13 他人の目がないと、必ず悪さをする人は、調教前の動物と同じである。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
伊勢支部にて映画『ドラゴン・ハート』を14:00~映画上映会を開催いたします。
是非この機会に入会・三帰へと導いてまいりましょう。
7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
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さて、ここからは、常に主と共にあるために、教典『大悟の法』から第5章の「常に仏陀と共に歩め」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。主の御生誕祭に向けて、さらに神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■常に仏陀と共に歩め
6 縁起の理法
○原因・結果の縁起は必ず完結する
仏教の悟りのなかには、これに加えて、「縁起の理法」というものがあります。縁起の理法は、自由と平和のうち、自由の部分と深い関係があると言えます。
縁起の理法には、まず、時間的な縦の系列である「時間縁起」というものがあります。原因・結果の流れ、過去・現在・未来の因縁の連鎖のなかで、人は生き、社会は流れ、歴史は流れているのです。
みなさんが、きょう何をするかによって、みなさんの人生は変わり、みなさんの周りの人の人生も変わります。そして、それによって、世界が部分的に変わっていきます。さらには、みなさんが重要な立場に立てば、みなさんの下した判断によって、会社、あるいは社会や国家、世界の方向が変わることさえあります。
このように、未来というものは選択の積み重ねの結果なのです。この重要性を深く認識する必要があります。
仏は、心の自由性と、原因・結果の「縁起の理法」を人間に与えました。心の自由性には、その反面として、必ず責任が伴います。したがって、人間は、自分がなした原因行為による結果については、甘んじて受けなくてはいけません。それは覚悟すべきです。
原因に対する結果は、この世においても来ますし、また、この世で縁起が完結しない場合には、この世を超えた世界において、それは必ず完結します。
この世においては、「努力しても報われなかった」ということでもあるでしょう。その一方で、「努力しなかったのに非常に成功した」という人もいるかもしれません。それだけを見ると、非常に不公平であり、原因・結果の時間縁起が必ずしも働いていないようにも思えます。
しかし、この世において縁起が完結しないからこそ、実は、この世を超えた実在の世界において縁起が完結しているという論理がそこにあるわけです。
この世において、善人が不幸な死に方をすることもあります。しかし、それは、本当の意味での不幸ではありません。そういう人は天上界において必ず報いられることになっているのです。
この世において、悪人が栄えるように見えることもあります。しかし、その繁栄は永遠のものではありません。それは必ず、大きな執着となって、来世の苦しみを生むことになるのです。
そのように、この世においては、必ずしも「善因善果(ぜんいんぜんが)、悪因悪果(あくいんあくが)」になっておらず、その正反対に見えるようなことがあります。仏教では、これを「異熟(いじゅく)」といい、その結果のことを「異熟果(いじゅくか)」といいます。
それはいろいろな場面で見られると思いますが、そのような現象が起きるということ自体が、実は、縁起の理法がこの世で完結せず、来世まで行って初めて完結するということを意味しているのです。
いま述べたことは、人生の終わりについての話ですが、人生の始まりについても同じことが言えます。
「人間はみな仏子であり、平等である」と言っても、生まれにおいて違いがあります。ある人は金持ちの子に生まれ、ある人は貧乏人の子に生まれます。また、ある人は生まれつき体にハンディがあり、病気を持っていたり、体が不自由だったりします。あるいは、知能や体力に差があります。人間には違いがあり、人間は必ずしも平等ではありません。
これも、現時点だけを見れば、「平等ではない。公平ではない」と思えるのですが、実は、過去世からの転生輪廻の結果が、ずっとつながってきているのです。今世だけで考えると理解できず、説明がつかないものについては、その前の時代から原因行為が始まっていると考えるべきなのです。
そうであって初めて、生まれにおける違いの説明がつきます。もし、そうでないならば、人間はみな、生まれつき同じでなければいけないはずです。しかし、実際には、同じく赤ん坊であるということ以外は、与えられた能力や才能、体質その他について、差があります。今世だけではないものが、そこにあるからです。
生まれて来た時点は、スタートであると同時に結果でもあります。各人の過去の人生における、さまざまな歩みの結果が、今世のスタート点になっている面もあるのです。
因果の理法は一代では完結せず、無限の過去から無限の未来まで流れているものなのです。
これが時間的な連鎖のなかでの縁起の理法です。
【大川隆法『大悟の法』第五章「常に仏陀と共に歩め」より抜粋】
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さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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そして
第六には『正精進』
これぞ 悟りへの 前進なり
調和の とれた 生活で
さらに 仏道に 励むべし
信仰心を 旨として
悪を去り 善を取れ
怠け心を 排しては
真理の 学び 深むべし
仏説 流布に 励むべし
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The sixth step is ‘right effort’
This encourages you
To advance towards enlightenment
While living a well-balanced life
Make further efforts
To follow the way of Buddha
With faith in your heart
