(9/30-1)273幸福の科学入門Ⅲ ㊽深い反省が必要な人には「折伏」を―内村鑑三の信仰

幸福の科学入門

8 呪いは嫉妬から発生すると心得よ。【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
8 内村鑑三の信仰

話を日本に転じて、近代日本に現われた預言者として、まず、内村鑑三(一八六一年~一九三〇年)を挙げておきたいと思います。内村鑑三は、明治・大正・昭和と三代に渡って活躍したキリスト者で、日本にキリスト教を根づかせ、その思想的高みへと導いてきた第一人者と言えるでしょう。

彼は、江戸末期に高崎藩(群馬県)の下級武士の家に生まれます。一八七七年、札幌農学校に入学。クラーク博士の遺風に感化され、キリスト教の洗礼を受けたのです。この農学校の同期として、新渡戸稲造がおりました。一八八四年からの四年間、彼は、アメリカのアマースト大学に学びます。帰国後、第一高等中学校講師となり、歴史の授業を受け持ったのですが、教育勅語に対する敬礼を拒み、いわゆる不敬罪事件によって、免職となりました。

その後、フィレンツェを追放されたダンテのごとく、京都、大阪、熊本などを流浪。一八九七年には、「萬朝報(よろずちょうほう)」の英文主筆となったのですが、やがて、非戦論を唱えて、同社を退きます。「東京独立雑誌」を刊行して以後は、自宅のある柏木の里を拠点として、「聖書之研究」誌を出し続けました。晩年は、「キリスト再臨運動」を起こし、全国各地で講演会を連続して開きます。主著として、『基督(きりすと)信徒のなぐさめ』『求安録』『余は如何にして基督(きりすと)信徒となりし乎(か)』などがあります。

私は、近代日本に、内村鑑三のような偉大な精神を持った人が現われたことを誇りに思っております。彼は、もちろん、キリスト教系の魂です。ですから、その目的も、キリスト教的信仰を日本の地に広げることに当たことは、明らかなのですが、彼が残した遺産のなかには、それ以上のものがあります。

まず第一に、内村鑑三は、「無教会主義」という考え方を打ち出しました。ヨーロッパでは、マルチン・ルターが「人の義をせらるるはその信仰のみによる」として、聖書中心の信仰を唱えましたが、カトリック教会制度に対抗して、プロテスタントの教会制度をつくり出してしまいました。しかし、内村鑑三が行ったことは、もっと徹底しております。すなわち、まさくし、信仰のみの信仰を説き、自らの良心と神との直結ということを重視したのです。

第二に彼は、偶像崇拝的なものの考え方に対して、痛烈な一撃を加えております。れそは、たとえば、教育勅語という「モノ」に対して、クリスチャンたる精神の独立を守るために敬礼をしなかったという一事にも要約されると思います。この事件に対しても、さまざまな考え方があるでしょう。クリスチャンだからといって、日本人の尊敬を集めているものに対して敬意を表さないというのは、それ自体が、逆の意味での形式主義だとの批判もあるかもしれません。また、内心の自由は、あくまでも内心の自由であって、外見上は大人の態度を取っていればようという見方もできるでしょう。しかし、私は、このときの内村鑑三の姿に、偶像崇拝のバアル信仰と戦った予言者エリヤの姿を二重写しのように見るのです。

第三に彼は、民族と宗教の関わり方に対して、ひとつの方向を与えていると思います。札幌農学校へ入学するために、札幌に来た若き内村鑑三は、当初、キリスト教信仰を不愉快な目で眺め、札幌神社で、「このいまいましき邪教を神国日本から打ち払い給え」と祈っているほどです。しかし、ひとたび彼がキリスト教の信仰に目覚めてからは、「二つのJ」に仕える決意をしております。二つのJとは、イエス(Jesus)であり、日本(Japan)です。

彼の墓碑銘には、

「吾は日本のために
日本は世界のために
そして、すべてはかみのために」

という内容の英文が刻んであります。これは、彼の思想的な発展、キリスト者としての内心の信仰と、国家的、世界的使命とを弁証法的に止揚する立場を雄弁に物語っていると言えるでしょう。【※止揚・しよう・ヘーゲル弁証法で、低い次元で矛盾対立する二つの概念や事物を、いっそう高次の段階に高めて、新しい調和と秩序のもとに統一すること。揚棄(ようき)】

第四に内村鑑三は、社会正義ということを掲げて戦ったクリスチャンでした。それは、日露戦争に対する非戦論や、足尾銅山の鉱毒事件に対する痛論、黒岩涙香や幸徳秋水とともに理想団を結成したことに表われております。

