(9/23-1)266幸福の科学入門Ⅱ ㊶菩薩になるための条件―愛に始まる

幸福の科学入門

1  コロナ時代でも、人間嫌いになるな。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
1 愛に始まる

私は、第2章、3章、4章に、それぞれ西洋史、東洋史、日本史に現われた高級霊の歴史を記してきました。本書は、高級霊の活躍の歴史を全体像で捉えたという点では、かつてなく、これからも書かれることのない記録だと思います。

私は、人類の歴史を一万年でも、十万年でも、百万年でもさかのぼって書くことができるのです。しかし、これは、もちろん、地上に肉体を持っている大川隆法という個人の脳細胞の記録には、とうてい残ってもいない内容です。では、なぜ私は、そういう歴史を書くことができるのでしょうか。なぜならば、これは、実は、私の魂の約八十パーセント、すなわち、霊天上界九次元世界にある私の全魂の八十パーセントの潜在意識部分によるものだからなのです。

とはいえ、人類の歴史を長々と語ることだけが意義のあることではないでしょう。あなたがたが知っていてよい歴史は、やはりここ数千年の歴史でしょうし、そのなかに現われた、仏の計画や高級諸霊の活躍が、現代人たちの記録に留められ、後の世に語り継がれてゆくならば、おそらくはそれで十分であるに違いないのです。

私は、その意味で、本章では、史書を忠実にさかのぼるのではなく、突起されるべき予言者の思想をクローズアップするために、何人かの預言者にスポットを当ててみたいと思います。ここで預言者とは、仏の考えや教え、光を何らかの形で、実現すべく預かった者という意味です。私が本性で取り上げてみたいのは、ギリシャのゼウスであり、アポロンであり、ユダヤのモーゼ、エリヤ、イエス・キリスト、中東のマホメットであり、さらには、近代の日本の内村鑑三、谷口雅春、高橋信次です。もちろん、歴史上に名をとどめている預言者はこれ以外にもたくさんおりますし、そのひとりひとりが捨てがたいほど貴重な活躍をしてきたことは、確かだと言えます。

ただ、ここに挙げた九人の方がたは、二十世紀末を人類の折り返し点となるならば、間違いなく後世の人々に語り伝えてゆかねばならない方がたなのです。ですから、私は、彼らが、キリスト教であろうが、回教であろうが、ユダヤ教であろうが、神道であろうが、その表向きの分類には囚われません。要は、仏の考えを、その時代の人々に伝えた方たちだということなのです。

人類の歴史は、偶然の産物ではなく、いつの時代にも、その時代に核となる預言者、高級霊界からの使者がおりました。そして、それらの予言者の存在は、同時代にその人の真価が判明するしかしないかは別して、確実に、後の世の数百年、数千年の人々に影響を及ぼしているのです。

言葉を換えるならば、人類のそれぞれの文化文明の歴史は、預言者を核として、そこから始まったと言ってもよいのです。この地上に、何百年も、何千年かおきに、仏が預言者を送り込んでいる事実は、これが仏の大いなる愛なのだと理解されてよいでしょう。

預言者がその時代に出るということは、それが仏の愛の存在の、最大の証明なのです。すなわち、時代は予言者によって始まり、預言者によって創られてゆくのです。預言者の出現そのものが仏の愛ならば、かくして、人類の歴史は、愛に始まったのだと言ってもよいでしょう。そして、押し寄せる仏の愛の波のなかで、人類は、今もひとつの時代の始まりを感じつつあるのです。

【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

9/28(土)朝10時〜10時45分 三重テレビ7チャンネルで2022年エル・カンターレ祭御法話「地球を包む愛」の放送が決定いたしました。「小さな地方局かも知れませんが、象徴的闘いでした。この勝利はとても大きい」

一般放送に当たっては、メディア支援植福という形で、テレビ放送の経済的支援を伊勢支部にて支えさせていただいています。法人での提供も募集していますので、詳しくは支部までお問い合わせください。主の奇蹟の復活を祈り続ける今、私たちの信仰心をこの植福に結集してまいりましょう。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

