(8/23-1)235幸福の科学入門15―「因果応報」断食で死に餓鬼霊となった僧侶―『黄金の法』宗教改革の風

幸福の科学入門

87 自制心は、まず若い頃の男女関係で試される。 

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

明日8月24日(日)は13時より全国仏法真理学検定試験です。
本試験は、一年に一回、エル・カンターレ信仰を深め、 
仏法真理の知識をどこまで獲得できたか、自らの精進を確認するためのものです。「正しき心の探究」を具体化するための仏法真理の学習によって、主の法に基づいた救世活動を展開するための基礎力を身に着けることができます。こうした水面下の努力を継続していくことが 
、光あふれる伝道へとつながっていきます 。これを機会に、いっそう教学を深め、 仏法真理を自らの魂の糧とし、 
伝道力の向上につなげてまいりましょう。

根本仏が下生された時代に生まれ、数多くの法を学べること自体が奇跡です。一冊一冊 、 
丁寧に仏法真理を学び、信仰・伝道・植福における異次元パワーを引いてまいりましょう。

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仏の願いを成就せよ。仏の願いとは、一つだ。一切の衆生を救いたいと念う心であり、縁ありて集いたる一切の衆生に、仏法真理を学び尽くしてほしいという願いなのだ。

この宝の山を、ごちそうの山を、一人ひとりに届けたいということなのだ。これが仏の本願である。この本願を遂行することが、弟子としての最高の使命である 


【『 永遠の仏陀 』第3章 より抜粋】
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8月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第4章「因果応報」を学びます。この法話の英語タイトルは「As 
You Sow, So Shall You Reap【蒔いた種は、刈り取らねばならない】」となっています。 
経典『復活の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
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■『復活の法』―第4章「因果応報」―人生を「前世・現世・来世」で捉える
3 どのような人が地獄に堕ちるのか
○断食で死に餓鬼霊となった僧侶

たとえば、昔から、この世の執着を断つ修行として断食をするお坊さんがいます。これはこれで、霊的に目覚めるきっかけでもあるのですが、その失敗事例も、やはりあります。

何十年か前のことですが、東北地方でミイラが発見されました。それは、生きながらにして執着を断ち、この世を去るために、「埋められた桶の中で禅定し、断食をして死ぬ」という修行を行い、生きたまま埋められ、がりがりにやせ細って死んでいった僧侶のミイラです。

そのミイラが、ある場所で展示されたことがあるのですが、その前を通りかかり、そのミイラを見ていた人が、突如、おなかがすいてきて、やせて小さな体なのに、そのあと丼物(どんぶりもの)を何杯も延々と食べつづけたのです。突如として、そういうことが起きたので、昔であれば、その人は周りの人から「少しおかしいのではないか」と思われ、「狸が憑いた」などという話になるのでしょう。

その人には、断食をしながら死んでミイラになった僧侶の魂、すなわち、「餓鬼地獄」「餓鬼道」に堕ちている人の霊が取り憑いたのです。

そのお坊さんは、「自分は僧侶であり、もう悟りきっているから大丈夫だ」と思ったのかもしれせんが、断食をして死んでいくとき、一週間か十日、あるいは、それ以上のあいだ、ひもじくて、食べ物のこと以外は考えられなくなったでしょう。そして、死後、天上界に還れなかったのです。

そのお坊さんは、あの世の霊になってからも、とにかく食べ物のことしか考えられず、「食べたい、食べたい」の一心でいたところ、ちょうど、自分と同じようなタイプの人間が通りかかったので、その人にパッと憑いてしまい、そのあと、その人を使って延々と食べ続けたわけです。

こういうことは肉体を機縁として起こります。

あの世の霊は、肉体がないので、食べ物を食べたくても食べられません。しかし、生きている人間に取り憑くと、食べている気分が味わえるのです。ただ、いくら食べても満腹にはなりません。食べているのは自分とは別の人間なので、自分のおなかには入らず、すり抜けていきます。そのため、何杯食べても自分のおなかが満ちるわけではなく、欲求は止まりません。食べている気分にはなるのですが、実際には食べられないのです。