Discard evil and choose what is good
Correct your tendency to be lazy
And deepen your knowledge of the Truth
Make every effort
To spread Buddha’s teachings
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この正精進あたりから、宗教的な深みが出てきます。
(正精進とは、)毎日毎日、悪の誘惑から去って、善をとっていきなさい、ということです。
怠け心を排して、真理の学びを深めていき、仏説流布に励みなさい、ということです。とにかく、マイナスを捨ててプラスをとっていき、毎日毎日、倦(う)まず弛(たゆ)まず常に努力していくと、いつのまにか、思わず知らず、高い境地まで来ているものです。学びとは、そうしたものであって、なかなかな一足飛びにはいかないものです。瓦が「カーン」と鳴ったぐらいでは、なかなか悟れないものなのです。しかし、不退転の境地で、毎日毎日、三年、五年、十年と修行をしているうちに、昔の自分とは全然違うところまで到達するのです。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。お持ちでない方は是非拝受ください。【税抜き1500円】
主におかれましては、正精進についてこのように教えていただいています。
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〇八正道の第六―「正精進」
これは、「正しく道に精進しているか。正しい努力をしているか」ということを点検すればよいのです。
「常に、悪の種をまかないようにし、もし悪の種をまいてしまったら、それを早めに刈り取るようにする。また、善の種をまくようにし、すでにまいた善の種については、それを育てるようにする。よいことをしたら、それを育てていくようにする」
そのように、「正しい努力をしていきなさい」ということです。
【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
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菩薩の重要な修行方法に「六波羅蜜多」があり、その四番目の精進に「精進波羅蜜多」があります。『黄金の法』講義で、主はこのように説かれています。
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『仏教では、努力を非常に重視していますが、「努力というものは、実は縁起の理法そのものである」ということを知っていただきたいのです。
種をまいて育てれば、実がみのります。このように、縁起の理法、原因・結果の法則というものがあり、過去世でどのように生きたかが、今世に相当影響しています。また、今世の生き方が来世の生き方を決めるのです。
したがって、みなさんが未来において、どういう人生を生きることになるかは、現在ただいまの生き方にかかっています。「種をどうまき、どう育て、どう刈り取るか」ということにかかっているのです。
このように、努力の余地や教育の意義を認めるのが縁起の思想なのです。
人間は変わっていくことができる、変えることができるということです。
そして、人間は変わっていくことができる以上、人間がつくっている組織や社会、国家、世界も、当然、変えていくことができるのです。
【大川隆法『黄金の法』講義 会内経典より抜粋】
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「日々の精進を積み重ねる」
宗教的生活である「正命」―正しい言葉・思い・行動による生活習慣―を積み重ねる中で、常に善を選び取ること、仏法真理の学習すること、伝道をすることについて、倦まず弛まず常に努力することであると教えていただきました。こうしたことから、八正道の中の第六番目の正精進から宗教的な深みが出てくるとも教えていただきました。正しい精進を共に重ねてまいりましょう。
精進を重ねて仏道修行を怠ることがなければ、「因果の理法」・「原因・結果の法則」が働いいて、悟りを得ることができるようになります。私たちが目指す幸福とは悟りの幸福であり、仏国土ユートピア建設という主の夢を実現することです。その道は、正しい精進の道の上に存在します。
私達、弟子にこめられた主の願いがわかりやすく知る手掛かりに、主の「楽曲」があります。主が未来の仏弟子に託した夢が幸福の科学学園の校歌にこめられています。
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未来をこの手に(幸福の科学学園校歌)
作詞・作曲 大川隆法 ☆霊指導 仏陀
一、
探し求めていたものは
未来の心
自分の使命
人生の目的
今は飛べない雛だけど
いつかはきっと鷲になる
アイ・ハブ・ア・ドリーム
夢の未来はきっと来る
愛・知・反省・発展の
四正道を究めたら
悟りの姿が見えてくる
父も母も待っている
私が光となって
きっと世を照らす日が来ると
その日 その時まで
精進の道を歩く ひたすらに
未来をこの手に 確かにつかもう
二、
夢にまで見たものは
ユートピアの姿
法友の愛
不屈の勇気
今は修行の身だけれど
いつかはきっと花が咲く
キープ・オン・ラーニング
悟りの国がそこにある
愛と悟りとユートピア
建設の夢は必ずや
世界各地に実を結ぶ
主もきっと願われる
私が師となり
法輪を転じる日が来ることを
その日 その時まで
忍耐の道を歩く ひたすらに
幸福の卵を 産み続けよう
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幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。
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ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
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■『宗教の挑戦』
第4章「霊界案内」
〇霊界とは怖いものか?
