(8/3-1)215『ユートピア創造論』⑥魂の創造―『死後の世界について』魂の体外離脱とトンネル現象

ユートピア創造論

62 分を過ぎた評価で、金銭を与え過ぎると、人は簡単に堕落する。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

本日8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて14時より衛星中継されます。

幸福の科学 大川隆法総裁先生 作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、様々なジャンルにわたり、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛しています。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。

8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。

大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。

【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。

○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)

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さて、ここからは、一年を通して非常に霊的な季節である「お盆」を迎えるに当たり、教典『信仰のすすめ』から第2章の「死後の世界について」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、経典『信仰のすすめ』のまえがきに、「手ごろなかたちで、幸福の科学の教え、その方向性をまとめたものであり、また、宗教書としてとても良心的な内容になっていると思う。一人でも多くの方に本書を読んでいただけることを切に願っている」と語られており、幸福の科学の信仰論の手引書ともなっています。本経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1500円】
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■『信仰のすすめ』第2章 死後の世界について
2信じることは大きな力となる
○魂の体外離脱とトンネル現象

臨死体験のケースは個人によって違いますが、パターンとしては似たものが多くあります。

たいていの場合は、心臓停止を契機として、魂が離脱する感覚、何かが体外に出ていく感覚を得るようです。

幸福の科学では、脳死の問題について、「心臓が動いているうちは、まだ死んでいない」と述べていますが、心臓停止と魂の体外離脱には密接な関係があり、心臓停止が「体外に出てもよい」という合図になるのです。魂は、心臓が動いているうちは、そう簡単に出ませんが、心臓が止まったあとは、かなり出やすくなります。

頭のあたりから魂が出ていって、ほとんどの場合、最初は体の近くに浮かんでいます。天井付近にいたり、近辺にいたりします。自分の体を見ようとして、あまり近づくとスポッと体に戻ったりすることもよくあります。

体外離脱の際には、「シルバー・コード」(霊子線)という、銀線のようなものが後頭部から出ていて、魂と体がつながっています。これを見る人も、ときどきいます。よほど冷静な人でないと、つながっているところまでは見えません。海外離脱を何度も経験して、よく観察している人のなかには、そういうコードでつながっていることを知っている人もいます。

さらには、あの世の人が来て、へその緒を切るように、そのコードを切ろうとしているところまで見る人もいて、「切ってはいけない。これを切ったら生き返れなくなるから、切らないでくれ」などと言っていることもあります。「このコードを切られると戻れなくなる」ということが何となく分かっているのでしょう。

そのようにして、病室の上のほうから見ていることが多いのです。

道路などで交通事故に遭い、救急車で搬送されていくときには、救急車のちょうど上あたりを漂いながら、ついていくこともあります。

霊子線がまだつながっている段階では、体から完全に離れられないので、そういうかたちで、ふわふわと近辺を漂っています。このときには、いろいろな人の話していることや考えていることが、とてもよく分かります。たとえば、病院の隣の部屋で看護婦たちがひそひそと話している会話の内容や、医者の考えていることなどが、よく分かるのです。そのほか、いろいろな光景を見てきたりすることもあります。

そのように、まだ、あまり自覚的ではないかたちで、近くをうろうろしていることが多くあります。

しばらくすると、たいてい、「トンネル現象」と言われるものが起きます。視野のどこかに、ポツンと黒い点のようなものが見え、「何だろう」と思っていると、それが染みのようにパーッと広がってきて、黒いトンネルのようなものになります。それがグーッと多くなってきて、「大きくなってきたな」と思うと、そのなかに、スーッと吸い込まれるように入っていくのです。

こういう現象を経験した人は数多くいます。このトンネル現象は、体外離脱をしてから霊界へ行くまでの間にしか経験しないようです。

トンネルに入っていくときに、ゴーッという音や、ブーンという耳障りな音を聞く人も、けっこういます。トンネルに入る前あたりで、そういう音を聞く人が多いようです。なかには、何も音を聞かず、「最初から静かだった」という人もいます。