これが餓鬼霊というものです。

いまは比較的豊かな時代であり、食糧も豊富なので、先進国においては、餓鬼道に堕ちる人は、いまでも多いとは思います。アフリカなどの貧しい国々では、いまだに千数百年前の日本のような餓鬼地獄が繰り広げられています。

ここには動物もかなり行っています。動物にとっても、最大の試練は、やはり、食べ物がなくなることです。冬場に食べものがなくなりと、餓死する動物はたくさんいます。そのとき、動物たちも、苦しみを持って死んで行くのです。

天国・地獄は人間だけにあるのではありません。浅いものではありますが、動物にもきちんと地獄があります。飢餓のままに死んでいった動物たちは、その餓鬼道に堕ちています。簡単な悟りではありますが、動物であっても、霊と肉体の違いぐらいの悟りを得なくては駄目なのです。

餓鬼道に堕ちた餓鬼道亡者が来ている場所に、動物たちがやってくることもあって、そういう動物霊に憑かれる人もいます。

【大川隆法『復活の法』―第4章「因果応報」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第2章 大地を駆ける
5 宗教改革の風

さて、ユートピア論とはまた別の動きとして、ヨーロッパの中世末期から近世初頭にかけて、宗教改革の嵐が駆け抜けます。つまり、これは、天上界において、ユートピア論による理想社会の提示とともに、旧態然たる宗教の改革を計画したためです。

しかし、この宗教改革の嵐は、ヨーロッパだけでなく、日本をも直撃したのです。まず、鎌倉時代には、日蓮(一二二二年~一二八二年)が立ち上がり、法華経を中軸とした宗教改革、正法の運動を開始。正法の運動とは、法華経を行動基準とした実践的宗教改革です。日蓮が、旧仏教勢力を批判して、教典のみに基づく教えをとったことは、その二百年後、ドイツでマルチン・ルター(一四八三年~一五四六年)が、聖書主義を唱え、「人の義とせらるるは信仰のみに由る」として、宗教改革の雷雲を招来したことと比肩されます。

ルターは、確かに、日蓮同様、激しき性格の人であり、怒涛(どとう)のごとき情熱の人でした。しかし、ルター以前に出て、「武器なき予言者」としてイタリアの宗教改革に立ち上がり、市民に捕らえられ、焼き殺されたサヴォナローラ(一四五二年~一四九八年)ほど無謀な情熱家ではありませんでした。けれども、ルターは、一五一七年十月三十一日、三十四歳のとき、ウィッテンベルグ城の教会の扉に、「九十五ヵ条の論題」を掲げて、ローマ教皇庁の贖宥状(しょくゆうじょう・免罪符として有名)の販売による資金集め(ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂を建てるため)に抗議。それ以来、獅子奮迅の戦いぶりを展開してゆきます。賽銭箱(さいせんばこ)にお金を入れて、音がするたびに人間の魂が天国に近づくなどとい・
・、ローマ教皇側の教えは、神経質でもあり、臆病でもあったルターの眠れる良心を獅子のごとく変貌させたのです。

ルターは、一五二〇年には、三大宗教改革論文といわれる『ドイツ国のキリスト教を信ずる貴族へ』『教会のバビロン捕囚について』『基督(きりすと)者の自由について』を矢継ぎ早に発表します。この年ドイツで出版された、総数二百八種のうちの百三十三の小冊子がルターの手によるという事実は、彼のほとばしる熱意のほどを感じさせます。さらに、ウォルムスの帝国議会を敵に回し、ザクセン選挙侯フリードリッヒに庇護されている間に、わずか三ヵ月で、新約聖書をドイツ語に翻訳してしまったのです。

