9 自分をほめ讃(たた)えるな。ほめ讃えるべきは、神お一人である。
【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】
おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
7月7日は主の御生誕日です。7月7日13時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館より中継します。当日の本会場の別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館に全国・海外支部の代表者が参集し、全国・海外の中継会場を結んで、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の式典とさせていただきます。7/7(日)~7/15(月・祝)まで、「御生誕祭」を開催致します。
7/14(日)は、御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。
御生誕祭に合わせて発刊予定の『地球を包む愛』ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal
ver.」を通して、すべての人の心を救済されようとしている主の大いなる愛を学び取り、エル・カンターレ信仰を深めると共に、天御祖神様の御名を全国・全世界に伝える決意を固めます。
この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
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さて、ここからは、常に主と共にあるために、教典『大悟の法』から第5章の「常に仏陀と共に歩め」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、法シリーズ七巻目の本書において「仏教の根本命題である「上求菩提・下化衆生」の一念を、この書に託した渾身の一冊として仏弟子に開示いただいています。主の御生誕祭に向けて、さらに神秘性と合理性、仏陀とヘルメスの併せ持つ力を日々の救世活動に生かし、「上求菩提・下化衆生」の両輪で、主の御手足としての使命を果たすために、しっかりと学んでまいります。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き2000円】
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■常に仏陀と共に歩め
4心の平和
○現代人が求めている「心の静寂」
仏教のもう一つの大きな特徴として、平和を非常に強く求める面があります。ここで言う平和とは、心の平和です。仏教は、心の安らぎというものに対して、この上ない価値を認めているのです。
三次元的に言えば、あるいは現代的に言えば、「これをやって、これだけの成果があがった」「これをして、〇〇を手に入れた」ということが、勝利感、達成感であり、幸福感であることが多いと思いますが、幸福はそういうものだけではありません。
仏教的幸福のなかには非常にクワイエット(静寂)な面があります。それは、「非常に静かな、穏やかな境地に幸福を感じる」というものです。ちょうど、山のなかの澄んだ湖面のような静寂です。「澄んだ湖面のように、波一つ立たず、鏡のようになっている、そういう心の状態に対して幸福を感じる」というところが、非常に大事なポイントなのです。
これは、忙しい現代人にとって、まったく正反対の価値観のようにも見えますが、本能的には、だれしも、それを求めてはいるのです。「非常に忙しく仕事をしているなかにあって、オアシスのような一時を求めている。しかし、手に入らずにいる」という人が大部分でしょう。
そのため、心のオアシスを求めて、ある人は宗教の世界に入り、ある人は学問の世界に生き、
ある人は自然に親しむことを趣味としているわけです。
現代人は、心の静寂や穏やかさといった平和な境地を楽しむことの大切さを、本能的に知っているのですが、それが実際にどれほどの価値を持っているかは、なかなか、つかみ切れていないのです。
○霊界の次元の大地をつくっているものとは
心の平和というものは、非常に深い価値を持っています。
霊界には、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元と、何重にも次元構造があり、各次元のなかに、さらに精妙に分かれた段階があります(前出、『太陽の法』第一章参照)。この次元構造の壁、あるいは次元の大地をつくっているものこそが、実は心の平和の部分です。
その世界に住んでいる人が、どれだけ平和な心を持っているかによって、次元が分かれているわけです。平和な心とは、別の言葉で言えば、揺れない心、不動の心です。そこに住んでいる人たちの心の波動、心の波長が一定しているところに、その霊界の階層ができてくるのです。
したがって、たとえ七次元の住人であっても、心が非常に揺れ、喜怒哀楽が大きくぶれてまるで地獄の鬼さながらの心境になったような場合には、たちまち、足元の大地がバカッと開いて、その人は下の次元まで落ちてしまいます。まるでエレベーターで降下するように、あっというまに転落してしまい、元の世界には住めなくなるのです。
そのように、心の平和を維持する能力が次元の壁をつくっているのです。そのため、一定のレベル以上、心の平和を維持する力がないと、その世界にとどまることができません。
下の次元に行くほど、想念は荒れ、心の波長が非常に荒れています。
四次元世界は三次元世界に近いところにあり、非常にこの世に近い波動を持っています。四次元世界に住んでいる人たちには、肉体がないのに、この世とほとんど同じような生活をしている人が多いのです。
また、地獄界にいる人たちは、ほとんど、この世的な価値観に惹かれている人ばかりです。彼らはこの世の地面への執着が取れず、そこから逃れられないでいます。彼は常に”重力”がかかっていないと生きていけないのです。
