(4/23-1)113『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む ⑭信仰とは何か―最高の政治とは「神仏の理想」を実現すること

『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む

97 「人望とはなか」が、企業トップの悟りである。

98 経営の悟りは、「国家経営」から、「地球の繁栄」にまで及ぶ。

【箴言集『仕事への言葉』より】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

430日は幸福実現党の立党記念日です。2009430日、大川隆法総裁先生がこの国の国難を救うべく、幸福実現党宣言をなされて、「幸福実現党」を立党しました。主に心よりの感謝を捧げます。

427日には、伊勢支部や精舎を衛星中継にてつないで、11:00より幸福実現党立党周年記念大会を開催いたします。皆様、万難を排して伊勢支部にご参集ください。

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そこで、本日からは、幸福実現党立党の精神を振り返るべく、教典『宗教立国の精神』より第一章『天命を信じよ』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。経典をお持ちでない方は、全国の書店、支部や精舎にて拝受ください。【2000円(税抜)】

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〇最高の政治とは「神仏の理想」を実現すること

私たちにとって、何よりも大きな武器は何であるかと言うと、「実は、私たち幸福の科学こそが、政治の源流に立っている」ということです。

現代においては、民主主義が、最高の政治形態であり、そして、人類の発展の最終形態であるかのようにも言われています。

しかしながら、民主主義政治というものは、一種のフィクションによって成り立っているものです。「本来は、神仏から委ねられた人が、神仏の念いを実現し、現実の政治をなしていく」というのが理想の政治ですが、現実には、神仏の声、神仏の考えが分からないがために、その代用品として、「投票を通して民の声を聴き、多数を占めたものが、神仏の考えと同じであろう」という擬制(ぎせい)を用いているわけです。

そうしたフィクションの上に成り立っているのが民主主義政治なのです。

それが、今、「民の多数の声が神仏の声である」というフィクション、擬制の部分が取り除かれて、「神仏の真なる願いや考えが、どこにあるか」ということが、明確に発信させているのです。

それは、とりもなおさず、私たちが、「政治の源流に立っている」ということを意味します。選挙の結果によって神仏の声を占うのではなく、神仏の考えを、その声を、直接に民衆に伝えることができる立場に立っているのです。

すなわち、民主主義は、暴君による暴政から民衆を護るための最低限の砦として、最悪を防ぐという消極的な意味で肯定されてきましたが、私たちは、最高の理想である「神仏の理想」を実現するという意味で、民主主義をも超えた政治をなしうる立場に立っているのです。

大多数の政治家は、「凡庸なる人たちが、少し努力をして人々に認められた」というあたりの立場にいて、そういう人たちが、よりあって政(まつりごと)をしているのが現実です。

「多数決の原理においては、必ずしも、政治的資質や才能や徳力のすぐれた人が選ばれているわけではない」ということは、みなさんも実例を通して知っているはずです。

民の多くは、立候補者の個人的能力、見識、徳力を測るところまでは行かず、政党名を見て、「この政党が推薦しているなら、よい人ではないか」と、間接的に選んでいるのが現実です。

そして、「どの政党を支持するか」ということは、新聞、テレビ、週刊誌等の各種マスコミによる情報操作に委ねられているのが現状です。

したがって、今、私たちは、「真なる善悪とは何であるか」「真なる地球的真理とは何であるか」「真なる未来のあり方とは何であるか」ということを、人々に示さなければならなくなっています。

【大川隆法『宗教立国の精神』第一章『天命を信じよ』より抜粋】

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、これまで、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』をともにじっくりと読ませていただきました。

『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。

私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。

本日は、信仰の原点に立ち返りまして、経典『信仰のすすめ』の質疑応答から抜粋をお届けして、自らの信仰心を振り返る機会とさせていだきたいと思います。

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「三宝というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。

