(9/21-1)264幸福の科学入門Ⅱ ㊴千人の阿羅漢―この地上を菩薩で満たせ―栄西と道元

幸福の科学入門

92 何手先まで読めるかが、経営者の実力である。

95 「出処進退」は難しかろう。自分と時代の流れを客観的に眺め続けることだ。

【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第4章 太陽の昇る国
9 栄西と道元

念仏宗の他力門を鎌倉仏教の一つの極とすれば、禅宗の自力門は、明らかに、もう一つの極だと言えます。念仏を称えれば救われるというのが、易行道の教えです。それに対して、仏教の宗教者が悟りを得るためには、やはりこの世的な努力、精進の積み重ねが必要であり、それは釈迦の時代から少しも変わらないとするのが、自力門の基調をなす考え方なのです。
自分を徹底的に磨くという意味において、禅宗は、難行道だと言えます。

さて、こうした時代に、まず出現したのが栄西(一一四一年~一二一五年)でした。栄西は、我が国の禅宗(臨済宗)の開祖であり、京都の建仁寺や鎌倉寿福寺の開山をした人です。

栄西は、現在の岡山県の神主の家に生まれ、十九歳で比叡山入りをして、天台宗と密教を学びます。その後、一一六八年と一一八七年の二回、中国の宋に留学し、禅宗の教義を学びました。二度目の帰国の後、一一九一年に、力強く禅宗の流布を行おうとしたのですが、鎌倉期の他の新興宗教の例にもれず、栄西も、比叡山勢力による伝道禁止の措置を受けたのです。そこで、栄西は、禅が鎮護国家の教説であることを主張して、『興禅護国論』(一一九八年)を世に問いました。

栄西は、確かに日本の禅宗の開祖であり、その後、禅宗が日本の歴史、文化に与えた影響の大きさを考えると大変な事業家だとも言えます。しかし、栄西の臨済禅は、いわゆる公案禅であり、その本来の意味は、坐禅中、魔の惑わしから身を守り、かつ、よく深く自分自身の心を探求するための題材であり、必ずしも禅問答と皮肉られるような珍問珍答に意味があったのではないのです。現代では、その本来の真意が見失われ、まったく形式に流れていっております。嘆かわしいことです。栄西は、現在、梵天界に住している高級霊ですが、彼もまた、自分の教えが形骸化した公案禅となったことを、たいへん残念がっております。

栄西のまた弟子から道元(一二〇〇年~一二五三年)が出ました。道元は、日本曹洞宗の開祖です。十三歳のとき、比叡山で出家。二十四歳のとき、師であっ明全(栄西の弟子)とともに入宋、如浄という人に教えを受けて、曹洞禅を伝授されました。宋から帰国後、ただちに、『俯瞰坐禅疑(ふかんさぜんぎ)』によって坐禅の勧めを説き、また、『弁道話』によって自分の理想的立脚点を明らかにします。そして、日本では初めて、『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』という哲学的な体系の書を著わしたのです。

道元の同時代に、他力門の最高峰ともいえる親鸞が活躍中でしたが、この浄土宗に対して、道元は痛烈な批判を加えました。口称念仏を「春の田んぼの蛙が鳴くがごとし」としたのです。道元には、まず第一に、末法思想の考え方が、我慢なりませんでした。

「正法の時代、像法の時代、末法の時代というふうに、時代的要因によって、真の仏法真理が伝わる、伝わらないと考えるのは、責任を外部に転嫁しているにすぎない。ほんとうの仏法の神髄は、それを行う人間の心のなかにあるのであって、時代や環境によって影響されるようなものではない。

正法の時代といっても、釈迦の時代にも、機根の劣ったものは悟れもせず、救われもしなかったに違いない。末法の時代といっても、心と行いを正しく整えてゆけば、悟れる人もいるはずだ。いたずらに末法の時代を声高に叫び、人々の心に地獄に堕ちる恐怖心を起こさせ、よって、信者獲得に奔走するということは、まったく本末転倒もはなはだしいと言わねばならない。

