(8/19-1)231幸福の科学入門 ⑥「愛の原理」―「奪う愛」ではなく「与える愛」の実践を(後半)―愛の架橋

幸福の科学入門

78 魂の修行場としての三次元地球を護るためには、神仏は、神罰、仏罰を与えることもある。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。神の計画を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

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第一章 黄金の人生を創る
6 愛の架橋
自己実現ついて、いろいろと話してきたわけですが、人間がこの地上に生まれてくるということは、人間としてしっかり修業して、自分を磨き、自己の向上、進歩を図るというところに、その真の目的があるのです。

日々の進歩は、日々の自己実現であり、日々の向上は、日々の成功だともいえます。ただ、自己実現の難点は、ともすれば、自分ひとりの利益、幸せを追求してしまい、他人をないがしろにしてしまう危険性があるということです。

ですから、自己実現を強く願えば願うほど、愛の大切さを肝に銘じておかなければなりません。つまり、より大きな自己実現をした人ほど、より多くの愛を持った人でなければならないのです。自らの自己実現が進めば進むほど、自らの愛に発展があるかどうかを自己確認する必要があるのです。そこで、私の著書『太陽の法』(幸福の科学出版刊)のなかで語ったように、愛の発展段階ということを、常に考えていただきたいのです。

すなわち、愛には、「愛する愛」の段階、「生かす愛」の段階、「許す愛」の段階、「存在の愛」の段階と、四つの段階があります。そして、この段階をひとつ登るたびに、その人の愛は深く、大きくなってゆきます。同時にそれは、その人の人間完成への階梯であり、自己実現のステップでもあるのです。

この世で、地位や財産、名誉を得ることにいくら汲々としたところで、そうしたものは、死んであの世へ持って還っても、何の役にも立ちません。・・・天国で通用する名刺は、ただひとつ。すなわち、その人の心の状態なのです。その人の悟りの段階なのです。そして、その人の想念帯のテープに記された記録だけなのです。

また、この世で、億万長者となって、ぜいたくの限りを尽くしたとしても、それが天国へのパスポートになることはありません。自家用のヨットや飛行機、定期預金証書、大豪邸、そうしたものは、あの世へは持ってゆけないのです。いくら有名人となったからといって、地獄の鬼は、釜の湯の温度を、たとえ一度といえども下げてはくれません。

名誉にしても、同じです。学士院や芸術院の会員になったところで、褒章をいただいたところで、何の役にも立たないのです。地獄には、元大臣、元学長、元博士、元裁判官、元検事などが、「こんなはずではない。他人が地獄に堕ちるのはともかく、自分が堕ちるなと承服できない」と、わめいている姿があちこちで見られます。すなわち、自らの名誉ばかりを求めて、他人に愛を与えることのなかった人々の哀れな末路です。

宗教家でも、また、同じことが言えます。外国の政府から、世界平和に貢献したとして、勲章までもらった宗教家が、今、どうなっているか。無間地獄の底で、割れるような頭の痛みに堪えかね、転げ回って苦しんでいるその人の姿を、私は、はっきりと霊視しております。その教えが間違っていたがゆえに、後に残した弟子たちが、その先生を尊敬すればするほど、両親の痛みに耐えかねて、七転八倒しているのです。

あるいは、また、イエス・キリストが行ったと同じ奇蹟を万人ができると称して、生前、霊的指導を行った宗教家が、今、火炎地獄の炎のなかで絶叫している姿を、私は、何度も霊視しております。地上の多くの人々に霊的自覚を与えたのは、確かに、彼の功績だと言えるでしょう。しかし、地獄の憑依霊を浄化するためには、天上界の高級霊の助力がなければ、仏の光を授かることはできないのです。そして、高級霊の指導を受けるためには、その人が心を磨き、高級霊と心が同通しなければならないのです。

