57 お酒、麻薬、覚醒剤、不正薬物で、お金の奴隷をつくり、人の人生を狂わせてはならない。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
8月3日(日)音楽祭「響感2025―主なる神を愛する―」が名古屋正心館を本会場に全国の支部・拠点にて14時より衛星中継されます。
幸福の科学 大川隆法総裁先生、作詞・作曲の音楽は、ロックやバラード・ポップス等、緩やかなジャンル、その数は450曲以上にのぼります。
主なる神は、全ての人を愛してます。その愛のために生まれた美しい天上の界の調べを是非、ご体感下さい。皆様のご来館をお待ち申しあげています。
8月10日(日)~ 8月12日(火)まで、お盆の供養大祭を開催いたします。この期間、
ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受けいただけます。
大宇宙の創造主 にして地球神 であられる 主エル・カンターレへの信仰のもと、縁ある諸霊の供養を行い、故人への伝道、最大の報恩の機会とします 。
【お盆の幸福供養】
○幸福供養 先祖供養……仏説・願文『先祖供養経』
※ご家族やご親戚の「個人名」でも、「〇〇家」の先祖への供養でもお受
けいただけます。
○個人供養……仏説・願文『先祖供養経』
※友人・知人など、縁ある故人への供養。
○水子供養……仏説・願文『愛児・水子供養経』
※四正道を説いても少し難しいと思われる小さなお子様への供養。
(参照:『仏説・願文「先祖供養経」講義』
※各1 万円目安。(学生 3 千円)
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さて、ここからは、一年を通して非常に霊的な季節である「お盆」を迎えるに当たり、教典『信仰のすすめ』から第2章の「死後の世界について」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、経典『信仰のすすめ』のまえがきに、「手ごろなかたちで、幸福の科学の教え、その方向性をまとめたものであり、また、宗教書としてとても良心的な内容になっていると思う。一人でも多くの方に本書を読んでいただけることを切に願っている」と語られており、幸福の科学の信仰論の手引書ともなっています。本経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1500円】
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■死後の世界について
1死後の世界を信じられない人たち
○宗教心に関する質問は訊き方で答えが違う
幸福の科学は宗教団体として大きくなっているので、私は、死後の世界の存在を当然の前提として説法をすることがよくあります。しかし、世間一般の人々のなかには、しこの世界の存在を当然のこととは思っていない人も、まだまだ数多くいます。
そこで、本章では、「死後の世界は、ほんとうにあるのだろうか。疑問だ。信じられない」という人たちや、仏法真理の入り口あたりにいる人たちにも分かるような話をしたいと思います。
日本では、アンケート調査などで、「宗教心はありますか」といような質問をされると、半分以上の人が「ある」と答えます。ただ、質問の仕方が肯定的であるか否定的であるかで答えがたちがってきます。
あの世があると思うかどうかを問う質問でも、訊き方の違いによって、「あると思う」と答える人が、五割ぐらいになったり、二、三割になったりします。「信仰心はありますか」という訊き方をすると、「はい」という答えのパーセンテージ(割合)が下がりますが、「お墓参りなどをしたい気持ちになりますか」という訊き方をすると、そのパーセンテージは上がります。
「漠然としていて、あまりはっきりは分からないけれども、本能的に信じている」という部分と、「頭で学んだ知識では理解できない」という部分とがあって、多くの日本人は、気持ちの整理が充分にできていないのではないでしょうか。「日本に比べると信仰者が多い」と言われているキリスト教国ではどうかというと、九十五パーセントぐらいの人は、どこかの教会に登録していて、信仰のかたちはあるのですが、ほんとうに熱心な人は五パーセントぐらいしかいません。何らかのかたちで、「天国や地獄、あの世があるらしい」と思っている人は、六、七割、というところでしょう。
日本では、特に戦後教育の影響によって、少なくとも、表面的に質問される範囲では、死後の世界の存在について否定的な回答をする人が多いようです。これは戦後の科学教育の問題でもあるのかもしれません。
