(5/21-1)141『釈迦の八正道』 ④正見―正しい信仰に基づく見解(3)―奇蹟の復活から大発展へ

『釈迦の八正道』

141『釈迦の八正道』 ④正見―正しい信仰に基づく見解(3)―奇蹟の復活から大発展へ

18 生命の始まりに、「愛」があったことを感謝しよう。
17 あなたの生命は、何世紀も何十世紀も、さかのぼることができるのだ。
16 良かれ、悪しかれ、自分をこの世に生んでくれた父親と母親がいたのだ。

【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
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■新復活
5奇蹟の復活から大発展へ
○退院後、減量と三千キロの歩き込み
二〇〇四年、私が病気で入院したとき、医者からはもう死んでいるかのように言われました。「その日のうちに死ぬ」とか、「翌日には死ぬ」とか、あるいは「一年以内には絶対に死ぬ」とか、さらには、「五年以上生きている人はいない」とか、「いくら何でも十年も生きることはない」などといったことを、あれこれと伝えられました。

このとき、四階の病室に入院していた私は、「一生、四階から出さない」とまで言われるほどでした。それは、見張らなければならないということだったのでしょう。「退院されたら、どうせ、幸福の科学職員が大勢来て働かされるに決まっている」と思われたに違いありません。そうなると、”仕事に殺される”恐れがあるため、病院から一生出すわけにいかないとまで言われたのです。

ただ、そうは言っても、「命があっても、一生、病院から出られないのでは、私は困るんですけど・・・」という思いもありました。

とにかく、病院としては、「入院中は、仕事にかかわる人には会わせない。会わせると必ず仕事につながってしまうので、家族以外の人には一切会わせない」というのが基本的な方針だったようです。

そして、退院後は、「体を鍛え直さなければいけない」と思い、減量しつつ、ウォーキングをし、十キロ以上は痩せました。日本列島の端から端までに相当する三千キロぐらいは歩き込みをしたのです。

この話を公表したのは、二〇〇八年の冬(二月二日)のことでした。”About An Anshakable 
Mind”という英語講義をしたときに述べています。

現在の妻である大川紫央総裁補佐も、「早稲田大学時代の終わりごろに”About An Anshakable 
Mind”を観て、そのとき初めて、総裁先生がご病気をされていたことを知りました」と語っていました。

これは二〇〇八年だったので、病気をしてから四年ほどたっています。

そのときに公表したわけですが、実を言うと、当時、私が病気をしていたことは、総合本部の職員でも知っていた人は少なかったのです。宗務本部の人には隠せないので、みな知っていたものの、口が堅く、秘密を守っていたらしく、総合本部で知っていたのは四人ぐらいしかいませんでした。

例えば、映画「世界から希望が消えたなら。」の製作を担当したメディア文化事業局の局長(収録当時)などは、「総裁先生のご病気?」そんな話は知らない。三十年も(教団に)いるのに一度も聞いたことがない。こんなこと、あるわけがない」と言ったのです。

映画のなかでは、「あなたは死体です」「医学 対 新興宗教の戦いだ!」などと、たくさんやり合っているのですが、「こんなの一度も聞いたことがない。ああいう非現実な会話があるわけがない」というのです。そこまで完全にシークレットだったわけです。

そのため、映画の筋をこの世的な医学に合わせて書こうとてしたり、いわゆる臨死体験のようなものに変えようとしたりしていたのです。私は、「臨死体験ではなく、もう死んだと言われた」という話をしていたのですけれども、言葉が通じなくて、映画をつくるのはなかなか大変でした。

だた、ほかの人も似たようなものだったのです。

また、次のようなこともありました。

その後、「病気については、もうそろそろよかろう」と、二〇〇七年前後から本格的に説法をし始めたわけですが、全国への巡錫に先立って、幸福の科学の東京正心館で講演をしたときのことです。

講演時に、当時の宗務本部長の九鬼一さん(現・ハッピー・サイエンス・ユニバーシティー チェアマン 兼 プリンシパル※2019年当時)が後ろから椅子を出してきたので、それにすわったのですが、これを見ていた愛染美星さん(現・幸福の科学メディア文化事業局スター養成部・芸能系信仰教育担当局長 兼 HSU講師※2019当時)や竜の口法子さん(現・幸福の科学学園那須本校校長)が、私のところへ詰め寄ってきました。そして、「総裁先生、東京正心館で椅子に座って話すというのは、”かっちょ悪い”です。立ってください!」と言われたのです。そのとき、「かっちょ悪い」という言葉を使っていました。

「立て!ジョー。立つんだ!」という感じで言ってきたので、「分かりました。次回からは立ちます」ということになったのですが、彼女たちは、私が病気したのをまったく知らなかったわけです。逆に、「あの人は何をしているんだ?」と、椅子を出した九鬼さんのほうが怒られるような感じでした。

その後の講演も、ずっと立ってやってみたのですが、「ああ、別にどうということもないな。やればできるんだ」ということが分かりました。

それが二〇〇七年です。

【大川隆法『新復活』より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』の前に、「お釈迦様の八正道」を共に学んでまいります。復刻版で経典『真説・八正道』が再販されていますか、これは、主が現代の時代に合わせて再整理されたものです。その意味では八正道の現代応用ともいえる尊い経典なのですが、これを学ぶ前段階として仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。

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○正見―正しい信仰に基づく見解

さて、正しい信仰を中心に見ていく「正見」の内容に入ります。もちろん、見方はいろいろとありますが、いちばん大事な見方は、「縁起の理法」で見ていくことです。

今日、自分はこういうことをした。他の人はこういうことをした。世の中ではこういうことが起きた。これは、何が原因で起きたのか。また、その起きた事実が原因となって、次にどのようなことが展開するだろうか。きょう、私が何をなしたことは、次はどうなっていくのか―。