トンネルの形は丸い場合が多いのですが、人によっては四角い場合もあるようです。

そして、トンネルのなかを上がっていきます。普通は、飛ぶような感じで上がっていくのですが、幼い子供の場合には、一生懸命に「這い這い」をして上がることもあるようです。

トンネルを上がっていくときの感覚はさまざまですが、報告されている表現を見ると、ちょうど、宇宙論で言うワームホールに近い感じです。宇宙論では、「時空間を跳び越すときにワームホールというところをスーッと通っていく」と言われていますが、それとよく似た感じです。

実際に三次元から四次元以降の世界に移行しているので、それは次元が変わるときの一つの感覚なのでしょう。

地上のトンネルのようなものが実際にあるわけではありません。各人にそれぞれ別のトンネルが出てきているので、物理的なトンネルがあるわけではなく、一種のワームホールのような、時空間を超える隙間ができてきて、そこを通って出ていくのです。

トンネルの出口には、たいていの場合、非常に明るい光が見えます。「白い光で、まぶしくて、目が開けられないぐらいだった」という人もいれば、「太陽の何百倍も明るいのだけれども、あまりまぶしくなかった」と言う人もいて、いろいろですが、白い光、白光を見ることが多いのです。

その段階では、まだ視覚がはっきりしていないので、光のなかに、ぼんやりとしか見えないのですが、誰かが迎えに来ます。

臨死体験者のなかには、「神様が迎えに来た」という人も多いのですが、神がそんなにたくさんの人の所に行くはずはないので、たいていは、その人の守護霊か、それより少し上の指導霊クラスの守護天使たちでしょう。そういう「導きの天使」が来て、あの世へ導いてくれるわけです。

【大川隆法『信仰のすすめ』第2章「死後の世界ついて」より抜粋】
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本日も、幸福の科学が目指すユートピアについて、ともに考えてまいりしましょう。
幸福の科学は「愛と悟りとユートピア建設」を旗印に毎日活動をしています。

幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。

そこで、ここからは、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。経典『ユートピア創造論』をお持ちでない方は、是非拝受ください。【税抜き1500円】今回はとても壮大なテーマです。
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■『ユートピア創造論』第2章「進歩と調和の挑戦」
3 宇宙の秘密と魂の目的
〇魂の創造

次に、【※『ユートピア創造論』】第一章第二節「ユートピア創造の原動力」に入ります。
ここで、私は「魂のうずき」という言葉を使ってみました。「魂自身のなかに、あるときは安らぎを求め、あるときは進化を求める要素があるのです。それは、魂自体が、その出自に対して郷愁を感じているからです」と書いてあります。

自分自身に問うてみてください。みなさんには、「幸福になりたい」という念いがあるでしょう。また、「幸福であることが喜びである」ということを、無前提で認めているでしょう。そして、「自分が感じるのと同じことを、他の人も感じるだろう。自分がうれしいことは、他の人もうれしいだろう」と思うでしょう。

黄金律として、「汝が欲することを他人に施せ」(マタイによる福音書7.12)という言葉がありますが、これがなぜ善であるかといえば、人間にはだれもが共通に価値を感じ、共通に喜びを感じることがあるからです。そうしたことがなく、自分はうれしいが他人は喜ばないということばかりであるならば、この黄金律は成り立ちません。

これがなぜ成り立つかを、さらに説明しましょう。

人びとはそれぞればらばらに生きているように見えますが、実は、人間の魂には仏の神経細胞が張り巡らされているのです。それは、いろいろな枝分かれをして、すべての人につながっています。

人間の肉体に血管が張り巡らされているように、大宇宙には、人間の目には見えないけれども、仏の血管ともいえるものが、網の目のように広がっているのです。そして、その網目状の血管によって、すべての人間や動植物がつながっています。それゆえに、「本来は一つだ」と言われているわけです。

