(9/26-1)269幸福の科学入門Ⅲ ㊹学校では教えない「本当の知」とは何か―モーセ登場

幸福の科学入門

4 最後の不況対策は、「口コミ」である。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
4 モーセ登場

アポロンの時代から約四百年の月日が流れ、天上界では、神の国を地上に建設するということを真剣に考え始めました。そのため、九次元世界から、偉大なる指導者をエジプトの地に送り込みます。これが、モーセです。モーセは、奴隷の子として生まれ、生れ落ちるや、すぐ葦舟(あしぶね)に乗せられ、ナイル川に流されたのですが、幸運にも、王女に拾われ、王宮で育てられました。そして、武術と学問に励んだのです。しかし、十八歳のとき、モーセは、自分が奴隷の子であることを知ってしまいます。【※その後の霊査で、モーセは南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)と戦い、27年間も獄中にいながらも、信念を
貫き、ついには同国初の黒人大統領となったノーベル平和賞受賞者・ネルソン・マンデラに転生しています】

そのため、彼はくる日もくる日も、悶々(もんもん)として苦しんだのです。当時、ラメセス二世(紀元前一二九二年~同一二二五年)の治世を記念して、ラメセスという名の町を建設するために、数多くの奴隷たちが使われ、苦しんでおりました。ですから、運命のいたずらによって、王宮に入ることがなければ、自分も彼らと一緒に、玉のような汗を流して酷使されていたはずだと思うと、若きモーセは、いたたまれなかったのです。

モーセは、学問に励み、武芸に励んで、同胞たちを解放する日が来るのを待ちました。彼が出エジプトを企てたのは、エジプト王・メレンプターの治世(紀元前一二二五年~同一二一五年)のことです。これは、一種のクーデターだったとも言えます。雌伏すること一七年、モーセは、すでに三五歳になっておりました。【※「(出エジプトの時の)モーセの敵がラムセス2世だった」という説も強いが、私は、次の代のメレンプター治下での戦いではないかと思ってはいる。霊言「ラムセス二世の霊言」の主の解説参照】

モーセの内乱軍は、次第に力を持ってきて、奴隷たちを次々と開放し、その数ついに成人男性にして六十万人にもなったのです。しかし、モーセの本意は、王と戦うことではなく、ヘブライの民たちを導いて、新しい国家を建設することにありました。したがって、彼は、大人数の民が、暴徒となって国内を荒らすことを怖れ、全精力を糾合(きゅうごう)して、国外脱出を図ったのです。これが出エジプトです。

モーセの脳裏には、二十七歳のときに見た光景が焼きついて離れませんでした。当時、モーセは、身分を隠し、ミデアンの知で牧羊をしながら、彼の妻の父・ミデアンの祭司エテロの下で修行していたのですが、ある日、野原を見ていると、突然、めらめらと炎が燃え上がったのです。モーセが近づこうとすると、その炎のなかから、声が聞こえてきました。

「モーセよ、足のくつを脱げ、吾れは在りて在るもの。吾れは万物に先立ちて在り。吾れは、アブラハムの神、イザアクの神、ヤコブ・イスラエルの神、全軍の主・ヤハウェなり。エジプトにいる我が民を救え。我が民の悲しみの声に気づけ。モーセよ、人々を開放せよ。エジプトから救い出し、乳の蜜の流れるカナアンの地へと導け。そして、そこに、我が国、イスラエルを建国するのだ。そのために、吾は、お前を選んだのだぞ、モーセ」【※その後の霊査で、「吾れは在りて在るものなり」とモーセに語ったのはオフェアリス神であることが分かっています。『アッラーの霊言』参照】

このヤハウェともエホバとも言われる神の声に導かれて、モーセは、成年男子約六十万人、女性と子供をあわせて二百万人近い民を率いて、出エジプトの旅へと立ったのです。モーセたちが紅海にたどりついたとき、王の軍勢たちが追って来ました。モーセは、紅海を前にして、祭壇を築き、ヤハウェの神に祈ったのです。【その後の霊査でヤハウェはイギリスの政治がディズレーリに転生しています。また、エホバは九次元大霊ゼウスの分霊であり、祟り神的要素として現われたものであることが分かっています。『ヤハウェの霊言』『エホバの霊言』参照】

