(5/19-1)139『釈迦の八正道』 ②正見―正しい信仰に基づく見解(1)―「非現実な妻」と「現実の子育て」との葛藤

『釈迦の八正道』

11余命を悟ったら、一日一日をどう使おうかと思ってみよう。
12自分の知り合い、友人で病気になった人のことを心に思い浮かべよう。

【大川隆法 箴言集『病の時に読む言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

風薫る五月となりました。五月研修がただいま支部で開催されています。
オーダーも開催も致しますので、ご希望の方は支部までお問い合わせください。

5月14日は新復活祭でした。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。

本日5/19(日)まで、新復活祭感謝期間として、13時より「新復活祭」を開催致します。2004 年 5 月14 
日に、主が死の淵からご復活された奇跡に心からの感謝を捧げると共に、主が大宇宙の造物主であられることへの確信を深め、あらゆる既成の常識を打ち破り、主のご復活への確信を強めてまいります。

なお、精舎限定御法話『祈願の本質』の支部での特別拝聴期間も本日までとなっていますので、この機会にぜひ拝聴ください。お見逃しなく。

新復活祭では、全智全能なる造物主としての主エル・カンターレの御力を信じ切り、全仏弟子の純粋な信仰心を結集し、奇跡の神オフェアリス神の「信仰、復活、再生、奇跡」の御光と、始原の神アルファの異次元パワーと一体となることを目指し、新復活祭版「復活の祈り」を執り行います。

新復活祭に合わせて発刊予定の会内経典『霊言説法「信仰薄き者たちへ」』からの学びを通して、信仰心と悟りを向上させ、ご復活された主をお支えさせていただける「本物の信仰者」へと生まれ変わる、新生の誓いを捧げます。

この聖なる期間に、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、経典『新復活』―医学の「常識」を超えた奇蹟の力―の第一章に所収されています「新復活」を振り返り、主の「第三の死」について振り返ります。奇蹟の復活の物語です。お持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1600円】
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■新復活
4「非現実な妻」と「現実の子育て」との葛藤
○映画に描かれている感じに近い、イージーな結婚をした私

ただ、あのとき、夜と朝の二回、当時の家内がいろいろな物や着替え等を持ってきてくれたので、「家族がいるということは、とてもありがたいことなんだな」と感じたのを覚えています。

映画「世界から希望が消えたなら。」の最初のほうで、ややコメディタッチに描かれている部分があるのですが、実際、私は結婚のときに、普通の人がするような恋愛結婚をしてはいません。

といいますか、勤めていた会社を退社・独立したときに、「自分は、こういう人間で、こういう生涯を生きているので、もう、結婚はできなくてもよい」と考えていたのです。

もう、ほかの人に迷惑が掛からないように、自分人でやるつもりだったので、自分の方から「結婚したい」と思うようなことはありませんでした。ただし、女性のほうが「リスクは承知で結婚したい」と言うなら、可能性はありました。

その意味では、映画ではコミカルに描かれているし、設定は変えてはありますが、実際は、あのような感じに近い、非常にイージー(安易)な結婚をしています。

というのも、「自分の方から結婚する気はなく、『したい』という人、『人身御供(ひとみごくう)になります。お布施します』という人がいるなら」というような感じだったからです。ただ、「その代わり、先は知りませんよ」というようなところは少しありました。

若いころに、私は、占い師などにも、「あなたは自分で結婚は決められないでしょう。女性のほうが決めるでしょう」ということを予言されていたのですが、結果的にそのようになってはいます。そのため、「コーヒーを一杯飲んで婚約する」という、この世ならざることがあったのです。

○本当に「非常な人」だった前妻との結婚のいきさつ
映画「世界から希望が消えたなら。」には、実際には描かれていない部分もあるものの、「こんな非現実な」という部分がたくさん出てきます。

ところが、「その非現実性こそが現実そのもの」で、映画の登場人物には非現実な人ばかり出てきますが、私の周りの家族や出会った人たちも、本当に「非現実的な人たち」だったのです。