前章では、信仰の大切さ、美しさということについて述べました。そこで本章では、信仰した結果、どのような世界に行くのかという素朴な疑問にお答えしたいと思います。
本章で私が述べることは、「幸福の科学」の書籍を読み込んでこられた方にとっては、もはや常識にすぎないとこかもしれませんが、あくまでも、はじめての方が読んでも分かるような霊界案内というものを述べてみたいと思います。
人間は死ねばあの世に還り、霊界というところで生活すると言います。では、その霊界とはどのような世界なのだろうと、いろいろと想像される方は多いでしょう。たいていの方が思いつくのが、夏の夜に流行る怪談話です。夏場になりますと、テレビなどのいろいろなメディアで紹介されるので、霊界というとすぐに怪談ものが思い浮かびます。
怖いものの影響力は大きいので、それはそれで、怖いもの見たさとでもいいましょうか。霊界に対する興味はずいぶんそそられるわけですが、その怖いイメージが、かえって一般の人にとって霊界を近づきにくいものにしていると感じます。
しかし、それもある意味では仕方のないことではありましょう。というのも、霊になりますと、普通はこの世とコンタクトすることがほとんど不可能になってきます。わずかな例外もあるのですが、それは深い悲しみや怒り、あるいは執着を持った方がこの世に舞い戻ってきて、何かを伝えようとするケースが非常に多いのです。ですから、世に伝えられる怪談話も「むべなるかな」という感じもしないわけではありません。
では、それほど恨みを残さなかった普通の方はどうなるのか。それに情報不足でなかなかわからない、というのが現実であろうかと思います。
そこで、霊界とはどういうところであるのか、ご説明したいと思います。
【大川隆法『宗教の挑戦』第4章「霊界案内」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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■御生誕祭の宗教的意義について
〇御生誕祭は、主エル・カンターレ大川隆法総裁先生のご降臨への感謝と、報恩としての伝道の誓いを捧げる、幸福の科学における二大祭典の一つです。
主のご降誕に対し、心からの感謝を捧げ、主への信仰を深める日
――根本仏にして地球神エル・カンターレの御降臨は、慈悲であり奇跡そのものです――
〇御生誕祭は、主と魂の契りを結ぶ霊的な場です。そして、主への報恩として、弟子としての使命を果たす誓いを捧げる場でもあります。誓いを立てることで、信仰は本物となります。
〇主エル・カンターレ大川隆法総裁先生は、1956年7月7日朝7時頃にご生誕されました。「7」という数字は、天上界において、「勝利」と「完成」を意味します。ご生誕の「777」の数字には、悪魔を象徴する「666」にすべての面で凌駕する「勝利の宣言」が込められています。主は、この世の一切の悪なる勢力に勝利し、地球ユートピアを建設されるために、ご降臨されたのです。
〇主エル・カンターレのご本体の御降臨は、3億年前のアルファ様、1億5千万年前のエローヒム様に続き、地球の歴史上3度目に当たります。地球神であり、根本仏でもあられる主は、天上界では光そのものであり、本来、肉体を持たれてはならないご存在です。
・今世は、大川隆法総裁先生というお姿を通して、エル・カンターレのお姿をかいま見ることができる、歴史上ほんの一瞬の、稀な機会なのです。
〇本仏が下生される時代は、人類にとって危機の時代であり、同時に、新時代の幕開けとなる希望の時代です。主のご降臨そのものが、人類に対する最大のご慈悲なのです。
〇御生誕祭は、主がご降臨された奇跡の時代に、主と共に生まれ、主と共に救世活動ができることへの感謝を捧げ、エル・カンターレ信仰を深める大切な日なのです。