【※『ユートピア創造論』】第一章第二節には、「銀河のある場所で、根本仏の意識の一部が、人類の魂を創るために、個性ある光として散乱したことがあるのです」と書いてあります。

これはどのような事実なのか、みなさんにはとても不思議に思うでしょうが、星が分解するようなかたちで散乱したのではありません。物質の目、三次元的な目で見るのではなく、あくまでも霊的な目で見ることが必要です。

これは、霊的世界にあった巨大なエネルギーが、投網を打つような感じで強力に広がっていったのです。一つにまとまっていたものが、全宇宙に広がったわけです。

全宇宙に広がった投網のごときエネルギー体は、中心になる線、ロープを持っていました。そして、中心になるロープの部分が、各星団の基本的な力、エネルギーのパイプとなっていったのです。

このパイプとしてのロープは、いろいろなところにつながっています。このロープの一本が銀河系のほうに流れており、さらには太陽系のほうにも流れてきています。そして、このロープのまわりには、小さな糸がいろいろ出ています。こうしたかたちで、全宇宙は霊的エネルギーの網としてまとめられているのです。

実は、これは一回だけ起こったのではなく、何段階かに分かれて起きたのです。最も古いところでは、二百億年近い昔に霊的が始まりました。銀河系の一部でも、新しいところでは、いまから三十億年ぐらい前に、霊的な分散、分化、多極化の動きがありました。

これは宇宙の秘密そのものです。いろいろな時期に、それも人間から見れば気の遠くなるような年数である何十億年という幅を置いて、宇宙のいろいろな場所に霊的なエネルギーの核ができ、それが網目状に自己拡散を行って新たな生命の系統樹をつくっていったのです。

そして、十億年、二十億年、三十億年とたつにつれ、この霊的エネルギーの系統樹に沿って、いろいろな惑星に生命が誕生してきました。投げかけられた仏のエネルギーの糸がもとになって、そのまわりに、やがていろいろなものが発生してきたのです。

こうした生命の発生は、一定の姿形だけを意図していたかと言えば、必ずしもそうではありません。いろいろな動植物が地上に出てきましたが、それらは時間の流れのなかで形を変え、より進歩的で、より合目的的な姿に代わっていくという使命を担っているのです。

そのため、霊的エネルギー体によって、最初はごく原始的な生物が誕生したのですか、やがてそれは偉大な生物へと発展していったのです。

【大川隆法『ユートピア創造論』より抜粋】
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本日も経典『ユートピア創造論』の第一章「ユートピア創造論」の講義となります。

本日は、宇宙の法にも関連があるとても神秘的な内容でした。
私たち主より、人間には、仏と同じ性質、つまり仏性が宿されていると教えていただいています。
この仏性を通して、私たちは、自と他と共に一体であることを学んでいます。
この教えの根拠が宇宙の創造時の秘密であることを解き明かされた点において、極めて重要な教えです。

私がとても興味を引いたのは、宗教のゴールデンルール・黄金律の霊的根拠が本日の引用箇所にて示された点です。これを説けるのは、宇宙を創造した根本仏、その者でなければ無理なのではないかと思います。主はこのように説かれました。

『黄金律として、「汝が欲することを他人に施せ」(マタイによる福音書7.12)という言葉がありますが、これがなぜ善であるかといえば、人間にはだれもが共通に価値を感じ、共通に喜びを感じることがあるからです。そうしたことがなく、自分はうれしいが他人は喜ばないということばかりであるならば、この黄金律は成り立ちません。

これがなぜ成り立つかを、さらに説明しましょう。

人びとはそれぞればらばらに生きているように見えますが、実は、人間の魂には仏の神経細胞が張り巡らされているのです。それは、いろいろな枝分かれをして、すべての人につながっています。

人間の肉体に血管が張り巡らされているように、大宇宙には、人間の目には見えないけれども、仏の血管ともいえるものが、網の目のように広がっているのです。そして、その網目状の血管によって、すべての人間や動植物がつながっています。それゆえに、「本来は一つだ」と言われているわけです』

