1 愛の原点は、何かをおねだりすることではない。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
本日6月2日は、13時~エル・カンターレ文明創造の集い~教育伝道と信仰継承が拓く未来―が伊勢支部を衛星会場にして開催されます。
当会の教育事業(HSU、学園、サクセス No.1、エンゼルプラン
V、エンゼル精舎)の取り組みや次世代養成・信仰の継承(子・孫への伝道)の大切さを伝えると共に、教育事業の源流にある「主の教え・理念」を広げ、「地域ユートピア伝道」を推し進めていく機会といたします。幸福の科学グループの教育事業に興味のある方はぜひ参加ください。
7月7日は主の御生誕日です。7月7日13時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館より中継します。当日の本会場の別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館に全国・海外支部の代表者が参集し、全国・海外の中継会場を結んで、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の式典とさせていただきます。7/7(日)~7/15(月・祝)まで、「御生誕祭」を開催致します。
7/14(日)は、御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。
御生誕祭に合わせて発刊予定の『地球を包む愛』ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal
ver.」を通して、すべての人の心を救済されようとしている主の大いなる愛を学び取り、エル・カンターレ信仰を深めると共に、天御祖神様の御名を全国・全世界に伝える決意を固めます。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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さて、ここからは、仏教精神に立ち返るべく、教典『大悟の法』から第三章の「仕事能力と悟り」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■仕事能力と悟り
○仕事能力と悟りは連携する
一般に、「勉強をして教養を積んだ人ほど、悲観的になる」と、よく言われます。
それはなぜかというと、勉強をして物事をよく知ると、「人はいかに多く間違いを犯すか」ということが分かってくるからです。「実人生、実社会において人はいかに多くの間違いを犯すか」ということ、あるいは、「欲のために身を滅ぼした人が、いかにたくさんいるか」ということを、知るようになるのです。
そのように、人の悪というものを知るようになるため、「教養がつくと悲観的になる」と、よく言われるわけです。
ところが、教養の浅い人は、非常に速く出来上がってしまうことが多いのです。
これは、宗教の世界においても、よくある話です。
教団の初期のころで、法がまだそれほど進んでおらず、本も少ししか出ていないようなときに、たとえば試験などで、百点なり九十何点なり、非常に良い点数を取って、「自分は非常に優秀である」と思い、出来上がってしまう人がいます。
ところが、毎年毎年、新しい法が出てきて、法がどんどん積み重なり、増えてくると、当然、頭に入らなくなります。そのため、一度、百点を取ったとしても、「もう自分は悟ったのだ。自分の悟りは一番なのだ」と思っていると、その一、二年後に早くも転落が始まるのです。
社会的に見て、この世的な勉強や経験部分を十分に詰めていない人ほど、ちょっとしたことで、すぐに出来上がってしまう傾向があります。
しかし、世の中をよく知っている人は、「たとえ、試験などで百点を取ったとしても、それは必ずしも仕事ができることを意味するわけではない」ということを知っているのです。
一ヵ月ぐらい頑張り、本を何回も読んで丸暗記し、一時的な詰め込みで百点を取れたとしても、それで天下を取ったように思ってよいかと言えば、そうではないのです。その試験では確かに頑張ったのでしょうが、一か月後に試験をしてみたら、もう忘れているということもあります。
そのように、一時的な詰め込みでやった場合、それについては、一定の実績は出ますが、それ以上のものではないのです。
仕事能力と悟りは連携しているものなので、この世的な能力も磨き続ける必要があります。この世的な知識や経験も大事にしなければいけないのです。
【大川隆法『大悟の法』第三章「仕事能力と悟り」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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我に 今こそ 確信あり
人生 まさに 四苦 八苦
欲望の 瀑流(ぼうる)の 中を
泳ぐなり
されど 不動の 境地あり
この悟りこそ 真理なり
正しき 悟りは 八正道
苦・集・滅・道 沈思して
四諦の 道を 究むべし
解脱の 道を 進むべし
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〇八苦
要するに、「悲しみや苦しみの原因は、実は真理の目が開けていないところにあるのだ」ということが言いたいのです。四苦八苦の苦しみとして、「生・老・病・死」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「愛別離苦(あいべつりく)」「求不得苦(ぐふとっく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」とありますが、結局、「人生における四苦八苦の苦しみというのは、真理の目が開けていないがゆえの苦しみです」と言っているのです。
これは、正直に言って、その通りだと思います。たまたま、「自分はまだ若いし、しかも結婚したばかりなので、幸福だ」という方もいると思います。あるいは、「会社に入社したばかりで幸福だ」「課長に昇進したばかりで幸福だ」という方もいると思います。しかし、長い目で何十年か見ると、やはり、苦しみから逃れることはできないでしょう。
昇進の喜びがあっても、仕事で息詰まる苦しみが当然出てくるでしょう。結婚の喜びがあっても、やがて家庭不和の苦しみが来ることもあるでしょう。悲しい別れもやって来るでしょう。愛した子供であって、誰もそれを否定できません。ここまではっきりという宗教家は、他にはいないのです。
「怨憎会苦」(嫌な人と会う苦しみ)も、否定できないでしょう。そうした苦しみというのは現実にあります。どこへ行ってもあるはずです。
「愛別離苦」(愛するものと別れる苦しみ)もあります。
「求不得苦」(求めても得られない苦しみ)は、おそらく万人が万人、あるはずです。みなさん全員に、求めても得られない苦しみはあります。何もかも思いのままの人生というようにはいきません。
たとえ、思いのままの人生が展開し、願った通りの人生が現れたとしても、そのあと幸福かどうかということがあります。