ですから、この意味において、万人がイエスと同じ奇蹟を起こせる霊能者となれるという教えは、その理論の根本が間違っているのです。憑依霊がついているもの同士が、光を与えあうということはありえません。そのことに、気づかなくてはならないのです。

このように、宗教家を目指す者にとっても、自己実現とは、非常に厳しいことなのです。とくに、現世利益だけを求める宗教には、注意しなくてはなりません。

まず、霊的存在としての自分を愛することです。しかし、自分ひとりだけにとどまっている愛ではいけません。自分自身を愛したならば、他人へも愛を与えてごらんなさい。愛は、仏からいただいたものです。だからこそ、自分で独り占めにしないで、他人にも分け与えてゆかなくてはならないのです。そうしてこそ、愛の懸橋(かけはし)となってゆくのです。「愛の架橋」とは、こういうことなのです。

【大川隆法『黄金の法』第一章「黄金の人生をつくる」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

9/28(土)朝10時〜10時45分 三重テレビ7チャンネルで2022年エル・カンターレ祭御法話「地球を包む愛」の放送が決定いたしました。「小さな地方局かも知れませんが、象徴的闘いでした。この勝利はとても大きい」

一般放送に当たっては、メディア支援植福という形で、テレビ放送の経済的支援を伊勢支部にて支えさせていただいています。法人での提供も募集していますので、詳しくは支部までお問い合わせください。主の奇蹟の復活を祈り続ける今、私たちの信仰心をこの植福に結集してまいりましょう。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとしている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2003年に発刊されました主の著書である、経典『幸福の法』の第四章「幸福の科学入門」を引用しながら、幸福の科学の基本教義を学んでまいります。経典をお持ちでない方は、この機会に拝受ください。【税抜1800円】

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〇「愛の原理」
・「奪う愛」ではなく「与える愛」の実践を(後半)

みなさんは、「愛」というと、ほとんどは、好きな男性から愛されること、好きな女性から愛されること、親から愛されること、子供から愛されることなど、愛を貰うことばかりを考えるでしょう。そして、十分に愛を貰えないので悩むのでしょう。これを解決しなければいけません。

みんな、愛がほしい人ばかりで、与える人がいなかったならば、この世には愛が不足してしまいます。したがって、まず愛の供給をしなくてはいけないのです。それぞれの人が愛の供給をすれば、世の中は愛に満ちてきます。奪うことばかりを考えてはいけないのです。

愛不足の社会、奪う愛の社会は、たとえて言えば、ほとんどの人が、病人のように、病院のベットで治療を受けていて、「あそこが痛い。ここが痛い。もっと良い薬をくれ。もっと楽にしてくれ」と言っているような状態なのです。みんながそのように言っているのでは困ります。もっと医者や看護師を増やさなくてはいけませんし、薬ももっと出さなくてはいけません。

したがって、自分のできるところから愛を与えていきましょう。人のためになることをしましょう。自分が幸福になりたいという前に、人を幸福にしようとしてごらんなさい。そういう人が増えたら、悩みは自動的に解決していくのです。

みなさんの苦しみのほとんどは執着であるはずです。それは、「人からこうしてほしいのに、してもらえない」という苦しみであるはずです。仏教では、これを「求不得苦」といいます。「求めても得られない苦しみ」という意味です。これは、釈尊の説いた、苦しみについての教えであり、「この世では、求めても得られないものがある」ということです。

いつまでも、「こうしてほしいのに、してもらえない」というようなことばかり言っていたら、幸福な人は一人も出てきません。まず、できることからやりなさい。人に対して、与える愛を実践することです。そこから道が開けるでしょう。

与える愛を実践している人は、すでに幸福への第一歩に入っています。まず、毎日が楽しいでしょう。それから、人が喜ぶ姿を見て、自分もうれしいでしょう。人が喜ぶ姿、人が幸福になる姿を見て、自分も幸福になれるようになったら、すでに天国への第一歩に入っているのと同じです。そういう人が死後に天国へ行くのです。