「ヤハウェよ、私はあなたの御心のままにヘブライの民を連れてまいりましたが、ご存じのように、前は紅海であり、後ろは王の軍勢です。私には、ヘブライの民すべてを乗せて渡すだけの舟の用意がありません。また、王の軍勢と戦えば、民の多くの血を流すこととなるはずです。万軍のヤハウェよ、どうか彼らを救い給え」

「モーセよ、何を怖れるか。この世のことで、吾れの自由にならぬものは、何ひとつとてない。風も、木も、山も、川も、空も、我が望むがままだ。見よ。お前の怖れていた海など、どこにある。吾れは、紅海を今、お前たちのために、まっぷたつに割いて見せん」

ヤハウェがこう答えるや、モーセたちの前には、前代未聞の光景が繰り広げられました。すなわち、神話的伝承を再現するとするならば、長さ二キロにわたって公開がまっぷたつに裂け、幅二十メートルの道が海底に現われたのです。そして、まるで見えない壁に遮られるかのように、高さ十五メートルぐらいの海水が、空中でUターンして逆戻りしております。干上がった海底の道には、赤や青の大小さまざまの魚がピチピチとはねています。

「急げ」とのモーセの一声で、ヘブライの民たちが、海底の道を進みました。モーセたちが通りすぎた後、海底の道は、次々と海水に呑み込まれて没し、王の軍隊は、一部溺れ、他の者たちは、恐れをなして逃げ戻ったのです。

その後も、奇蹟が起きました。すなわち、シナイ山上で、ヤハウェが、また、啓示を与えたのです。【その後の霊査で、モーセは、複数の霊存在から霊示を受けていたことが分かっています『ヤハウェの霊言』参照】

「一、汝、吾の外(ほか)何者も神とすべからず。二、汝、何の偶像も刻むべからず。三、なんじ、吾が名をみだりに口に唱うべからず。四、汝、安息日を覚えて、聖く(きよく)すべし。五、汝、父母を敬え。六、汝、殺すなかれ。七、汝、姦淫するなかれ。八、汝、盗むなかれ。九、汝、隣人につき偽証するなかれ。十、汝、隣人の家を貪ることなかれ」

これが、モーセの十戒であり、一~四は宗教的な誡(いまし)め、五は道徳的誡め、そして六~十は倫理的・法律的誡めでするこのモーセの十戒は、神を人格神とし、一神教を開いた点、また、社会の秩序を神法という法によって律する点など、後の世に与えた影響は非常に大きかったと言えます。このときのヤハウェとは、すなわち、エンリルという九次元霊だったのです。【※エンリルは現代に高橋信次として転生しています】しかし、従来、中東全域で信仰されていたエローヒム(エルの神※エル・カンターレの本仏意識の地球二度目の降臨時の名)と、モーセを指導していたヤハウェとの混同がここに始まり、中東でのイスラエル民族の孤立と激しい戦争、三千年の迫害の歴史が始まります。至高神エルとそれをとり巻く複数神霊・
・区別がつかなかったモーセの悟りの未熟さが、その後の悲劇を生んだとも言えましょう。
【その後の霊査で、ヤハウェとエンリルは別存在であり、エンリルは確かに存在するが、エル・カンターレ系の息子扱いとされています。現在、九次元にて裏側に表側から封じ込められている状態であり、他の九次元大霊と同格ではないことが分かっています。『アッラーの霊言』参照】
【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

9/28(土)朝10時〜10時45分 三重テレビ7チャンネルで2022年エル・カンターレ祭御法話「地球を包む愛」の放送が決定いたしました。「小さな地方局かも知れませんが、象徴的闘いでした。この勝利はとても大きい」

一般放送に当たっては、メディア支援植福という形で、テレビ放送の経済的支援を伊勢支部にて支えさせていただいています。法人での提供も募集していますので、詳しくは支部までお問い合わせください。主の奇蹟の復活を祈り続ける今、私たちの信仰心をこの植福に結集してまいりましょう。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

