことになる」と言っても、全然信用しません。「そんなばかなことがあるものか。あの世に行って還ってきた人などいない。魂など見たことがない。神などない。そんな古臭い教えなど信じてはいけない。宗教が言うことなどは、商売のための言っていることであって、騙されてはいけ・
・
�い」。そんなことをいっている人はたくさんいます。
そして、みすみす地獄に堕ちていくのです。本当にまっさかさまに堕ちていきます。比喩的に言えば、地獄の鬼が釜でグツグツ煮ようとして、堕ちてくるのを待っているのに、それを知らずに機嫌よくやっているわけです。彼らにとっての”機嫌よく”なのです。真実の人生から見たらたいへんなことであって、脱線確実の列車に乗っているようなものなのです。そういう人生です。要するに、自分が間違っているということに気がつかない生き方、これが苦なのです。
釈迦が説いた苦というのは、私たちが普通に感じる苦というものではなく、ある意味においては、人間がこの世において真実の生命の充実感が満たされないという意味での苦しさでもあると思うのです。この世的な人生観でものごとを考えると、もう本当に、死ぬのは怖いし、それから、あれもこれも欲しい。生きている間に、できるだけのこと、やりたいだけのことを、なんでもかんでもやって死にたい。しかし、それが満足にいかない。そして暴れまわっているという姿です。その姿を見ると、単なる苦しみというよりは、満たされないような、不安というか、不満というか、悲しみというか、そういうものをも含んでいるように見えます。
この三次元の世界、物質の世界というのは、そのように、普通の人間であっても間違えやすい、真実の人生観を持ちにくい環境ですから、「正しい真理に気づくまでは、苦海―苦しみの海のなかで泳いでいるのと、ほとんど一緒である。これが人生の真相である」と、釈迦は言ったわけです。
当時、苦というものには主に三種類あると言われていました。
苦の種類の一つは、「苦苦(くく)」といって、苦しみのなかの苦、本当の苦、そのもの自体が苦であるというものです。
たとえば暑さ寒さのような苦しみがそうです。真冬に吹雪のなかの北海道の原野に投げ出されたら、これはそこにいること自体が苦しみです。これはもう理屈抜きで苦しいことです。この大雪のなかに住んで生活しているというのは、たいへんなことです。あるいは、熱帯のジャングルの中に住んでいたり、砂漠の日照りのなかで仕事をしている、このようなものも苦です。あるいは病気です。病気を楽しいという方はいないわけです。病気は苦しいものだとみんなも思っています。
このように、そのもの自体が苦である、そのもの自体に苦しみの性質を持っているものを苦苦―「苦の苦」というのです。問答無用で苦であるものです。
それから、二番目には「壊苦(えく)」というものがあります。壊苦というのは、壊れる苦しみです。これは、ある状態から転落する、ある状態が壊れてしまうことをいうのです。
たとえば、夫婦円満な家庭生活を送っていたのに、あるとき、ある事件が引き金となって夫婦の間に波紋が広がり、家庭争議が持ち上がって、離婚になったり、子供がどちらかに行ってしまう、そういう問題が起きることがあります。今まで円満であったものが、ある日を境にして壊れてしまうのです。
あるいは、順調に仕事をしていたのに、不況に入ったために会社が突如倒産するということがあります。今まで真面目に働いてきて、「やっと課長になれた。次は部長だ。一生懸命やるぞ」と思ったところが、経済の変動などで会社が倒産してしまった場合、これは自分自身の力ではどうにもなりません。努力したくても、どうしようもありません。そのように、崩れてしまった、壊れてしまった、こういうことがあるわけです。
このようなことは、ほかにもたくさんあるでしょう。みなさんが今まで手にしていた「これが幸福のもと」だったものが、ある日突然に壊れてしまうということはたくさんあります。こういうものを壊苦というのです。壊れる苦しみ、壊れていく苦しみ、これがあります。これは考えればいろいろなことがあるでしょう。
三番目には「行苦(ぎょうく)」というものがあります。行苦は、行いの苦しみです。これは移ろいゆく苦しみのことなのです。何ものも止まっていることはできない、すべてが移り変わっていくことの苦しみです。
たとえば、桜の季節には、「桜というのは、見るだけで幸福だ。この桜の花をずっと見ていたい。いつも桜の花を見ながら生きたい。桜の花が一年中、庭に咲いていたらいいのに」と思うのに、一週間もしないうちに、ものの三日ぐらいで、雨が降ったり風が吹いたら、花びらは散ってしまいます。とめておくことができません。