【大川隆法『信仰のすすめ』第2章「死後の世界について」より抜粋】
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ここからは、幸福の科学が目指すユートピアについて、ともに考えてまいりしましょう。
幸福の科学の教えは、「愛と悟りとユートピア建設」に集約されており、これを地上世界に実現すべく毎日活動をしています。
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています―経典『ユートピア創造論』にあるように、私たちが「正しき心の探究」として「愛・知・反省・発展」の四正道の教えの実践と四正道の全世界への布教に向けて伝道しているのは、「仏国土ユートピア建設」のためです。
そこで、ここからは、私たちが日々取り組んでいるユートピア活動の原点に立ち返り、幸福の科学がどのようなユートピアを目指しているのかを改めて確認する機会とさせていただきます。経典『ユートピア創造論』をお持ちでない方は、是非拝受ください。【税抜き1500円】
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〇ユートピア論の原点
幸福の科学は、この地上に真のユートピアを建設するために、日夜努力しています。
幸福の科学においては、目的としての「幸福」と、手段としての「科学」―この二つの追求、探究が、基本として考えられています。分かりやすく言うならば、「幸福になるためには、どのように努力していけばよいのか」を、一緒に探っていこうとしているのです。
そして、私は「幸福の科学が目指す幸福には、私的幸福と公的幸福という二種類の幸福がある」と説いています。
「私的幸福」とは何でしょうか。それは個人としての幸福です。もう一方の「公的幸福」とは、社会全体の幸福のことです。
なぜ、この二種類の幸福が必要なのでしょうか。
まず、私的幸福から話を始めたいと思います。個人としての幸福とは何でしょうか。それは個々人の満足のことをいうのでしょうか。それとも個々人が声を出して笑うような状態をいうのでしょうか。あるいは、他人から尊敬されるようなことをいうのでしょうか。
幸福には、「満足」の面を強調した静的な幸福、つまり、「足ることを知る」という意味での消極的な幸福もあれば、「進歩・向上」の面を強調した動的な幸福、つまり、「発展・成長を喜ぶ」という意味での積極的な幸福もあります。
そして、この二つは、いわばブレーキとアクセルのように、人生という名の自動車の運転に影響を与えているのではないでしょうか。
つまり、過熱気味な人、無我夢中の人生を生きている人に対しては、ブレーキとしての消極的幸福が勧められるべきであろうし、堂々巡りの人生を歩んでいる人、目的もなくその日暮らしをしている人に対しては、アクセルとしての積極的幸福が重要であろうと思うのです。
個人としての幸福には二面性がありますが、集団の一員として人生行路を渡っていく人間にとって、ブレーキとアクセルは両方とも必要です。すなわち、集団としての人類のまとまりのためには、この両方が不可欠なのです。
足の速すぎる人は、少し速度を落とす必要がありますし、休んでばかりいる人は、少しせきたてられる必要があります。個々人が自分の幸福を求めながら、同時に全体の調和というものを保っていかねばならないのです。
個人個人は、それぞれにアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりして、私的幸福を味わっているのですが、社会全体としても、一つの大きなまとまり、大調和を形成しながら、進歩していくことが大切なのです。
結局のところ、私的幸福は、やがて社会全体、人類全体を大調和させ、進化させていく方向へと奉仕し、公的幸福の実現のための力となっていかねばならないのです。
かくして、各人の私的幸福をかなえながら、公的幸福をも形成していく方法論が必要となってきます。いろいろな時代にとかれた仏法真理、あるいはユートピア論は、つまるところ、私的幸福と公的幸福の大調和の実現に目的があったのです。
つまり、私的幸福と公的幸福とをどちらも損なわずに両立させる考え方が必要なのです。これがユートピア論の原点です。
〇ユートピア創造の原動力
では、こうしたユートピア世界、すなわち、個人としても幸福で、社会全体としても幸福という世界を創造するための原動力は、いったい何なのでしょうか。その力の根源を何に求めるべきなのでしょうか。