身体がまともで、善悪の区別がつく人ならば、修行に励めば、必ずや悟りを得られるはずだ。あくまでも人間は、仏道修行の本則を踏みはずしてはならない。その本則とは、何か。悟りとは修行の果てに得られる何かではなく、修行の展開そのもののなかに悟りがあり、修行そのもののなかに悟りがあり、修行そのものが悟りなのだという修証一如の考え方が大切なのである。安易に極楽往生(ごくらくおうじょう)を願ってはならない。その身つたなくとも、発心修行して道を得、仏教の本道を歩むべし」

右に挙げたことが、すなわち、道元の考えだったのです。確かに、道元は詩人でもあり、哲学者でもあり、最高の修行者でもありました。しかし、彼は、人間の修業に二面あることを見落としていると言えます。二面とは、何か。すなわち、人間は、一方では、限りない高みまで自己を向上、完成させるために努力しなければならない存在であるが、他方では、他人への愛に生きねばならない存在だということです。念仏そのもので、人間が救われるわけではありません。とはいえ、念仏宗の背後には、深い人間愛が横たわっていることも確かなのです。道元は、現在、菩薩界中段階で、「愛」についての修行をしております。真に愛の体現者とならなければ、最高の菩薩にはなれないのです。

禅宗では、これ以外に、天台智顗の魂の兄弟のひとりが、夢想疎石(一二七五年~一三五一年)という名で室町時代の仏教興隆に努めました。智顗同様、政治的能力の高い宗教家で、弟子一万三千余人と言われました。【※夢想疎石は現代に大川家次男として転生しています】

【大川隆法『黄金の法』第4章「太陽の昇る国」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

9/28(土)朝10時〜10時45分 三重テレビ7チャンネルで2022年エル・カンターレ祭御法話「地球を包む愛」の放送が決定いたしました。「小さな地方局かも知れませんが、象徴的闘いでした。この勝利はとても大きい」

一般放送に当たっては、メディア支援植福という形で、テレビ放送の経済的支援を伊勢支部にて支えさせていただいています。法人での提供も募集していますので、詳しくは支部までお問い合わせください。主の奇蹟の復活を祈り続ける今、私たちの信仰心をこの植福に結集してまいりましょう。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとし
ている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2011年に発刊されました主の著書である、経典『真実への目覚め』を引用しながら、幸福の科学の教義をお伝えいたします。
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〇千人の阿羅漢
さて、「幸福の科学」では、昭和62年の3月に、第一回講演会を行いました。その第一回の「幸福の原理」と題する講演のなかで、私は「千人の阿羅漢が欲しい」ということを述べたことがあります。五百阿羅漢という言葉があるが、いや私はむしろその倍であるところの仙人の羅漢、阿羅漢が欲しいと述べたわけです。

千人の阿羅漢が相集うときに世の中を変えていける、それが私の考えです。そしてその千人の阿羅漢をつくることは、そうむずかしいことではないと私は考えています。阿羅漢をつくることは、そうむずかしいことはないと私は考えています。阿羅漢をこの世でつくるためには、さきに述べたような基準に達する人を数多く出してゆけばよいのです。

どのように努力すれば阿羅漢が出てくるかと言うと、まず、真理を学ぶ必要があると思います。さまざまに私たちは霊言集を出したり、その他の真理の理論書を出していき巣が、それらを出している目的は、この書籍を通して、何が神のお心にかなう考えなのか、高級霊のお心にかなう考えなのかということを、まず知っていただきたいのです。知ることなくしては、真実の反省ができないからなのです。まず、知ることです。知ることによって、反省ということができるようになっていくのです。

そして、この真理に照らして、自分の思ったこと、行ったことのどこが一体違っているのかを、点検してゆくことができるのです。たとえば、自分ではよかれと思ってやったことが、真理に反しているということは、ままあるわけです。こうしたところがじつに問題なわけです。

このように、千人の阿羅漢をつくっていくためには、真理学習ということが第一段階にありますが、次には、真理の学習を踏まえて、自分の心を磨くという実践行為が必要です。この実践行為が、反省でありましょう。