そして、地上の人間に取り憑き、地上の人間と同じような趣味嗜好(しゅみしこう)を持って生きている人がたくさんいます。憑依霊になって、五年も十年も二十年も、一緒に住んでいられるということは、憑依している相手と価値観がまったく同じなのだと思います。そういう生き方をしている人もいます。
彼らは、精妙な波動、安定した平和な波動とは、まったく正反対の生き方をしています。地獄には、条件反射的で非常に破壊的な、ガサガサした想念のなかに生きている人がたくさんいるのです。
【大川隆法『大悟の法』第五章「常に仏陀と共に歩め」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第五の経文である『解脱の言葉「仏説・八正道」』についてです。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』は、その名の通り、解脱に到るための道です。毎日読誦することで、心の浄化を図ることができます。禅定とは、本来、心静かに座禅して八正道を実習することであると教えていただいています。毎日、短い時間でも構いませんから、心静かに自分の心を見つめる時間をとってまいりましょう。
『解脱の言葉「仏説・八正道」』はこのように続きます。
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第三の 道は 『正語』の 反省なり
不妄語
不悪口
不両舌
不綺語
これが 四つの 指針なり
不妄語とは 嘘・偽りを 言わぬこと
特に 悟りは 偽るな
不悪口とは 他人の 悪口 言わぬこと
不両舌
二枚舌など 使わぬこと
不綺語とは
過ぎた お世辞を 言わぬこと
但し 仏敵 折伏には
勇気ある
批判と 智慧を 忘れるな
正語を 弱さと 捉えるな
理想社会の 建設には
積極性を 忘れるな
励ます 言葉を 忘れるな
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①不妄語
妄語(もうご)とはどういうことかを考える場合、いちばん典型的な例としては、統一教会を考えたらよいでしょう。あのように、「騙しのテクニック」でもって人を騙すやり方のことです。あるいは商売の法でも、人を騙して儲けようとする人が、時どきいます。「そのようなことはするな」と言っているのです。・・・
②不悪口
これは常識的なことですからよくわかると思います。ただこの不悪口と、正当な批判とは、分けて考えたほうがよいと思います。
正当な批判の中には、相手を生かす面があります。相手のことを、親身になって真剣に考えている場合には、正当な批判として言ってあげなければいけないこともあります。知っていても言わずに、そのままでいたために、相手の人が崖から転落することもあるので、その前に、「やめておきなさい」と言わなければいけないこともあるのです。
人生の失敗を見ていると、やめるべき時に、「やめなさい」というひと言を誰も言ってくれなかった、ということがほとんどです。あるいは、「やめるべきだ」と自分で判断できなかったために、失敗することが多いのです。
「あれもやりたい。これもやりたい」と思うことは、非常に光明的でよいのですが、「その道はやめておきなさい」「それはだめです」というひと言が、その人を救うことがあります。そうした忠告は、相手にとって耳障りなので、言いにくいのですが、やはり、「その道は行き止まりです。やめておきなさい」と言ってあげるべきなのです。
たとえば、友人が「脱サラ」をして、事業を起こそうとしているとします。しかし、その人の経験や見識、力量、評判などを見ると、「これは失敗するのではないか」という感じが自分にはしたので、「どのようになして、その会社を起こすのですか」と訊いてみたところ、「銀行から借金して、事業を起こします」と、その友人は答えたとします。
次に、「事業計画はどうなっているのですか」と訊くと、「一年目には、これぐらいの収入があるでしょうから、借金をこのぐらい返済して、三年以内には黒字に転換していけるはずです」と答えたけれども、「そんなうまい話があるはずはない。新規に商売を始めて、そんなにお客が来るはずがない」ということが、自分には直観的にわかったとします。
そこで、「これはだめだ」と思ったら、「あなたの資金計画は甘い。客がその半分ぐらいしかいないと思って計画を立て直し、それでもやれるぐらいでないと、今はやめておいたほうがいいですよ」と言ってあげなくてはいけません。あるいは「銀行から金を借りるというが、あなたは貯金をどのくらい持っているのですか」「そうですか。十年も働いて、それだけしか貯金が貯まらないのですか。そんなことでは、この事業は成功しないのではないでしょうか」と、相手にとっては嫌なことでも、言ってあげなければいけないこともあります。それが、その人を救うことがあるのです。
逆に、それを言わなかったために、子供は学校へと行かなくなり、奥さんは里に帰るというように、一家が不幸になることが現実に起きるのです。これが、一年後に相手の人を待っている姿かもしれないのです。
もちろん、脱サラをして成功する人も、なかにはいますから、「この人は成功するかもれしない」と思える人に対しては、「応援するから頑張れ」と言ってあげないといけないこともあります。
しかし、「会社でうまくいかないので腹が立った。一旗揚げてやろう」と、反逆の気持ちから飛び出す人がいますが、この場合には、たいてい失敗します。会社でも非常に評判がよくて、成功しているような場合には、独立して事業を起こしても成功する可能性がありますが、評判が悪くて会社からたたき出されるような人が独立しても、普通はあまりうまくいかないものなのです。
こうしたことを人生の智慧として学んでくると、他人に対して、厳しいことでもだんだん言えるようになります。ですから、厳しくて少し耳が痛いことでも言えるようでないと、真に人を導くことはできないということです。これは大事なことです。
それから、知性があまり高くない方、あまり頭の好くない方に対しては、お世辞を言いすぎてはいけません。そうした方の場合は、ほめると転落するケースがきわめて多いので、気をつけてください。