それは人間でも一緒です。いつまでも若いままでいたいと思うのに、毎年毎年、歳をとっていきます。いくらお金を払っても、これは止めることができません。辛いけれども止めることはできません。子供のままでいたいと思っても、いつかは大人になります。大人になって、いつか両親も死んで、社会のなかに放り出されて、自分で働かなければ食べていけなくなり、死ぬまで働かなければいけなくなってきます。このように、だんだん歳をとっていきます。女性も若いうちは美しいけれども、やがて皺が増えてきて、腰が曲がってきます。辛いです。これを行苦というのです。そのように、どんどん変わっていく、変化していく苦しみです。
このように、苦しみを、苦苦、壊苦、行苦の三つに分類するのが、大昔のインド人の知恵であったわけです。
【大川隆法『悟りの挑戦(上巻)』第1章「仏教的精神とは何か」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第3章 悠久の山河
8 ゆとりの哲学
孔孟の教えは、どちらかというと、努力の教えでした。すなわち、いかにして人間完成の道を窮(きわ)め、よって、理想国家を築いてゆくかという積極的、肯定的な哲学だったと言えます。孔子、孟子は、人間の発展というものを正面から見つめ、仏国土・ユートピアを地上に建設することをその目的として地上に降りた高級諸霊だったのです。
さて、同じく光の大指導霊でありながらも、まったく色彩の異なる教えを説く人がおりました。すなわち、道教の始祖・老子です。老子の生没年は不詳で、周代の人とする学者もあれば、孔子より時代を下った戦国時代の人だとする説もあります。そこで、実在界のアーカーシャーの記録で調べてみたところ、その誕生は紀元前五八七年、死去は同五〇二年ということでした。ですから、孔子より三十五歳年長で、同時代で活躍し、八十五歳でこの世を去ったというのが事実です。【※その後の霊査で、老子の転生にドイツの詩人・文豪のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがいるとされています】
司馬遷の『史記』に、若き日の孔子が、老子に道を問うたエピソードが記されていますが、これはほんとうでした。そのとき、孔子は、まだ三十歳ぐらいで、血気盛んでしたが、老子は、すでに六十五歳。老子には、大思想家としての声望と風貌がありました。また、孔子は、身長が一九二センチもある長身の好青年でしたが、老子は、身長一五五センチぐらいの、小柄でずんぐりとした男と、対照的です。
孔子が老子に道を問うたとき、老子はすばやく、若き孔子の衒気(げんき・他人に自分の才能などを見せびらかしたがる気持)を見抜き、こう言いました。
「お前さんは、大変秀才のようだね。よく勉強してきたことが、その顔に、はっきりと出ているよ。しかし、出世の野心がありありと出ているようでは、なかなか大成できない。人の上に立つと人と言うのは、野心を持った者を敬遠するものだ。もっと素直に、さりげなく、自然に生きなければいけない。そして、自然に生きて何百年も経った松の大木のように、自然に流れて滔々たる黄河の流れのように、大成していくことだ」
老子のこの言葉は、若き日の孔子の胸を打ちましたが、孔子は別の道を選びます。大自然さながらに生きることは尊いが、大自然と人間とは違う。人間があえてこの地上に生まれて来る以上は、己の魂を磨いてゆかねばならないのだ、と。これが孔子の基本的な考えであり、孔子より一歩先に地上を去っていた釈迦の考えと共通するものでした。
老子の無為自然の教えは、確かに万人を向上に導く教えとは言えないかもしれません。しかし、数千年の中国の歴史を見てくると、老子の言う無為自然の道、大自然と一体になった大道の存在を、一種のゆとりの哲学として感じるのは、私だけではないでしょう。
老子は、「自然」に二つの意味を持たせ、ひとつは、「大地」という意味での自然で、彼はこれを、「万物の母」もしくは、「玄牝(げんぴん)」(不思議な女)と呼びました。そして、もう一つは、「無為」、あるいは「玄徳」(無私・無心・無欲・無作為)であるとしたのです。すなわち、すべての不思議なことを避けて、自然に従って生きる。すべての人間に無為自然の道に立ち返れというのが、老子の思想でした。
そういう老子であったからこそ、理想国家論も、「小国寡民(しょうこくかみん)」をよしとしたのです。つまり、純粋な心を持った人々が住む小さな社会で、力や強制はすべて排せられ、うらみに報ゆるに徳をもってするような柔和な心の人だけが、人心を得る。そういう社会を理想としました。
