83 素直に生きて文句のつけようのない人生が望ましい。
【大川隆法 箴言集『人生への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
3月7日は「宗教法人設立記念日」です。「幸福の科学が永遠に続くことになった始まりの日」です。
1991年のこの日に、「幸福の科学」は宗教法人として、世に誕生したことを記念する日です。この日をはじまりとして、幸福の科学は永遠の法灯がともされることになりました。
「宗教法人設立記念日」には、大宇宙の根本仏であられる主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生に、永遠の法灯を灯して下さったことへの感謝を捧げます。
そして、発祥の時において、いかに盤石なエル・カンターレ信仰を打ち立て、
揺るぎない形で主の法を後世に伝えることができるかが重要な使命であることを心に刻み、
真理の法灯を子々孫々に継承していく決意を固めてまいりましょう。
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本日は、幸福の科学が目指すユートピアについて、ともに考えてまいりしましょう。
幸福の科学は、「愛と悟りとユートピア建設」を旗印に毎日、伝道活動をしています。
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探求」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
そこで、ここからは、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。経典『ユートピア創造論』をお持ちでいな方は、ぜひご拝受ください。(税込み1602円)
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〇ユートピア論の原点
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。
幸福の科学においては、目的としての「幸福」と、手段としての「科学」―この二つの追求、探求が、基本として考えられています。分かりやすく言うならば、「幸福になるためには、どのように努力していけばよいのか」を、一緒に探っていこうとしているのです。
そして、私は「幸福の科学が目指す幸福には、私的幸福と公的幸福という二種類の幸福がある」と説いています。
「私的幸福」とは何でしょうか。それは個人としての幸福です。もう一方の「公的幸福」とは、社会全体の幸福のことです。
なぜ、この二種類の幸福が必要なのでしょうか。
まず、私的幸福から話を始めたいと思います。個人としての幸福とは何でしょうか。それは個々人の満足のことをいうのでしょうか。それとも個々人が声を出して笑うような状態をいうのでしょうか。あるいは、他人から尊敬されるようなことをいうのでしょうか。
幸福には、「満足」の面を強調した性的な幸福、つまり、「足ることを知る」という意味での消極的な幸福もあれば、「進歩・向上」の面を強調した動的な幸福、つまり、「発展・成長を喜ぶ」という意味での積極的な幸福もあります。
そして、この二つは、いわばブレーキとアクセルのように、人生という名の自動車の運転に影響を与えているのではないでしょうか。
つまり、過熱気味な人、無我夢中の人生を生きている人に対しては、ブレーキとしての消極的幸福が勧められるべきであろうし、堂々巡りの人生を歩んでいる人、目的もなくその日暮らしをしている人に対しては、アクセルとしての積極的幸福が重要であろうと思うのです。
個人としての幸福には二面性がありますが、集団の一員として人生行路を渡っていく人間にとって、ブレーキとアクセルは両方とも必要です。すなわち、集団としての人類のまとまりのためには、この両方が不可欠なのです。
足の速すぎる人は、少し速度を落とす必要がありますし、休んでばかりいる人は、少しせきたてられる必要があります。個々人が自分の幸福を求めながら、同時に全体の調和というものを保っていかねばならないのです。
個人個人は、それぞれにアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりして、私的幸福を味わっているのですが、社会全体としても、一つの大きなまとまり、大調和を形成しながら、進歩していくことが大切なのです。
結局のところ、私的幸福は、やがて社会全体、人類全体を大調和させ、進化させていく方向へと奉仕し、公的幸福の実現のための力となっていかねばならないのです。
かくして、各人の私的幸福をかなえながら、公的幸福をも形成していく方法論が必要となってきます。いろいろな時代にとかれた仏法真理、あるいはユートピア論は、つまるところ、私的幸福と公的幸福の大調和の実現に目的があったのです。
つまり、私的幸福と公的幸福とをどちらも損なわずに両立させる考え方が必要なのです。これがユートピア論の原点です。
〇ユートピア創造の原動力
では、こうしたユートピア世界、すなわち、個人としても幸福で、社会全体としても幸福という世界を創造するための原動力は、いったい何なのでしょうか。その力の根源を何に求めるべきなのでしょうか。