ルターの教えは、①万人司祭主義、②聖書主義、③良心の宗教の三点に要約することができます。しかし、彼には、歴史に秘された部分があるのです。すなわち、彼は一五一七年の夏、聖霊の声を聞き、さらに、この姿を見るという神秘体験をしております。これが、彼の行動の引き金になったのです。そのときの聖霊の名は、大天使ミカエルでした。ミカエルは、ルターに、「汝は我が魂の片割れなり。腐敗せるローマと戦い、良心と聖書を武器として、人々の悩める魂を救え」と告げます。ルターは、八次元如来界の人であり、実は大天使ミカエルの魂の兄弟だったのです。

ミカエルは、かつて、アポロンとしてギリシャの地に現われております。【※アポロンの転生については、現在未確定となっています。】また、その魂の一部が、あるときは、旧約の予言者アモスとして、そして後、マルチン・ルターとして、ドイツで宗教改革を起こしたのです。

宗教改革の嵐はさらに続きます。スイスでは、ツウィングリ(一四八四年~一五三一年)が立ち上がりました。彼は、かつて、マホメット(五七〇年~六三二年)という名でアラビアにイスラム教を開いた方と同じ生命体の一部であり、八次元の人です。【※その後の霊査でマホメット(ムハンマド)の転生に孫権、アレクサンドロス三世、第二イザヤ、神日本磐余彦命(神武天皇)、ダビデが存在することが明らかにされています】

次いで、フランス人ジャン・カルバン(一五〇九年~一五六四年)が立ち上がります。彼は迫害によって、フランスからスイスに逃れ、そこで、『キリスト教綱要』を執筆。ジュネーブを本拠に、神聖政治を行います。ルターが、人間の良心と世俗権力を二分して考えたのに対し、カルバンは、この世こそ神に奉仕し、神の栄光を表現する舞台であり、自分を紙の道具として積極的に生きるべきであると説きました。そして、その後、カルバンはマックス・ウェーバーをして、「世俗内的禁欲」と言わしめた、ピューリタニズムの生活信条をもって、職業に励むことを重視しました。このカルバンの力によって、かつては、神の国に入ることあたわずとされた富者も、神の国に入る可能性が開け、近代産業とキリスト教徒の二つの歯車がか・
・合い始めたのです。

しかし、カルバンの説いた「予定説」の運命論的な響きは、後の世に誤解を生むことになります。というのは、カルバンの本意はカルマの法則の説明にあったのですが、神が救う人と救わない人を色分けしているようにとられてしまったからです。また、神聖政治実現のために、人文学者カステリオンをはじめ、五百を超える人間を追放や死刑にした行為は、天上界でも物議をかもし、大混乱が生じました。

カステリエオンやセルベトスという神学者たちも、高級霊であり、教義上のくい違いはあったとしても、彼らを追放や死刑にしたカルバンの行為は、数多くの高級諸霊を悲しませたのです。カルバンは、八次元如来界の人でしたが、現在は、六次元光明界上段階において、心の垢を落とすための修行に励んでおります。

ルターやカルバンたちのピューリタニズムは、やがてイギリスにも渡り、プロテクター、クロムウェル(一五九九年~一六五八年)の一種神聖政治となって現われました。

【大川隆法『黄金の法』第2章「大地を駆ける」より抜粋】
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幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとしている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2003年に発刊されました主の著書である、経典『幸福の法』の第四章「幸福の科学入門」を引用しながら、幸福の科学の基本教義を学んでまいります。経典をお持ちでない方は、この機会に拝受ください。【税抜1800円】
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〇反省の原理―悪霊が取れたときの爽快感を味わう
そのような、「反省をすることによって、どういう力が出るか」という、心の神秘について、実践し、体験していただきたいと思います。

