(6/8-1)159『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む ⑪正思―心の三毒の点検【瞋】―正しい方向を教えることが仏弟子の仕事・自主的に守る「戒」と共同生活のルールである「律」

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

7 信仰をあざ笑う人からは、遠ざかれ。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

7月7日は主の御生誕日です。7月7日13時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館より中継します。当日の本会場の別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館に全国・海外支部の代表者が参集し、全国・海外の中継会場を結んで、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の式典とさせていただきます。7/7(日)~7/15(月・祝)まで、「御生誕祭」を開催致します。

7/14(日)は、御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。

御生誕祭に合わせて発刊予定の『地球を包む愛』ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal 
ver.」を通して、すべての人の心を救済されようとしている主の大いなる愛を学び取り、エル・カンターレ信仰を深めると共に、天御祖神様の御名を全国・全世界に伝える決意を固めます。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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さて、ここからは、常に主と共にあるために、教典『大悟の法』から第5章の「常に仏陀と共に歩め」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。主の御生誕祭に向けて、さらに神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■常に仏陀と共に歩め
○正しい方向を教えることが仏弟子の仕事

私は、自分の悟った内容を、法話として説いたり、本として出したりして、いろいろなかたちで、みなさんにお伝えしています。その仏法真理の本は、一冊一冊が巨大な”磁石”です。そういう磁石が何百万の単位で世の中に出ていき、人々の心を変えていくのです。

その磁石に引きつけられた人は、その人自身もまた磁石に変わっていきます。それはちょうど、長いあいだ磁石にくっついていた鉄が、それ自体もまた磁石となって、ほかの鉄をくっつけるようになるのと同じです。磁石そのものが、他のものをまた磁石に変えていく力を持っているのです。

伝道も、結局、こういうことなのです。「心の法則を伝えたい」という熱意そのものが磁石となって、心の法則が伝わっていきます。そして、心の法則を知り、その使い方をマスターした人は、その世において、真実の人生、幸福な人生を生きられるようになります。さらに、それを自分で味わって幸福な感覚を得た人が、また新しい磁石となって、それを発信していきます。これが伝道の過程なのです。

これは幸福になる方法の話ですが、その反対の場合も当然あります。世の中には破壊的な想念を持った人もいます。そういう破壊的な”逆磁石”を持った人が出てくると、それによって多くの人が不幸になることもあります。

特に、非常に破壊的な想念を持った人が、政治的な指導者や思想的な指導者となり、高い立場、指導的立場に立った場合には、ほんとうに逆磁石となって、すべてのものを破壊し、狂わせていきます。世の中にはそういうこともあるのです。

そのような逆磁石の働きは、何千年、何万年にもわたって続いています。それと戦い、ただしい”北極星”のありかを示し、「北の方向はこちらである」ということを教え続けているのが、神の使徒であり、光の天使であり、如来や菩薩なのです。

力だけで比べると、どちらも強いように見えて、真理はどちらかなのかがわかりにくいとこもあります。しかし、明らかに北は北なのです。その正しい方向を教えることが仏弟子としての仕事でもあるわけです。

○自主的に守る「戒」と共同生活のルールである「律」
心というものは自由性を持っており、その方向性は自由自在です。それが一定のよい方向に向かうことによって、いっそう集中度が高まり、念いの実現性が高くなります。

たとえば、念いを繁栄という方向に絞り込めば繁栄が現れ、智慧という方向に絞り込めば智慧が現れ、精進という方向に絞りこめば精進が現れます。一つの方向に向かって絞り込めば、それが実現してくるのです。

したがって、各人がそれぞれ、「自分はこういうことをしよう。しかし、こういうことはすまい」という、自分に合わせた戒めを持つことが大切なのです。

仏教には「戒」というものがあります。これは、交通ルールのようなものとは違って、各人が自分で「これを守ろう」と設定するものです。

たとえば、「今年は毎月一冊、仏法真理の本を読もう」という誓いを立てれば、それはその人にとっての戒になります。

そして、毎月読むことにしていたのに、「今月は読みそこねた」ということになれば、それは破戒、すなわち戒を破ったことになります。ただ、それに対する罰則は何もありません。戒には罰則はないのです。