私の家内になった人も、本当に非現実的な人で、映画では、「結婚相談所で見合いをした」というような設定にはなっていますが、実際は、そうではありません。

実は、一回目のデートのときに、コーヒーを飲んだだけで、婚約までさせられたというか、ほとんど、検事の取り調べを受けているような感じだったのです。「コーヒーのお代わりはどうですか」と訊いても「ノー」で、「それどころではない。結婚が出るまでは、もう、取り調べの手は緩めない。誘った以上は責任がある」というような感じで、トイレに行くことも許されませんでした(笑)。

そのように、返事をするまで、喫茶店で五時間、締め上げられて、ようやく結婚のことを口に出したら、「うん」と言って、それでやっと”検事”は手を緩めてくれました。

そして、彼女がカバンの中から白い紙を出してきたので何かと思ったら、「この履歴書を書いてほしい」と私に言うのです。それは、会社に就職するときに、「収入、年齢、血液型、身長、体重、家族構成」等を記入するような通常の履歴書でしたが、彼女は一回目のデートのときに、そうしたものを持ってきていたのです。

そういう意味では、もう「本当に、世の中にこんな人がいるのか」と思うほど信じられない感じはしましたが、「仕事が速い」と言えば速いのだと思います。そのように仕事が速い人が、私の病気のときに立ち会ったので、早くあの世に送ろうとしたのかもしれません。

ともあれ、私は履歴書を見て、「なんで、こんなものを?」と訊くと、「両親に送らなくてはいけないから」というようなことでした。そのように、”仕事が速かった”わけです。

その意味で私は、”非現実な結婚”をして、途中で一度、”非現実な死にかけ”になったわけです。

【大川隆法『新復活』より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』の前に、「お釈迦様の八正道」を共に学んでまいります。復刻版で経典『真説・八正道』が再販されていますか、これは、主が現代の時代に合わせて再整理されたものです。その意味では八正道の現代応用ともいえる尊い経典なのですが、これを学ぶ前段階として仏教オリジナルの八正道を共に学んでまいりたいと考えています。

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正見―正しい信仰に基づく見解
八正道の一番目である「正見」は、正しく見るということです。正見については、以前、「スクリーンで映すように、自らの一日の生活を振り返ってみる」というような説明をしたこともあります。

しかし、一日の出来事を振り返るだけであっては、正しい見方としての価値判断が十分ではありません。それは「日記的」な作業であって、正見が反省法の中に入る以上、一日の出来事をどう見るかということには、当然、価値判断が入るべきです。そして、その価値判断は、一定の見解、正しい見解を伴うものでなければならないのです。

では、正しい見解とは、一体なんでしょうか。実は、仏法真理の初心者においては「正信」―正しい信仰というものが中心になってくるのです。初心者にとって、正見というものは正信なのです。そして上級者になってくると、正信は当たり前の戸ですから、「正見」―正しく見る方にウエイト(重点)が次第に移ってくるのです。

なぜ、正見には正信が必要なのでしょうか。正しい信仰とはどういうことなのかを考えてみてください。

幸福の科学には正しい信仰があります。これに基づいて、当会の会員の皆さんは、他の人を見たり、世の中のいろいろな出来事を見たり、いろいろな言論について見たりしています。幸福の科学の教え、正しい信仰というものがあって、それを通して、いろいろなものを見ています。

ところが、この信仰が間違っていたとしたら、どうでしょうか。たとえば、みなさんがオウム真理教に入っているとしましょう。オウム側の視点でもって、他人や自分を見、にほんやせかいでおきていることをみたら、いったいどうみえるでしょうか。それは、狂気の世界が見えているはずです。正しい信仰をもっていないと、色眼鏡がかかってしまいますから、すべてが狂って見えてくるのです。

正見に反するものを「邪見」といいます。そうした間違った信仰をもっていると、見る目が全部違ってきます。・・・

こうした「宗教的な邪見」もありますが、もう一つ、宗教的でない邪見もあります。「この世的なる邪見」とでもいうべきものです。これは主として唯物論的な考え方です。非常にこの世的な考え方をすると、これもすべてが正見の反対になります。