老子の「小国寡民」の理想国家は、天上界にある村をはっきりとイメージしているようです。というのは、老子が住んでいた八次元の如来界は、まさしく、柔和な人々の小さな集まりでできている社会であり、色とりどりの草花が咲き乱れ、大自然が輝いているような世界なのです。孔子と老子の違いは、結局、天上界の教育者と、天上界の生活人との発想のちがいだと言えるのではないでしょうか。
この老子の思想を受け継いだのが、荘子(荘周)(紀元前三六七年~同二七九年)です。荘子の思想の骨格は、要するに、「道に遊ぶ」ということにありました。荘子によれば、「道」とは、天地自然の理法であって、一切の存在を消滅変化させながら、それ自体は消滅変化しないもの、あらゆる時間的、空間的な制約を越えながら、しかも、あらゆる時間、空間のなかに偏在するものなのです。
ですから、「道」を体得した者は、自己の「さかしら」を捨て去って、虚心となり、安らかで自由な生活を楽しもうとする。それを、荘子は「遊」と呼んだのです。荘子は、霊能者だったので、光子体離脱をして、よく天上界に、それこそ、「遊」びに来ていたようです。そして、そういう楽しみを持っていた荘子にとっては、この世的な価値とか、ものを比較区別する分別知などは、何の意味も持たないものでした。
荘子は、過去世において、ギリシャでヘルメスとアフロディーテの子エロスとして生まれ、近世では、近代哲学の祖デカルト(一五九六年~一六五〇年)として、『方法序説』などの書で知られた思想家となりました。後に、その魂の兄弟がフランツ・カフカ(一八八三年~一九二四年)という名前で、オーストリアに生まれ、『変身』『審判』などを生む特異な作家となります。カフカもまた、霊能者だったようです。荘子は、八次元如来界(太陽界)の方です。また、仏教系の分身の一人が、十三世紀に日本人、西行法師として生まれています。【※その後の霊査で、荘子の転生に仏陀時代の十大弟子の一人、大目連があり、現代に大川家の長男として転生しています】
この老荘思想は、三世紀の魏の時代に竹林の七賢が出て、清談をして、その思想を盛り上げました。七賢のひとり、阮籍(げんせき)は、形式的な霊法に反対し、方外の士には青眼を、俗人には白眼をもって接したことで有名ですが、現代に、武村健一という名で、評論家として生まれております。
【大川隆法『黄金の法』第3章「悠久の山河」より抜粋】
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幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2011年に発刊されました主の著書である、経典『真実への目覚め』を引用しながら、幸福の科学の教義をお伝えいたします。
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■真実への目覚め
2「正しい信仰」と「幸福の原理」
〇発展の原理―「四正道」は全世界に共通する教え
「愛」「知」「反省」「発展」という四つの教えを守って生きている限り、みなさんは必ず天上界に還ることができます。それは、何らかの他力によって救われるということではなく、
自分自身で天上界に還ることができるようになるのです。
この「四正道」を常に心に抱いて、毎日を生きていただきたいと思います。
そのなかにあって、「やがて、本来の世界が自分を迎え入れるのだ」ということを常に考え、神の目、仏の目を忘れることなく生きることが大事なのです。
人間は、このようにして、自分自身を変え、自分自身をつくり、自分自身の未来を夢のあるものに変えていくことができるからこそ、神の子であり、仏の子であるといわれるのです。これを、「神性」や「仏性」という言葉で称します。
したがって、私は、「みなさんのなかに、現在、もし悪なるものや心の曇りがあったとしても、本当は、みなさんのなかには、神の子、仏の子としての自覚があるのだから、それが目覚めたときには、自分で自分自身を救う力が出るのだ」ということを教えしたいのです。そして、「その自覚を促すことが私の仕事でもあるのだ」と述べたいと思います。
悪霊に憑依されている人が、こうした悟りを開くことによって、その悪霊が取れ、病気が治ることもあります。私が、その病気を直しているわけでも悪霊を取っているわけでもありません。みなさん自身が、自分の心を照らすことによって、悪なるものを自分から追い出すことができるのです。
みなさん一人ひとりが「自分を救う力」を持っています。これを強く信じていただきたいと思います。
今日は、幸福の科学的な教えとして、「正しき心探求」と、その具体的な方法としての「四正道」、すなわち、「愛」「知」「反省」「発展」の四つの原理についての話をしました。