このように、本日の教えは宇宙の法における魂の創造に関するスケールの大きな教えでした。

宇宙が創造された遥かなる昔から私たちには、宇宙を創造された根本仏のエネルギーを与えられて生きていることが分かりました。とにかく、すごい教えです。
造物主としての根本仏でしか説明できない魂の創造の秘密を教えていただきました。これを教えられるのは主エル・カンターレただ一人です。この真実を前にただただため息をつくしかありません。まさに宇宙の神秘です。

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8月に入り、お盆という霊的な季節を迎えるにあたり、皆様とともに「永遠の生命」についてともに考える機会を持ちたいと思います。経典『復活の法』第5章「生命の永遠について」を学び、地上世界を超えた実在世界の視点から私たち生きるべき視点を学びます。経典『永遠の法』をお持ちでない方は、全国の書店・支部・精舎で購入可能です。この機会にぜひ拝受ください。【税抜き1800円】
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■『復活の法』―第5章「生命の永遠について」―常に実在界の視点を持って生きよ
1仏法真理の勉強は魂の義務教育
○魂の本来のあり方を忘れてはいけない

永遠の生命の流れから見ると、この世の寿命は、やはり短いものです。長くても百年少々であり、あっというまに終わっていく、ほんとうに、はかなく短いものです。

そのなかで人間はいろいろな経験をしていきます。「四苦八苦」といわれる苦しみにも出会います。「誕生し、老い、病気になり、死ぬ」という「生・老・病・死」の苦しみ、愛する人と別れる苦しみ(愛別離苦)、嫌な人と会う苦しみ(怨憎会苦)、求めても得られない苦しみ(求不得苦)、魂が本来の自分であるにもかかわらず、肉体の感覚に支配されて肉体を自分自身であると考え、「五官を幸福に満たすことが、本当の幸福なのだ」と思う、迷いや幻想(五陰盛苦)があります。

これは古くから宗教がずうっと説いていることではあるのですが、「肉体の感覚を自分だと思い、魂が主体としての座を失ってしまう」という迷いが引き起こされるのです。

これに対して、宗教は、繰り返し、教えを説いているわけですが、人々は、なかなか納得しないのが現実です。

現代的社会になってくると、夏は涼しく、冬は暖かくなるように、あらゆる環境が整えられてきています。食生活から住環境まで、快適なほうへと、すべてが導かれているので、旧い宗教が教えていることが、何か場違いで時代遅れのように感じられるのは当然でしょう。この世的に快適なものを誰もが求めていきます。

その意味で、「宗教がこの世的なことを否定しているのは間違っているのではないか。この世がよくなることは、正しいことなのではないか」という考え方も一部にはあるのです。

「室内は、クーラーや暖房が効き、湿度も調整されている。食べ物は、冷蔵庫の中で保存され、加熱することも簡単にできる。食材は、すぐに加工可能なものがたくさん溢れている」という状況と、古代インドのヨーガ行者のような難行苦行の世界と、いったい、どちらを選ぶかと言われたら、ほとんどの人は、迷わず現代生活のほうを選ぶでしょう。「難行苦行は仏神への道である」と言われても納得できない気持ちは分かります。

確かに、昔のものの考え方には、あまりにも単純すぎるところがあります。この世の現代的な進化そのものを否定する気は私にはありません。この世を一つの経験のための空間と見るならば、そのなかで、「人間として、どういうことができるか」ということを、いろいろなかたちで試みることは、悪いことではないと思います。

ただ、そのなかにおいて、自分の魂の本来のあり方、本来の姿というものを、決して忘れてはいけません。それを忘れなければ、さらに違った経験を積むこと自体は、悪いことではないのです。

【大川隆法『復活の法』―第5章「生命の永遠について」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義

幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。

お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。

現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。

しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。

供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。

お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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