(2/18-1)49経文「伝道参加のための祈り」を読む ⑤主に出会う感激、喜びを人に伝え、仲間を増やしたい。―欧米人には、富に対する一種の「原罪意識」がある

伝道参加のための祈り

66 自立している人こそ、良き友達ができる。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

3月7日は「宗教法人設立記念日」です。「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。

1991年のこの日に、「幸福の科学」は宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。
「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。
そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。

はじめに、津支部にて2009年2月8日に賜りました御法話『信仰と富』を学びます。
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〇―欧米人には、富に対する一種の「原罪意識」がある
「神と富という二人の主人に仕えることはできない」というイエスの教えに対して、「どうやって、この教えを避けて、うまく生きていくか」ということで、二千年間、キリスト教徒は苦しんできました。そして、商売に励んだりするものの、彼らの心のなかには「罪悪感」があるのです。

そのため、現在のような不況が起きると、「世界恐慌になるのではないか。神に滅ぼされるのではないか。原始時代に戻るのではないか」というような恐怖心を持ってしまいます。

おそらく、欧米人には一種の「原罪意識」があって、心の奥底では、不況や大恐慌を求めているのではないかと思うのです。「イエスは確かに『神と富とに仕えることはできない』『金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい』と言っている」という「刷り込み」があるのです。

もっとも、「ラクダが針の穴を通る」というのは、この世的常識で考えれば、無茶苦茶な譬(たと)えであって、これには誤訳説が流れています。「当時のイスラエルには、『ラクダ』という意味の言葉と発音が似ている、『ロープ』という意味の言葉があるので、ラクダは誤訳だろう」という説があるのです。

「お金を儲けると天国に行けなくなる」のであれば、働けなくなり、貧しくなるしかないのですが、「信仰を持てば貧しくなる」ということであっては、たまりません。その場合、ありうるのは「清貧の思想」しかないので、「貧しい人は正しい」という思想しか出てこないことになります。

しかし、それでは、やはり困るわけです。キリスト教の僧院では貧しい生活をしていたので、修道僧には、そういう生活に対する適正はあるのかもしれませんが、在家の人にとっては、たまらない面があると思います。

【大川隆法『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』第四章「信仰と富」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第4章 五停心観(ごじょうしんかん)
1「禅」「定」と「止」「観」

前章では「戒律」についての学びを深めましたので、本章では「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」の三学の二番目である「定」について述べたいと思います。

この「戒・定・慧」というのは、「戒」がもとにあって「定」が成立し、「定」があって「慧」が成立するというように、先にあるものが下敷きになって、あとのものが深まっていく関係になっています。ですから、この「定」も、日頃から、みずからに戒律を課し、ストイックな生活をしていて、初めて入れるものなのです。その日だけ、にわかに定に入ろうとしても、なかなかそうはいかないものです。そのような関係にあると考えていただきたいと思います。

さて、ひと口に「定」と言っても、その幅も広く、さまざまな種類のものがあります。そこで、本章では種類を限定して、「五停心観(ごじょうしんかん)」というものを、みなさんにお教えしたいと思います。

まず、言葉の説明から入ります。みなさんは「禅定」という言葉をよく使っていると思いまずが、この禅定の「禅」という言葉と「定」という言葉は、もともとの言葉が違うのです。

「禅」とは、「ディヤーナ(dhyana)」といい、簡単に言えば「ヨーガ」のことです。ヨーガというのは、心身を調和する作法、修法のことです。要するに、精神と身体の調和を目指す作法のことです。

これに対して、「定」とは、別の言葉では「三昧(さんまい)」といいます。”何とか三昧(ざんまい)”とよく言いますが、「サマーディ(samadhi)の音写が「三昧」で、「定」はこれに当たります。

このように「禅」と「定」はよく似た意味の言葉なのですが、これを合わせて「禅定」と呼んでいるわけです。どちらかといえば、「定」のほうが意味としては広く、「禅」は「定」のなかの一種なのです。

それでは、「定」は、どのような定義をすることができるかというと、「ある一つの対象に心を集中して平安な状態にすること、平静にすること」ということです。

しかし、これだけにとどまらずに、もっと踏み込んで「心を平静な状態にし、その対象の本質を見ること」というような、本質を見るところまで踏み込む定義もありうると思います。このへんが難しいところですが、さらに詳しく説明していきたいと思います。