そのときに、長年、自分に憑依していた悪霊がパリッととれるのを感じる人が、おそらくいるでしょう。

悪霊は霊体なので、重さがないように思うかもしれませんが、悪霊はやはり重いものです。霊体は重みがないといっても、霊的感覚としては重さがあります。

それが、五年、十年、二十年と、自分に憑いているのです。なかには、両親が持っていたものを引き継いで、幼少時代背負っている場合もあります。

そのように、いつも憑いていたものが、反省するととれるのです。取れたときに、肩や腰や背中が、ふっと楽になります。急にス~ッと軽くなって、「重荷が下りた」という感じがします。悪霊が取れると、ほんとうに軽くなり、頬に赤みが差し、暖かい光が胸にサーッと入ってきます。この感覚を味わっていただきたいのです。これは、みなさんも味わうことができる霊体験です。

悩んで悩んで、苦しんで苦しんで、やっと真理にたどり着いた人は、おそらく悪霊の憑依現象も体験していることでしょうし、現にそういうものが憑いていることが多いでしょう。そうでなければ、そんなに苦しまないはずなので、現に苦しんでいるということは、その人を夜な夜な苦しめているものが憑いているということです。その人を地獄に引っ張り込もうとがんばり、悩乱させて喜んでいるような、悪い心をもったものが来ているのです。

それが取れたときの爽快感。湯上りのような、さっぱりとした感じ。顔に赤みが射し、心臓が軽くなり、体全体が軽くなる感じ。これを味わっていただきたいのです。それは、十年もお風呂に入っていなかった人が、お風呂に入って垢を落としたような、そういうポカポカした気分です。これは害のない霊体験なので、できれば、これを味わっていただきたいと思います。

それは、反省の最中に起きることもあれば、もちろん、私の書籍を読んでいるときに起きることもあります。あるいは、幸福の科学の支部や精舎などで修法を行っているとき、禅定や瞑想をしたり、祈願をしたりしているときに、バカッと取れて、軽くなることもあります。

それがどの時点で起きるのかはわかりませんが、幸福の科学で活動を続けている限り、そういうチャンスが必ず来ます。私はそれを十分に知った上で、いろいろな法体系を組み、いろいろな修法を組み、講師の指導もしているのです。現実にそういうことが起きることを知った上でやっているわけです。したがって、どこかで転機が訪れ、人生が変わることでしょう。

悪いものがついているなら、まず、それを取らなくてはいけません。それを取らなければ、守護霊が本人に通信したくても、本人は耳をふさがれていて、守護霊の意見を聴くことができないのです。

そういう人は、伝道され、真理の書籍を読んで、幸福の科学の支部や本部、精舎などに行こうとしても、どうしても建物に入れなかったり、いろいろなことが起きて行けなくなったりします。家族に事故が起きたり、反対されたりして、近くまで来たのにUターンをして帰ったりするようなことが起きるのです。そういう経験をした人は、信者のなかにも数多くいることでしょう。

それは、憑いている悪霊が「幸福の科学の門をくぐられたら最後だ」と思って、門をくぐらせないようにしているからです。そのひとが幸福の科学の教えを信じたら、悪霊は、今まで悪さをしていたのが、ばれてしまい、もう憑いていることができなくなるのです。

【大川隆法『幸福の法』第4章「幸福の科学入門」 より抜粋】
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続いて、『幸福の法』第3章「人間を幸福にする四つの原理から」重ねて引用いたします。
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〇執着を断つための方法
執着を断つためには、どうすればよいでしょうか。
たとえば、前述したように、奪う心から、与える心に変えることも、執着を断つための一つの方法です。また、「自分は頭が悪い」という考えばかりがあって、劣等感が深いのであれば、「こういうことを考えている時間があったら、勉強をしたほうがよい」と思いを切り替えるのも一つの方法です。

あるいは、「諸行は無常であり、しょせん三次元は三次元であって、やがては去っていく世界なのだ、最終的には、魂における勝利しかないのだ」と考えることによって、勝つことができます。