私はその論拠を、やはり二段に分解して考えます。まずは、「個人が幸福になりたいという心は、なぜわき上がってくるのか」ということです。次は、「なぜ全体の幸福が必要とされるのか」ということです。
個人が幸福になりたいと思う理由の一つとして、「魂のうずき」があります。つまり、魂自身のなかに、あるときは安らぎを求め、あるときは進化を求める要素があるのです。
それは魂自体が、その出自に対して郷愁を感じているからです。人間の魂は、はるか昔の記憶を、かすかに持っているのです。かつて、根本仏の生命体から、個性をもつ者として分かれてきた時の記憶を―。
それは、何億年前、何十億年前という、はるかなる昔の記憶です。銀河のある場所で、根本仏の意識の一部が、人類の魂を創るために、個性ある光として散乱したことがあるのです。これが、「人間の本質は仏の子、光の子である」といわれている理由です。
その本質において、仏と同じものを人間は持っているのです。「その本質において、仏と同じであり、その形態において、仏から分かれてきた仏の子である」というのが、人間の魂に関する真実なのです。
したがって、仏が目的としているのと同じことを、人間の魂も目的としています。「進歩」と「調和」という、根本仏が宇宙を創造した時の二大目的を、人間の魂は内部理想として持っているわけです。
それゆえ、人間には、「進歩」、すなわち向上・発展を求める心と「調和」、すなわち安らぎと美を求める心とが、内なるうずきとしてあります。
つまり、幸福という名を冠された「安らぎと向上」「調和と発展」を人間が求めるのは、人間が仏の子であるという事実に根拠を持つのです。人間が個人として幸福を求めるのは、人間が仏の子であることの証明にほかなりません。
言葉を換えるならば、人間とは単なる物体ではなく、聖なる使命を帯びた生命体だということです。その生命の根源には、偉大な目的意識が潜んでいます。仏の光が宿っているのです。
それでは、そうした私的幸福を求めることを、その本質としている人間が、何ゆえに、全体の調和、公的幸福を目指す必要があるのでしょうか。
それは、「一」なる仏から分かれてきた無数の生命体が、再び「一」なる仏に戻らんとする理想ゆえにです。仏という名の親元をいったん離れた子供たちが、私的幸福という名のお土産を両手にたくさん持って親元に帰り、共に喜びを分かち合うことが、公的幸福の実現にほかならないのです。
この里帰り運動が、実は、地上天国、仏国土・ユートピア建設の運動であり、私たちが最終的に目指しているものなのです。
〇人間の使命
かくして私たちは、いま一度、人間の使命について考え直してみる必要があるようです。人間は何のために個性を持ち、何のために地上に生まれ、何のために心の修業をし、何のためにまた実在界、すなわちあの世の世界に還るのかを―。
結局、大宇宙を創造した仏は、限りない進化と、乱れることのない大調和という、一見背反する二つの目的を整合させるために、宇宙の理法であるところの「法」を考え出したのです。そして、宇宙の理法の体現者、実践者としての役割を人間に期待したのです。
こうして、宇宙の理法を人間社会にあてはめて説く必要がでてきました。これが、光の指導霊たちが長年にわたって築き上げ、また、説き来たり、説き去ったところの仏法真理だったわけです。
つまり、幸福の科学が探求している仏法真理とは、大宇宙の理法、すなわち、大宇宙の真かと調和を実現するための「法」を、地球という環境の中で、人類が学習し経験するための手引きなのです。
仏は宇宙を統べるにあたって、自分自身が考えた「法」の具体的遂行を、各惑星にある星団に委ねました。したがって、この地球も、大宇宙に数限りなく存在している他の霊団同様に、宇宙の中の一地域社会といて、その運営を任され、集団で自治をしているのです。
そうすると、おぼろげながら、人間の使命が分かってくるはずです。
地球上の各国がよい国づくりを目指して競っているようにまた、日本のなかでも、各都道府県や各市町村が、他に負けないようなよき共同体づくりのために邁進しているように、全宇宙においても、さまざまな星に住む魂系団たちが、最高の星、最高に光に満ちた惑星をつくり上げるために、日夜努力しているのです。
それゆえに、地球という星を最高度に進化・発展させ、大調和させていくことが、人間の最高の使命なのです。
この使命、この理想を実現するために、みなさんは、いろいろな個性を持った魂として、みずからの個性を最高度に発揮しながら、共同作業として、ユートピア創りに励むことになっているのです。これが、みなさんにできる最高の仕事なのです。
【大川隆法『ユートピア創造論』より抜粋】
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あらためて、「幸福の科学」の原点を学んでまいりました。
ユートピアの原点とは、「私的幸福と公的幸福とをどちらも損なわずに両立させる考え方」であることを教えていただきました。これは、公的幸福のために私的幸福が犠牲にならない事を意味すると同時に、私的幸福ばかりでなく、同時に公的幸福をも完成させる考え方を打出しています。