最小限の教えを手に入れようとするならば、ここに集約して教えを求めてください。この教えを他の人に伝えてくだされば、最低限、幸福の科学の言おうとしていることは伝わります。その意味で、これは非常に基本的で大事な教えであり、全世界に共通する教えであると思っています。
【大川隆法『真実への目覚め』第二章 より抜粋】
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続きまして、英文要点読解3『真実への目覚め』の主に日本語訳部分を抜粋いたします。本日からは、ブラジル海外御巡錫での信者さんとの質疑応答をご紹介します。
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■THE MOMENT OF TRUTH-BECOME A LIVING ANGEL TODAY
〇Chapter6-Q&A with Master Okawa
―質問②―2つの使命を感じている青年
・現在、私は28歳です。真理の書籍を読み、「人生の終わりには、道は一つしか残らない。最後には、自分が最も望む一つの使命しか残らない」と解釈しているのですが、私の場合には使命が2つあるように感じるのです。2つの使命を持つことは可能でしょうか。
I am twenty- eight years old. After reading your books, I have come to
understand that in the end, each person has only one path to pursue. I
have learned that we have a single mission in life that we truly desire
to fulfill. However, I cannot help but feel that I have two mission in
life, Is it possible to have two missions in life?
・年をとるにつれて、あなたの本当の使命や能力、才能は明確になってきます。だいたい40代ぐらいで一つに絞らなければいけません。「50歳になる前ぐらいには、自分の進むべき道が一本になっていなければならないのではないか」と思います。しだいに、自分の本来の使命というか、一つの才能が強く出てくるはずです。そして、道が一本になっていくわけです。最終的には、40代までに自分の道が固まれば、だいたいそれでよいのではないかと思います。
As your get older, your true mission or abilities and talents become
clearer and clearer. By the time you are in your forties, you will have
to narrow down your choices to just one. Between the ages of forty and
fifty, you will want to choose one path. You must narrow it down to one
mission. Then, as the years go by, your choices narrow and you are left
with one path. So, you just have to think about finding your ultimate
path by the time you are in your forties.
・もちろん、今は、かなり平均寿命が延びたので、70歳や80歳で、第2、第3の人生を歩む人もいます。そのように、今は例外が数多く出てきている時代ではあるので、「1つのことしか、してはいけない」という限定は、基本的にはありません。いくつかのことに手を出しても結構です。そういう人もいるでしょう。
Of course, many exceptions exist in today’s age. Our life expectancy is
rising, and many people start their second or third lives when they are
seventy or eighty. Basically, you have no limit on how many missions or
dreams you can pursue, It is fine to try out many things. Many people
live this way.
