59 自己中心的な人ほど「我」が強い
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
3月7日は「宗教法人設立記念日」です。「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。
1991年のこの日に、「幸福の科学」は宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。
「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。
そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。
はじめに、津支部にて2009年2月8日に賜りました御法話『信仰と富』を学びます。
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〇キリスト教が「富を否定」してしまった理由
イエスが生きていたとき、その伝道期間は三十歳から三十三歳までの三年間です。その間、イエスは、経済的成功はしていませんし、大教団もつくれませんでした。そのため、その日の糧にも事欠く状態であって、信者宅を転々としながら、隠れキリシタン風に伝道していましたが、やがて当局に捕まり、磔(はりつけ)になりました。
そういう生涯であり、地下活動で終わったようなものなので、イエスには「豊かな成功」の経験がなかったのです。
『聖書』には、イエスが弟子たちと麦畑を通ったとき、弟子たちが麦の穂を摘んで食べたため、ユダヤ教の律法学者から、「今日は安息日なのに刈り入れをした」と追及される場面が出てくるのですが、よほど貧しかったのでしょう。食べ物がないので、畑で麦を少し頂いたわけです。
次のような話も、『聖書』には載っています。イエスたちがイチジクの木のそばを通ったとき、実を食べようとしたら、まだ実がなっていなかったため、イエスが「呪いの言葉」を発したところ、帰りに再びそこを通ると、その木が枯れていたのです。イエスの奇跡の一つとして、そういう話が残っていますが、よほど、ひもじかったのでしょう。その感じが伝わってきます。
すでに成功している、ユダヤ教の教会などの支配階級や財閥階級などから見れば、イエスは、ある意味で新興勢力にすぎませんでした。まだ成功しておらず、地下活動をしているような状態だったのです。
そのため、イエスは、支配している人たちや、富を得ている人たちの気持ちを理解できるところまでは、まだ行っていなかったのではないかと思います。
また、こういう話も『聖書』にはあります。
ある青年に、「永遠の命を得るには何をすればよいのでしょうか」と尋ねられたとき、イエスがいくつかの教えを説くと、その青年は、「そういうことは、みな、守ってきました」と答えました。そこで、イエスが、「では、あなたは、持っているものを全部売り払って、貧しい人びとに施しなさい」と行ったところ、その青年は金持ちだったので、「それはできない」ということで、悲しみながら帰っていったのです。
その話のあとに、「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい」という言葉が載っています。これも恐ろしい言葉であり、その後、二千年間、キリスト教徒は、この言葉にもずいぶん苦しみました。
しかし、イエスの死後、残った弟子たちが伝道して、教会組織をつくっていく過程では、やはりそうはいっても、その世と同じ原理が働いてくるので、いつまでも、富を否定していては、やっていけないのです。
原始キリスト教のままでは、世界に広がるような宗教にはならなかったので、どこかで、それを乗り越えていかなくてはいけなくなり、別の解釈をしながら、広めていったわけです。
【大川隆法『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』第四章「信仰と富」より抜粋】
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第3章 戒律とは何か
11 戒の内容
①五戒
この「戒」を分類すると、「五戒」というのは、「不殺生(ふせっしょう)」「不偸盗(ふちゅうとう)」「不邪婬(ふじゃいん)」「不妄語(ふもうご)」「不飲酒(ふおんじゅ)」の五つです。「生き物を殺してはならない」「盗みをしてはいけない」「邪淫をしてはないけない」「噓を言ってはいけない」「酒を飲んではいけない」ということです。
特に、インドは暑い地なので、お酒を飲むと”気違い水”となり、ほんとうに大変なことになるのです。しかし、寒い国に仏教が伝わってくると、これはかなり甘くなってきて「般若湯(はんにゃとう)」と称して飲むようになったりしています。日蓮聖人も身延山に入ってから、冬に信者からお酒を贈られて、「身体が温まる」と喜んで感謝状を送っているので、堂々と不飲酒戒を破っています。確かに薬になる面もあるでしょう。