しかし、戒めを破ったことに対して、自分自身が深い慙愧(ざんき)の念、後悔の念を味わい、「こんなことではいけない。もってもっと自分を強くしなければないない。自分を鍛えなくてはならない」と思うわけです。それによって、修行が進んでいくのです。

戒と聞くと、普通は「不自由なもの」と考えがちですが、ほんとうはそうではなく、各人が自分の修行のレベルに合わせてつくっていくものなのです。

釈迦教団において在家の信者に授けられていた「五戒」(不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒)も、「五つ全部を守らなければいけない」というものでは必ずしもなく、「まず、どれか一つだけでも守りなさい。二つ守れるなら二つ守りなさい。三つなら三つでもよろしい。五つ全部守れるなら、さらによろしい」というかたちでした。したがって、たくさん守ろうと思う人は、百戒でも二百戒でもよかったのです。

そのように、自分を向上させるために、自主的に立てて守っていこうとするものが戒なのです。

これに対して、罰則のあるルールとして、「律」というものがあります。これは、出家教団における共同生活のためのルールです。

現代でも、学校の寮などに入ると「起床は××時です」「食事は××時です」「門限は××時です」「消灯は××時です」などの規則があり、「これを守らないと、寮から出てもらいます」ということになります。このような、罰則付きのルールのことを律というのです。

共同生活のなかで、お互いの修行の邪魔をしないようにするために、「このルールを守る範囲内においては、お互いに相手の権益を侵害することなく、自由を満喫できる」という共通項を定め、それを律と呼んだのです。「この律を守っていれば、共同生活が可能である。律に定めがない範囲では、自由に行動してかまわない」ということだったわけです。

そして、律に反した場合には、その程度に応じて、いろいろな罰則がありました。(たとえば、一週間の反省行とか、教団追放など)。

このように、仏教には戒と律があり、戒は自由なものだったのですが、律は共同生活に即したルールであり、違反すると罰則があったのです。

律は出家者にはありましたが、在家にはありませんでした。在家の人たちが守るのは戒だけであり、罰則はなかったのです。戒は自主的なものであり、「なるべく守ろうと努力してください。守れなかった場合には、反省して、もう一度頑張ってみましょう」というものであつたわけです。

戒の内容は、仏教的精神に則った方向のものであればなんでもよく、各人が自分で考えていました。現代的に言えば、「毎日、運動しよう」「食べすぎないようにしよう」「寝すぎないようにしよう」というものでも戒になります。

そのように、戒は自由なものであり、罰則は特にありませんでした。これが仏教教団の在り方です。

自由には、放縦、すなわち、「ほしいままに何でもできる」という意味での自由ももちろんありますが、もう一つ、「自分で自分をコントロールする。自分で目的性を持ち、方向性を決める。自分で一定の範囲を定め、そのなかで生活していこうと決める」という意味での、意志を含んだ自由もあります。

この意志を含んだ自由は、責任を伴う自由であり、非常に責任感あふれる自由です。このような、責任感に裏打ちされた自由論が仏教の本質なのです。

「お互いに迷惑をかけずに、思う存分に修行して、心の法則をマスターしよう。自分自身の心の奥にある、宇宙につながっているものを手に入れよう」というスタイルであったわけです。

【大川隆法『大悟の法』第五章「常に仏陀と共に歩め」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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第二の 道は 『正思』なり
冷静に 己の 内を 見つめては
心の 実相 掴むなり
まず 煩悩の 火を鎮め
執着の 思いを 除き はじむべし
執着とは 
心の 中の こだわりなり
貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の 三毒なり
貪とは むさぼりの 心なり
瞋とは 怒りの 心なり
癡とは 愚かな 心なり
自分の 保身に こだわりて
他人を 害し
結局は
自己をも 滅ぼす 所業なり
獅子 身中の虫 己心の魔
仏性の敵 そこにあり 

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正思―心の三毒の点検【瞋(じん)】
「瞋」は、怒りの心です。カーッとくる人で幸福な成功者はあまりいません。もちろん、社会的には出世する人もいて、瞬間湯沸器のような社長もいますが、やがて人間関係を損なってしまい、晩年は不幸であることが多いと思います。

ただ、怒りのなかには、「生かす愛」としての厳しさの部分もありますので、ただただ甘い言葉だけを人に言えばよいわけではなくて、人を導く場合には厳しさもなければいけません。この使い分けが大事です。知性的、理性的に人を導くことは、非常に大事なことです。

