(6/10-1)161『解脱の言葉「仏説・八正道」』を読む ⑬正語―不妄語・不悪口―心の平和

『解脱の言葉「仏説・八正道」』

9 自分をほめ讃(たた)えるな。ほめ讃えるべきは、神お一人である。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

109シネマズでの上映時間は
①17:35〜19:45
伊勢支部でも14:00~映画上映会を開催いたします。
是非この機会に入会・三帰へと導いてまいりましょう。

明和109シネマズ、そして伊勢支部での
映画『ドラゴン・ハート』上映に一人でも多くの方をお連れして、天国への道を伝えるために地獄の知識をしっかりと学んでまいりましょう。
今、この映画を観たことが将来の救いの手になることになります。愛する人にこの映画を届けてまいりましょう。そして、一人でも多く方を幸福の科学に入会・三帰へと導いてまいりましょう。

7月7日は主の御生誕日です。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

7/6(日)~13(日)まで、「御生誕祭」を開催させていただきます。7/6(日)と7/7(月)は、両日とも13 
時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館を本会場として、全国・海外の精舎・支部・拠点(HSU・学園含む)に中継開催させていただきます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、常に主と共にあるために、教典『大悟の法』から第5章の「常に仏陀と共に歩め」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。主の御生誕祭に向けて、さらに神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
■常に仏陀と共に歩め
4心の平和
○現代人が求めている「心の静寂」

仏教のもう一つの大きな特徴として、平和を非常に強く求める面があります。ここで言う平和とは、心の平和です。仏教は、心の安らぎというものに対して、この上ない価値を認めているのです。

三次元的に言えば、あるいは現代的に言えば、「これをやって、これだけの成果があがった」「これをして、〇〇を手に入れた」ということが、勝利感、達成感であり、幸福感であることが多いと思いますが、幸福はそういうものだけではありません。

仏教的幸福のなかには非常にクワイエット(静寂)な面があります。それは、「非常に静かな、穏やかな境地に幸福を感じる」というものです。ちょうど、山のなかの澄んだ湖面のような静寂です。「澄んだ湖面のように、波一つ立たず、鏡のようになっている、そういう心の状態に対して幸福を感じる」というところが、非常に大事なポイントなのです。

これは、忙しい現代人にとって、まったく正反対の価値観のようにも見えますが、本能的には、だれしも、それを求めてはいるのです。「非常に忙しく仕事をしているなかにあって、オアシスのような一時を求めている。しかし、手に入らずにいる」という人が大部分でしょう。

そのため、心のオアシスを求めて、ある人は宗教の世界に入り、ある人は学問の世界に生き、
ある人は自然に親しむことを趣味としているわけです。

現代人は、心の静寂や穏やかさといった平和な境地を楽しむことの大切さを、本能的に知っているのですが、それが実際にどれほどの価値を持っているかは、なかなか、つかみ切れていないのです。

○霊界の次元の大地をつくっているものとは
心の平和というものは、非常に深い価値を持っています。

霊界には、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元と、何重にも次元構造があり、各次元のなかに、さらに精妙に分かれた段階があります(前出、『太陽の法』第一章参照)。この次元構造の壁、あるいは次元の大地をつくっているものこそが、実は心の平和の部分です。

その世界に住んでいる人が、どれだけ平和な心を持っているかによって、次元が分かれているわけです。平和な心とは、別の言葉で言えば、揺れない心、不動の心です。そこに住んでいる人たちの心の波動、心の波長が一定しているところに、その霊界の階層ができてくるのです。

したがって、たとえ七次元の住人であっても、心が非常に揺れ、喜怒哀楽が大きくぶれてまるで地獄の鬼さながらの心境になったような場合には、たちまち、足元の大地がバカッと開いて、その人は下の次元まで落ちてしまいます。まるでエレベーターで降下するように、あっというまに転落してしまい、元の世界には住めなくなるのです。

そのように、心の平和を維持する能力が次元の壁をつくっているのです。そのため、一定のレベル以上、心の平和を維持する力がないと、その世界にとどまることができません。

下の次元に行くほど、想念は荒れ、心の波長が非常に荒れています。

四次元世界は三次元世界に近いところにあり、非常にこの世に近い波動を持っています。四次元世界に住んでいる人たちには、肉体がないのに、この世とほとんど同じような生活をしている人が多いのです。

また、地獄界にいる人たちは、ほとんど、この世的な価値観に惹かれている人ばかりです。彼らはこの世の地面への執着が取れず、そこから逃れられないでいます。彼は常に”重力”がかかっていないと生きていけないのです。

そして、地上の人間に取り憑き、地上の人間と同じような趣味嗜好(しゅみしこう)を持って生きている人がたくさんいます。憑依霊になって、五年も十年も二十年も、一緒に住んでいられるということは、憑依している相手と価値観がまったく同じなのだと思います。そういう生き方をしている人もいます。

