(10/2-1)275幸福の科学入門Ⅲ ㊿真理を伝える際に心がけること―高橋信次の正法神理

幸福の科学入門

10 大名商売をするな。千人のお客様のうち、買ってくれるのは三人だ。

【大川隆法 箴言集『コロナ時代の経営心得』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

10/6は幸福の科学の「立宗記念日」です。立宗38周年にあたり、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生が、すべてを捨てて空手にして「幸福の科学」を立宗されたお心に思いを馳せ、心からの感謝を捧げ、大川隆法総裁先生のご復活を心より祈念し、全世界の信者一同で、立宗記念式典版「復活の祈り」を執り行います。

10/6(日)~10/8(火)まで連日、立宗記念式典を執り行います。

立宗へと到る主のお心を表した楽曲「たとえ世界を敵に回しても」を通して、主の愛や信念の強さを学び、私たち信仰者にとっての理想としてまいります。主の夢の実現に向けて、この世の壁を突破すべく、強さ、勇気、潔さ、気概を深め、ご復活された主と共に、地球ユートピアを実現していく誓いを捧げます。

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さて、ここからは、幸福の科学の基本書3部作『黄金の法』を通して、エル・カンターレの歴史観を共に学んでまいります。『黄金の法』は、光の菩薩たちが主の悲願である地上仏国土ユートピア建設のためにどのような活躍をなしたのかを記すものです。人類の歴史に隠されていた地球神を、光の天使・菩薩たちはどのように実行したのか、その一端を学びます。経典をお持ちでない方は、是非この機会に拝受ください。【税抜2000円】

『エル・カンターレが観た歴史観であるとともに、エル・カンターレが立案したところの、地球的仏法真理の大河の鳥瞰図でもあります』(「『黄金の法』まえがき」より)
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第5章 愛の押し寄せる時
10 高橋信次の正法神理

さらに、近年においては、高橋信次が生まれました。一九二七年に長野県に生を享け、一九七六年に没しております。彼は、ごく最近の方であり、また、彼が教えを説いたのも、亡くなる前の七、八年間でした。その教えは、みるみるうちに広がり、教線が伸び、GLAという団体にも勢いがついてきたのですが、四十八歳という働き盛りで過労死したので、プツリと教えが切れたような形になってしまったのです。高橋信次が亡くなった後、わずか十九歳の長女が跡を継いだために、教団に動揺が出て、その教勢は衰えたと言えます。

高橋信次は、仏教の再興を願っていたわけですが、彼の教えのそのものは、仏教の持つ豊かな法脈にまで突きあたることはなく、釈尊が成道前に通過したヨーガ仙人的関心に止まっていたようです。「悟り即、霊能力」と捉えていたフシがあり、仏教の特徴である「智慧」や「信仰」「伝道」にまで悟りがつながってゆきませんでした。【※その後の霊査で、生前の高橋信次を指導していたのが、釈尊が成道前の山野での修行したときに禅定の手ほどきを少し受けた、仙人のアーラーラ・カーラーマであったことが分かっています。経典『宗教選択の時代』第五章「方便の時代は終わった」p159参照」】

しかし、谷口雅春が、主として神道に基礎をおきながら、仏教、キリスト教、欧米のニューソートを吸収していったのに対して、高橋信次の場合は、主として仏教の復活に力点をおきながら、キリスト教やユダヤ教、回教も同根であることを説明しようと試みていた点は評価できます。

高橋信次の教義の中核を説明すると、まず第一に、理論的には不十分ながら、釈迦の八正道を中軸において、反省の大切さを説いていることです。すなわち、反省の本来の意義は心の曇りを晴らして、仏の光を直接取り入れ、よって、自らの守護・指導霊とも交流ができるようになるということにあります。

第二は、左右の両極端を捨てて、中道に入ることによって、大調和を実現するということです。

第三には、人間の修業の中心は、自らの「心と行ない」を正してゆくことにあるという点を明らかにしました。

第四には、人間は転生輪廻の結果、さまざまな時代に、さまざまな地域に生まれているのであり、正法神理というものも変遷してきたのだということを明確にしました。そして、親族や弟子たちの一部によるサクラが多かったとはいえ、霊動現象によって、過去世の言葉を思い出して語ることによって、人々が、かつて、インド、中国、イスラエルの時代に生まれていたことを実証しようとしたのです。