現代では、喫煙なども入るでしょう。それからドラッグ、麻薬の系統もこの不飲酒に入れるべきだと思います。その他、競馬、競輪、マージャンなどのとばく系統もこの不飲酒に相当するものだろうと思います。要するに、修行の妨げになるものということです。
②六法戒(ろっぽうかい)
「六法戒」という、式叉摩那(しきしゃまな)、正学女(しょうがくじょ)が守るものも、だいたいこの五戒と同じですが、不邪婬のところが「離非梵行(りひぼんぎょう)となっていて、不邪婬よりも少し厳格です。絶対的な禁欲のことをいいます。
それから六つめに、追加として「非時食戒(ひじじきかい)」があります。「時ならぬ時に食べてはならない」という戒めです。釈迦童子の食事は、正式には、一日一回、それも正午までに食べなければならず、十二時を過ぎたら、もう食べてはいけないということになったのです。ですから、十二時頃になると、みんなそわそわしはじめるのです。『維摩経(ゆいまきょう)』のなかに、維摩詰(ゆいまきつ)と舎利弗(しゃりほつ)の対談があり、十二時頃になって、舎利弗が「食事の時間に遅れる」とうろうろしはじめるのですが、維摩詰にその心のなかを見透かされ、指摘されて、からかわれたような話も出てきます。(『維摩経』香積仏品・こうしゃくぶつぼん)。それは一般化した話で、十二時頃になると僧侶がごそごそし始・
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�るのです。これが、「非時食」といって、「十二時を過ぎて食べてはいけない」ということになっているのです。
当時は冷蔵庫もないので、暑くなると食べものが痛むということもあったのでしょう。また、受けたものは一日かぎりということで、財を蓄えることを禁じていたこともあるでしょう。また、一日一食だとカロリーが足りないので、煩悩が起きてこないという非常に有力な考えもあったのだと思います。現実に一日一食、午前中だけしか食べずに、午後は瞑想修行をしたり、夕方からみんなと議論したり、夜もまた禅譲をしたりしていたら、ふらふらになって、結局は異性のことなど考えている余裕がなくなります。そのようなカロリー計算も入っていたのではないかと思います。現代人に生の乱れがあるのも、やはり高カロリー摂取がかなり影響していると思います。また、信者の経済的負担を軽くしたいという釈迦自身の配慮もありま・
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�た。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第3章「戒律とは何か」より抜粋】
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つづきまして、「伝道参加のための祈り」について共に学びを深めます。
教義として主よりたくさんの御教えをいただいていますが、その中心にあるのが、「仏説・正心法語」です。七つの経文が収められていますが、「毎日、全編を繰り返し読誦してください」とお勧めさせていただいています。
一方、『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」「伝道参加のための祈り」「植福功徳経」の三つが収められており、「信仰」「伝道」「植福」という、私たち仏弟子の救世運動の理念が凝縮されています。
ですから、私が支部活動で行き詰まる時、いつも原点回帰するのが「エル・カンターレへの祈り」です。そういう意味では、私たちの宗教活動の中心にある大変重要なお祈りです。
本日、特集をしています「伝道参加のための祈り」を深く学ぶために、主より経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』をいただいていますので、ぜひ伊勢支部にて拝受して下さい。
詳しい解説は、この経典をご覧いただくとして、このメールマガジンでは、日々の活動にこの聖なる祈りをどのように生かしていくかという視点で、お届けしたいと考えています。
「伝道参加のための祈り」はこのようにつづきます。
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われらに力を与えたまえ
われらに勇気を与えたまえ
われらに行動力
きらめく智慧
力強い言葉
挫けない意志
怯まない忍辱の心
七転び八起の精神
不屈の闘志を
与え給え
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主なる神エル・カンターレとは偉大なる大乗の仏陀であり、全人類の救済を願う救済仏です。
