(4/20-1)110『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む ⑪教団に所属することの意義―これから本当の「日本の時代」がやってくる 

『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む

90 誠実でない人を、次のリーダーにしてはいけない。

【箴言集『仕事への言葉』より】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

421日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013421日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、御法話『信仰心と国を愛する心について』でいただきました質疑応答を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。

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【質疑応答】神道に従事する人々へのメッセージ(前回の続き)

〇これから本当の「日本の時代」がやってくる

いずれにせよ、日本には、優れた神々が数多く降りたと思いますが、今後、もし日本が衰退していくことになれば、神々は行き場をまた探さなければならないわけです。

例えば、中南米のように、一度、文明が滅びたような場所がありますが、そういうところには、かつて神々がいたとしても、きっと、今はもう散ってしまって、いないでしょう。

あるいは、古代エジプトも、クレオパトラの代で最後になるまでは、ずいぶん長く続きました。おそらく、昔は巨大霊界があり、多くの神々がいたはずですが、それも今はヨーロッパやいろいろなところに散っていると思います。文明が滅びると、そのようになるわけです。

ただ、私は、「まだ本当の日本の時代は来ていない」と思っています。これから最後の仕上げをし、本当の日本の時代が到来するのではないでしょうか。世界の歴史は、われわれが書き換えていかなければならないと思っています。

大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第四章「質疑応答」より抜粋】

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれています。また、信仰についてさらに重要な経典が『本物の信仰』です。これらは「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。お持ちでない方は、絶対にいただいてください。お勧めしています。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』についてです。

『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。

私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。

それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介したのち、解説を加えます。

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「三宝というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。

参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】

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菩提心の言葉『修行の誓い』

仏弟子 ここに 集えるは

三宝帰依を 誓うため

三宝 すなわち 仏・法・僧

仏とは 仏 仏陀なり

法とは 仏の 教えなり

僧とは 仏の 御弟子なり

仏陀ありてこそ 法はあり

法ありてこそ 僧団(さんが)あり

僧団(さんが)は 理想の 担い手なり

仏国土への 導きなり

仏弟子 ここに 誓えるは

三宝を 篤く 敬いて

帰依の心を 示すため

仏・法・僧は 光なり

心を 照らす 鏡なり

帰依は 仏を 頼りとし

法の 力を 信ずるなり

僧団(さんが)の 規律を 守るなり

われら 仏陀の 教団は

三宝帰依を 最初とし

三宝帰依を 守り抜き

永遠なる 誓いと するものなり

ああ

生命は 永遠なり

仏陀と ともに 永遠なり

仏陀と ともに 下生して

久遠の 法を 伝えるなり

地上を 去りても 永遠に

仏陀の 法を 学ぶなり

師弟の 契りは 永遠に

来来世まで 続くなり

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本日は、信仰の原点に立ち返りまして、経典『信仰のすすめ』の質疑応答から抜粋をお届けして、自らの信仰心を振り返る機会とさせていだきたいと思います。

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「三宝というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。

参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】

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〇信仰とは何か

・教団に所属することの意義

【質問】「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉を聞いたことがあります。その言葉に従うならば、教団に所属してはいけないように思います。信者となって教団に所属する意義を教えてください。

独りで学ぶ人は「野狐禅」(やこぜん)に陥りやすい。

ご質問のような考えを「野狐禅」といいます。それは、悟ったような雰囲気を楽しんでいるだけの状態です。言葉を換えれば「生悟りです」「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉を知って、「では、団体に所属してはいけないのだ」と考えるたぐいのことを「生悟り」というのです。

あなたは、「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉の意味がわかっていません。独学で、自分独りで本を読んでいるだけだと、えてして、自分に都合よく物事を考えてしまうのです。

「人につかず、組織につかず、法につけ」という言葉は、「法を説いているときには、その人の説く法に従いなさい。法を説く人が亡くなった時には、その人が遺した教えに従いなさい」ということを意味しています。

これは、「自灯明・法灯明」という、仏教の教えです。仏教では、昔から、「仏陀が生きているときには、仏陀の教えに従いなさい。仏陀が地上を去ったときには、仏陀の遺した法に従って、各自が自分で心に灯をともして生きていきなさい」と教えているのです。

ある言葉をそのまま字義どおりに受け取ることは簡単なのですが、それでは往々にして誤解することがあります。

神剣に教えを求める気持ちがあるならば、きちんと指導者につくべきです。そうしないとわからないことがあるのです。

「仏・法・僧」の三宝に帰依せよ

仏とは、仏陀、悟りたる人のことであり、法とは、仏陀の説く教えのことであり、層とは、仏弟子の集団、サンガと、そのルールのことです。

信者になって、サンガに帰属すれば、自分にはわからないことを周囲の法友たちが教えてくれるようにもなります。

それにもかかわらず、「私は自分独りで悟りますから」という人は、「独覚」(師なくして独りで悟り、目覚めること)の悟りをめざすことになるわけですが、その悟りは、ある程度のところ以上にはいきません。

やはり、信者となってサンガに帰属し、指導者の下で法友と共に学んでいくほうがよいのです。

【大川隆法『信仰のすすめ』第三章より抜粋】

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ここで、「三宝帰依の大切さ」について経典から引用いたします。