彼らは、精妙な波動、安定した平和な波動とは、まったく正反対の生き方をしています。地獄には、条件反射的で非常に破壊的な、ガサガサした想念のなかに生きている人がたくさんいるのです。

【大川隆法『大悟の法』第五章「常に仏陀と共に歩め」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。

『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
第三の 道は 『正語』の 反省なり
不妄語
不悪口
不両舌
不綺語
これが 四つの 指針なり
不妄語とは 嘘・偽りを 言わぬこと
特に 悟りは 偽るな
不悪口とは 他人の 悪口 言わぬこと
不両舌
二枚舌など 使わぬこと
不綺語とは 
過ぎた お世辞を 言わぬこと
但し 仏敵 折伏には
勇気ある 
批判と 智慧を 忘れるな
正語を 弱さと 捉えるな
理想社会の 建設には
積極性を 忘れるな
励ます 言葉を 忘れるな

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
The third step is ‘right speech’
Avoid false speech
Abusive words
Deceit
And flattery
Here are four guidelines
Do not lie
And especially, do not make false claims
About your enlightenment
Do not speak ill of others
Do not be deceitful
Do not flatter others with empty words
But have courage to proselytize
Among Buddha’s enemies
And have the wisdom to criticize them
Do not mistake ‘right speech’ for weakness
In order to create an ideal society
Always keep a positive attitude
And do not forget to use encouraging words

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
①不妄語
妄語(もうご)とはどういうことかを考える場合、いちばん典型的な例としては、統一教会を考えたらよいでしょう。あのように、「騙しのテクニック」でもって人を騙すやり方のことです。あるいは商売の法でも、人を騙して儲けようとする人が、時どきいます。「そのようなことはするな」と言っているのです。・・・

②不悪口
これは常識的なことですからよくわかると思います。ただこの不悪口と、正当な批判とは、分けて考えたほうがよいと思います。

正当な批判の中には、相手を生かす面があります。相手のことを、親身になって真剣に考えている場合には、正当な批判として言ってあげなければいけないこともあります。知っていても言わずに、そのままでいたために、相手の人が崖から転落することもあるので、その前に、「やめておきなさい」と言わなければいけないこともあるのです。

人生の失敗を見ていると、やめるべき時に、「やめなさい」というひと言を誰も言ってくれなかった、ということがほとんどです。あるいは、「やめるべきだ」と自分で判断できなかったために、失敗することが多いのです。

「あれもやりたい。これもやりたい」と思うことは、非常に光明的でよいのですが、「その道はやめておきなさい」「それはだめです」というひと言が、その人を救うことがあります。そうした忠告は、相手にとって耳障りなので、言いにくいのですが、やはり、「その道は行き止まりです。やめておきなさい」と言ってあげるべきなのです。

たとえば、友人が「脱サラ」をして、事業を起こそうとしているとします。しかし、その人の経験や見識、力量、評判などを見ると、「これは失敗するのではないか」という感じが自分にはしたので、「どのようになして、その会社を起こすのですか」と訊いてみたところ、「銀行から借金して、事業を起こします」と、その友人は答えたとします。

次に、「事業計画はどうなっているのですか」と訊くと、「一年目には、これぐらいの収入があるでしょうから、借金をこのぐらい返済して、三年以内には黒字に転換していけるはずです」と答えたけれども、「そんなうまい話があるはずはない。新規に商売を始めて、そんなにお客が来るはずがない」ということが、自分には直観的にわかったとします。

そこで、「これはだめだ」と思ったら、「あなたの資金計画は甘い。客がその半分ぐらいしかいないと思って計画を立て直し、それでもやれるぐらいでないと、今はやめておいたほうがいいですよ」と言ってあげなくてはいけません。あるいは「銀行から金を借りるというが、あなたは貯金をどのくらい持っているのですか」「そうですか。十年も働いて、それだけしか貯金が貯まらないのですか。そんなことでは、この事業は成功しないのではないでしょうか」と、相手にとっては嫌なことでも、言ってあげなければいけないこともあります。それが、その人を救うことがあるのです。

逆に、それを言わなかったために、子供は学校へと行かなくなり、奥さんは里に帰るというように、一家が不幸になることが現実に起きるのです。これが、一年後に相手の人を待っている姿かもしれないのです。

もちろん、脱サラをして成功する人も、なかにはいますから、「この人は成功するかもれしない」と思える人に対しては、「応援するから頑張れ」と言ってあげないといけないこともあります。

