(4/18-1)108『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む ⑨仏性と成仏―明治維新以前から文化的高みを持つ日本

『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む

84 危機管理は、常にトップが最高責任者である。

【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、伊勢支部御巡錫御法話―『信仰心と国を愛する心について』法話後の質疑応答を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『信仰心と国を愛する心について』
〇神道に従事する人々へのメッセージ
【質問】
伊勢では、神道に従事する神職の方々や神道を旨とする人々も多くいますが、そうした方々に、エル・カンターレ信仰へとつながるよきメッセージを頂けたらと思います。
(前回からの続き)

〇明治維新以前から文化的高みを持つ日本
その理由の一つは、それだけ精神性の高い人たちが、連綿と生まれ続けているということだと思います。

例えば、二〇一二年に「天地明察」という映画が公開されましたが、これは江戸時代に、本職は碁打ちだった人が暦(こよみ)をつくる話でした。天文を見ながら全国を測量したり、「日食が起きるか、起きないか」と言ったことを観察したりしながら、当時、中国から伝わった三つの暦が正しいか正しくないかをチェックし、まったく新しい暦をつくるわけです。

その映画には、主人公の知人として、数学者の関孝和(せき・たかかず)が出てくるのですが、この人は江戸時代の日本で、いわゆる微分・積分に当たるようなものを、独自につくっていたと言われています。これは、世界的に見て、そうとうすごいことでしょう。

それを考えると、日本は、明治維新からあとに文明開化したわけでも、第二次世界大戦で敗北してからあとに発展したわけでもないことが分かります。江戸時代にであっても、日本人はそうとうな高みを持っていたということです。

また、それ以前の関ヶ原の大戦では、東西あわせて二十万人もの大軍が戦っています。これは、「当時、世界最大の戦争だろう」と言われているし、そのときに使われた鉄砲の数も、世界最多だったらしいのです。つまり、世界最強の軍隊が東西に分かれて、日本でぶつかっているわけです。

さらに、平安時代の文化レベルなどについても、おそらく世界最高級のものであったと思います。

【大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第四章「質疑応答」より抜粋】
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このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれています。また、信仰についてさらに重要な経典が『本物の信仰』です。これらは「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。お持ちでない方は、絶対にいただいてください。お勧めしています。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』についてです。

『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。

私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。

それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介したのち、解説を加えます。
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「三宝というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。

参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】
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それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介します。
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菩提心の言葉『修行の誓い』

仏弟子 ここに 集えるは
三宝帰依を 誓うため
三宝 すなわち 仏・法・僧
仏とは 仏 仏陀なり
法とは 仏の 教えなり
僧とは 仏の 御弟子なり
仏陀ありてこそ 法はあり
法ありてこそ 僧団(さんが)あり
僧団(さんが)は 理想の 担い手なり
仏国土への 導きなり
仏弟子 ここに 誓えるは
三宝を 篤く 敬いて
帰依の心を 示すため
仏・法・僧は 光なり
心を 照らす 鏡なり
帰依は 仏を 頼りとし
法の 力を 信ずるなり
僧団(さんが)の 規律を 守るなり
われら 仏陀の 教団は
三宝帰依を 最初とし
三宝帰依を 守り抜き
永遠なる 誓いと するものなり
ああ
生命は 永遠なり
仏陀と ともに 永遠なり
仏陀と ともに 下生して
久遠の 法を 伝えるなり
地上を 去りても 永遠に
仏陀の 法を 学ぶなり
師弟の 契りは 永遠に
来来世まで 続くなり

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菩提心の言葉『修行の誓い』は英語経文ではこのように訳されています。
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■Words of Aspiration for Enlightenment■
―The Pledge of Discipline―

We, Buddha’s disciples, have gathered here
To pledge our devotion
To the Three Treasures
The Three Treasures are Buddha
Dharma and Sangha
Buddha is the Enlightened One
Dharma is Buddha’s teachings
Sangha is a group of Buddha’s disciples
Only when there is Buddha
Can there be Dharma
Only when there is Dharma
Can there be Sangha
Sangha is the vehicle of our ideals
The guide to the Land of Buddha
We, Buddha’ disciples. Have so pledged
To sincerely respect the Three Treasures
And to show our true devotion
Buddha, Dharma and Sangha are the light
The mirror that reflects in our minds
Devotion is trusting in Buddha
Believing in the power of Dharma
And following the ways of Sangha
We, In Buddha’s order
Begin with devotion to the Three Treasures
Abide by this devotion the end
And embrace it as an eternal pledge
O, life is eternal
With Buddha, our life is eternal
With Buddha we descend to earth
And convey to others the eternal law
We will continue to learn Buddha’s law
For ever
Even when we have left this earth
The bond between master and disciple
Lives on for ever
Through all our future lives

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〇仏性と成仏
この「仏性と成仏」というのは、結局、一人ひとりは人間として仏性を持っているかどうか、ということですが、これは持ってはいるのです。持ってはいるけれども、「仏性を持っていることが、すぐに仏になれる、あるいは仏になった、ということにはなりません」という、ごく当たり前のことを言っているのですが、しかし、この当たり前のことが、現代まで伝わっている仏教の諸教団ではわかっていないのです。ですから、「死ねばすぐ仏さまになる」などという思想は、ここから来ているのです。