ここからは、経典『君よ、涙の谷を渡れ』の質疑応答より「菩薩になるための条件」について主より教えていただきます。

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・菩薩になるための条件
〇質問
私は、新しく幸福の科学に集会した人たちに、どんどん幸福になっていただきたいと思いますし、さらには、そのような法友と共に菩薩の境涯を目指していきたいと願っていますが、システム的に菩薩をつくる方法はあるのでしょうか。また、菩薩が誕生するための条件について、教えてください。

〇答え
① 「私欲を抑えて公のためにつくす」という気持ち
システム的に菩薩をつくれたら大したものですが、なかなか、そうはいきません。いろいろな環境下、いろいろな条件下で、一定の条件をクリアした人が菩薩になっていくわけであり、みな同じではないのです。

与えられた問題集は、人によって、それぞれ違います。

体に、重度の障害を持ちながら、がんばって菩薩になる人もいれば、健康体で菩薩になる人もいますし、秀才で菩薩になる人もいれば、勉強はあまりできなくても菩薩になる人もいます。また、男性の場合と女性の場合でも違います。

とにかく、いろいろなかたちがあり、パターンは一種類ではないのです。そのため、「こういう人は必ず菩薩になります」ということは言えません。

ただ、簡単に述べると、次のようなことが言えます。

人間は、動物的本能として、自分を護ることや、自分のためになることは、したがりますが、人のためになるようなことは、二の次になることが多いのです。

さらに、もう少し動物性の強い人は、残忍性が増してきて、人を蹴落としたり、傷つけたり、殺したりすることがあります。これは、動物性よりも、もっと悪いものかもしれません。

本能的には、そのようになりがちであるわけですが、それを、努力してひっくり返さなければいけないのです。自己犠牲という言葉は必ずしも正しくないかもしれませんが、私欲、私の欲を抑えて、「世のため人のため、公のために、少しでも尽くしたい」という気持ちを持つ人をつくることがだいじです。

② 感化力と責任感の大きさ
「どの程度までやれば菩薩になれるか」ということは、人それぞれのケースがあるので一概には言えませんが、結果的には、やはり感化力の大きさの問題だろうと思います。

たとえば、宮沢賢治は菩薩になっていますが、その感化力は大きいといえるでしょう。もし、彼の文学作品が遺っていなくて、かれが農業学校の先生でわかっていたとしたら、おそらく菩薩にはなれなかったと思います。彼の遺した詩や童話などが、世の母親や子供たちをはじめ、数多くの人々の心に潤いを与えたから、菩薩になれたのでしょう。

そういう文学作品を通して菩薩になる人もいれば、「伝道して大勢の人を導く」という実践活動を通して菩薩になる人もいます。

自分を犠牲にするようなこともありますが、結果的には、この世だけではなく、あの世に還ったあとまで含めて、自分に対して感謝してくれる人がたくさん出てくることが菩薩へ道なのです。

自分を犠牲にするようなこともありますが、結果的に、この世だけではなく、あの世に還ったあとまで含めて、自分に対して感謝してくれる人がたくさん出てくることが菩薩への道なのです。

これは神々でも同じです。感謝してくれる人が増えれば増えるほど、神としての格が上がっていきます。

では、どういう人が感謝されるかというと、結局、「できるだけ多くの人を幸福にしよう」と努力した人であり、そういう人が神に近づいていくわけです。

「与える」ということは、ある意味で、「捨てる」ということでもありますが、不思議なことに、より多くのものを捨てた人が、結果としてより多くのものを得ているのです。ただ、本人は、自分が得ているとは思っていないでしょう。

捨てること、あるいは与えることを、喜びであると感じるのが、菩薩の心境なのです。

たとえアフリカへ行って物資を配って歩いたとしても、心が貧しければ菩薩などなれません。そんなものではないのです。

「どうしても、この人たちを助けたい」という気持で、井戸を掘ったり、物資を一生懸命運んだり、傷ついた人を助けたりし、本気で、やれるところまでやろうとしている人は、菩薩になることもあります。

しかし、菩薩になるためには、必ずしもアフリカに行って救済活動をしなければいけないわけではありません。日本の国内にも、救わなければいけない人は、たくさんいるのです。