人の幸福を見て、羨み、嫉むような人はだめです。「自分だけが幸福になればよい。人は幸福にならないほうがよい。人は不幸になったほうがよい」というのは地獄の心です。

人の幸福を見て喜ぶ心になったら、天国に入る条件が揃うのです。第一関門の愛の原理をマスターしただけでも、天国の門は十分に開きます。

したがって、簡単なようで、非常に奥が深いのです。

【大川隆法『幸福の法』幸福の科学出版 より抜粋】
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〇親への欲求不満は、大人になっても根っことして遺る
とくに、人との関係という意味での愛は、男女の愛もあれば、それ以外の人間関係での愛でもあると思いますが、そこでの苦しみは、たいていの場合、仏教の根本において否定されている、喉の奥から手が出てくるような渇愛、妄執とでもいうような苦しみなのです。

それは、他の人に対する、「こうしてほしい。ああしてほしい」という思いです。それには、異性に対するものもあるでしょう。また、子供であれば、「自分の親に、こうしてほしい」という思いや、「自分の親に、もう少し力があったら、よかったのに」という思いもあるでしょう。

あるいは、すでに子供ではなく、充分、大人になっていても、「少なくとも、自分の現在の苦しみの原因は、子供時代に、自分の親に力がなかったことだ」というような場合もあります。・・・

そのようなことで、子供時代に親に対するいろいろな欲求不満があり、充足されなかったという場合もあるのです。大人になっても、それが根っこになって残っているわけです。

この部分は、埋められるかというと、なかなか埋められないのです。・・・

こういう、幼少時、子供時代に自分が満たされなかった欲求不満のようなものが、社会人になってから、違った形で表れることがあります。本来は親に対して求めていたものを、たとえば、上司、上役に対して求めたりするのです。親に求めていたのと同じような評価を、親の代わりに会社の部長や社長、役員などに求めたがるわけです。

ところが、そのような振替をしても、たいていの場合、親に対して欲求不満を持ったのと同じように、また欲求不満になります。自分が思っているようには満たされないのです。・・・

そのように、実社会において認められない場合があるわけですが、「実社会において認められたい」という気持ちは、かなり、父性原理、父親的原理とかかわるものです。「幼少時に、父親に認められなかった」という欲求不満を持っている人は、社会に出ると、会社の上司、あるは、そういう立場に立つ人に認められたがります。父親に認められなかった部分を社会での評価のほうにもっていこうとするのです。

しかし、それは、父親に認められなかったのと同じように、たいてい、なかなかうまくいかないものです。そのときに、どうするかというと、幼少時、子供時代において母親に求めていたもののほうへ欲求を移すのです。

たとえば、「子供時代、父は評価してくれなかったが、母は無限にかわいがってくれた。それで見事に充足されていた」という場合、救いはあります。子供時代に母の愛を十分に受けた人の場合は、社会に出て、仮に出世しなかったとしても救いがあるのです。

そういう人の場合は、実社会で成功しなかったときに、家庭に幸福を見出していく事がよくあります。家庭のなかに次なる幸福の科学を見出すというかたちが非常に多いのです。

ただ、「子供時代に、母からも十分な愛を受けられなかった」という場合もあります。・・・

こういう人は、家庭的な面でもやはり欲求不満を起こしていきがちです。

子供時代に母親に十分に愛された人は、そういう情愛の深い女性を伴侶として選びたがる傾向があり、そのため、社会において挫折しても、その部分について、傷口をうめてもらえるというか、くるんでもらえることが多いのですが、子供時代に、家庭において、母の愛というものを充分に受けなかった人は、そういう優しい女性との結婚を、ほんとうは真相倫理では望んでいながら、それができないことが多いのです。

そして、そういうタイプの女性ではなく、非常にとげのある、きついタイプ、自分が傷つけられるようなタイプの女性を、あえて好きになります。わざわざ、その正反対のほうに女性に惹かれていくのです。