このように、縁起の理法、すなわち原因・結果・原因・結果という連鎖の目で、いろいろな出来事を見ていくのが、正見の中心なのです。

「今日、私は、こういうことを心に誓った」―その結果どのようになっていくかです。あるいは、「今日会ったあの人は、こんなことを言っていた」―その結果どうなるかです。

たとえば、今日あった人が、「天国・地獄など信じられない。地獄があっても何も怖くない。自分のやりたいようにやって地獄へ落ちるなら、それも本望だ」と言ったとします。みなさんは、それを聞いていて、「なんと気の毒な人だろうか。『地獄に堕ちたってかまわない』と言っているが、やがてそれが実現することになる。しかし、それで本当にいいのかな。この人は大変なことになるな」というような見方で見ていきます。これが、縁起の理法に基づく正しい見方です。

それが分からない人は、「地獄に一回は行ってみたいものだ」「やりたいようにやって地獄に行って何がわるい」と、口先だけで言っていますが、正しい見方ができる人から見ると、それ人は大変なことを考え、実行していることになるわけです。その人が何年なののちにどうなるかが、わかってしまいます。こうした見方があります。

正見についてのもう一つの考え方は、「四諦、すなわち苦・集・滅・道のプロセスによって、不幸は幸福へと導かれるのだ」という見解を、人生観として持つことです。このように、正見ひとつとっても、なかなか奥深いものです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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「正見」とは、原因と結果の法則―縁起の理法で、身の回りの物事を観ることです。
自分が今ここにいるのには、自分の判断を重ねた結果であり、
他の人が、自分の周りにいるのも、それぞれの判断の積み重ねの上に成り立っています。
家族や、職場、支部での人間関係もすべて、人の心を種として芽生えたものであり、偶然ではなく、すべて必然の結果です。

様々な人間関係から、幸・不幸が生まれますが、環境はすべて自分の心を映し出す合わせ鏡のようなものです。その鏡は嘘偽りなく、自分がどんな人間であるのかを映し出してくれます。その環境が鏡となって映し出す自分自身を、仏様とともに眺めてみましょう。

原因と結果の法則は、ありとあらゆるところで連鎖してつながっています。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』には、原因と結果の法則が大変わかりやすく説かれています。まさに神業です。

自己も 世界も 原因の
種が 蒔かれて【因】
水を やり【縁】
果実が 実り【果】
報いあり【報】
果実の 甘さ 苦さにも 
種と 育ちに 理由あり
己れ 自身の 幸・不幸
過去に 必ず 原因あり
振り返り見て 反省の 
心 起こすは 正見なり

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それでは、続いて、別の経典『釈迦の本心』から八正道の「正見」についての主の解説をご覧いただきます。
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〇正見
それでは、八正道の最初の項目である「正しく見る」「正しい見解」ということについて、深く考えてみましょう。これは、先入観を排除し、白紙の状態にものごとを置いて、智慧の眼で見るということでもあります。

人間の悩みは、結局、「見る」という行為を中心にして起きているように思います。もし目が見えなければ、罪を犯す機会がそれだけ少ないとも言えましょう。欲望というものは、たいていは目によって生じます。異性など他人の姿を見たり、金銀財宝や豪華な食事を見たりすることによって、しだいに欲望がつのってくるのです。

したがって、大切なのは、目を通じて入ってくる情報を、いかにさばいていくか、ふるい分けをしていくかということです。人間の感情が波立つ原因の多くは、目を通して得られる情報にあるのです。

そこで、一日が終わるときには、呼吸を整え、心を調律し、みずからの内に深く深く入っていく必要があります。そして、「みずからが仏と一体となった」「大いなる光のパイプからエネルギーが流れ込んでくる」と感じられるようになった段階で、その日一日を生きてきた自分をまったく他人だと考え、その他人が見てきたことを、第三者の目で批判的に検討してみるのです。

この「見る」ということは、結局、「見たことをどう認識するか」ということにかかわってきます。

ある人がある行為をしたとき、これに対する見方は人それぞれです。たとえば、会社のなかで、若手の社員が「こういう方針でやっていきませんか」と新しい提案をしたとします。しかし、この行為に対する認識は、人によって分かれることになります。

その人の上司が、その提案を肯定的にとらえようとすれば、「彼は大変やる気があり、進取の気性に富んでいる。非常に将来性がある」と見ることもできるでしょう。

しかし、否定的に見れば、「彼はまだ入社して間もないのに、大言壮語し、自分の分を知らずにいる。日々の事務仕事がきちんとできてこその、大きなプランであり、理想である。彼はまだまだ謙虚にならねばならん。うぬぼれがすぎる。彼にもっと自覚を促す必要がある」と感じる人もいるでしょう。

ここが見方の分かれるところなのです。

この二つの見方のうち、どちらがより真実に近い見方なのかを考えてみる必要があります。そして、前者の見方が正しいならば、自分はなぜ後者の見方をしたのか、この若手社員に対してなぜ不愉快な見方をしたのか、その根本原因をたぐっていく必要があるのです。

その結果、自分が若手社員のとき、いろいろな人に批判された反動だったり、自分自身は積極的な提言ができないタイプであることへの自己嫌悪だったりすることに気づくことがあります。そうした原因を見出したならば、それを取り除いていく必要があるのです。

正見には、ここまでの作業プロセスが入っていると考えるべきです。
もちろん、仏教的には、「苦」「集」「滅」「道」の四諦のプロセスで観察するとか、縁起の理法を通して、ものごとを「原因」「結果」の連鎖でとらえるといった専門的な解説も可能です。

【大川隆法『釈迦の本心』第2章「八正道の発見」より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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―天御祖神とともに―
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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