私はその論拠を、やはり二段に分解して考えます。まずは、「個人が幸福になりたいという心は、なぜわき上がってくるのか」ということです。次は、「なぜ全体の幸福が必要とされるのか」ということです。
個人が幸福になりたいと思う理由の一つとして、「魂のうずき」があります。つまり、魂自身のなかに、あるときは安らぎを求め、あるときは進化を求める要素があるのです。
それは魂自体が、その出自に対して郷愁を感じているからです。人間の魂は、はるか昔の記憶を、かすかに持っているのです。かつて、根本仏の生命体から、個性をもつ者として分かれてきた時の記憶を―。
それは、何億年前、何十億年前という、はるかなる昔の記憶です。銀河のある場所で、根本仏の意識の一部が、人類の魂を創るために、個性ある光として散乱したことがあるのです。これが、「人間の本質は仏の子、光の子である」といわれている理由です。
その本質において、仏と同じものを人間は持っているのです。「その本質において、仏と同じであり、その形態において、仏から分かれてきた仏の子である」というのが、人間の魂に関する真実なのです。
したがって、仏が目的としているのと同じことを、人間の魂も目的としています。「進歩」と「調和」という、根本仏が宇宙を創造した時の二大目的を、人間の魂は内部理想として持っているわけです。
それゆえ、人間には、「進歩」、すなわち向上・発展を求める心と「調和」、すなわち安らぎと美を求める心とが、内なるうずきとしてあります。
つまり、幸福という名を冠された「安らぎと向上」「調和と発展」を人間が求めるのは、人間が仏の子であるという事実に根拠を持つのです。人間が個人として幸福を求めるのは、人間が仏の子であることの証明にほかなりません。
言葉を換えるならば、人間とは単なる物体ではなく、聖なる使命を帯びた生命体だということです。その生命の根源には、偉大な目的意識が潜んでいます。仏の光が宿っているのです。
それでは、そうした私的幸福を求めることを、その本質としている人間が、何ゆえに、全体の調和、公的幸福を目指す必要があるのでしょうか。
それは、「一」なる仏から分かれてきた無数の生命体が、再び「一」なる仏に戻らんとする理想ゆえにです。仏という名の親元をいったん離れた子供たちが、私的幸福という名のお土産を両手にたくさん持って親元に帰り、共に喜びを分かち合うことが、公的幸福の実現にほかならないのです。
この里帰り運動が、実は、地上天国、仏国土・ユートピア建設の運動であり、私たちが最終的に目指しているものなのです。
〇人間の使命
かくして私たちは、いま一度、人間の使命について考え直してみる必要があるようです。人間は何のために個性を持ち、何のために地上に生まれ、何のために心の修業をし、何のためにまた実在界、すなわちあの世の世界に還るのかを―。
結局、大宇宙を創造した仏は、限りない進化と、乱れることのない大調和という、一見背反する二つの目的を整合させるために、宇宙の理法であるところの「法」を考え出したのです。そして、宇宙の理法の体現者、実践者としての役割を人間に期待したのです。
こうして、宇宙の理法を人間社会にあてはめて説く必要がでてきました。これが、光の指導霊たちが長年にわたって築き上げ、また、説き来たり、説き去ったところの仏法真理だったわけです。
つまり、幸福の科学が探究している仏法真理とは、大宇宙の理法、すなわち、大宇宙の真かと調和を実現するための「法」を、地球という環境の中で、人類が学習し経験するための手引きなのです。
仏は宇宙を統べるにあたって、自分自身が考えた「法」の具体的遂行を、各惑星にある星団に委ねました。したがって、この地球も、大宇宙に数限りなく存在している他の霊団同様に、宇宙の中の一地域社会といて、その運営を任され、集団で自治をしているのです。
そうすると、おぼろげながら、人間の使命が分かってくるはずです。
地球上の各国がよい国づくりを目指して競っているようにまた、日本のなかでも、各都道府県や各市町村が、他に負けないようなよき共同体づくりのために邁進しているように、全宇宙においても、さまざまな星に住む魂系団たちが、最高の星、最高に光に満ちた惑星をつくり上げるために、日夜努力しているのです。
それゆえに、地球という星を最高度に進化・発展させ、大調和させていくことが、人間の最高の使命なのです。
この使命、この理想を実現するために、みなさんは、いろいろな個性を持った魂として、みずからの個性を最高度に発揮しながら、共同作業として、ユートピア創りに励むことになっているのです。これが、みなさんにできる最高の仕事なのです。