みなさんの多くは、仕事のなかに没頭しておられることと思います。そしてそのなかで自由な時間をとることはきわめて難しいことであろうと思います。けれども、お願いしておきたいことは、たとえ通勤時間のなかであっても、真理の本を読んで真理を学習し、そして、夜寝るまえに、十分でも十五分でもよいですから、もちろん三十分でも一時間でも結構ですが、時間の長短は問いませんが、自分の今日一日の間に起きた出来事、思ったことの一つ一つを、反省してみることです。

こうした反省という実践行為を通して、心の透明感がますます増してゆくのです。一日のうちで、かならず何か一つや二つは、マイナスのことを思ったことがあるでしょう。他人に対して、悪く思ったこともあるでしょう。憎しみや思いを持ったり、怒りの思いを持ったり、あるいは悔しい思いを持ったり、そうしたさまざまなマイナスの思いを持ったことがあったことでしょう。こうしたマイナスの思いに対しては、やはり、このマイナスをプラスに変えていく必要があります。

その意味で、心に去来した思いを、これをまな板の上に乗せて、真理という包丁で調理してみ必要があります。そしてグツグツと煮てみるわけです。どうしてそうした思いがでてきたのか、これを探究します。この根っこの探究がだいじです。そして、根っこを探求したら、次はこの根っこから、その念いをまず取り去ること、そして二度とそうした思いを出さないように決意することが大切です。人に対して失礼なことを言ったならば、すぐごめんなさいという心境、また、それが空間的にはたされないことであるならば、心のなかでまずあやまるという心境、これが大切です。このような実践行為が、とても重要であるのです。

さらに、阿羅漢を千人つくっていくための方法論としては、修行者どうしでたがいに切磋琢磨していくということがとても大切です。人間は、自分一人で自分を見つめていると、どうしてもその目が甘くなってしまうのです。自分には甘く、他人には厳しくなるのが人間の性なのです。このように、自分に甘い人間の性がある以上、修行者どうしおたがいに切磋琢磨しあうことがだいじです。お互いに悪いところがあったら注意し合い、そして向上に向けて拍車をかけていくことです。これがだいじです。自分にはわからないことがあっても、他人の目から見れば、岡目八目でわかることがあります。そうしたことが、ひじょうに大切なのです。

このように、まず真理学習をすること。そうして、反省の実践行為をすること。次に真理を求めている者同士で切磋琢磨して、お互いの霊的段階を高める努力をする。そうした方法論が、取られるべきでしょう。

大川隆法『幸福の科学とは何か』第七章「阿羅漢をめざして」より抜粋】
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この地上において、主は私たち一人ひとりに、天使や菩薩と呼ばれる存在になることを求められています。天使や菩薩とは神仏のためにその身命を擲って人を助けるプロです。それには出家・在家の区別はありません。

私たちも今、主のご復活をお祈りしながら、聖なるものを守るために、主とその教えを守るために、立ち上がった菩薩です。

その菩薩になるために、私たちは、まず阿羅漢の境地を目指さなければなりません。
阿羅漢とは、六次元上段階にあって、頭の後ろから後光が出てくる境地であり、自分の守護霊と対話ができる境地です。に心にひっかかりがなく、透明感が増すこと。霊道が開けるか、あるいはそれに近い状態になること。他人の気持ちが手に取るようにわかり始めること、この三つが阿羅漢の基準でした。

私たち主の弟子に求められるのは、主からいただいた限りない愛を少しでもお返しするために、私たちの隣人を救い助けるために、愛を与え続けることではないかと思います。
主の願いを受けて、私たちも光の天使となり、主のため、世のため、隣人を救うために、さらに一歩を共に踏み出してまいりましょう。

今世において、私たちが、人助けのプロとして菩薩や天使になることを主は期待させています。主の期待に応え、主の御手足として私たちの隣人たちの心を、エル・カンターレ信仰によって救い助けてまいりましょう。

正しき心の探求による心の修業を通して、「愛・知・反省・発展」の四正道と隣人を救い助ける愛の実践を通して、自らの背中や頭の後ろから後光が出るように、共に修業を重ねてまいりましょう。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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