第五には、心を探求した結果、心の仕組みと物理化学的な法則とのかかわりを明らかにしました。

高橋信次の教義には、以上のような特色があるのですが、彼の出生の目的と使命について、実在界の側からも説明をしておきたいと思います。

高橋信次の生命体の本体は、実在界では、エンリルと言われている九次元の生命体です。天上界を構造的に捉えるならば、裏側という分類に入り、祟り神的側面があり、その教えを信奉した場合、吉凶はかりしれず、といった感じがします。古代ユダヤ教にもエンリルの影響がかなりありますが、ユダヤ人の三千年の歴史を見るかぎり、祟り神に翻弄された迫害の歴史であったと言えます。

また日本では、役行者(えんのぎょうじゃ)として仙道を開きましたが、大弾圧された大本教を指導した「艮(うしとら)の金神」の正体も、この役行者とその眷属(けんぞく)でした。

高橋信次の功罪は『太陽の法』にも詳しいですが、仙人が仏陀を詐称した点、悪霊現象に対する興味関心を広め、新宗教のオカルトブームに拍車をかけた点に批判は集中します。

私としては、人間がこの世への執着を断つためには、霊的側面を知らせることも大切かと思いますが、霊能力や超能力をありがたがる風潮が、近年の桐山密教や真光教団、真如苑、オウム真理教などの悪霊生産工場続出への温床となっていることに対して、厳しく警告しておきたいと考えます。

大切なことは、この世を否定し、あの世的なもののみを肯定することが、宗教の本務ではないということです。この世とあの世を貫く幸福を求める道こそが、宗教の本道であることを悟るべきです。

正教徒と邪教との違いは、結局、教えを信奉する人々が、素晴らしくなってゆくか、おかしくなってゆくかです。仏教本来の深い智慧を今後とも追い求めてゆきたいと思います。

【大川隆法『黄金の法』第5章「愛の押し寄せる時」より抜粋】

【※高橋信次の転生について、その後の霊査で、紀元前二八〇〇年頃に、エンリルとして古代シュメールのバビロンに転生しています。そしてこの時、天上界からエル・カンターレが、天空神アヌ(ANU)という名前で、地上に降りたエンリルを指導していたことが分かっています。その後、紀元前一八〇〇年ごろ、ヤコブ・イスラエルとして古代ユダヤに転生しています。イスラエルの十二部族の始祖であり、現在のユダヤ人のもとをつくった人です。因みに、このヤコブは、旅先で羽のある天使と格闘したということで、「神と争うもの、戦うもの」という意味の「イスラエル」と名乗りました。「エル」は「神」の意味です。「イスラ」は「抗う」「抵抗する」「戦う」などという意味です。またサトナ・クラーマ(インド・紀元八世・
・頃)インドヨガ界の裏側存在。左慈(中国・西暦二世紀~三世紀)中国仙人界の裏側存在。役小角(日本・七世紀頃)日本天狗界の裏側存在。このように、各時代の転生では一貫して霊界の裏側の存在であり、常に表側の光の天使・大天使・菩薩・如来から裏側の世界に封印されている存在であることが分かっています。『宗教選択の時代』第五章「方便の時代は終わった」参照】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
ここからは、経典『正しき心の探求の大切さ』より、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道ついて主より教えていただきます。

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〇真理を伝える際に心がけること
「四正道」をまとめて話してもよいですが、それでは理解できない場合は、どれかの教えを一発、バシッと打ち込むのです。そして、「その人の心のどこかに風穴を開け、仏法真理を差し込み、学習意欲をつくる」ということが大事なことであるわけです。

そのように、一般向けには、簡単に、どこかの切り口からアプローチをかけて、真理を教える必要があります。

「そもそも、大川隆法先生の説かれた二十年間の説法は・・・」などと言って、その内容を、『平家物語』でも聞かせるように延々と話したら、もう、みな逃げて帰ります。途中でいなくなりますから、それはいけません。そうではなくて、教えのポイントを、自分の言葉でズバッと語れるようにしていく必要があると思います。以上が、伝道の仕方として、言っておかなければならないことです。