内村鑑三とも、もちろん性格的な欠点はありました。たとえば、妥協を許さぬ独立不羈(ふき)の精神は、彼をキリストの使徒としての「鉄の柱」にはしたでしょうが、彼を偉大なる大成の人、完成の人とはしませんでした。彼に常につきまとっていたのは、「独立」「自由」、そして「孤独」だったのです。また、キリスト教的受難礼賛の気持ちがあったことも、彼の人生に多くの不幸が彩った理由の一つだったと言えます。内村鑑三は、旧約の預言者エレミヤの再出でした。彼の弟子の矢内原忠雄がペテロの再出であったように、彼らは、日本にキリスト教を広めるために出た高級霊だったのです。

【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
ここからは、経典『正しき心の探求の大切さ』より、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道ついて主より教えていただきます。

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〇深い反省が必要な人には「折伏」を
それから、「この人は、反省できていない。とにかく反省しなければ駄目だ。心が真っ黒けで、これでは、まったく光が射さない。守護霊が完全に離れている状態だ」と思ったら、「反省」の教えを打ち込まなければ駄目です。

「あなたはこのままだと地獄行が確実だ。それを、百パーセント保証する。私は幸福の科学をもう二十年やっているんだから、一発で分かる。地獄行だ!反省せよ!」と、パシッと言わなければなりません。これが「折伏(しゃくぶく)」です。

これを、ときどきやらなければ駄目なのです。あまり優しく話してばかりいても、いけません。

仏法真理を知らないのに、「自分のほうが偉い」と思っている人は、世の中にはたくさんいます。会社のタイトル(肩書き)や学歴、お金持ちであることなど、いろいろなことで威張っている人がいるのです。

一介の主婦であったとしても、そのように、「部長だ」「重役だ」「社長だ」と言って威張っている人に対しては、正面から「パンチ」を浴びせなければいけません。

「あなたは地獄へ行きますよ。どうですか!私の言うことを信じますか。地獄へ行く前に、私の言うことを、一言、聴きなさい。今、あなたに必要なのは反省です」と言って、パーンと「兜割り(かぶとわり)」することです。これが「折伏」という行為です。

仏法真理的に見て、いわゆる「悪人」と断定されるような心を持っている、悪質な生き方をしている人に対しては、一発、パシッと叱ってやらなければ駄目です。優しく言うだけでは駄目なのです。

【大川隆法『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、反省について学びを深めます。
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〇心の曇りと悪霊
ここで、宗教を学んでいる人特有の誤りについて、もう一度くり返しておきたいと思います。よく御払いを受けて悪霊を落とすとか、あるいは、悪霊に憑かれないように魔よけの札を貼ったり、あるいはお守りを持ったり致します。しかし、そんなものこそ悪霊の笑いものになっている、という事実があるのです。そのようなお札やお守りぐらいで、怯えるような悪霊ではないのです。そうした単純なことを真理と思っているからこそ、彼らはますますその跳梁(ちょうりょう)の場を広げていると言ってもよいのです。悪霊たちは、ほんとうはそのような物におじけるものではないのです。彼らがいちばん怖いのは、神の心を心として生きているその人間なのです。

御祓いによって、たしかにその御祓いをする人に霊的な力がある場合、そうした超能力、真理能力がある場合には、その光の影響で、悪霊たちが一時期その人を離れることもありますが、それは、神社の境内を抜けたり、あるいはお寺を出ていてしまったときに、すぐにその影響が抜けてきて、またもとの曇りのところに、悪霊が呼び寄せられるということになります。取っても取ってもついてくるということです。ちょうど、蠅を追っているのと同じで、蠅を追っても追ってもまた戻ってきます。それは、そこに臭いものがあるからです。そのようになっているのです。・・・

この悪霊にも、もちろんいろいろあります。そして、その心の傾向性に種類があります。例えば、恨みの霊というものがあります。いわゆる怨恨霊です。どうしても、憎い、悔しいという怨恨、これを消しることができないでいる人です。あるいは、足ることを知らぬ欲望のままに生きている人です。とにかく、欲しい欲しいという思いを持っている人です。物質欲の強い人、あるいは色情霊の強い人、名誉欲の強い人と、いろいろいます。このような特定の傾向性をもつと、そうした種類の悪霊がたむろしている場所がありますが、これと相感応するような心を持つと、そこに縄ばしごをかけて、悪霊が来るようになってきます。

それゆえに、ここがいちばん大切なことですが、執着をつくるなという古来よりの教えは、まさしく悪霊に縄ばしごをかけられないようにせよ、ということを教えているのです。縄ばしごを掛けるには、掛けるだけのだけの理由があります。それだけの出っ張りが必要です。この引っ掛ける先のところが、執着といわれているものなのです。地上に生きている人間がその地獄に住むいろんな霊たち、その心の特徴にあった思いをいつも持っていると、ここに縄ばしごをかけられることになるのです。