しかし、オコゼのように、少し触れただけでカっとして針が出てくるというタイプは、地獄的だといって良いと思います。

それから、肉体が原因で怒りっぽくなることもあります。肉体の疾患、たとえば、身体の調子が悪くて血圧が高いとか、いつも疲労しているとか、足が弱っていたり、内臓が悪いところがあったりというように、肉体的欠陥が原因でカっとしやすい人もいます。その場合には、心の問題とだけ捉えるのではなく、健康生活を送るために、やはり健康管理というものを、しっかりやらなければいけません。

また、酒を飲むと人格が変わり、怒って暴れる人もいます。酒を飲むと大声で怒鳴り始めたりして、出世を棒に振る人も後を絶ちません。酒を飲むと自分がそうなるということがわかっていながら、飲むのをやめられないのが普通の人です。そうした人は、飲酒を抑えて、早く正常に戻ることが大事です。これは、理性をもって自分の人生に修正をかけていく必要があります。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
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次は、「瞋」です。怒りの心です。これは、よく分かると思います。客観的に目で見て分かります。

ただ、その怒りが、本能的に怒っているものなのか、個々の判断が難しいのです。

立場が上の人は自分の怒りを必ず正当化します。「部下を鍛えるために怒ったのだ」「教えるために怒ったのだ」「これは教導の怒りだ」などと、いろいろ言います。それは、そうかもしれないし、そうでないかもしれないので、その辺はよく見ないと、単に虫の居所が悪いだけの場合もよくあるのです。

自我が固まってくると、それがなかなか見えないので、やはり、無我の立場でなければいけません。

怒りは、自分の体にも悪いのですが、他の人にもいろいろな影響を残すので、気をつけなければいけないところがあります。

ただ、怒ってよい場合もあります。それは、相手が間違っていて、止めないと転落するような場合です。「このままだと、駄目になる」という場合には、心を鬼にして、叱ってあげなければいけない、怒ってあげなければいけないのです。相手が間違った考えを持っていて、「このままでは、この人は駄目になる」と思ったら、「自分は悪人だと思われるだろうな」と思いつつも、心を鬼にして言わなければいけません。

そういうことを自覚して言っている場合には、それは「生かす愛」でしょうから、おそらく正しい怒り方でしょう。自分を客観視して「相手に嫌われるだろうが、心を鬼にして言わなければいけない」と思っているようなときは、理性的な怒りです。そういうことをしなければいけないときもあるのです。

人間は間違いを犯すものであり、特に、経験の浅い人、若い人は間違いが多いので、言ってあげなければいけない場合もあります。その辺はよく区別してください。

ただ、いつも怒っているような人は、本能のままに起こっていると見て、まず間違いないので、そういう人は、少し胆力をつけて、忍耐するようにしなければいけません。

【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
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さらに、経典「悟りの挑戦」より抜粋をご紹介いたします。
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〇「瞋」=統御できない怒り
それから「瞋」は、カーッとこみ上げてくる怒り、自分で統制できない怒りです。短気で、すぐカッとしてしまう人がよくいます。見境なくなって、その時だけもう自分を失ってしまって、何を言っているか分からなくなるのです。とにかくすぐにカッとなってしまいます。頭の回路を通して冷静に考えて、「これは怒るべきことであるから怒らなくてはいけない」と思うのではなくて、何かに触れると瞬間湯沸器のようにカッと怒る人です。これが「瞋」なのです。

これも、昔から心の毒素の一つになっていて、この怒りを出すと、せっかく穏やかに治めていた心の水面が非常に波立ちます。そして、不愉快で不愉快でしかたがありません。夜も眠れなくなってきます。ですから、人と会うと非常に面白くないし、すぐカッとする癖があります。

会社に勤めていても、非常によくできた人のように見えるし、頭もいいし、見栄えもいいし、ずいぶん立派な人だと思うのに、いま一つ出世しない人がいます。そういう人の特徴として、この「瞋」、怒りのというのを持っていて、すぐカッとなってしまうところがあるのです。思わぬところで人格がコロッと変わってしまうので、せっかく九十九点とって、あと一点積み上げようとするときに、がらがらがらと崩れてしまうのです。