当会の会員は、みんな本当に人が好くて、よく人をほめるのです。ですから、いままでほめられたことのない人は、当会の支部集会に来たりすると、いろいろな人たちにほめられるものですから、気分がよくなって、なんとなく有頂天になったりしてしまいます。そして、自分がとてもよくできるようになったと錯覚したり、悟ったようなきになったりして、転落する人がいるのです。
ですから、ほめすぎるよりは、その人の間違っているところ、すこし気になるところを、指摘してあげたほうがよいこともあるのです。このへんの親切心が足りないために、相手をだめにすることもあります。
これは、後で述べる「不綺語」などもそうです。「お世辞」とも言いますが、少し気をつけたほうがよいかもしれません。
【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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主におかれましては、正語についてこのように教えていただいています。
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・正語と正思の兼ね合い
当会は、正語について比較的、いろいろなことを教えています。
私は今回、わりに早い段階、最初の悟りを得る段階において、八正道というかたちではありませんでしたが、正語のところに反省が入りました。私は、正語のところで、ずいぶん苦しみ、いろいろなことを考えたので、正語に対しては思いが深いのです。(注・今世、悟りを開いたときの順序として「正語」を八正道の第二番目として説明したこともある。『「悟りの発見」講義 宗教法人幸福の科学刊 参照』
正見は、前述したとおり、意外に難しく、初期の段階、悟りを開く前の段階で、「正しい信仰」「正しい信条」「正しい見解」などと言っても、そんなにスパッとはわからないものなのです。しかし、正語のほうは、わりと簡単に反省できます。
なぜなら、「正しく語ったかどうか」ということは、この世の法、ルールと、それほど大きく変わらないことだからです。
言葉をどう使ったかを点検して、正思との兼ね合いで、「正しく考えたかどうか」ということを点検していくと、よくわかるのです。心のなかで思ったことというのは、なかなか点検しにくいのですが、外に出たものは、わりによく分かります。自分が発した言葉と、人から受けた言葉を分析していくと、心のあり方はよく分かってきます。
正語の反省は具体的なので、初心者にとっても、比較的やりやすいだろうと思います。
【大川隆法 『八正道の心』より抜粋】
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日々の日常生活では、正しい言葉を使わない、または、使えないがために人間関係を見事に壊してしまう人が絶えません。正しい言葉―正語をつねに心がけましょう。これだけで、家庭に、仕事場に、支部に、調和が生まれます。正しい言葉遣いを考えるために、正しくない言葉の代表である四つの口から出る災い【妄語・悪口・両舌・綺語】を日常生活から徹底的になくすことを心掛けましょう。心が乱れるときは、口を閉じて沈黙を守ることも一つの智慧ではないかと思います。
そして、正しい信仰の立場で、正見ができ、考え方や判断が仏の御心にかなう正思ができるならば、口から出る災い【妄語・悪口・両舌・綺語】の反対である光の言葉を常日頃使えるように努力しましょう。
・嘘偽りではなく、素直で正直な言葉を使うこと。【不妄語】
・他人のあら捜しではなく、人のよいところを祝福する言葉を使うこと。感謝を口にすること。【不悪口】
・他人を仲たがいさせるような言動を慎み、人と人とが支え合い、結びつける愛ある言葉を遣うこと。不両舌
・他人を利用しようとする下心からお世辞・おべっかを使うのではなく、相手に対して、本心から誠実な言葉を使うこと。不綺語
言葉の力で、私たちはユートピア世界を家庭に、職場に、支部や拠点・布教所にもたらすことができます。心の平和は言葉から創られると言っても過言ではありません。
嘘のない、悪口のない、二枚舌のない、誠実な言葉を一日の枠の中で数多くつくることで、自分の身の回りをユートピア世界に変えることができます。言葉にはそれだれの力があります。その言魂の力を呪いではなく、祈りの力に変えて、主のため、世のため、隣人のために使いましょう。これも重要な日々の人生修行です。ともに頑張りましょう。
幸福の科学で教える「人生の問題集」の解き方の基本は、「四諦・八正道」の一言に尽きます。人生の諸問題を解決するプロセスには4つあります。それが「苦・集・滅・道」の四聖諦です。そこで示された解脱(滅諦)への道、つまり悟りへの道とは「八正道」による中道の道です。それが、「正見」「正思」「正語」「正業」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つからなる仏へ道です。「八正道」は主からいただく光―法力にバランスを与えてくれます。八正道こそが仏教の奥義にあたる修法です。修慧は、知識(聞慧)や、考えを深める(思慧)を習慣化すること(修慧)によって得られる法力です。繰り返し習慣化できるまで共に粘り強く頑張りましょう。
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。
【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。
災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする 信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。
【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。 その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。
【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】
「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史
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