「最終的には魂における勝利しかないのだ。この世における敗北は、人生の敗北を意味していない。この世において、他の人がどう言おうと、世間がどう評価しようと、親や兄弟がどう言おうと、この世的な評価は、最終的な勝敗には関係がない。最終的な人生の勝敗は、魂における勝利かどうかで決まる」ということです。

そのように、「三次元を超えた世界の目から見た、人生の勝利はどこにあるのか」という面から捉えたときに、執着は断つことが可能です。

そして、執着を断つことができたら、悪霊を諭すこともまた可能になります。

悪霊が憑いていると、たとえば、他人の人のことを非常に悪く感じますし、悪口がよくでてきます。悪口が、ぽんぽん出てくるのです。そのときに、「本当に自分が行っているのか。それとも悪霊が言っているのか」ということを考えなければいけません。いつもいつも、そういう悪口を言う習性がある場合には、たいてい、阿修羅霊などに憑依されていることが多いのです。・・・

したがって、できるだけ、奪う愛から、与える愛へと思いを切り替え、人から貰うこと、あるいは評価を受けることを考えるのではなく、「自分が人に対して、して差しあげることは何かないか」というメンタリティーに変えることです。

そして、努力しても変えられないものに対しては、淡泊であることが大事です。「しょせん、この世のことは、この世のことなのだ」と思って、過ぎていくものに心を奪われないことです。そういう透明な心を持ち、執着を持たずに、さらさらと生きていくことです。

「過ぎたことは過ぎたことであり、過去は、もう変えられない。しかし、未来は変えることができる。変えていける未来については努力しよう。

過ぎ去った過去については、悔やまれることはあるけれども、反省すべきことは反省し、反省によって修正がつかないものに対しては、とらわれないことだ。あまり、それを拡大視して考えることは問題である。『今世は今世』ということで、それを、来世以降、よりよく生きるための教訓にして、生きていこう」

このように考えたほうがよいのです。

実際、反省によって悪霊が取れる瞬間というのは、ベリッと剥がれる感じがします。ほんとうに、壁紙を剝がすように、ベリッと剥がれる感じがするのです。事実上、霊には重さがないのですが、悪霊が憑いていると、体が重いのです。・・・

これがベリッと取れると、まず、顔に赤みが射してきます。悪霊が憑いていると、よく、顔が青かったり、黒ずんでいたり、死相が出ていたりするのですが、その顔に赤みが出てくるのです。

また、体に光が入ってくるので、体がサーッと温かくなったり、血の気が通ってくると同時に、ぽかぽかと少し暖かい感じが出てきたりします。

そして、体が非常に軽くなります。やはり、一名の霊の苦しみを背負うと、あるいは、二名、三名の霊の苦しみを背負うと、重いものなのです。なぜなら、人間は霊的な存在だからです。これが取れると、楽になります。

ただ、悪霊が取れても、同じ悩みを繰り返していると、悪霊は、また戻ってきます。そのため、悪霊が取れたあとは、なるべく明るい人生観を持って生きることが大事です。どうやって悪霊と波長を合わせないようにするかということが大事なのです。

したがって、反省して悪霊を取ったら、あとは、そういう悪霊の苦しみの波動と合わせないような、建設的で明るい人生を生きるようにしなくてはいけません。

【大川隆法『幸福の法』第3章「人間を幸福にする四つの原理」より抜粋】
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幸福の科学の教えの第三は「反省」です。

悪霊がずっと取り憑いているのに、それに気が付かない人を十年間もお風呂に入っていない垢だらけの人にたとえているのにびっくりしました。目に見える世界ではなく、目に見えない世界―霊の世界では、このような人がたくさんいるとのことです。そんな人たちがお風呂でそのたまりにたまった垢を落とすことが、「反省」の教えとなります。

私も聖務で支部長を経験させていただくなかで、霊障問題で、悪霊の憑依に苦しむ人が、支部に入ろうとしても、どうしても入り口から中に入れない方や、支部に入れても、礼拝堂に入れない方など、実際に見ました。本日の教えでは、このようにありました。