【大川隆法『ユートピア創造論』より抜粋】
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第一章「ユートピア創造論」要約
○「ユートピアの原点」とは、「私的幸福と公的幸福とをどちらも損なわずに両立させる考え方」であること。
○「ユートピア創造の原動力」は、もともと「一」なる大宇宙の根本仏から分離して、根本仏の分け御霊である人間が、宇宙の二大原理「進歩」と「調和」の実現を担いつつ、魂の里帰り運動として、根本仏へと再び帰還することが、仏国土・ユートピア建設の運動であり、私たち幸福の科学メンバーが最終的に目指しているものであること
○「人間の使命」とは、その前提として大宇宙の造物主が地球を、私たちの魂の修行場としてつくったのは、地球という星を最高度に進化・発展させ、大調和させていくためであったこと。この使命、この理想を実現するために、造物主は人間を創造しました。私たちは、いろいろな個性を持った魂として、みずからの個性を最高度に発揮しながら、共同作業として、ユートピア創りに励むことを、根本仏である主から期待されています。これが被造物としての人間である私たちの使命です。
○「光の天使の役割」とはユートピア創りのための指導・監督者の役割ということでした。長年の転生輪廻のなかで、指導力があると認められた人たちが、個性ある大勢の魂たちの、それぞれの長所をさらに引き出しながら、全体を調和させていくという役割を担っています。
また、光の天使の役割はけっして固定したものではなく、「怠けているものは役割から降ろされ、頑張るものには役割が与えられる」というように、個性あるそれぞれの魂は、進歩する機会は「平等」に与えられ、努力の結果に対しては「公平」に処遇されるように、配慮されていることも学びました。
○「ユートピア創りの方法論」は、「進歩の原理」としての方法論は大きく二つあり、「正しい真理知識の獲得」と「利他の実践」は、人間が悟っていくための最低条件でした。この二つを軸として努力・精進していくことが、「進歩の原理」です。
そして、「調和の原理」においての方法論も大きく二つあり、「寛容」と「許し」が条件でした。寛容と許しという二つの徳の力で、進歩を目指す個々人を調和させ、大きなユートピア社会を築いていくことが、いま幸福の科学に与えられている課題であり、幸福の科学の最終目的でもあることをあらためて確認させていただきました。
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あらためて、「幸福の科学」の原点を学んでまいりました。
ユートピアの原点とは、「私的幸福と公的幸福とをどちらも損なわずに両立させる考え方」であることを教えていただきました。これは、公的幸福のために私的幸福が犠牲にならない事を意味すると同時に、私的幸福ばかりでなく、同時に公的幸福をも完成させる考え方を打出しています。
これは、共産主義国家・全体主義国家のような、個人が国家の繁栄の道具のように取り扱われる考え方とは正反対の考え方です。幸福の科学は地上ユートピア建設として、「自由」・「民主」・「信仰」の実現を旗印として活動をしています。
また、「ユートピア創造の原動力」では、もともと「一」なる大宇宙の根本仏から分離して、根本仏の分け御霊である人間が、宇宙の二大原理「進歩」と「調和」の実現を担いつつ、魂の里帰り運動として、根本仏へと再び帰還することが、仏国土・ユートピア建設の運動であり、私たち幸福の科学メンバーが最終的に目指しているものであることを教えていただきました。
そして、最後に「人間の使命」について教えていただきました。
大宇宙の造物主が地球を、私たちの魂の修行場としてつくったのは、地球という星を最高度に進化・発展させ、大調和させていくためです。この使命、この理想を実現するために、私たちは、いろいろな個性を持った魂として、みずからの個性を最高度に発揮しながら、共同作業として、ユートピア創りに励むことを、根本仏である主から期待されています。これが、私たちにできる最高の仕事であることを教えてくださいました。
こんな話ができるのは、人間を創った人でなければできないことです。
あらためて、私たちの魂の親である、主の偉大さに、感謝を捧げるとともに、私たちの使命の大きさを自覚しながら、主への報恩業を共に誓わせていただきます。