「彼を管理職にどうか」という話が出たときに、「あれはすぐカッとなる男なので、何かの時にちょっと信用できない」「取引先で喧嘩したらどうする」「部下に対していきなり八つ当たりをすることがある」「いきなり上司に食ってかかることがある」「そういうことがいきなり出てくるので、ちょっとどうかな」というようなことを言われて、出世が遅れたりする人がいます。ですから、能力的には、非常に高いのに、どうして出世しないのかというときには、そういう短気を持っていることがよくあるのです。

なぜそうなるかということですが、これもある意味での動物性の一つなのです。動物たちもすぐカッと歯を向いたり、牙をむいたり、詰めを建てたり毛を逆立てたりします。それにちょっと似ていると言えるでしょうか。あるいは、自分の領域内に何ものかが入ってくると、すぐに迎撃するような性格に近いかもしれません。ヤマアラシのように、周りに対して、猛然と針を立てるのです。やはり動物的な本能の一種かもしれません。ですから、この怒りのところを抑えると、心は穏やかで、修行に適した状態になります。

ただ、これにも例外があるので付け加えておきます。ここで言われる怒りというのは、いわゆる「私憤」です。私の怒り、憤りを戒めているのです。これに対して「公憤」というものがあります。公の怒り、憤りです。これは完全になくしてはしまってはいけないことなのです。この公の怒りというものがなくなると、世の中を前進させる力がなくなるのです。・・・ですから、私憤、すなわち自分の個人的、本能的、反応的な怒りではなく、公の怒り、すなわち理性を内に秘めたような怒りを、ある意味では持っていなければ、世の中は少しも変わりませんから、これは知っておいてください。

宗教改革なども、多くはみな、この公の怒りを内蔵しているものです。現状の宗教では人は救えない、そこで立ち上がる―そのエネルギーは公の怒りです。これは「瞋」とは違いますので、間違わないでいただきたいと思います。

それから、個人的な領域においても、「怒る」ということと「叱る」ということはまた別のことです。人が間違ったことをしているのに、それをそのまま為さしめる、許容するのがよいという意味では必ずしもありせん。叱るということはまた別にあります。子供がいたずらをして言うことを聞かない時に、親としては叱らなくてはいけません。それを叱らないで甘やかしておくと、いざという時に自分でチェックできない子供ができあがってきます。このように、未熟なるものに対して強い指導を与える場合の叱るという行為は、また別の行為です。この二つの例外があるということは知っておいてください。

【大川隆法『悟りの挑戦(上)』第二章「無明からの脱出」より抜粋】
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心の三毒に対して、解毒剤があるとすれば、「五停心観」という禅定を上げることができます。
経典『沈黙の仏陀』の中に、第四章「五停心観」がございまして、詳しく解説をいただいています。私も四禅定に入る前に、雑念を払うためによくこの禅定を取り入れていますが、特徴としては、この禅定が「心の三毒」と「慢心」と「散乱心」に対応している点です。
「五停心観」の第二の禅定に「慈悲観」がありまして、怒り多き人が修する観法として紹介されています。

簡単に説明すれば、「好きな人、嫌いな人、どちらでもない人、そうした人たちに対して平等に接しなければいけないという、平等視をするのです。「みんな同じく神仏の子なのだ。自分にとっては、いろいろと好き嫌いがあったりするけれども、みんな神様がよしと思ってつくられた人たちなのだ。そういう魂なのだ」と、まずはいったんゼロに戻して、平等視をしようとするものです。

慣れてくると、相手にも相手の立場があって、一生懸命なのだということが見えてくるようになり、怒りがスーっと引いていく感覚があります。そして、怒りを覚える相手に対しても差別することなく、「抜苦与楽」、すなわち苦を抜いて楽を与えてあげようと感じる心が大切です。

ですから、自分が思い通りにならないと思うように、他人だって自分に対して思うようにならないことを怒っているかもしれないという事実に気づいたときに、真理の言葉『正心法語』の「他人に対して理解をし、自分に対しては反省せよ」という仏言が自分の怒りの心を溶かしていくのを感じることもありました。

怒りは、心の毒です。毒は光の言葉で解毒することができます。
主の教えは慈悲に満ちています。主は光そのものだからです。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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