これは、共産主義国家・全体主義国家のような、個人が国家の繁栄の道具のように取り扱われる考え方とは正反対の考え方です。幸福の科学は地上ユートピア建設として、「自由」・「民主」・「信仰」の実現を旗印として活動をしています。
また、「ユートピア創造の原動力」では、もともと「一」なる大宇宙の根本仏から分離して、根本仏の分け御霊である人間が、宇宙の二大原理「進歩」と「調和」の実現を担いつつ、魂の里帰り運動として、根本仏へと再び帰還することが、仏国土・ユートピア建設の運動であり、私たち幸福の科学メンバーが最終的に目指しているものであることを教えていただきました。
そして、最後に「人間の使命」について教えていただきました。
大宇宙の造物主が地球を、私たちの魂の修行場としてつくったのは、地球という星を最高度に進化・発展させ、大調和させていくためです。この使命、この理想を実現するために、私たちは、いろいろな個性を持った魂として、みずからの個性を最高度に発揮しながら、共同作業として、ユートピア創りに励むことを、根本仏である主から期待されています。これが、私たちにできる最高の仕事であることを教えてくださいました。
こんな話ができるのは、人間を創った人でなければできないことです。
あらためて、私たちの魂の親である、主の偉大さに、感謝を捧げるとともに、私たちの使命の大きさを自覚しながら、主への報恩業を共に誓わせていただきます。
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ここで、仏教の修業論に立ち返るべく、教典『沈黙の仏陀』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―仏陀入滅して二千五百年。その教えは沈黙の中におかれた。しかし、その真意を解く鍵は、修業論のなかにある。沈黙の仏陀の声なき声がそこにある―『まえがき』より
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第5章 智慧とは何か
2「慧」の種類
②三慧(さんえ)―後天的に得た智慧
a 聞慧(もんえ)―真理の知識を吸収すること
第一のものを「聞慧(もんえ)」といいます。字の通り、「聞いて得る智慧」という意味です。
ただ、何を聞いても「聞慧」になるかと言えば、そうではなく、魂の糧になる学びをしなければ、智慧にはなりません。これは主として仏教の教えということになりますが、広く言えば、真理に関わる教えです。当会で言うと、講演会を聴いたり、セミナーで講演を聞いたりして得られる智慧に基づく力です。あるいは、テープを聴いたりビデオを視たり、(※現在ではCDやDVD)、また真理の書籍を読むということも、意味的には同じです。このように、真理の知識を吸収することを「聞慧(もんえ)」といいます。
これによって、明らかに智慧が現れてくるのです。今まで理解することができなかったことが理解できるようになったり、今まで見抜くことができなかったことを見抜くことができるようになるなど、後天的な智慧が現れてきます。これは非常に大事なことであり、基礎なのです。これなくして、一躍、偉大なる叡智を手に入れようとしてもやはり無理があり、基礎訓練の部分はどうしても必要です。
ただ、この「聞慧(もんえ)」自体は、後天的なものであると言いましたが、ある意味では、「生得慧(しょうとくえ)の延長であることも事実なのです。「学びたい」という気持は、みんな生まれつき持っているものなのです。真理に対する関心、尊いものを知ろうとする力、知りたいと願う心自体は、やはりある程度生まれつきのものがあります。
B 思慧(しえ)―思索によって得られる智慧
二番目には「思慧(しえ)」というものがあります。これは思索によって得られる智慧です。たとえば、私の説法を聞き、理解するわけですが、自分としては分からないところがない、要するに疑問なところ、不可解なところ、理解できないところがないような状態にまでとことん高めることを、「思慧(しえ)」と言うのです。
単に耳から聞いて覚えただけならば、これは知識の暗記になります。これも学習効果はありますし、そうした知識によって、さまざまな判断をしたりもできますが、まだ充分ではないのです。
思索することによって、自分自身のものとすることができるのです。その言葉の意味はいったい何なのだろうか。どういうわけで、きょう、師はこういう教えを説かれたのだろうか。それを深く考え、それによって自分のものとして身につけていきます。そうすると、また応用も利くようになってくるのです。このような深い理解のことを「思慧(しえ)」といいます。考えることによって正しい道理をつかむことができます。
もちろん、「思慧」といっても、単に考えることだけではなく、仏教の修行者であればほとんど瞑想状態にあるわけですから、定をしながら考えることでもあるのです。そうした意味では、次の「修慧(しゅうえ)」にもつながっていきます。深く考えるためには、自分なりに、それなりの環境づくりをしなければなりませんから、そうした瞑想状態で考えるということです。
【大川隆法『沈黙の仏陀』第5章「智慧とは何か」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(2/28-1)59-①『ユートピア創造論』 ①ユートピア論の原点と人間の使命