それで、結婚できなくて傷つけられることも当然ありますが、結婚して傷つけられることもあります。家庭において、また挫折を繰り返すのです。結局、幼少時に受けたのと同じような体験を繰り返すわけです。

【大川隆法『幸福の法』第三章「人間を幸福にする四つの原理」より抜粋】
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幸福の科学の教えの第一は「愛」です。
そして、「愛は人から奪うものではなく、愛は人に与えるもの」として教えていただいています。

人や動物の血を吸うものに、蚊や蛭がいますが、知らないうちに自分の血が奪われてしまうのですから、どうしても好きにはなれないですね。

愛を与えることなく、奪う人はもしかしたらこんな感じなのかもしれません。心理学では、人の興味関心を引き、愛を奪う人を「エナジー・バンパイア」と言うのだそうです。言い得て妙ですね。相手のことを考えずに自分のことばかり考える人に多い特徴であると言えます。

本日の教えのなかで、とても印象的だったのが、

『みなさんの苦しみのほとんどは執着であるはずです。それは、「人からこうしてほしいのに、してもらえない」という苦しみであるはずです。仏教では、これを「求不得苦」といいます。「求めても得られない苦しみ」という意味です。これは、釈尊の説いた、苦しみについての教えであり、「この世では、求めても得られないものがある」ということです』

人生の問題集のほとんどは「愛」の問題であると痛感します。私たちも勇気を出して、奪う側から与える側への一大変革を人生で成し遂げてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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◆「天御祖神 感謝報恩植福」について

・この度、日本文明の祖にして、武士道の源流にあたる天御祖神が日本に降臨され、いまもなお、霊的にご指導を賜っていることへの感謝を捧げるために、箱根強羅の地に天御祖神を讃える「天御祖神記念館」を建立させていただくこととなりました。

・本植福を通じて、天御祖神への感謝を深めていくとともに、武士道精神を復活させ、神国・日本としての誇りを取り戻していくことで、この日本の地を主エル・カンターレの教えを発信するにふさわしい地としていくことを誓ってまいります。

日本神道の屋台骨である高天原が、日本人の不信仰と愛国心の欠落により、崩れてしまっている今、私達伊勢支部信者が先頭となって、日本神道の屋台骨を支え、日本国の誇りを取り戻すべく先頭に立たなければならないのではないでしょうか。伊勢支部としては、「天御祖神記念館」建立事業を全力で応援致します。私たちの信仰心をここに結集して参りましょう。

・「天御祖神感謝報恩植福」(2022/1/1~)は、天御祖神の日本への御降臨と、いまもなおご指導を賜っていることへの感謝を捧げ、報恩への誓いを固める植福として、1 
口 10 万円からお受けいたします。

・本植福に参加された方には、「『天御祖神 
感謝報恩の誓い』奉納書」を拝殿の基壇部分に御奉納させていただき、大きな貢献をされた方につきましては、記念碑建立時に銘板をもうけ、そのお名前を記名し、顕彰させていただきます。

・私は二〇一五年ぐらいから公開しておりますけれども、実は日本文明というのは、今から三万年ほど前に、天御祖神という方が、今の富士山があるところの近くに、宇宙より降臨したところから、始まっているということを、何冊かの本で説いております。(略)

(天御祖神の)教えの中心は、今も片鱗としては伝わっています。一つ、言わなければならないことは、「神の子、仏の子としての人間」として生きるということは、「正しく生きる」ということであるということですね。これが大事な柱でした。(「地球を包む愛」)

・「天御祖神の教え」とは何でしょうか。(略)おそらくは、「鍛錬ということの大切さ」や、「自分を鍛えて力強くあることの重要さ」というものも教えていたのではないかと思います。 
(『現代の武士道』)

・葬られているのは、今で言うと、強羅温泉の近くです。
 (「超古代リーディング―天御祖神と日本文明のはじまり―」)

日々のご支援に心より感謝申し上げます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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