この「定」という言葉の類義語に、「止(し)」という言葉と「観(かん)」という言葉があります。これは「止観(しかん)」という言葉で、すでに耳にしたことがある方も多いと思います。

この「止」という言葉は、内容的には「心の動きを止める」「心の波立ちを鎮める」という意味です。

「定」に入ったら何をするか、毎日の日常生活のなかで心の波動が乱れているし、呼吸も乱れているし、さまざまな想念が飛び交って、いろいろな人の言葉や雑念が往ったり来たりしているので、とりあえずは、これをまず押えないことには、精神をし集中して何かについて深く見ていこうとしても、できるものではありません。まず、その波立ちを抑えて、日常性から脱却するために心を鎮めていくことを「止」といいます。まさしく「止める」ということなのです。

これと同じように使われる言葉に「観」があります。これは仏教ではよく使う言葉です。観音様とか観世音なども、この「観」を使っています。これは「集中して心の目で観ること。ある対象に対して念いをぐっと向けていくこと、あるいはそれを念ずること」をいいます。

このように、役割としては「止」のほうは心を平らにしていくことを意味し、「観」のほうは集中して何かをやろうとする、そうした創造的作用があります。

ですから、「止」のほうが、どちらかといえば受動的で受け身に近いとすれば、「観」のほうは能動的な部分があると思います。心を鎮めて、日常生活、日常性から脱却し、深い実相の世界のなかに参入していく―こうしたプロセスのことを「止観」といい、流れとしては「止」から「観」へ移っていくのです。

「禅」とは、この「止」と「観」のバランスがよく取れた状態のことであると、普通は言われています。

いろいろな観法がありますが、「止」のほうに偏っているのや、「観」のほうに偏っているもの、あるいは初心者向けから上級者向けへと内容も深まっていくわけです。初心者向けだと「止」のほうが強いのですが、上級者向けになってくると、だんだん「観」のほうが強くなります。自分の心のうちを見つめるのにも段階があって、深くなればなるほど、いろいろなところまで踏み込んでいけるようになっていきますが、初心者は、まずは雑念を払って、心を鎮めるところから始めるのが筋なのです。

【大川隆法『沈黙の仏陀』第4章「五停心観」より抜粋】
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さて、
引き続き「伝道参加のための祈り」について共に考える機会を得たいと考えています。

教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。

一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。

ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。

本日、特集をしています「伝道参加のための祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。

「伝道参加のための祈り」はこのようにつづきます。
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この大乗運動が
大きなうねりとなって
毎日毎日、信者が増え続けますように
仏の勝利の日が、どこまでも続きますように

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本日の引用部分は、
私たち仏弟子が、力を合わせて、救済の大願船をつくり、
多くの人々を苦しみの此岸から、やすらぎの彼岸へと渡す、救世事業が拡大することを祈願する部分となります。

とくに印象的なのは、毎日信者が増え続けることと、仏の勝利の日が続くということが並び立てられているところです。仏の悲願は、一切の衆生の救済であり、一人ひとりの心を救うことです。それは、エル・カンターレ信仰である、幸福の科学の教え「正しき心の探究」としての「四正道」が世界中に広がること、つまり、エル・カンターレ信仰幸福の科学の信者が世界中で増え続けることです。それが仏の勝利であり、われわれ仏弟子の勝利でもあります。

「伝道参加のための祈り」は、伝道するための力を、主より頂くことを求め、願いながら、
毎日、毎日、主を信じ【帰依仏】、主の教えを信じ【帰依法】、サンガを信じる【帰依僧】。三法帰依した幸福の科学の信者が毎日、毎日増えていくことを祈願する祈りとなっています。

仏の勝利の日に関しては、「七の日参拝・来世成仏祈願経」の中にこのように説かれています。
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主エル・カンターレよ
「七」は 勝利の日
「七」は 目覚めの日
「七」は あなたの生誕の日