・ただ、「人間の能力は数多くあるように見えても、最終的には、一つのことしか一流のレベルまでは行かない」ということだけは知っておいてください。2つ、3つ、4つと手を出すことはできますが、一流のレベルまで行けるのは1つだけであり、あとのものは、二流、三流、四流のレベルになることが多いのです。ですから、もしある分野で一流まで行きたければ、一つに絞らなければなりません。このことを覚えておいてください。
However, you must know that although people seem to have many abilities
or skills, in the end, they will not reach the top ranks unless they
concentrate on improving just one skill. When you attempt to polish two,
three or four skills, you will only obtain second-,or third-, or
fourth-rate results. So if you wish to join the top ranks of a certain
field, you must limit yourself to one skill. You should keep that in
mind.
・今、流行っている小説を見ると、地獄文学が非常に多いのです。今の小説においては、地獄的なものが描かれていないと面白くないのでしょう。しかし、私にはそういう面白い地獄文学は書けないので、残念ながら、本は書けても小説家としては一流になれないだろうと思っています。やはり、「宗教に的を絞ったほうが世の中のためになるだろう」と考えているのです。
Much of today’s literature is the opposite, and contains hellish
thoughts and ideas. I don’t think I would be able to write on such
topics. Since many people find these types of books enticing, I wouldn’t
be able to author a trendy book, In that sense, although I am a good
writer, I don’t think I could become a top-ranked novelist, I can help
more people by concentrating on preaching the Truths.
・一般論としては、「最終的には、一つの才能のところに生き筋を見つけるべきだと思いますが、若いうちは、まだまだ権利があります。試行錯誤しながら、いろいろなものにチャレンジしていき、「自分とは何なのか」ということを探求して、自分自身を知る権利があると思うのです。そうすることによって、隠された才能が出てくることもあるでしょう。
In general, it is best to find one skill and pursue it. When you are
young, you still have the leeway to try things and make mistakes: you
have the right to challenge yourself and come to know yourself. By doing
so, you may discover your hidden talents.
【※その後、主におかれましては、小説「地獄和尚」など、さまざまな教えを小説のかたちで出されています。】
【大川隆法 英文要点読解3『真実への目覚め』Chapter6-Q&A with Master Okawa より抜粋】
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天国に入る条件の第一は、「正しい信仰を持っている」ということでした。
そして、「幸福の原理」の第一は「愛の原理」でした。それは、人に愛を与える道ということでした。第二は「知の原理」では、霊的な人生観を持つ道を教えていただきました。第三は自分で自分を救うことができるという心の浄化として、「反省の原理」でした。そして「幸福の原理」第四の原理は、隣人を救い助け、利他に生きることで、地上をユートピア世界に変えていく「発展の原理」でした。
「愛」と「知」と「反省」と「発展」の「四正道」が幸福の科学の教えの中核です。
本日の教えでは、『「愛」「知」「反省」「発展」という四つの教えを守って生きている限り、みなさんは必ず天上界に還ることができます。それは、何らかの他力によって救われるということではなく、自分自身で天上界に還ることができるようになるのです。この「四正道」を常に心に抱いて、毎日を生きていただきたいと思います』