したがって、あまり大きなことは考えずに、自分の身近な人、縁のある人に対して、一人ひとり救いの手を差し伸べることがだいじです。

そのとき、自分の力に限界を感じることがあるでしょう。菩薩の境地にある人ほど、自分に厳しくて、「できない」ということ、「助けてあげられなかった」ということに対し、つらい思いをするでしょう。

要するに、「どの程度まで責任を感じるか」ということです。世間のさまざまなものを見て、「自分が助けてあげられなかった」ということに責任を感じるかどうか、自分が直接に関係したことでなくても、「もしかしたら、何かができたかもしれない」と思うかどうか、これがポイントです。「どの程度まで責任を感じるか」という、責任感の大きさが、器の大きさであり、結局、それが霊格の高さにつながっていくのです。

③ 純粋に「人を助けたい」という気持で長く活動する
菩薩になるためには、基本的に、動物的本能を克服して、「多くの人たちに少しでも幸福になってもらおう」と本気で願い、活動することが大事です。・・・

幸福の科学には熱心な活動家が数多くいますが、みな菩薩候補生です。とても大きな功徳を積んでいるので、それは間違いのないことです。

普通は、本気で「人を助けたい」とは、なかなか思えないものです。それを純粋に思えること自体が、人間として、かなり霊的であると言えるのです。この世的で物質的な、ものの考え方や視点に基づけば、誰でも、自分が何かを得ることを考えるものだからです。

結論的には、「これをすれば菩薩になれる」と具体的に言うことはできませんが、純粋に「人を助けたい」という気持ちをもって、一生を過ごすこと、途中で退転せずに満行することがだいじです。

どうか、退転しないで、信仰を続けてください。

たとえ、ささやかな活動であっても、長く続けて行けば心境は高まっていくので、信仰は長く続けていただきたいのです。短期的には、「私は、今年、百人に伝道しました」という人がいたとしても、翌年に退転して大会してしまったら、菩薩にはなれないでしょう。

したがって、長く続けること、心を込めて活動することがだいじです。

大川隆法『君よ、涙の谷を渡れ』第5章「もう一段の信仰を」p209より抜粋】
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菩薩になるための条件として、①「私欲を抑えて公のためにつくす」という気持ちを持つこと、②大きな感化力と責任感を持つこと、➂純粋に「人を助けたい」という気持で長く活動することの大切を教えていただきました。

「主のため、世のため、隣人を救い助けるために、自分の善きものを与えつづけて見返りを決して求めない」
「主を信じる人びと(サンガ)とともに、主の愛である仏法真理を伝える」
「今世、決して退転せずに、命尽きるまで、末長く主のお役に立つ人間になる」

共に、主の御手足としての使命を果たすべく、主への道と菩薩への道を歩みましょう。

この地上において、主は私たち一人ひとりに、天使や菩薩と呼ばれる存在になることを求められています。天使や菩薩とは神仏のためにその身命を擲って人を助けるプロです。それには出家・在家の区別はありません。

私たちも今、主のご復活をお祈りしながら、聖なるものを守るために、主とその教えを守るために、立ち上がった菩薩です。

その菩薩になるために、私たちは、まず阿羅漢の境地を目指さなければなりません。
阿羅漢とは、六次元上段階にあって、頭の後ろから後光が出てくる境地であり、自分の守護霊と対話ができる境地です。に心にひっかかりがなく、透明感が増すこと。霊道が開けるか、あるいはそれに近い状態になること。他人の気持ちが手に取るようにわかり始めること、この三つが阿羅漢の基準でした。

私たち主の弟子に求められるのは、主からいただいた限りない愛を少しでもお返しするために、私たちの隣人を救い助けるために、愛を与え続けることではないかと思います。
主の願いを受けて、私たちも光の天使となり、主のため、世のため、隣人を救うために、さらに一歩を共に踏み出してまいりましょう。

今世において、私たちが、人助けのプロとして菩薩や天使になることを主は期待させています。主の期待に応え、主の御手足として私たちの隣人たちの心を、エル・カンターレ信仰によって救い助けてまいりましょう。

正しき心の探求による心の修業を通して、「愛・知・反省・発展」の四正道と隣人を救い助ける愛の実践を通して、自らの背中や頭の後ろから後光が出るように、共に修業を重ねてまいりましょう。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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