あなたは
悟りの力で
この世の悪を
打ち砕かれ
悩める人類(ひと)を
救い出される
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このように、仏の勝利の日とは、
悟りの力で、悪を打ち砕き、悩める人類を救い出す。ことであり、
伝道によって、主の御教えが弘がり、光によって闇が打ち払らわれることを意味します。

「伝道参加のための祈り」は伝道による仏の勝利の日がどこまでも続くことを祈願する聖なる祈りなのです。

主の言葉を伝える、幸福の科学の教えは、永遠の法です。そして、今私たちは、新たな時代の大願船を創造しています。それが映画や楽曲による、芸能文化事業です。これによって、世界中のたくさんの人に主の教えを届けることができるようになります。映画事業をはじめ、芸能文化事業は現代における救世事業のかなめであり、新たな時代の大乗運動です。

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幸福の科学の信仰対象は、地球神エル・カンターレです。
地球神エル・カンターレは、地球系霊団の最高大霊であり、イエスが「わが父」と呼び、ムハンマドが「アッラー」と呼び、日本神道系では創造神にあたる「天御祖神」(あめのみおやがみ)という名で伝えられている、至高の存在です。

エル・カンターレは、人類を導くために、仏陀やヘルメスなどの魂の分身を幾度となく地上に送り、数多の文明を交流させてきました。

現在、エル・カンターレの本体意識が大川隆法として下生され、すべての人を本当の幸福へと導くために、あらゆる宗教や学問を統合する地球的仏法真理を説き続けています。

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最後に、伝道に成功する人格を磨くために、経典から抜粋いたします。
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〇できるだけ長く現役で働き、「ピンピンコロリ」を目指す

幸福の科学の信者に関しては、強いご加護をいただけるように努力しているので、できるだけ長く現役で働いていただきたいと思います。・・・(中略)

できるだけ、自分の体がだめになる十年くらい前から、すこしずつ訓練をして体を鍛え、また、十年後に必要となる知識の習得に励んでいかなくてはなりません。新しい職業について仕事ができるよう、十年ぐらい前から勉強を始め、準備をしていくことが大事です。頭を鍛え、体を鍛えなくてはならないのです。・・・(中略)

年を取ったなら、その人生経験を生かして、若い人の好いところを見つけてやり、長所を伸ばしてあげる。よいところがあったら、ほめてやり、悪いところがあったら、遠回しに注意したり、自分たちで気がつくようにしてあげる。

そのような「ちょっとした心掛け」を積むことによって、「年を取ると、若い人に嫌われ、若い人が離れていく」ということが亡くなってくるのです。

口の利き方や態度の取り方のほんの少しの違いで、「若い人とお年寄りの交流が可能になるか不可能になるか」が決まるので、年を取ったら、言葉遣いや話の内容に気をつけ、よい人間関係を構築しておくことが大事です。

「正しい思い」や「正しい言葉」は非常に大事なのです。

〇十年おきぐらいに発心し、「学習」や「体力づくり」に励む
そういうことは、仏法真理の書籍の中にたくさん書いてあります。
本の宣伝になったら申し訳ないと思うのですが、私の著書一冊は、ほかの本を百冊読む以上に値打ちがあります。今後、六十歳から百歳ぐらいまでの人口が増えてきますが、私の著書を読む方がだんだん増えていけば、それらの方々が、現役で、かくしゃくとして活躍する未来をつくれると思うのです。

みなさん、「生涯現役」で、ピンピンしていて働けるようになろうではありませんか。・・・(中略)

「四十歳のとき」「五十歳のとき」「六十歳のとき」というように、十年おきぐらいに、それぞれ発心して、「知的な学習」や「体力づくり」に励めば、次の十年が約束されます。

これを心掛けて、努力してください。

そういうことを私は説いているので、勉強してください。

とにかく、今は、「日本人、目覚めよ!心を入れ替えて、総決起せよ!」という時期が来たのです。それを申し上げておきます。

明るい未来をつくるために、自分自身の心を正すと同時に、「他の人と力を合わせ、新しい社会を建設していく、その一翼を担う」ということを実践していかなければなりません。これが大事です。

これから、毎日、具体的な行為で努力・精進していこうではありませんか。

【大川隆法 『伝道の法』第三章「人類幸福化の原理」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。

大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます

本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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