と教えていただいており、四正道の実践こそが仏神から人に与えられた救世の慈悲であることが分かりました。
また、
『人間は、このようにして、自分自身を変え、自分自身をつくり、自分自身の未来を夢のあるものに変えていくことができるからこそ、神の子であり、仏の子であるといわれるのです。これを、「神性」や「仏性」という言葉で称します』
この言葉が大変印象的でした。私たち一人ひとりには、神様仏様と同じ性質である「仏性」を心に宿されていて、本来尊い存在であることを教えていただきました。
そして、私たちが「仏性」を宿しているがゆえに、人は神の子、仏の子であることが言えます。これを根拠に私たちは、外見上は別々の存在に見えていても、本来は仏性を通して私たちは一体であるといえます。そして仏性を通して私たちは神仏とつながることができるので、「自分自身を救う力」を各人が持っています。これを強く信じることがとても大切であることも学びました。幸福の科学にとってはこれが基本的な考え方となりますので、伝道するときに、くり返し伝えていきたいと思います。
また、質疑応答の引用では、人生の使命の自覚は、50歳をめどに一つに絞るのを基本として、寿命が長い場合は、いくつかの使命もありうるということを教えていただきました。たくさんの使命を追っていても、それをすべて一流のレベルにまで行くにはとてもむずかしく、やはり最終的には一つの使命に絞るべきということでした。それぞれの年齢に合わせて人生の戦略があることを学びました。自らの使命を探し求める中で隠された才能、眠っている才能を掘り出し、仏の御手足となる働きを共になしてまいりましょう。
自らの使命を発見し、成就するために、つまり、主を愛し、私たちの隣人を救い助けるためには、主のみ教えを私たちがまず学び、その力で多くの人を救い助けなければなりません。
主のみ教えを私たちがまず学び、その力で多くの人を救い助けなければなりません。主なる神を愛すること、そして、私たちの隣人を愛することがとても大切です。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■【支部・拠点】2025年9月「伝道力・勇気倍増祈願祭」開催概要
✧開催日 2025年9月7日(日)・9月9日(火)14:00~
※熊野拠点では9月6日(土)に先行開催
✧参加奉納 2千円目安。
式典のみの場合は、感謝奉納。祈願は、別途奉納。
✧内 容
祈願1件につき、「支部祈願書」を1枚配布。
伝道力倍増祈願―強力編―(5千円目安、学生1千円目安)
伝道推進祈願―仏陀特別霊指導―(5千円目安、学生1千円目安)
勇気倍増祈願(5千円目安、学生1千円目安)
人を動かす祈願―デール・カーネギー特別霊指導―(5千円目安、学生1千円目安)
【趣 旨】
伝道力・勇気倍増祈願祭では、本年のスローガン「主なる神を愛し、日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進めよう!」のもと、経典『愛することと愛されること』(8月下旬発刊)や『成功をつかむ発想法』の学びを通して、主への感謝や愛を深め、伝道を成功させるための教えを実践し、2030活動信者ミリオンに向けて、伝道力や勇気の倍増、伝道参加者が倍増していく正念を固めさせていただきます。
「真実の愛が、本物の慈悲が、人々の心から心へと伝わりますように。」(「『伝道力倍増祈願』—強力編—」)という御言葉の通り、ご復活された主が「エル・カンターレの法」を説かれ、主の愛が全世界に広がるイメージを深めつつ、『天御祖神 武士道を語る』で学んだ「天御祖神様の武士道精神」を発揮し、勇気を出して、なお、一歩を進める伝道の誓いを捧げる機会とさせて頂きます。
「真実の愛が、本物の慈悲が、人々の心から心へと伝わりますように。」(「『伝道力倍増祈願』—強力編—」)という御言葉の通り、ご復活された主が「エル・カンターレの法」を説かれ、主の愛が全世界に広がるイメージを深めつつ、『天御祖神 武士道を語る』で学んだ「天御祖神様の武士道精神」を発揮し、勇気を出して、なお、一歩を進める伝道の誓いを捧げる機会とさせて頂きます。
<伝道において「愛の精神」を徹底するための具体的な方法>
魂の親であられる主の無限の愛(仏の恩)や、人の恩を発見し、「相手にとっての、太陽になり、空気になり、水になる」気持ちを深めてまいります。また、「伝道成功のための愛の実践例」や「仕事(伝道)能力や組織全体の力を高める共感力」について学び、参究を通して一人ひとりの心をお救いし、愛の精神を徹底していく決意を固めます。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史
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(9/5-1)248幸福の科学入門28「真実への目覚め」「四正道」は全世界に共通する教え―「悟りの挑戦(上巻)」四諦の発見―『黄金の法』ゆとりの哲学