参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】

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〇信仰とは何か

・信仰とは、どういうものか

【質問】信仰は、地獄ができてから始まったものでしょうか。それとも、地獄ができる前からあったものなのでしょうか。

信仰とは、どのようなものなのか、教えてください。

信仰とは「私は仏の子です」と言えること

少し逆説的な言い方ですが、かつて私は「信仰とは事実の確認である」と述べたことがあります。

その言葉の真意は、「この大宇宙は根本仏が創ったものである。大宇宙のなかで、人間をはじめとした、いろいろな生き物を生かそうとする、根本仏の意志があって、生命が生まれた。根本仏が大宇宙を創りそのなかに生命を生み、育んでいる。その生命が、現象界でのさまざまな魂修行をしている。そのなかで転生輪廻もある。その事実の確認をすることが信仰にほかならない」ということです。

この考えからすると、信仰とは、人間が地獄に堕ちるようになってから始まったことではないのです。もっと根本的なものです。

結局、信仰とは、「あなたは誰ですか。どこの家の子ですか」と訊かれ、「私は〇〇家の子です」と答えているのと同じようなことなのです。すなわち、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は仏の子です。私の親は仏です。神と言われこともありますが、仏が私の親です」と言えることが信仰です。

したがって、「自分自身を知る」ということが、実は信仰の「馴れ初め」なのです。

信仰は、天国・地獄が分かれてから起きたことではありません。しかし、地獄ができ、地獄に堕ちる人がかなり増えてきたために、信仰の必然性、必要性は、ますます高まってきています。

要するに、信仰とは命綱のようなものなのです。信仰のロープを伝って、元なる親のところに帰ろうとしているわけです。そのため、地獄ができて以降、さらに緊急性が増し、信仰はいっそう大事になってきたということです。

〇信仰は人間の存在の前提条件

逆説的ですが、この世が住みよくなればなるほど、信仰は失われていくものでもあります。現代のように、文明が発達し、便利になってくると、この世も、わりに住みやすくなってきます。そうすると、「昔、ご恩を受けた」ということを忘れてくるわけです。・・・

本当に恐ろしいことです。「真実を知らない」というのは怖いことです。

そのように、現代の人々には、「利口バカ」というか、「利口になって、かえってバカになった」というような面があります。「いろいろなことを知った反面、肝心なことを知らない。問題集の最初に出てくる、一番大事な簡単なところを知らない」ということです。

信仰というものは、元からあるもので、人間の存在の前提条件です。人間が人間として生かされていることの前提条件なのです。それを踏み外した人が、地獄という、本来であれば行かなくてもよいところに行っているのです。

〇まず、生きている人を救う

いま、幸福の科学では、先祖供養などによって、「地獄へ行った人を救う」ということもしていますが、これは対策が後手に回っている状況です。地獄に堕ちてからでは遅いので、地上に生きているうちに救わなければいけません。

この世で生きているうちに、信仰心を持って正しく生きれば、地獄に行く必要はないのです。まず、生きている人が、しっかりと信仰を持つことが大事です。世界の大宗教を見ても、すべて、生きている人のための教えです。死んだ人のための教えは説かれていません。

まず、生きている人を救うことです。そうすれば、あの世へ行ったときに間違いがありません。まず、生きている人を救うことが大事であり、そのための教えがあるのです。

現代の日本では、「半分以上の人が地獄に堕ちている」という状況です。しかし、「日本のすべての人が、一冊は私の著書を読んだことがある。一回は私の説法を聴いたことがある。一回は幸福の科学のセミナーに出たことがある」という程度にまで、私の説く教えが普及すると、地獄に行く人もずっと減って二、三割、あるいは、一、二割の人しか地獄に行かなくなるでしょう。

さらに、世の中が、仏法真理の本を何冊も読んで勉強し、その教えを実践して、「人々を幸福にしよう」と頑張って生きている人で満ちてきたら、ほとんどの人が地獄に行かなくてもよくなるのです。