ここからは、経典『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より教えをいただきます。
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〇学校では教えない「本当の知」とは何か
次に、「知の教え」があります。「四正道」の二番目は、「知」です。

この「知」とは何かというと、これに関しても、たくさんの教えがあるため、いわく言いがたいのですが、簡単に言うならば、次のようなことになります。

あなたがたが学校の教科書で学んでいるような知識だけが、「知」ではありません。

「本当の知」とは、やはり、「仏法真理」というべきものです。

それを要約すれば、仏が教えているとおり、「本当の世界は、この世とあの世の両方にまたがった世界であって、『人間の本質』は魂といわれるものである。その魂の中核にある部分が『心』であり、その『心』こそが自分自身なのだ」ということになります。

要するに、「心こそが自分自身であると知って、心の教えを学ぶこと」が、この「知」にあたるのです。

「心の教えを学ぶ」とは、「人間は、この世とあの世を行ったり来たりしている存在であると知って、この世を生きる」ということです。

「あの世の生活があって、この世の生活がある。この世の生活があって、あの世の生活がある」という、この世界の仕組みを知った上で、人生を生きることなのです。

これを知っているかどうかが、本当の意味で、その人が賢者であるか、賢者でないか。賢いか、賢くないか。物事を本当に知っているか、知らないか。真理を知っているか、知らないかを分ける基準です。

この世において、いかなる大学者であろうとも、大知識人であろうとも、いかに学校の成績がよくとも、この基本的な真実、つまり、「人間は、あるよとこの世を生き渡っている存在である」という真実を知らない人は、仏法真理の立場から言えば、「無明の人」、「明かりがない人」であり、目が見えず手さぐりで生きている人なのです。

そういうレベルであっては、尊敬するに値しません。
それは、この世的に『賢い』と言われるようなノーベル賞学者であろうと、あるいは、脳外科医や物理学者であろうと同じです。また、唯物論者で頭のよい人はたくさんいるでしょうが、この基本的な事実を知らない人は、「賢い」とは言えないのです。少なくとも、私たちは「賢い」と思っていません。

さらに、もっと別な言葉で言えば、「愚かである」ということです。非常に愚かな人生を射ているにもかかわらず、それを「賢い」と思い込んでいるのです。

仏教では、このことを、「顚倒妄想」【てんどうもうそう】と言います。価値観が引っ繰り返っており、バカな人を「賢い」と思い、賢い人を「バカだ」と思っているわけです。

このように、人々の価値観がひっくり返っているため、私たちには、本を発刊したり、映画を製作したり、講演会やセミナー、研修会を開いたりして、いろいろな知識の流布をし、大勢の人たちに「価値観を教える仕事」が発生しているのです。

【大川隆法『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、与える愛について学びを深めます。
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〇愛に段階あり
与える愛の大切さを、語ってまいりました。

そこで私は、この愛にも、さらに顕現のしかたに違いがあるという話をしておきたいと思います。これについては、くわしくは『太陽の法』という書のなかに書いておきましたから、すでにご存じの方も多いと思います。

まず、愛のなかにも、いわゆる「本能の愛」と言われるものがあるでしょう。生まれつき愛するとようにできている部分です。ちょうど、子猫を親猫が愛するように、そのように本能的に愛すべく義務づけられている愛として、「本能の愛」というものがあり、これは四次元的な愛だと私は語っています。

もちろん、このなかにも、レベルの違いはあります。家族愛のなかにも、崇高なものもありうるでしょうし、単なる肉親の絆を越えた師弟愛が生まれたり、もっと聖なるものに奉仕戦とする愛が生まれることもあるでしょう。したがって、あくまでも基本的な形についての話です。兄弟愛、親子愛、こうした基本的なあいとしての四次元的な愛があります。

この上に、五次元的な愛として、いわゆる「与える愛」の基本的なものがあります。この「与える愛」というのは、イエスが言った「隣人愛」に相当するわけです。イエスは「汝の隣人を愛せよ」と語りましたが、この隣人(となりびと)というのは、直接の利害関係がない方というようにとらえてもよいでしょう。生きていくうえで会っていく、いろいろな人びとと考えていいでしょう。そうした人びとを愛しなさい、という意味にとらえてよいでしょう。ここに、「与える愛」の出現の場があります。この愛は、やはり、家族関係の愛というよりは努力をともなう面、また霊的に一層の目覚めが必要であるという面において、より高次な愛と言えるかもしれません。そこに、魂の進歩が見受けられるからです。

