73 命は有限である。だから大切に毎日を生きよ。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
来たる8月15日は終戦記念日です。今年で日本は敗戦80周年を迎えます。
先の大戦にて、その命を大和の国に捧げた英霊への感謝とともに、主の「大川談話」を振り返ります。
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○大川談話 ―私案―
わが国は、かつて「河野談話」(一九九三年)「村山談話」(一九九五年)を日本国政府の見解として発表したが、これは歴史的事実として証拠のない風評を公式見解したものである。その結果、先の大東亜戦争で亡くなられた約三百万人の英霊とその遺族に対し、由々しき罪悪感と戦後に生きたわが国、国民に対して、いわれなき自虐史観を押しつけ、この国の歴史認識を大きく誤らせたことを、政府として公式に反省する。
先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を開放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとともに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたものである。政府として今一歩力及ばず、原爆を使用したアメリカ合衆国に敗れはしたものの、アジアの同胞を開放するための聖戦として、日本の神々の熱き思いの一部を実現せしものと考える。
日本は今後、いかなる国であれ、不当な侵略主義により、他国を侵略・植民地化させないための平和と正義の守護神となることをここに誓う。国防軍を創設して、ひとり自国の平和のみならず、世界の恒久平和のために尽くすことを希望する。なお、本談話により、先の「河野談話」「村山談話」は、遡って無効であることを宣言する。
平成二十五年 八月 十五日
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8月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第4章「因果応報」を学びます。この法話の英語タイトルは「As
You Sow, So Shall You Reap【蒔いた種は、刈り取らねばならない】」となっています。
経典『復活の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
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■『復活の法』―第4章「因果応報」―人生を「前世・現世・来世」で捉える
1 人間には「前世・現世・来世」がある
○生まれ変わりの思想を異端視するキリスト教
キリスト教はどうかというと、正統のキリスト教は、生まれ変わりについて、はっきりと説いてはいないのです。むしろ、異端のように扱うことの方が多いでしょう。生まれ変わりが分からなければ、三世の因果は、議論として成り立たないのです。
ただ、キリスト教にも、「過去の預言者、あるいは天使が、この世に生まれ変わってくる」というような考え方があり、「霊界にあるものが、この世に出てくる」という思想自体はあります。
しかし、そういう偉い人はともかくとして、一般の人の場合は、生まれ変わるのか、生まれ変わらないのか、よく分かっていません。「胎児に魂が宿り、成長して死んだあとは、あの世に行く」ということは認めているのですが、その前については、よく分かっていないのです。
キリスト教では、そのような考え方をしているため、仏教的な三世の因果の話を聞くと、キリスト教徒たちは眉をしかめることもあります。
三世の因果という考え方は、よい方向に受け取ることもできるのですが、現状肯定の思想のように受け取れなくもないのです。
「三世の因果を言われると、人は努力しなくなるのではないか。『現在が悪いのは過去世に原因があるのだ』と考えたならば、いまさら努力してもしかたがない。『運命で決まっているのだ』というように運命論的に捉えると、努力のしようがないではないか」という見方もできます。