■御生誕祭の霊的意義に関連する聞慧■
〇勝利の宣言
私は、昭和三十一年の七月七日、朝、潮満つるころ、七時ごろに生まれました。その数字の示すとおり、「777」という数字がならびます。《中略》「7」という数字は、天上界において、これは勝利を意味する数字であるのです。これは、ひとつには、勝利を意味し、もうひとつには、完成を意味する数字であります。《中略》この「7」の数字の意味は、もうひとつ、別の説明が可能であります。「777」の下には、「666」という数字があります。《中略》ルシフェルをあらわす文字が、数字が、「666」なのであります。これが、彼らの暗号であります。「777」とは、この6に、すべての面において、凌駕するということを意味しているのであります。すなわち、この今生において、私が生まれてくるときに、勝利へ・
・
�宣言をこめて生まれてきたということであります。何に対しての勝利であるか。《中略》私たちは、神のつくられた、この地上において、いっさいの悪なる勢力を一掃しなくてはならないのであります。
【大川隆法『勝利の宣言』p.11~p.14より抜粋】
〇現成の仏陀の声
私はさらに言葉を継いであなた方に言おう。私は、多くの書物に書かれているように、仏陀の魂の、その生命体の生まれ変わりではあるが、あなた方の前に大川隆法として立っているこの存在は、通常、地上には生まれることのない存在であることを。あなた方は、真の意味において今、我が名で呼ばれているところのこの魂を見ることは、今後、地上においても、天上界においてもあり得ない。それを言っておこう。通常、「法身」という名で呼ばれているのが、私の本当の姿であって、もはや人間の姿をとって出ることはない。そう思って、「幸福の科学」という名を借りての地上における今回のこの真理の活動の意味を知ってほしい。
【大川隆法『悟りの極致とは何か』p.123~124より抜粋】
〇いまはエル・カンターレの姿を見られる稀な機会
「主は、どういう存在か」ということですが、本来、エル・カンターレという存在を、あなたがたに見せることはできません。いまは、「私の姿を通して、かろうじてエル・カンターレの姿を見ることができる」という、歴史上ごく稀な珍しい機会であり、普通は、想像することしかできないのです。というのも、私は、あの世に還ったら、顔や手足などはなくなり、光そのものになるからです。《中略》いま、あなたがたは、エル・カンターレの姿を垣間見ることができますが、歴史の流れから見ると、これは、ほんとうに一瞬の出来事です。《中略》その一瞬に、あなたがたは、永遠なるものの影を見て取り、心に深くとどめておかなければならないのです。
【大川隆法『君よ、涙の谷を渡れ』p.68~70)より抜粋】
〇一回目の名は「アルファ」、二回目の名は「エローヒム」
「エル・カンターレという魂は六人の分身を持っている」というような言い方をしていますが、実は、エル・カンターレの本体としての下生は、今回が三回目に当たります。一回目の下生は、もう今から三億年以上前のことになります。そのときは「アルファ」という名で呼ばれていました。《中略》二度目に生まれたのは、今から一億五千万年ほど前に当たります。このときに呼ばれた名前は「エローヒム」で、一般的には、これを簡略化し、「エル」という名で呼ばれています。《中略》「エローヒム」という名で呼ばれているのが二回目の下生のときです。
【大川隆法『エル・カンターレ信仰とは何か』p.25~26より抜粋】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(6/14-1)165『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む ⑰正精進―倦まず弛まず常に努力すること―原因・結果の縁起は必ず完結する