しかし、霊的世界は当然あります。あの世は実在するのです。人間の本質は霊であり、人間は過去・現在・未来を転生している存在なのです。ですから、そうした見解でもって、自分を見、他人を見、世界を見ている人と、その世限りの思いで見ている人、物質的にのみ見ている人とでは、見解が全然違うのは当たり前です。間違った宗教も邪見ですが、宗教と対置されるような見解、これも一種の邪見であることは間違いありません。こうしたものの見方をしている人と、正しい宗教を信じている人の見解は、全く逆になるのです。・・・

収入や知名度、学歴など、この世的なもので、すべてのものを見ると、それに反するものがおかしく見えます。しかし、それとは違うところに価値観を感じている人から見ると、そちらのほうがおかしく見えるわけです。

正見というのは、あくまでも、正しい宗教的信条に基づいたものの見方です。したがって、邪教でも駄目ですし、宗教的信条を持っていない人の見方も正反対になります。そうした人たちは基本的に正見ができないのです。

ですから、八正道の前提としては、正しい宗教的信条を持つことです。とくに、現代の日本であれば、まず幸福の科学的価値観を受け容れ、これを信じなければ、物事は正しく見えないということです。これが正見であるわけです。

もちろん、これとは正反対の地獄的な見方もあります。悪霊が入ったり、悪魔が憑いたりしていると、物の見方が見事に正反対になっていきます。

邪教の教えや唯物論でものごとを見ると、ものの見事に、まったく逆の考えをしていきます。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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最後に『永遠の仏陀』から、八正道の要点について確認をさせていだきます。
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●魂の生地の洗濯
しかし、この際に、
おまえたちに、さらに、分かりやすく話をしてゆくとしよう。
おまえたちは、偉大な考えを持つということを、
非凡な考えを持つことと捉え、
難しい考えを持つことと捉え、
他の人が考えないようなことを考えることと捉えるだろう。
けれども、私は言う。
確かに、そのように、非凡な内容のことを考え、
他の人が決して思いつかないような
偉大なことを考えることは、
重要なことであるが、
その前に前提があるということを。
それは、おまえたちの心が清らかでなければ、
どのような偉大な思想も無駄になるということなのだ。

人間の魂にとって、いちばん大切なことは、
その魂の基(もとい)が清らかであるということなのだ。
魂の根っこがよく洗われ、
不純なものがないということなのだ。
魂が透明であるということなのだ。
これがまず先決のことであり、
これを考えることなく、膨大な知識を詰め込んでも、
残念ながら、それは実りあるものとならないのだ。
そう、これもまた、砂上の楼閣の一つにしかすぎたないのだ。

見よ、
世の中で、成功したと言われる人を。
世の中で、大知識を持っていると言われる人を。
彼らは、まさに、
この砂上の楼閣を築いているのではないだろうか。
人間としての、その本性において、
清らかなものをもっているか。
無私なるものを持っているか。
そういう心を持つことなく、
自分の事業欲のために、
知識欲のために、
出世欲のために、
さまざまな思想を詰め込み、
学問をし、専門知識を吸収したとしても、
それらのものは不毛である。
一陣の風が吹いてきた時に、
やがて、砂上の楼閣は、もろくも崩れてゆくであろう。
この一陣の風とは、無常の風である。
あの世から吹いてくる風である。
どのような人間も逃れることのできない。
人生の終わりの時に吹いてくる風である。
この一陣の風に見舞われたら、
このような砂上の楼閣は、ひとたまりもないのだ。
その土台から崩れてゆかざるをえないのだ。

ゆえに、魂が跳躍する前には、土台を固めよ。
これが大事なことなのだ。

日々、己の心を振り返り、
邪悪なるものが、そのなかにいないかどうかを振り返るのだ。
みずからの心のなかに、よこしまなる思いはないか。
みずからの心のなかに、貪欲な思いがないか。
みずからの心のなかに、虚栄心に満ちたものはないか。
みずからの心のなかに、他を見下す心がないか。
みずからの心のなかに、
自分自身の魂を破滅させるようなものがないかどうか。
そうしたことを考えるのだ。
こうして、日々、己の魂の生地を洗濯するのだ。
魂の生地をきれいに洗濯し、それを乾かしてこそ、
見事な色柄をつけることも可能であるのだ。
白い生地には、さまざまな絵を描くことができるのだ。
このことを大事にしなさい。

【大川隆法『永遠の仏陀』第四章「跳躍のとき」より抜粋】
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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