また、これには、為政者、政治家などが、自分たちに都合のよい言い訳として使える面もあります。たとえば、大勢の人が、貧しく、教育を受けられなくても、為政者にしてみれば、過去世の話をすれば済んでしまうところがあるのです。
そのため、「インドのカースト制などの現状を肯定することになるのではないか」という捉え方をして、ネガティブ(否定的)に考える人が、わりと多いように思います。
もちろん、カースト制は、かなり問題を含んでいます。「今世において、身分が高ければ、あるいは富貴な階級に生まれれば、それで幸福だ」と考えるのならば、確かに、「不平等で、おかしい」と言えるかもしれません。【※この点は、現在2025年時点の大川家のご子息が「王権神授説」を肯定し、日本神道の神々が過去世での高い身分を根拠に、身分制を肯定し、民主制に対して否定的な立場をとっているところと重なるように考えられます】
しかし、仏教の因果の理法からいくと、「社会的地位が高い。あるいは裕福である」ということは、必ずしも来世の幸福にはつながないのです。地位が高いからこそ、大勢の人を苦しめることもあれば、裕福であるからこそ、間違いを犯すこともあります。「生まれによって幸・不幸は決まっている。うまれによって貴賤は決まっている」と捉えてよいかというと、そうではなく、来世まで見てみなければ、まだ何とも言えないところがあるのです。
このように、三世の因果とう考え方を、よいものとして見る見方もあれば、悪く見る見方、要するに、「それは、この世の諦めの原理にすぎない」という批判も、有ることはあるのです。
真実は、どちらなのでしょうか。
【※例えば、インドで新仏教を立ち上げた、B.R.アンベードカルは、カースト制度の廃止を訴え、仏教をその手段として活用しました。しかし、カースト制度の廃止の思想的バックボーンとして、アンベードカルは、誤った仏教解釈に基づき、転生輪廻を否定し因果応報といった教義をカースト差別と関連付けて批判的に捉え、合理主義的なアプローチを重視しています】
【大川隆法『復活の法』―第4章「因果応報」より抜粋】
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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】
『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第1章 黄金の人生を創る
6 愛の架橋
自己実現ついて、いろいろと話してきたわけですが、人間がこの地上に生まれてくるということは、人間としてしっかり修業して、自分を磨き、自己の向上、進歩を図るというところに、その真の目的があるのです。
日々の進歩は、日々の自己実現であり、日々の向上は、日々の成功だともいえます。ただ、自己実現の難点は、ともすれば、自分ひとりの利益、幸せを追求してしまい、他人をないがしろにしてしまう危険性があるということです。
ですから、自己実現を強く願えば願うほど、愛の大切さを肝に銘じておかなければなりません。つまり、より大きな自己実現をした人ほど、より多くの愛を持った人でなければならないのです。自らの自己実現が進めば進むほど、自らの愛に発展があるかどうかを自己確認する必要があるのです。そこで、私の著書『太陽の法』(幸福の科学出版刊)のなかで語ったように、愛の発展段階ということを、常に考えていただきたいのです。
すなわち、愛には、「愛する愛」の段階、「生かす愛」の段階、「許す愛」の段階、「存在の愛」の段階と、四つの段階があります。そして、この段階をひとつ登るたびに、その人の愛は深く、大きくなってゆきます。同時にそれは、その人の人間完成への階梯であり、自己実現のステップでもあるのです。
この世で、地位や財産、名誉を得ることにいくら汲々としたところで、そうしたものは、死んであの世へ持って還っても、何の役にも立ちません。・・・天国で通用する名刺は、ただひとつ。すなわち、その人の心の状態なのです。その人の悟りの段階なのです。そして、その人の想念帯のテープに記された記録だけなのです。
また、この世で、億万長者となって、ぜいたくの限りを尽くしたとしても、それが天国へのパスポートになることはありません。自家用のヨットや飛行機、定期預金証書、大豪邸、そうしたものは、あの世へは持ってゆけないのです。いくら有名人となったからといって、地獄の鬼は、釜の湯の温度を、たとえ一度といえども下げてはくれません。