たとえば、同期の人たちよりも早く出世して、収入も多く、「出世頭だ」と思っていたら、突如、ピストルで撃ち殺されるような支店長もいます。地位あるがゆえに狙われることだってあるのです。
ですから、「自分としては、これが理想だ」と思っていた人生が、その通り実現した時に、自分がいま予想しているものではない事態が、待ち構えていることだって、当然あるわけです
そうした予期せぬ不幸や悲しみは、人生のあちこちにあるものです。しかし、それを、突如として襲った不幸と考えても無駄です。人生はそのような不幸に満ちているものであり、不幸は襲ってくるものだと、まず正直に、実直に見つめたうえで、そこから脱出して幸福になる道がないかどうかを考えてみなさい、ということなのです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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それでは、さらに四苦について、経典『悟りの挑戦(上)』より抜粋して解説を加えます。
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この四苦、生老病死というのは、誰一人逃れることができなのです。全員、確実に死ぬのです。この予言だけは外れません。全員死ぬのです。間違いなく死にます。読者の方で、二十二世紀まで生きている人は、まずいません。
釈迦はまずこういう人生の真理を述べました。
さらに、八苦といって、四苦に四つ加えたものがあります。
まず、「愛別離苦(あいべつりく)」、愛する者と分かれる苦しみがあります。
人生の間に、「この人とだけは別れたくない」というような親友もあったでしょう。また、懐かしい母親、父親、兄弟、友人、あるいは夫婦であれば、妻や夫、子供がありますけれども、愛しい愛しい自分の身内や友人といった懐かしい人と、ある日突然に分かれがきます。病気や事故もあります。・・・あるいは、それまで仲良くやっていたのに、思想信条等がぶつかって分かれることもあります。信仰を得たために、たとえば夫と妻の信仰、宗教が違うために反目して、愛する者と別れることもあります。あるいは、幸福の科学に入ったということで、昔の親友と別れなければならないこともありましょう。愛する者と分かれる苦しみというのは、人生の間に必ずどこかできます。
この反対に、「怨憎会苦(おんぞうえく)」といって、いやな人と会う苦しみ、嫌いな人と会う苦しみがあります。・・・そのように、人生にはいろいろな選択肢がありますが、そのなかで、愛する者と分かれる苦しみ、いやな者と会う苦しみ、これはなかなか避けられないものです。どうしても出てくるのです。愛別離苦や怨憎会苦は、みなさんも、いろいろな過程でおそらくあるはずです。
それから、「求不得苦(ぐふとっく)」といって、求めても得られない苦しみがあります。これは苦しみを象徴するようなものであって、ほとんどの人にあります。
いい職場を求めてもなかなか得られない。出世を求めてもなかなか得られない。結婚相手、伴侶を求めてもなかなか得られない。収入がもっとあればいいと思うのに手に入らない。・・・このように、いろいろなものを求めても得られない苦しみは山のようにあります。これは万人が万人、おそらくあるでしょう。そういう悩みはみんなが持っているはずです。求不得苦というものは、考えたから考えただけ出てきます。・・・
しかし、それはあなた一人だけではありません。他の人もやはりそうなのです。得られなかったものは、ものすごくあるのです。その人その人によって違いはありますが、その人にとっては得られなかったものが、たくさんあるのです。
奥さんを得られないで苦しんでいる人もあれば、奥さんを得たために苦しんでいる人もいます。良妻賢母を得られなかった苦しみというのもあるのです。また、子供が欲しかったのに得られないと苦しんでいる人もいますが、できの悪い子どもを持ったための苦しみもあります。賢い子供を持てなかった苦しみ、これもあるのです。
このように、何かを与えられたらそれでいいかと言ったら、そうでもないのです。得られない苦しみというのは、なかなか止まることがありません。
最後に、「五蘊盛苦(ごうんじょうく)があります。「五陰盛苦(ごおんじょうく)ともいいます。五陰というのは肉体の煩悩(ぼんのう)のことであり、これが燃え盛るさまが五陰盛苦です。精神生活に目覚めてくると、本当にこれがいやになることがあります。
なぜ毎日毎日お腹が空いてくるのだろうか。自分は霊的な存在だと思っているのに、お昼になったら、お腹が空いてくる。一食抜けば、もう人間でないようにガツガツしてきます。恥ずかしいです。食べていないと、このようになってきます。「食物にこだわってはいけない」思うのに、どうしてもやめられない。お酒などもそうです。アルコールがどうしてもやめられない。そういう煩悩があります。
また、異性の問題もあります。若い人もそうですし、中年以降、晩年でも結構あるようですが、異性を求めて燃え盛る炎が静まらないことがあります。「ああ、こういう欲がなければ、どんなにスッキリするか」と思うのに、それでも止まりません。こういう苦しみがあります。肉体を持っていること自体に伴う燃え盛る煩悩、これを抑えることができないのです。「なぜ、こんなに苦しい」「宗教というは、きついことを言うものだな」と思いながら、抑えることができないで苦しみます。
このように、「生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」の四苦八苦を言われたら、どの方も逃げならないのです。この世に生きているかぎり、ついてまわるものです。
【大川隆法『悟りの挑戦(上)』幸福の科学出版 より抜粋】
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「生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」の四苦八苦を言われたら、どの方も逃げならないのです。この世に生きているかぎり、ついてまわるものです。
「人生は苦しみである」ということは、同時に、「苦しみは真理に目覚めるための機会である」ことや、「苦しみとは、人生の問題集」であることを意味します。
要するに、「悲しみや苦しみの原因は、実は真理の目が開けていないところにあるのだ」ということが言いたいのです。という言葉がとても印象的でした。
肉体をもっている以上、人間は四苦八苦の苦しみから逃れることができない。という事実をまず知って、「人間とは肉体ではなくて魂である」「自分とは考えていることそのもの」であるという事実を、府に落として納得することが悟りの第一歩となります。
幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。 その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史
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