【大川隆法『正しき心の探究の大切さ』第一章「未来へ」より抜粋】
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続きまして、経典『幸福の科学とは何か』より、反省について学びを深めます。
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〇悟りへの第一歩
反省を中心に話を進めてきましたが、もうひとつ大切なことを言っておかねばなりません。すなわち、悟りについての考え方ですが、悟りの第一歩、第一関門は、この反省であるということを、どうか肝に命じてほしいということなのです。

いろんな考え方をする方がいるでしょうが、悟りというものは、まずこの反省を通して得られるのです。第一段階の悟りとは何かというと、すなわち本来の自己を取り戻すこと、自分が神の子であるということ、実在界から出てきた存在であるということ、また、自分が霊的存在であるという事実にめざめること、こうしたことが悟りの第一歩なのです。この霊的自己にめざめること、本来の自己にめざめることというのが、反省の中核をなさねばならないと私は思います。

すなわち、反省というのは、道徳的に教えられた良いこと悪いことを振り返って、マル・バツをつける行為ではないのです。ほんとうは、霊的な自分というものがあり、その霊的な自己は、成長していく方向があるのです。この方向に延びていけば成長するが、これと違った方向に伸びていけば、これは失敗する、あるいは自己のためにはならない、霊的成長を阻害されるという方向があるのです。この部分を中心に、反省をせねばならないのです。自分の霊性が本来めざしている方向に、すくすくと伸びていけるような努力をそこしなくてはいけないのです。

したがって、反省の基準はこの霊性、真実の霊性にめざめること、真実の霊性にめざめるための手段でなければならないということ、こうしたことが強調されるのです。すなわち、霊的進化に奉仕しない反省は、真実の意味での反省とは言えないということなのです。

たとえば、他人を自分の思い通りにしようとして、それが出来なかったから反省するという反省は、ほんとうの意味での反省ではありえないということなのです。他人を自分の思いのままにする、あるいは自分の欲望を晴らさんとする、こうしたことの結果がとげられないがために、そこに自分の落ち度があったとしてそれを反省するということが、反省ではないということなのです。神の心に反した行為、これを反省せねばならないのです。

また、神の心ということから引いてくることのできる結論として、本来一人ひとりの人間は、心のなかに良心というものがあります。このよい心、この善我なる自分、神性を含んだ部分、これが結局、その本来の姿に立ち返るために、その良心自身が要求するもの、神性自身が要求するものであるはずです。それがほんとうの方向なのです。したがって反省のもう一つの視点は、自分自身の深い心、真心との対話ということになりましょう。

ほんとうに、真底から自分がこうありたいと思っているのかどうか、これを考えることです。人の評判や人のつくり出した価値、また、さまざまな人間的な思いやレッテル、こんなもので自分の価値観が振り回されているのではないか、この部分をよくよく考えてみなければいけないのです。自己実現と言っても、まちがったレッテルなどに基づく自己実現であってはいけないのです。真実の自己実現は、やはり霊性の実現です。霊性のめざめです。その到達です。これこそが、ほんとうに望まれるところなのです。

それゆえに、まず私たちは、謙虚に自分というものを見つめていく必要があります。

どうしても謙虚さというものを忘れて、自分が巨大化すればいい、自分の活躍場面さえ増えればいいというように考え方がありますが、それは、ともすれば悟りの逆に近づいていくことになるということです。心のさび止めということにも関係すると思いますが、謙虚さということが、どうしてもここでもう一度、中心になっていかざるをえないのです。

すなわちこの反省も、また別の基準から言えとするならば、「自分自身を振り返ったときに、謙虚であったかどうか、神のまえに、神仏のまえに謙虚な自分であったかどうか、傲慢でなかったかどうか、これを振り返る必要があります。もうひとつは、他人に対して真実優しかったかどうか、愛を与えたかどうかということです。

この、自分に対して謙虚で、他人に対して優しくあるということ、これを実践することが、ひとつの反省でもあります。日々要求される反省の積み重ねとは、結局、この二つの言葉に帰結されるかもしれません。自己に対して謙虚に、また他人に対して優しく、これは「己に厳しく他人に寛大に」という言葉になりましょう。

いずれにしても、こうした心構えをもっていることは、無限の悟りを得ていくための方法でもあるのです。悟りは無限です。それは無限の階梯を持っています。この二つのことを基準に考えてください。ともすれば人間は、他人に対しては要求をし、自分に対しては甘くてぬるい考え方をしがちです。しかし、そうであってはいけないということです。