『悪いものがついているなら、まず、それを取らなくてはいけません。それを取らなければ、守護霊が本人に通信したくても、本人は耳をふさがれていて、守護霊の意見を聴くことができないのです。

そういう人は、伝道され、真理の書籍を読んで、幸福の科学の支部や本部、精舎などに行こうとしても、どうしても建物に入れなかったり、いろいろなことが起きて行けなくなったりします。家族に事故が起きたり、反対されたりして、近くまで来たのにUターンをして帰ったりするようなことが起きるのです。そういう経験をした人は、信者のなかにも数多くいることでしょう。

それは、憑いている悪霊が「幸福の科学の門をくぐられたら最後だ」と思って、門をくぐらせないようにしているからです。そのひとが幸福の科学の教えを信じたら、悪霊は、今まで悪さをしていたのが、ばれてしまい、もう憑いていることができなくなるのです』

この悪霊による憑依・霊障問題を解決に導く鍵が、幸福の科学の四正道の一柱である「反省」です。「反省」によって心を浄化すると、悪霊はその人に憑依できなくなります。その人の波長と同通できなくなるからです。「反省」は心を浄化する上で非常に重要な教えです。

憑依の原因となる心の執着をどのように取り除くかに関しては、このように教えていただきました。

『したがって、できるだけ、奪う愛から、与える愛へと思いを切り替え、人から貰うこと、あるいは評価を受けることを考えるのではなく、「自分が人に対して、して差しあげることは何かないか」というメンタリティーに変えることです。

そして、努力しても変えられないものに対しては、淡泊であることが大事です。「しょせん、この世のことは、この世のことなのだ」と思って、過ぎていくものに心を奪われないことです。そういう透明な心を持ち、執着を持たずに、さらさらと生きていくことです。

「過ぎたことは過ぎたことであり、過去は、もう変えられない。しかし、未来は変えることができる。変えていける未来については努力しよう。

過ぎ去った過去については、悔やまれることはあるけれども、反省すべきことは反省し、反省によって修正がつかないものに対しては、とらわれないことだ。あまり、それを拡大視して考えることは問題である。『今世は今世』ということで、それを、来世以降、よりよく生きるための教訓にして、生きていこう」このように考えたほうがよいのです』

「反省」によって心の波長を切り替えることができます。悪霊を引き寄せることを止めて、天使菩薩を引き寄せることができるようにくり返し実践しましょう。

またこれに関しては、「反省」は習慣化すべき、修行課題であることも、学びました。主の教えではこのようにありました。

『ただ、悪霊が取れても、同じ悩みを繰り返していると、悪霊は、また戻ってきます。そのため、悪霊が取れたあとは、なるべく明るい人生観を持って生きることが大事です。どうやって悪霊と波長を合わせないようにするかということが大事なのです。』

このように「反省」と「波長同通の法則」は切っても切れない関係にあります。

また、『最終的には魂における勝利しかないのだ。この世における敗北は、人生の敗北を意味していない。この世において、他の人がどう言おうと、世間がどう評価しようと、親や兄弟がどう言おうと、この世的な評価は、最終的な勝敗には関係がない。最終的な人生の勝敗は、魂における勝利かどうかで決まる」ということです』という言葉に象徴されるように、
「三次元を超えた世界の目から見た、人生の勝利はどこにあるのか」という面から捉えたときに、執着は断つことが可能であることを教えていただきました。反省は、執着を断つための修行方法です。これは、植福実践によって執着を断つことと同様に、私たちが死後天国世界に還るための重要な修行課題です。

このあたりの教えは、実人生のなかで、応用することがとても大切です。「反省」は実践することで身に着けることができる教えとなっています。習慣化がとても大事である点、身に着けることがとても難しい点もあります。しかし、毎日毎日少しずつ実践することが反省を自分のものにするコツと言えます。ともに頑張りましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■2025年度 第38回「全国仏法真理学検定試験」(在家向け)コースと出題範囲について
【実施日時】 2025年 8月24日(日)13時