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あなたがたに説く「本物の信仰」とは何かというと、それは、すべての宇宙の秘密に迫りつつ、みなさんが現在ある理由、そして、「今どこにいるのか」ということを知らしめるところまで行く教えです。

その教えを説けるのは一人しかいません。それを、今、「エル・カンターレ」という名で呼んでいます。「エル・カンターレの法」は、ただ一人しか説けないのです。

「エル・カンターレ」と「エル・カンターレの法」と、「エル・カンターレの法を、まっとうに護持していこうとしている集団、僧団」に対する帰依の心をお持ちください。

その法は、帰依しないかぎり学ぶことができないものなのです。この世の学校では、まったく教えてくれません。この世の学者は教えてくれないのです。また、他の宗教でも学ぶことはできません。

ましてや、テクノロジーの進化によってそれが解明されることは、絶対にありえないのです。テクノロジーには限界があり、この世の利便性を増すことはできても、宇宙の理法にまで絶対に届きません。

これは「信仰のみ」によって知ることができるものなのです。学問は最後には信仰によって乗り越えられなくてはいけないものであるわけです。

【大川隆法『本物の信仰』第二章「本物の信仰」より】

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〇百パーセントの信仰

このように、地上に降りたる仏陀への帰依の姿勢があってこそ、

はじめて法というもは説かれてくるのだ。

仏陀への帰依の姿勢なくば、真実の法は説かれない。

疑いのなかで真実の法は説かれない。

疑いのなかに広がるものは悪魔の領域である。

悪魔はいつの時代も、人々の疑いのなかに入り込み、

人びとの疑いのなかに入って、お互いの意見を合わなくする。

お互いにわけのわからないことを言わせ、仲たがいをさせ、

そして、引き裂いてゆく。

信仰を引き裂こうとする。

信ずる者の心をかき乱そうとしてゆく。

しかし、人びとよ、決して迷ってはならない。

決して迷ってはならない。

自分の小さな頭で何が分かるか。

自分の小さな頭で理解したところで、いったい何が分かるか。

小賢しい知恵で何がわかるか。

なにゆえに、そのような小さな頭で、

なにゆえに、そのような小さな知恵で、

仏陀の叡智を量(はか)ることができるか。

仏陀を送りたもうた人格大霊の意図を見抜くことができるか。

自らの小ささをあざ笑うがよい。

自らの小ささを卑下するがよい。

そのような立場に、今、自分がいないということを知るがよい。

疑いは、これは悪魔の心。

猜疑(さいぎ)もまた悪魔の心。

恐怖もまた悪魔の心。

このような心をもって探求とは言わない。

仏法真理を学ぶ者には、探求の姿勢が大事だ。

探求の姿勢とは、猜疑の姿勢ではない。

探求心とは、猜疑心ではなく、疑念の心でもない。

そのような心が起きた時、

もはや修行の途上にはないと言わざるをえない。

そのような時、その者はもはや修行者とは言われない。

修行者たちよ、

諸々の比丘、比丘尼たちよ。

もし、そなたがたのなかに、信仰にて迷いがあるならば、

静かに群れを離れて、心穏やかになるを待て。

その時を待て。

決して、何も批判を口にしてはならない。

静かに自らの心を平らかにして、過去の自分をふり返れ。

そして、自分がどれほど多くの光を、多くの愛を、

与えられてきたかということを感謝せよ。

そのことを感謝せずして、みだりに疑いをはさみ、

みだりに人の心を迷わせてはならない。

そのような心と行為は、

最も地獄に近いところにあるということを知らなければならない。

もし、四十年間仏陀に仕え、

その法をよく護持し、人びとを導くとも、

最後の一年において、仏陀の法を疑い、これを攪乱(かくらん)し、

そして人びとの心を迷わしたとするならば、

その者、必ずや地獄に堕ちん。

そのようなものである。

信仰とは、百パーセントの信仰にして、

九十九パーセントの信仰はありえないのだ。

九十九パーセントの信仰はゼロに等しい。

信仰は、百パーセントを求める。

それは、仏がすべてであるからだ。

仏はすべてであるからこそ、百パーセント信じなければ、

すべてを得ることはできない。

たとえ、九十九年の人生を信仰に生きても、

最後の一年において、間違いたる唯物論者となって生きたならば、

その者、必ずやまた地獄に堕ちん。

かくのごとき厳しいものがあるということを、知らなければならない。

【大川隆法 『仏陀再誕』 第七章「信仰と仏国土建設への道」より抜粋】

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。

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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について

2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。

本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  

奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】

また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。

神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

【神戸正心館建立祈念―エル・カンターレ像開眼祈念植福―植福のご案内】

「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」は、一口十万円目安から承ります。また、本植福の貢献者の皆様方は、神戸正心館建立時に芳名板を設けて、そのご貢献を顕彰させて頂きます。

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100%エル・カンターレ信仰

天御祖神とともに―

伊勢から世界に伝える強い信仰

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| 人を愛し人を生かし人を許す

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TEL0596-31-1777

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FAX0596-31-1778

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文責:蒲原宏史 

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