名誉にしても、同じです。学士院や芸術院の会員になったところで、褒章をいただいたところで、何の役にも立たないのです。地獄には、元大臣、元学長、元博士、元裁判官、元検事などが、「こんなはずではない。他人が地獄に堕ちるのはともかく、自分が堕ちるなと承服できない」と、わめいている姿があちこちで見られます。すなわち、自らの名誉ばかりを求めて、他人に愛を与えることのなかった人々の哀れな末路です。
宗教家でも、また、同じことが言えます。外国の政府から、世界平和に貢献したとして、勲章までもらった宗教家が、今、どうなっているか。無間地獄の底で、割れるような頭の痛みに堪えかね、転げ回って苦しんでいるその人の姿を、私は、はっきりと霊視しております。その教えが間違っていたがゆえに、後に残した弟子たちが、その先生を尊敬すればするほど、両親の痛みに耐えかねて、七転八倒しているのです。
あるいは、また、イエス・キリストが行ったと同じ奇蹟を万人ができると称して、生前、霊的指導を行った宗教家が、今、火炎地獄の炎のなかで絶叫している姿を、私は、何度も霊視しております。地上の多くの人々に霊的自覚を与えたのは、確かに、彼の功績だと言えるでしょう。しかし、地獄の憑依霊を浄化するためには、天上界の高級霊の助力がなければ、仏の光を授かることはできないのです。そして、高級霊の指導を受けるためには、その人が心を磨き、高級霊と心が同通しなければならないのです。
ですから、この意味において、万人がイエスと同じ奇蹟を起こせる霊能者となれるという教えは、その理論の根本が間違っているのです。憑依霊がついているもの同士が、光を与えあうということはありえません。そのことに、気づかなくてはならないのです。
このように、宗教家を目指す者にとっても、自己実現とは、非常に厳しいことなのです。とくに、現世利益だけを求める宗教には、注意しなくてはなりません。
まず、霊的存在としての自分を愛することです。しかし、自分ひとりだけにとどまっている愛ではいけません。自分自身を愛したならば、他人へも愛を与えてごらんなさい。愛は、仏からいただいたものです。だからこそ、自分で独り占めにしないで、他人にも分け与えてゆかなくてはならないのです。そうしてこそ、愛の懸橋(かけはし)となってゆくのです。「愛の架橋」とは、こういうことなのです。
【大川隆法『黄金の法』第1章「黄金の人生をつくる」より抜粋】
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さて、ここからは、「幸福の科学」の原点に立ち返り、幸福の科学が全世界に広げようとしている教えを共に再確認させていただきます。幸福の科学に入会・三帰されて間もない方や、これから、新しい方を伝道するに当たって、幸福の科学の教えをどのようにお伝えしたらよいのか。ヒントになれば幸いです。以下2003年に発刊されました主の著書である、経典『幸福の法』の第四章「幸福の科学入門」を引用しながら、幸福の科学の基本教義を学んでまいります。経典をお持ちでない方は、この機会に拝受ください。【税抜1800円】
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〇「愛の原理」
・「奪う愛」ではなく「与える愛」の実践を(後半)
みなさんは、「愛」というと、ほとんどは、好きな男性から愛されること、好きな女性から愛されること、親から愛されること、子供から愛されることなど、愛を貰うことばかりを考えるでしょう。そして、十分に愛を貰えないので悩むのでしょう。これを解決しなければいけません。
みんな、愛がほしい人ばかりで、与える人がいなかったならば、この世には愛が不足してしまいます。したがって、まず愛の供給をしなくてはいけないのです。それぞれの人が愛の供給をすれば、世の中は愛に満ちてきます。奪うことばかりを考えてはいけないのです。
愛不足の社会、奪う愛の社会は、たとえて言えば、ほとんどの人が、病人のように、病院のベットで治療を受けていて、「あそこが痛い。ここが痛い。もっと良い薬をくれ。もっと楽にしてくれ」と言っているような状態なのです。みんながそのように言っているのでは困ります。もっと医者や看護師を増やさなくてはいけませんし、薬ももっと出さなくてはいけません。