◎後日受験は9月30日(火)まで(病気、冠婚葬祭等で受験できない方向け)。
【奉納目安】3,000円目安(学生:1,000円目安)
【55歳以上の方への対応について】
・55歳以上で希望される方には、試験時間を30分まで延長可とさせて頂きます。

【資格維持・登用との関係について】
・初級資格者は、「入門コース」(または「光の菩薩コース」)の受験により資格維持となります。
・中級・上級資格者は、「光の菩薩コース」の受験により資格維持となります。
・上級資格から研究員への登用は、「光の菩薩コース」の当日受験が必要条件となります。
・研究員以上の資格維持は、「光の菩薩コース」の受験と「『光よ、通え』公案論文研修」
の受講が条件となります。

<コースのご案内>
「入門コース」…………初級資格者、新入会者、資格のない方
「光の菩薩コース」……中級資格者、上級資格者、研究員、上級研究員、在家準講師
○「入門コース」と「光の菩薩コース」は、各50問(100点満点、60分)で、別々の問題となります。
○初級資格者や資格のない方で希望される方が、「光の菩薩コース」を受けることは可能です。
ただし、中・上級以上資格者が「入門コース」を受けることはできません。

【出題範囲】
◇「光の菩薩コース」… 「入門コース」の範囲に、以下を加えた範囲です。
〈経 典〉 『永遠の法』(まえがき・あとがき・第1~4章より出題)
『メシアの法』(まえがき・あとがき・第4~5章より出題)『地球を包む愛』
『自も他も生かす人生』『若い人の仕事術入門』『人として本物となるには』
〈霊言集〉 『霊言説法 信仰薄き者たちへ』
〈箴言集〉 『妖怪にならないための言葉』
〈余 話〉 『「小説 とっちめてやらなくちゃ」余話』
〈絵 本〉 『てんぐちゃんにならないようにしよう』〔リニューアル版〕
〈楽 曲〉 「The Real Exorcist」〔リニューアル版〕「女の悟り」〔リニューアル版〕「天才でごめんなさい」

【出題範囲】
◇「入門コース」
〈経 文〉 『仏説・正心法語』『エル・カンターレへの祈り』『祈願文①』『祈願文②』
『支部発展のための祈り』(*1) 『幸福実現党の目指すもの』(*2)(以上、毎年出題)
〈心の指針〉『心の指針第一集 一条の光』
〈経 典〉 『太陽の法』(毎年出題)『幸福の法』『なお、一歩を進める』『地獄界探訪』
『幸福の科学とは何か―初歩からの仏法真理―』(改版第2刷以降を推奨)
〈余 話〉 『「妖怪にならないための言葉」余話』
〈絵 本〉 『じじょろんのたいせつさ』〔リニューアル版〕『かみさまにあいされる子になろう』〔リニューアル版〕
〈楽 曲〉 「たとえ世界を敵に回しても」〔リニューアル版〕「さらばうぬぼれ天狗」〔リニューアル版〕
「ドラゴン・ハート」※楽曲については、歌詞やタイトルから出題いたします。

【試験勉強に役立つミニドリルについて】
・2025年1月以降に開催される支部行事に参加された方には、毎回、参加者限定のミニドリル(模擬問題)を配布させていただきますので(ex.各御法話セミナー、月例法座「心の指針」、『なお、一歩を進める』セミナー、五月研修ほか)、信仰生活と教学の習慣づくりにお役立てください。(ミニドリルからは3割程度、同じ傾向の問題を本試験でも出題いたします。)
・また、試験では、精舎の『幸福の法』公案に関連する問題も出題予定ですので、精舎研修にも積極的に参加されることをお勧めします。

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文責:蒲原宏史 

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