さて、この「与える愛」も、さらに進歩していくことがあります。この五次元的与える愛を「愛する愛」とも私はよんでおりますが、この「愛する愛」は、その人の霊的飛躍、成長にともなって、やがて指導者の愛となってゆくのです。導き手の愛と言ってもよいでしょう。この愛のことを、六次元的愛、または「生かす愛」というように呼びます。すなわち、この六次元的愛というのは、指導者の世界における愛ですから、多くの人びとを導こうとする愛です。

ゆえに、この愛を発揮できる人は、リーダーとなりうるだけの能力、資格、資質を備えていることが、必要になってまいります。学者であるとか、芸術家であるとか、経営者であるとか、政治家であるとか、その方面はさまざまではありましょうが、ひとかどの人物と言われ、一級の人物と言われている人たちが、この世界には多いのです。こうした愛は、通常の人間の他の人に対する親切さという意味での愛を、たしかに超えたものがあると思いますし、高級霊の存在の意味、役割に近いところがあると思います。その意味において、神に側近き愛であると言ってもよいでしょう。

さらにこの上には、七次元の菩薩の愛があります。また、これはひじょうに宗教的な愛であり、「許す愛」と言われる段階に来ています。これは、一般の人とはかなり境地が違っているので、その愛の器が大きく、許容する範囲がひじょうに広くなっているのです。

霊的進化のその速度は、どれだけ多くの寛容さをともなうかによって、計りうるものなのです。六次元的な生かす愛のなかには、まだまだ寛容さというものが十分に含まれてないことが多いと言ってもよいでしょう。その指導者は優れており、そして他の人びとをのばすというちからは持っているけれども、宗教者的見地からの許す愛、許容するあい、寛容さの愛というものがにじみ出てくるほどには、まだ魂の器そのものが大きくなっていないとも言えましょう。これにひきかえ、七次元のこの愛は、より大きな許す愛であると言ってもよいでしょう。包み込む愛であると言ってもよいでしょう。

さらにこの上なる愛として、八次元の如来界の愛があります。これを私は「存在の愛」と呼んでいます。存在の愛は、もちろん大きな意味では、九次元までも含みます。これは、時代精神ともなるような人の愛のことを言っているのです。単に自分のまわりにいる人だけを照らすのではなくて、時代を超え、地域を超え、灯台の光のごとく光り続ける愛、そうした愛のことを、私は「存在の愛」と呼んでいます。・・・

この上には、「救世主の愛」というもがあります。九次元的愛です。これはもう人類の最高峰の愛であり、人類愛そのものであると言ってもよいでしょう。この愛は、救世の情熱そのものです。そうした愛もあるということを、愛にそのような大きさの段階があり、境地の段階があるということを知っていただければ幸いです。

【大川隆法『幸福の科学とは何か』第4章「愛の基本」より抜粋】
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伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることであることを本日学びしまた。
これは大切な点です。

経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探求』といいます。そして、その『正しき心の探求』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。

そして、経典『「正しき心探求」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。

そして、四正道の二番目である知についてこのように教えていただきました。

『「本当の知」とは、やはり、「仏法真理」というべきものです。
それを要約すれば、仏が教えているとおり、「本当の世界は、この世とあの世の両方にまたがった世界であって、『人間の本質』は魂といわれるものである。その魂の中核にある部分が『心』であり、その『心』こそが自分自身なのだ」ということになります。

要するに、「心こそが自分自身であると知って、心の教えを学ぶこと」が、この「知」にあたるのです』

知は、愛を広げるために必要な力です。主の愛を広げるために本物の知をえるために、主の経典を紐解いてまいりましょう。私たちの求める知は、私たちが持っている仏法真理の書籍のなかで、目覚めるときを待っています。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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文責:蒲原宏史 

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