しかし、「会社でうまくいかないので腹が立った。一旗揚げてやろう」と、反逆の気持ちから飛び出す人がいますが、この場合には、たいてい失敗します。会社でも非常に評判がよくて、成功しているような場合には、独立して事業を起こしても成功する可能性がありますが、評判が悪くて会社からたたき出されるような人が独立しても、普通はあまりうまくいかないものなのです。

こうしたことを人生の智慧として学んでくると、他人に対して、厳しいことでもだんだん言えるようになります。ですから、厳しくて少し耳が痛いことでも言えるようでないと、真に人を導くことはできないということです。これは大事なことです。

それから、知性があまり高くない方、あまり頭の好くない方に対しては、お世辞を言いすぎてはいけません。そうした方の場合は、ほめると転落するケースがきわめて多いので、気をつけてください。

当会の会員は、みんな本当に人が好くて、よく人をほめるのです。ですから、いままでほめられたことのない人は、当会の支部集会に来たりすると、いろいろな人たちにほめられるものですから、気分がよくなって、なんとなく有頂天になったりしてしまいます。そして、自分がとてもよくできるようになったと錯覚したり、悟ったようなきになったりして、転落する人がいるのです。

ですから、ほめすぎるよりは、その人の間違っているところ、すこし気になるところを、指摘してあげたほうがよいこともあるのです。このへんの親切心が足りないために、相手をだめにすることもあります。

これは、後で述べる「不綺語」などもそうです。「お世辞」とも言いますが、少し気をつけたほうがよいかもしれません。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
つづいて、経典「八正道の心」より抜粋をご紹介いたします。
この経典は、もともと会内経典でしたが、HSU開学を前に、一般書として書店でも頒布されている大変ありがたい経典です。お持ちでない方は是非拝受ください。【税抜き1500円】
主におかれましては、正語についてこのように教えていただいています。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
・正語と正思の兼ね合い
当会は、正語について比較的、いろいろなことを教えています。

私は今回、わりに早い段階、最初の悟りを得る段階において、八正道というかたちではありませんでしたが、正語のところに反省が入りました。私は、正語のところで、ずいぶん苦しみ、いろいろなことを考えたので、正語に対しては思いが深いのです。(注・今世、悟りを開いたときの順序として「正語」を八正道の第二番目として説明したこともある。『「悟りの発見」講義 宗教法人幸福の科学刊 参照』

正見は、前述したとおり、意外に難しく、初期の段階、悟りを開く前の段階で、「正しい信仰」「正しい信条」「正しい見解」などと言っても、そんなにスパッとはわからないものなのです。しかし、正語のほうは、わりと簡単に反省できます。

なぜなら、「正しく語ったかどうか」ということは、この世の法、ルールと、それほど大きく変わらないことだからです。

言葉をどう使ったかを点検して、正思との兼ね合いで、「正しく考えたかどうか」ということを点検していくと、よくわかるのです。心のなかで思ったことというのは、なかなか点検しにくいのですが、外に出たものは、わりによく分かります。自分が発した言葉と、人から受けた言葉を分析していくと、心のあり方はよく分かってきます。

正語の反省は具体的なので、初心者にとっても、比較的やりやすいだろうと思います。

【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
日々の日常生活では、正しい言葉を使わない、または、使えないがために人間関係を見事に壊してしまう人が絶えません。正しい言葉―正語をつねに心がけましょう。これだけで、家庭に、仕事場に、支部に、調和が生まれます。正しい言葉遣いを考えるために、正しくない言葉の代表である四つの口から出る災い【妄語・悪口・両舌・綺語】を日常生活から徹底的になくすことを心掛けましょう。心が乱れるときは、口を閉じて沈黙を守ることも一つの智慧ではないかと思います。

そして、正しい信仰の立場で、正見ができ、考え方や判断が仏の御心にかなう正思ができるならば、口から出る災い【妄語・悪口・両舌・綺語】の反対である光の言葉を常日頃使えるように努力しましょう。

・嘘偽りではなく、素直で正直な言葉(正語)を使うこと。【不妄語】
・他人のあら捜しではなく、人のよいところを祝福する言葉を使うこと。【不悪口】
・他人を仲たがいさせるような言動を慎み、人と人とが支え合い、結ばれる愛ある言葉を使うこと。【不両舌】
・他人を利用しようとする下心からお世辞・おべっかを使うのではなく、相手に対して、本心から誠実な言葉を使うこと。【不綺語】

言葉には力があります。言葉の創化力で、私たちはユートピア世界を家庭に、職場に、支部や拠点・布教所にもたらすことができます。心の平和と私たちの環境は言葉から創られると言っても過言ではありません。

素直で正直な言葉、隣人を祝福し感謝する言葉、隣人の心と心を結びつける言葉、心に偽りのない誠実な言葉、隣人を愛し生かす積極的な言葉を一日の枠の中で数多くつくることで、自分の身の回りをユートピア世界に変えることができます。言葉にはそれだれの力があります。その言魂の力を呪いではなく、祈りの力に変えて、主のため、世のため、隣人のために使いましょう。これも重要な日々の人生修行です。ともに頑張りましょう。

幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。

*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
ここで、宗教の原点に立ち返るべく、教典『宗教の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1300円税込み】
―私が目指しているものは、民族的なるものではなくて、普遍的なものである。軽佻浮薄(けいちょうふはく)なるものではなくて、根源的なるものである。宗教のほんとうの敵は、マスコミや政治であるべきではない。宗教の敵は宗教であるべきだ。私が言いたいのは、ほんとうの宗教批判は宗教の内部からなされるべきであるということだ。聖か邪か、神か悪魔か、宗教自体がこの問いに答えてゆかねばなるまい。―『まえがき』より
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
■『宗教の挑戦』
第3章「信仰は美しい」
〇「二河白道(にかびゃくどう)」のたとえ

信仰という言葉は、仏教的に言いますと、他力門―阿弥陀仏を頼みにする方向で願いを立てて、「往生したい。成仏したい」という方向性を持っている思想に、極めて近いイメージがあるかもしれません。

これについて私は、一つのたとえ話を思い出すのです。それは、中国の浄土教の有名な僧侶の一人である善導(六一三年~六八一年)が書いた『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)〈散善義〉のなかに出てくる「二河白道」のたとえ話です。後に日本の親鸞がその話を『教行信證(きょうぎょうしんしょう)』〈信の巻〉で詳しく解説したので、日本の浄土系統の信仰を持っている方はよくご存じのはずです。

それはこのような話です。

ある人が、西のほうに行こうという発願をなして旅を開始します。西へと向かって行ったところ、突然、そこに信じられない光景が展開したのです。

ふと見ると、自分が行こうとする方向の南側では、火の河が流れているのです。炎に包まれています。その炎は幅が百歩ほどもあり、その底がわからないほどです。それほどの炎で、向こう岸はあるかないかがわからない。どうなっているのかわからない。突如として、そのような炎の河が、南側に現われたのです。

すると今度は、北側のほうには水の河が突如現れてきたのです。そのとも荒れ狂う河です。この幅も歩いて百歩ぐらいの幅に見えます。それが怒涛(どとう)逆まく河なのです。

そして、西に向かって歩いてゆくと、その白い道が消えかかってしまうようなシーンがくり返されます。そしてジーッと見てみると、白い道はまっすぐに、わずか四、五寸の丸太橋一本くらいの幅でやっとつながっているのです。(一寸=3cm)

さあ、困った。南は火の河、そして北は水の河。このまま進めば
火に焼きつくされるか、水に巻き込まれて溺れるか、どちらかになってしまいます。

しかも、後ろを振り返ってみると、背後の東の方向からは、なんと野獣たちがものすごいうなり声をあげて、自分のほうに向かって走ってくるではありませんか。それも野良犬とか狐とかライオンといった猛獣だけではありません。刀を持った盗賊のような者も後ろから追いかけてくるのです。

進も地獄、退くも地獄。そしてそこに立ち止まっていればどうなるかというと、立ち止まっていても命はなくなるわけです。進んでも、退いても、立ち止まっても、いずれにしても自分は死を覚悟しなくではならない。

けれども、「よし、白道を進んでゆこう」と決意すると、東岸のほうから「汝、ただ決定(けつじょう)してこの道を尋ね行け、必ず死の災難はなからん。もしとどまらば即ち死なん」という声が、聞こえてきたのです。

そして西岸のほうからも、
「汝、一心正念にして直ちに来れ、我れ、汝を護らん」という声が聞こえてきたのです。

その人は東側の群賊たちの「その道は嶮悪(けんあく)で死ぬに間違いないから、我々の所に戻れ」という誘惑の声に一顧だにすることもなく、「ただこの厳かな声に従って、信じ切って歩んでゆこう」と決意して、この炎の河と、逆まく水の河のわずかな隙間の白道を、一心にどんどん歩いてゆきました。

すると、いつしか炎は消え、逆まく波も消え、両側の河が消えて、現われてきたのは、天国のように本当に素晴らしい、穏やかできれいな景色でした。そこには、その人の懐かしい友人たちがたくさんいて、「よく来たねえ」とみんなで迎えてくれ、そして幸せな生活を送ったということです。

【大川隆法『宗教の挑戦』第3章「信仰は美しい」より抜粋】
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜・*:.:*・゜
◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に霊的真実と
主エル・カンターレの御存在を弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

■□■□■□■
。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
■□■□■□
E-mail:ise@sibu.irh.jp
□■□■□
https://hsise.com/
□■□■
TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

タイトルとURLをコピーしました