それは、そんなに難しいことではありません。簡単なことです。必要なのは、価値観の転換です。信仰心を持つことです。すなわち、「仏がおられ、人間は仏の子なのだ」ということを知り、仏の子としての生き方を実践するだけで、地獄に行かなくて済むのです。そんなに難しいことではありません。

もう一押しです。人々に真実を知ってもらい、その真実の下に生きてもらうことです。そうすれば、人々は地獄に行かなくて済むのです。

真実を知らないために何百年も地獄で苦しんでいる人々がいるのです。かわいそうで、見ていられません。この世で一定の地位を持ったりして普通に生きていた人たちが、地獄に堕ちて苦しんでいるのです。

これは、地上の人間の努力によって救えることなのです。

人類全体に対して、民族全体に対して責任をとる態度とは、一体なんでしょうか。それは、やはり、真理を弘めること、伝道することです。

生きているうちに教えてあげなければいけません。死んでからでは、なかなか大変なのです。

信仰とは、もともとあるものであり、事実の確認でもあります。また、信仰とは、「『あなたは誰ですか』と訊かれて、『私は仏の子です』と言える」ということでもあります。そう言える人々で満ちた世の中をつくりたいのです。

【大川隆法『信仰のすすめ』第三章より抜粋】

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どうか、「本物の信仰」をつかみ取ってください。

そのなかで、「方便の信仰」との違いや差をよく分かっていってください。

みなさんの活動のなかには、この世的なレベル、常識レベルでの活動も多いと思いますし、それをも「宗教活動」と称していることも数多くあるとおもいます。その全部を否定できるものではなかろうと考えますが、最終的には、やはり、「信仰が残らなかったら、すべては虚しい」ということを知っておいていただきたいと思います。

どうか、「信仰」の二文字を持って、この地上を去ってください。

【大川隆法『本物の信仰』第二章「本物の信仰」より】

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最後に『永遠の仏陀』より抜粋いたします。

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〇魂の親を知れ

そう、当然のことでもあろう。

生まれてきた赤子は、自分の父がだれであり、母がだれであるかを、

知ろうとするではないか。

父母なるものを知ることなくして、

人間として生まれ、育つことは、

この上なく悲しい事実である。

教えられなくとも、

小さな小さな赤子は、

母を求めて泣くではないか。

そうして、父の名を呼び、母の名を呼び、

自分を庇護するものが、いったい誰であるかを、

知るではないか。

それは教えられてではない。

生きているということ自体が、

生きてゆくという行為そのものが、

生かされているということを知ること自体が、

みずからの親がいったい誰であるかを、

知ろうとするのだ。

そうであるならば、

川に流るる流木ならばいざ知らず、

生命(いのち)ある、血のかよった人間であるならば、

自らの生命が、だれによりて与えられたものであるかを、

知りたいと願うのが当然であるのだ。

そして、魂の親である仏を知った時に、

もはや、子供である人間は、

その親の名を呼ばずして、生きてゆくことはできなくなるのだ。

したがって、目覚めたる人間たちは、

「仏よ、仏よ」と、

毎日、その名を呼びて、やむところがない。

まるで、赤子が、毎日、父母の名を呼ぶように、

「仏よ、仏よ」と呼びて、

そして、その言葉を語ることに飽きることはないのだ。

あなたがたも、

この地球という小さな星に生れ落ちたる、

ささやかな生命(せいめい)たちではないか。

そうであるならば、

求めよ、求めよ。

あなたがたの魂の親に、

求めるがよい。

すべてのものを求めるがよい。

すべてのものが与えられるであろう。

いや、与えられているであろう。

あたえられていることに気づくには、

親の存在を知ることだ。

仏の名を呼ぶことだ。

【大川隆法『永遠の仏陀』第一章「目覚めよ」より抜粋】

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について

2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。

本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  

奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】

また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。

神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】

「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰

天御祖神とともに―

伊勢から世界に伝える強い信仰

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| 人を愛し人を生かし人を許す

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TEL0596-31-1777

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FAX0596-31-1778

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文責:蒲原宏史 

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