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ここで、日本が1945年8月15日に敗戦を迎え、今日、戦後80年を超えるにあたり、過去の教訓を未来に生かす歴史観を経典『奇跡の法』第二章「繁栄への道」より学びます。本御法話は1997年3月7日宗教法人設立記念日講演として賜ったものです。『奇跡の法』は全国の書店・支部や精舎で購入できます。(税抜き1600円)
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■『奇跡の法』―第2章「繁栄への道」―過去の教訓を未来に生かす歴史観
6 第二次世界大戦が遺した大きなツケ
○唯物論思想と暴力革命思想
共産主義では、ソ連や中国だけでなく、カンボジアでもポル・ポト派によって約二百万人が殺されています。
このように、共産主義圏で大量粛清が起きる理由は何でしょうか。
もちろん、マルクスの革命思想のなかに、「目的がよければ暴力を使ってもよい」という、暴力革命を肯定する思想の入っていることが大きな理由の一つですが、もう一つの理由は、やはり唯物論思想だと思います。
「物しかない。物質しかない」という唯物論思想は、突きつめると、「人間はロボットと同じだ」という人間機械論に行くしかないのです。そういう考え方だと、人間の尊厳といっても、結論的には人間の機能の尊厳でしかなくなってしまいます。「どれだけ働いて、どれだけのものをつくれるか」という、ロボットとしての生産性のみが人間の値打ちになるのです。労働価値説もそういうことだったのでしょう。
唯物論は結局、人間機械論に行き着くのです。そうすると、「人間はロボット、機械なのだから、役に立っていない不良品、欠陥品であれば、邪魔になるので殺してもかまわない」という考え方になります。そのため、人間を殺すことに対して罪悪感がないのだと思います。
共産圏では、「思想的に赤くない人は欠陥品」という見方でしょうから、そういう欠陥品のロボットを壊しても別にかまわないのです。これが共産圏で大量粛清が起きた理由でしょう。
唯物論思想と暴力革命思想―この二つが、第二次世界大戦後も非常に大きなツケとして遺りました。その結果、戦後の五十年間(※1997年説法当時)この思想との戦いが
のです。
【大川隆法『奇跡の法』第2章「繁栄への道」より抜粋】
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72 日本の神々は、戦争責任を取らなかった。高天原は、妖怪の巣窟と化し、国民と軍人は、何十年と、火炎と飢餓のなかを逃げまどった。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■お盆の幸福供養大祭の意義
幸福の科学の「お盆の幸福供養大祭」は、創造主にして地球最高の神・主エル・カンターレの供養の御光が、帰天されたご家族やご先祖などに直接臨む、奇跡の大祭です。
お盆は、故人へ思いが向きやすい期間であり、あの世の霊も地上にいる子孫に思いが向き、この世に帰ってきやすい期間でもあります。そのような時に、供養を執り行うことは、縁ある故人へ、エル・カンターレの御光を手向ける絶好のチャンスです。
現代では、「人生はこの世限りのものである」「あの世や霊はない」という唯物論的な考えが蔓延し、お墓やお葬式、供養も必要ない、と考える人が増えています。
しかし、人間は、死んだら終わりではなく、永遠の生命を持っています。経典『正しい供養 まちがった供養』では、「お墓には一種の“アンテナ”のような役割があります」「そうした供養のスタイルを取ることによって、天上界や地獄界にいる亡くなった方と心が通じる交差点になるところがあるのです」(p.134)と説かれています。お盆や「先祖供養」の伝統は、亡くなった方々に、思いを届け、光を手向ける機会となるので、大切にしていかなければならなりません。
供養は、一般の方にも受け入れられている宗教行事であり、関心を持っている方は多いものです。日頃なかなか支部に来られない信者の方や、ご家族・ご親戚の方にも、この機会に供養大祭にお誘いしてみることをお勧めします。折を見て、映画『ドラゴン・ハート』に描垂れている死後の世界「生き通しの人生」について語り、「あの世はあるんですよ!」とお伝えすることもできる絶好の機会です。
お世話になった方への最大のご恩返しとして、お盆の幸福供養大祭にお誘いしてまいりましょう。そして、主やご先祖に対する感謝の念いを捧げてまいりましょう。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(7/29-1)210『ユートピア創造論』①ユートピア論の原点と人間の使命―【死後の世界について】死後の世界を信じられない人たち