「伝道参加のための祈り」は、救済の仏の助力者である、私たち仏弟子が、偉大なる大乗の仏陀に対して、積極的に救世事業の伝道に参加して救済仏の脇侍(わきじ)として力を尽くすことを祈る内容となっています。
私たちがなすべき救済活動(救世事業)とは、地球における最高権能をもつ存在、つまり地球の最高神の御名がエル・カンターレであり、私たちの魂の親であり、私たちの主であることを告げ知らせること。そして、主の救済の助力者たる私たち仏弟子が、主の御名のもと、一切の衆生を救い助けるために、幸福の原理である「四正道」を全世界に伝え弘げることです。
この辺りは、すでに「エル・カンターレへの祈り」にてすでに確認をさせていただきました。この救済活動における力を主からいただくことを祈るのが、本日の引用箇所となります。
この祈りにおいても、主が私たち仏弟子に、主から救済をされる立場を、四正道の実践による心の修行によって、乗り越えて、主と共に私たちの隣人を愛し、救い助けることを期待されていることがよくわかります。
そのように考えると、「主への祈り」によって、「光り」と「力」と「知恵」と「愛」をいただくことが、信仰の始まりにおいて、自らを利するために、カルマの解消や、自分の人生の問題集を解くために得ていた祈りが、やがて、修行を進めるにつれて、おなじ「主への祈り」を、他を利するために、人を救い助けるために、主から力をいただく祈りへと変わっていくことが理解できます。
利自は即ち利他へと変わり、上求菩提は、やがて下化衆生へと転化します。これが宇宙の二大原理である「進化」と「調和」のあるべき形です。
「伝道参加のための祈り」はこのように、伝道によって隣人を救い助けることを祈る、利他の祈りであるのです。
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幸福の科学の信仰対象は、地球神エル・カンターレです。
地球神エル・カンターレは、地球系霊団の最高大霊であり、イエスが「わが父」と呼び、ムハンマドが「アッラー」と呼び、日本神道系では創造神にあたる「天御祖神」(あめのみおやがみ)という名で伝えられている、至高の存在です。
エル・カンターレは、人類を導くために、仏陀やヘルメスなどの魂の分身を幾度となく地上に送り、数多の文明を交流させてきました。
現在、エル・カンターレの本体意識が大川隆法として下生され、すべての人を本当の幸福へと導くために、あらゆる宗教や学問を統合する地球的仏法真理を説き続けています。
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最後に、経典から抜粋いたします。
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〇人生の時間を十分に使い、十分に生き切るために
人生は、二、三万日しかありませんが、その時間を上手に使い、十分に生き切って、誰のせいにするのでもなく、自分で変えていけるものについては、「自分の”ハンドルとアクセルとブレーキ”」を使って上手に乗り越えていくことです。
また、未来のみならず、自分の過去さえ変えていけるのです。
「過去が不幸だったから、今も不幸だ」と、いつまでも言い続けているような国がありますが、そのように言っていること自体で、すでに「不幸」なのです。そういうことを言い続けるかぎり、絶対に幸福にはなれません。
その国の今が本当に輝いているのであれば、過去のことは許せるはずなのです。過去のことなどは言わないものです。それを、例えば、「七十年、八十年前にこんなことがあったから、今、私たちは不幸なのだ」などと言い続けるということは、「今の政治が悪い」ということなのです。それは間違いなくそうでしょう。いまの政治が悪いために、為政者は、国民の目をそらすために、過去のせい、外国のせいにするわけです。
そのあたりのことが分からないようでは、残念ながら、現代に生きるトップの知性層とはいえません。
心の話を中心に述べてきましたが、「われわれは自由にできるものを持っている」のです。百パーセント、自分の自由になれるものを持っているので、これを使って、上手に生き切ることが大事です。
幸福の科学は、この「心をどのように生かし、人生を生き切るか」ということについての智慧をたくさん説いています。二〇一五年のベストセラーになった『智慧の法』(幸福の科学出版刊)という書籍等でも、「どのようにして智慧をダイヤモンドのように磨き上げ、値打ちを出すか」ということを教えています。
このような宗教はほかにありませんので、どうか、この違いをよく学んでくだされば幸いです。
【大川隆法 『伝道の法』 第一章「心の時代を生きる」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/15-1)46経文「伝道参加のための祈り」を読む ②愛する隣人を救い助けるために、われらに力を与えたまえ―キリスト教が「富を否定」してしまった理由