したがって、自分のできるところから愛を与えていきましょう。人のためになることをしましょう。自分が幸福になりたいという前に、人を幸福にしようとしてごらんなさい。そういう人が増えたら、悩みは自動的に解決していくのです。
みなさんの苦しみのほとんどは執着であるはずです。それは、「人からこうしてほしいのに、してもらえない」という苦しみであるはずです。仏教では、これを「求不得苦」といいます。「求めても得られない苦しみ」という意味です。これは、釈尊の説いた、苦しみについての教えであり、「この世では、求めても得られないものがある」ということです。
いつまでも、「こうしてほしいのに、してもらえない」というようなことばかり言っていたら、幸福な人は一人も出てきません。まず、できることからやりなさい。人に対して、与える愛を実践することです。そこから道が開けるでしょう。
与える愛を実践している人は、すでに幸福への第一歩に入っています。まず、毎日が楽しいでしょう。それから、人が喜ぶ姿を見て、自分もうれしいでしょう。人が喜ぶ姿、人が幸福になる姿を見て、自分も幸福になれるようになったら、すでに天国への第一歩に入っているのと同じです。そういう人が死後に天国へ行くのです。
人の幸福を見て、羨み、嫉むような人はだめです。「自分だけが幸福になればよい。人は幸福にならないほうがよい。人は不幸になったほうがよい」というのは地獄の心です。
人の幸福を見て喜ぶ心になったら、天国に入る条件が揃うのです。第一関門の愛の原理をマスターしただけでも、天国の門は十分に開きます。
したがって、簡単なようで、非常に奥が深いのです。
【大川隆法『幸福の法』幸福の科学出版 より抜粋】
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続いて『幸福の法』第3章「人間を幸福にする四つの原理」より抜粋します。
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〇親への欲求不満は、大人になっても根っことして遺る
とくに、人との関係という意味での愛は、男女の愛もあれば、それ以外の人間関係での愛でもあると思いますが、そこでの苦しみは、たいていの場合、仏教の根本において否定されている、喉の奥から手が出てくるような渇愛、妄執とでもいうような苦しみなのです。
それは、他の人に対する、「こうしてほしい。ああしてほしい」という思いです。それには、異性に対するものもあるでしょう。また、子供であれば、「自分の親に、こうしてほしい」という思いや、「自分の親に、もう少し力があったら、よかったのに」という思いもあるでしょう。
あるいは、すでに子供ではなく、充分、大人になっていても、「少なくとも、自分の現在の苦しみの原因は、子供時代に、自分の親に力がなかったことだ」というような場合もあります。・・・
そのようなことで、子供時代に親に対するいろいろな欲求不満があり、充足されなかったという場合もあるのです。大人になっても、それが根っこになって残っているわけです。
この部分は、埋められるかというと、なかなか埋められないのです。・・・
こういう、幼少時、子供時代に自分が満たされなかった欲求不満のようなものが、社会人になってから、違った形で表れることがあります。本来は親に対して求めていたものを、たとえば、上司、上役に対して求めたりするのです。親に求めていたのと同じような評価を、親の代わりに会社の部長や社長、役員などに求めたがるわけです。
ところが、そのような振替をしても、たいていの場合、親に対して欲求不満を持ったのと同じように、また欲求不満になります。自分が思っているようには満たされないのです。・・・
そのように、実社会において認められない場合があるわけですが、「実社会において認められたい」という気持ちは、かなり、父性原理、父親的原理とかかわるものです。「幼少時に、父親に認められなかった」という欲求不満を持っている人は、社会に出ると、会社の上司、あるは、そういう立場に立つ人に認められたがります。父親に認められなかった部分を社会での評価のほうにもっていこうとするのです。
しかし、それは、父親に認められなかったのと同じように、たいてい、なかなかうまくいかないものです。そのときに、どうするかというと、幼少時、子供時代において母親に求めていたもののほうへ欲求を移すのです。