こうした考え方をしてみると、悟りを求めるという行為は、結局、無限に人格に向上させていく道でもある、無限に器の大きい人格をつくることでもあるとそのように言い換えることもできるでしょう。ここに、みなさんの研究課題がまだまだあると言わざるをえません。

【大川隆法『幸福の科学とは何か』第5章「反省はなぜ必要か」より抜粋】
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伝道の原点は、「四正道」を簡単に伝えることです。これは大切な点です。
そして、エル・カンターレという神の名を伝えることが今とても大切です。

経典『地獄の法』の第五章「救世主からのメッセージ」では、
「正しき心の探求」としての「現代の四正道」を実践することの大切さが説かれています。
主におかれましては、「信仰心を持って生きることを、大きな意味において『正しき心の探求』といいます。そして、その『正しき心の探求』の中身とは何であるかといえば、「愛・知・反省・発展」という「現代の四正道」に、今は集約されています」と説かれています。

そして、経典『「正しき心探求」の大切さ』では、
『(伝道において)では、何を伝えてほしいかというと、原点に返れば、「愛・知・反省・発展」の「四正道」です。まず、「四正道を、どれだけ簡単に伝えられるか」ということが原点になります』と説かれており、伝道において、「四正道」分かりやすく伝えることが大切である、と教えていただいています。

主は、「現代的四正道」を説いています。この「愛・知・反省・発展」の四つの考え方をまとめて、「正しき心の探求」と呼んでいます。正しき心の探求とは、「愛・知・反省・発展」の探求なのです。だから、伝道において四正道をしっかりお伝えすることがとても大事なことであることが分かります。

また、本日の学びでは、
『悟りについての考え方ですが、悟りの第一歩、第一関門は、この反省であるということを、どうか肝に命じてほしいということなのです。・・・悟りというものは、まずこの反省を通して得られるのです。第一段階の悟りとは何かというと、すなわち本来の自己を取り戻すこと、自分が神の子であるということ、実在界から出てきた存在であるということ、また、自分が霊的存在であるという事実にめざめること、こうしたことが悟りの第一歩なのです。この霊的自己にめざめること、本来の自己にめざめることというのが、反省の中核をなさねばならないと私は思います。

という言葉がとても、心に染み入りました。また、別の箇所では反省と謙虚さと自己実現についてこのようにありました。

『真実の自己実現は、やはり霊性の実現です。霊性のめざめです。その到達です。これこそが、ほんとうに望まれるところなのです。それゆえに、まず私たちは、謙虚に自分というものを見つめていく必要があります』

また、反省の結果として、自らへの謙虚さと、他人に対する優しさが指標にすることも学びました。

『この反省も、また別の基準から言えとするならば、「自分自身を振り返ったときに、謙虚であったかどうか、神のまえに、神仏のまえに謙虚な自分であったかどうか、傲慢でなかったかどうか、これを振り返る必要があります。もうひとつは、他人に対して真実優しかったかどうか、愛を与えたかどうかということです。

この、自分に対して謙虚で、他人に対して優しくあるということ、これを実践することが、ひとつの反省でもあります。日々要求される反省の積み重ねとは、結局、この二つの言葉に帰結されるかもしれません。自己に対して謙虚に、また他人に対して優しく、これは「己に厳しく他人に寛大に」という言葉になりましょう』

さらに、反省の基準として次のポイントも学ぶことができます。

『反省の基準はこの霊性、真実の霊性にめざめること、真実の霊性にめざめるための手段でなければならないということ、こうしたことが強調されるのです。すなわち、霊的進化に奉仕しない反省は、真実の意味での反省とは言えないということなのです』

やはり、反省と与える愛の実践と悟りという名の幸福とは深い関係があることを改めて確認できました。一日のうち、少しずつ反省と与える愛を重ねてまいりましょう。そして、悟りという名の幸福を手に入れましょう。

本日も愛と天使の働きをなすために、そして私たちの隣人を助けるために、主の教えと信仰心の大切さを伝え、入会・三帰へと導いてまいりましょう。そして、私たちは、人の不幸を呪うのではなく、人の幸福を祈る者になりましよう。

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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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