ですから、悪霊のみを責めるのではなくて、やはり自分の心のなかにあるそうした傾向性について、深く反省をしていく必要があるのです。

その反省も、一朝一夕になるものではありません。心の傾向性ですから、何十年もかかってつくってきたものであるならば、また何十年かかけて、それを切り替えていく必要があります。慣性の法則というものがあって、長年心に刻んできたその傾向性はそう簡単に変わるものではありません。それは、同じだけの量と質を求めるようになってきます。

要するに、私がここで言いたいことは、悪霊を呼び込んでいるのは、ほかならぬ自分自身の心である、心の曇りがその原因である、したがって、心の曇りを晴らすことによって悪霊は去っていくのだ、そういう真実があるのだと言いたいのです。

【大川隆法『幸福の科学とは何か』第5章「反省はなぜ必要か」より抜粋】
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伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることです。これは大切な点です。
そして、エル・カンターレという神の名を伝えることが今とても大切です。

経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探求』といいます。そして、その『正しき心の探求』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。

そして、経典『「正しき心探求」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。

主は、「現代的四正道」を説いています。この「愛・知・反省・発展」の四つの考え方をまとめて、「正しき心の探求」と呼んでいます。正しき心の探求とは、「愛・知・反省・発展」の探求なのです。だから、伝道において四正道をしっかりお伝えすることがとても大事なことであることが分かります。

反省の教えでは、人の話しをよく聴くという態度が摂受して大切ですが、時と場合によっては、厳しく相手を折伏しなければならないことがあることを教えていただきました。本日の引用ではこのようにありました。

『それから、「この人は、反省できていない。とにかく反省しなければ駄目だ。心が真っ黒けで、これでは、まったく光が射さない。守護霊が完全に離れている状態だ」と思ったら、「反省」の教えを打ち込まなければ駄目です。

「あなたはこのままだと地獄行が確実だ。それを、百パーセント保証する。私は幸福の科学をもう二十年やっているんだから、一発で分かる。地獄行だ!反省せよ!」と、パシッと言わなければなりません。これが「折伏(しゃくぶく)」です。

これを、ときどきやらなければ駄目なのです。あまり優しく話してばかりいても、いけません』

主からは、普段の心掛けとして摂受八割、折伏二割のバランスがよいと教えていただいています。今にも崖から落ちそうになっている人、つまり地獄に堕ちる人に対して、優しく話を聴いているだけではいけないということを学びました。これも大切な反省の法門です。

また、別の引用では、反省の教えに、このようにありました。

『それゆえに、ここがいちばん大切なことですが、執着をつくるなという古来よりの教えは、まさしく悪霊に縄ばしごをかけられないようにせよ、ということを教えているのです。縄ばしごを掛けるには、掛けるだけのだけの理由があります。それだけの出っ張りが必要です。この引っ掛ける先のところが、執着といわれているものなのです。地上に生きている人間がその地獄に住むいろんな霊たち、その心の特徴にあった思いをいつも持っていると、ここに縄ばしごをかけられることになるのです。

ですから、悪霊のみを責めるのではなくて、やはり自分の心のなかにあるそうした傾向性について、深く反省をしていく必要があるのです。

その反省も、一朝一夕になるものではありません。心の傾向性ですから、何十年もかかってつくってきたものであるならば、また何十年かかけて、それを切り替えていく必要があります。慣性の法則というものがあって、長年心に刻んできたその傾向性はそう簡単に変わるものではありません。それは、同じだけの量と質を求めるようになってきます。

要するに、私がここで言いたいことは、悪霊を呼び込んでいるのは、ほかならぬ自分自身の心である、心の曇りがその原因である、したがって、心の曇りを晴らすことによって悪霊は去っていくのだ、そういう真実があるのだと言いたいのです』

執着が心に曇りをつくることによって、光が射さなくなり、そこに縄ばしごをかけて、悪霊が私たちの心によじ登ってくるという、リアルな状況を教えていただきました。反省によって、自らの考えや心の作用でつくってしまった執着と、それに伴い発生する悪想念を取り除いて、自分の心を神仏の光で満たすことの大切です。反省は、自分の心の波長を整えるためにとても大切です。毎日少しずつ取り組んでまいりましょう。

このように、反省の教えは、魂と心の透明度をつくるうえで極めて大切な教えです。心がきれいでなければ、天使や菩薩からのインスピレーション(霊的直観)を受けるとことが気なくなるからです。普段からこまめに自らの心を振り返り、反省によって心を浄化しましょう。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
  (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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