たとえば、「子供時代、父は評価してくれなかったが、母は無限にかわいがってくれた。それで見事に充足されていた」という場合、救いはあります。子供時代に母の愛を十分に受けた人の場合は、社会に出て、仮に出世しなかったとしても救いがあるのです。
そういう人の場合は、実社会で成功しなかったときに、家庭に幸福を見出していく事がよくあります。家庭のなかに次なる幸福の科学を見出すというかたちが非常に多いのです。
ただ、「子供時代に、母からも十分な愛を受けられなかった」という場合もあります。・・・
こういう人は、家庭的な面でもやはり欲求不満を起こしていきがちです。
子供時代に母親に十分に愛された人は、そういう情愛の深い女性を伴侶として選びたがる傾向があり、そのため、社会において挫折しても、その部分について、傷口をうめてもらえるというか、くるんでもらえることが多いのですが、子供時代に、家庭において、母の愛というものを充分に受けなかった人は、そういう優しい女性との結婚を、ほんとうは深層心理では望んでいながら、それができないことが多いのです。
そして、そういうタイプの女性ではなく、非常にとげのある、きついタイプ、自分が傷つけられるようなタイプの女性を、あえて好きになります。わざわざ、その正反対のほうに女性に惹かれていくのです。
それで、結婚できなくて傷つけられることも当然ありますが、結婚して傷つけられることもあります。家庭において、また挫折を繰り返すのです。結局、幼少時に受けたのと同じような体験を繰り返すわけです。
【大川隆法『幸福の法』第三章「人間を幸福にする四つの原理」より抜粋】
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幸福の科学の教えの第一は「愛」です。
そして、「愛は人から奪うものではなく、愛は人に与えるもの」として教えていただいています。
人や動物の血を吸うものに、蚊や蛭がいますが、知らないうちに自分の血が奪われてしまうのですから、どうしても好きにはなれないですね。
愛を与えることなく、奪う人はもしかしたらこんな感じなのかもしれません。心理学では、人の興味関心を引き、愛を奪う人を「エナジー・バンパイア」と言うのだそうです。言い得て妙ですね。相手のことを考えずに自分のことばかり考える人に多い特徴であると言えます。
本日の教えのなかで、とても印象的だったのが、
『みなさんの苦しみのほとんどは執着であるはずです。それは、「人からこうしてほしいのに、してもらえない」という苦しみであるはずです。仏教では、これを「求不得苦」といいます。「求めても得られない苦しみ」という意味です。これは、釈尊の説いた、苦しみについての教えであり、「この世では、求めても得られないものがある」ということです』
人生の問題集のほとんどは「愛」の問題であると痛感します。私たちも勇気を出して、奪う側から与える側への一大変革を人生で成し遂げてまいりましょう。
また、『黄金の法』では、
『自己実現を強く願えば願うほど、愛の大切さを肝に銘じておかなければなりません。つまり、より大きな自己実現をした人ほど、より多くの愛を持った人でなければならないのです。自らの自己実現が進めば進むほど、自らの愛に発展があるかどうかを自己確認する必要があるのです。そこで、私の著書『太陽の法』(幸福の科学出版刊)のなかで語ったように、愛の発展段階ということを、常に考えていただきたいのです。
すなわち、愛には、「愛する愛」の段階、「生かす愛」の段階、「許す愛」の段階、「存在の愛」の段階と、四つの段階があります。そして、この段階をひとつ登るたびに、その人の愛は深く、大きくなってゆきます。同時にそれは、その人の人間完成への階梯であり、自己実現のステップでもあるのです。・・・
まず、霊的存在としての自分を愛することです。しかし、自分ひとりだけにとどまっている愛ではいけません。自分自身を愛したならば、他人へも愛を与えてごらんなさい。愛は、仏からいただいたものです。だからこそ、自分で独り占めにしないで、他人にも分け与えてゆかなくてはならないのです。そうしてこそ、愛の懸橋(かけはし)となってゆくのです。「愛の架橋」とは、こういうことなのです』
神仏からいただいた愛を、独り占めすることなく、他人に、私たちの隣人に分け与えることが「愛の架橋」であることを教えていただきました。
主と自分と隣人とを結ぶ力が愛です。そしてその愛の架橋をつくる力が祈りでないかと思いました。信仰と愛と祈りでつなぐ神仏の力の一助に私たちもなれるはずです。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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○幸福実現党の目指すもの
この国の政治に一本、精神的主柱を立てたい。
これが私のかねてからの願いである。
精神的主柱がなければ、国家は漂流し、
無国の民は、不幸のどん底へと突き落とされる。
この国の国民の未来を照らす光となりたい。
暗黒の夜に、不安におののいている世界の人々への、
灯台の光となりたい。
国を豊かにし、邪悪なるものに負けない、
不滅の正義をうち立てたい。
人々を真なる幸福の科学の実現へと導いていきたい。
この国に生まれ、この時代に生まれてよかったと、
人々が心の底から喜べるような世界を創りたい。
ユートピア創りの戦いは、まだ始まったばかりである。
しかし、この戦いに終わりはない。
果てしない未来へ、はるかなる無限遠点を目指して、
私たちの戦いは続いていくだろう。
大川隆法
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■大川隆法 新日本国憲法 試案 前文
われら日本国国民は、神仏の心を心とし、日本と地球のすべての平和と発展・繁栄を目指し、神の子、仏の子としての本質を人間の尊厳の根拠と定め、ここに新・日本国憲法を制定する。
■日本国憲法試案 第一条
国民は、和を以って尊しとなし、争うことなきを旨とせよ。また、世界平和実現のため、積極的にその建設に努力せよ。
■新日本国憲法 第二条
信教の自由は、何人に対してもこれを保証する
■日本国憲法試案 第三条
行政は、国民投票による大統領制により執行される。大統領の選出法及び任期は、法律によってこれを定める。
■日本国憲法試案 第四条
大統領は国家の元首であり、国家防衛の最高責任者でもある。大統領は大臣を任免できる。
■新日本国憲法 第五条
国民の生命・安全・財産を護るため、陸軍・海軍・空軍よりなる防衛軍を組織する。また、国内の治安は警察がこれにあたる。
■新日本国憲法試案 第六条
大統領令以外の法律は、国民によって選ばれた国会議員によって構成される国会が制定する。国会の定員及び任期、構成は、法律に委ねられる。
■新日本国憲法試案 第七条
大統領令と国会による法律が矛盾した場合は、最高裁長官がこれを仲介する。二週間以内に結論が出ない場合は、大統領令が優先する。
■日本国憲法試案 第八条
裁判所は三審制により成立するが、最高裁長官は、法律の専門知識を有するものの中から、徳望のある者を国民が選出する。
■新日本国憲法試案 第九条
公務員は能力に応じて登用し、実績に応じてその報酬を定める。公務員は、国家を支える使命を有し、国民への奉仕をその旨とする。
■新日本国憲法試案 第十条
国民には機会の平等と、法律に反しない範囲でのあらゆる自由を保障する。
■新日本国憲法試案 第十一条
国家は常に、小さな政府、安い税金を目指し、国民の政治参加の自由を保障しなくてはならない。
■新日本国憲法試案 第十二条
マスコミはその権力を濫用してはならず、常に良心と国民に対して、責任を負う。
■新日本国憲法試案 第十三条
地方自治は尊重するが、国家への責務を忘れてはならない。
■日本国憲法試案第十四条
天皇制その他の文化的伝統は尊重する。しかし、その権能、及び内容は、行政、立法、司法の三権の独立を損なわない範囲で、法律でこれを定める。
■新日本国憲法試案 第十五条
本憲法により、旧憲法を廃止する。本憲法は大統領制の同意のもと、国会の総議員の過半数以上の提案を経て、国民投票で改正される。
■新日本国憲法試案 第十六条
本憲法に規定なきことは、大統領令もしくは、国会による法律により定められる。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(8/14-1)226幸福の科学入門6―「因果応報」生まれ変わりの思想を異端視するキリスト教―『黄金の法』愛の架橋