「仏性を持っているから、死んであの世に還れば、すぐ仏様になる」―こういう考え方がありますが、この原点にあるのが、「天台本覚思想」というもので、これは最澄あたりから始まっています。いいほうで見れば、非常に勇気の原理、愛の原理になり皆を平等に観ようという考え方になるのですが、悪いほうにいくと、これはもう完全に堕落論につながるのです。「もうそのままで仏様になれる」と言われたら、みなさんだって、修行しなくなるでしょう。【※最澄は残念ながら現在、地獄で反省中です】

やはり、そういうものではありません。釈迦人の悟りを見ても、きちんと修行をしながら、悟りを深めているのです。本師であってそうなのですから、ましてや末法の時代におけるその弟子、あるいは弟子の又弟子たちが、修行しないで悟れるはずもありません。そういう光の性質をもともと持っていたとしても、それはあくまで性質であって、それを磨かなければ、そういうものは顕現しないものなのです。・・・

ただこの天台本覚思想というものがあって、「もともと悟っているのだから、修行は要らない」というような考えが、かなり日本の仏教界を毒して堕落させました。それで、鎌倉期に色々な宗教改革なども起きました。・・・

ですから、仏性成仏のところは怖いのです。「皆さんに仏性があります」ということは、勇気の原理で非常にいいことだし、人間を平等に観る意味でも非常にいいのだけれども、しかし、人間は努力しないと結果が違うのは当たり前です。・・・

人間としては、同じような価値は持っているけれども、その努力の結果によって、やはり、それぞれに道が開けていきます。それを認めるのは公平な考え方なのです。

これを認めなければ、魂修行そのものが成り立たないのです。生まれつき人間は一緒だったら、魂修行という考え方自体が成り立ちません。それでは、この世への生まれ変わりのシステムそのもの自体が、もはや成り立たないのです。やはり、この世で修行したことによって、人それぞれに行く境涯が違う、その幸福の道が違ってくるということが、修行の前提なのです。

【大川隆法 『三法帰依とは何か』会内経典より 引用】
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最澄以降の比叡山の天台本覚思想で、「人間はみな、もともと仏なのだから、悟った存在なのだ。みな、仏になれるのだ」という教えが出てきて、この影響は、比叡山から出た各宗派のなかに深く入り込んでいます。これが長く続いたために、成仏の思想が非常に低いレベルのものになってきたのです。

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最澄以後の天台本覚思想は現世そのものを肯定し、腐敗と堕落を生む方向へ向かったのは歴史的事実です。このせいで、その後の千数百年間、日本の仏教の流れのなかに、間違いなくこの毒水が流れているのです。ここから修行論がなくなっていく流れが出てきて、現代の新宗教のなかでも、御利益宗教には、このように成仏を甘く解釈する思想がそうとう流れています。この毒水の源泉は「悉皆成仏」のところにあるのです。

【大川隆法『悟りの挑戦(下巻)』第6章 仏性と成仏より 引用】
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〇 仏性とは何か
「新宗教であれ、伝統宗教であれ、共通した傾向性として、「仏性という思想について誤解をしている」ということがあると思います。つまり、「悟りを得るということを、非常に簡単なことのように考えているのではないか」ということです。要するに、「みんなが努力して仏にならなければいけない」という考え方から、仏の基準を引き下げてしまうことによって、「だから、みんな仏になれるよ」と言っている、そういうところがあるのです。
【大川隆法『心の挑戦』/第2章 「仏性とは何か」より 引用】
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本日の引用箇所を学べば、三宝帰依を誓うことは、魂修行の始まりであることがよくわかります。菩提心とは、信仰心を意味する仏教用語ですが、「仏」「法」「僧」の「三宝」を人生最高のものとして、仏に誓うことが菩提心始まりであり、「修行の誓い」であるということです。

経典『秘密の法』によって、法力をどのように得て、人生に活用するか。について学びましたが、その法力の源になるのが「三宝帰依」であることは間違いのない事実です。

三宝帰依は、私たち一人ひとりが光と一体であること、つまり、「私たちが、主なる仏陀と一体となること」「仏陀の教える法と一体となること」「サンガ(幸福の科学)と一体となること」を誓う信仰心を形有らしめたものであり、私たち人間にとって最も尊いものです。それを『菩提心の言葉「修行の誓い」』を毎日読誦することで、主に毎日、誓願を立てさせていただいています。

メシアと、メシアの教えと、メシアの愛を届けるサンガは一体です。

『仏説・正心法語』は光であり、仏の生命です。今日も『仏説・正心法語』の全編読誦を通して仏の生命を日々、心の糧として、主からいただく奇跡の一日一日を大切に生きてまいりましょう。そして現代に生まれた、史上最大のメシアを信じ、メシアの教えを信じ、サンガの力を合わせて、日本中に、そして世界中に救世主からのメッセージを、『地獄の法』と共に届けてまいりましょう。
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ここで、「三宝帰依の大切さ」について経典から引用いたします。
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今、幸福の科学は「始原の仏陀」の教えに迫ろうとしているわけです。

今まで、三十数年間(説法当時)、私は教えを説いてきました。「霊界の存在を実証するための方便としての意味も持っている、さまざまな霊言集も出してきましたし、教えとして、いろいろな生き方も説いてきています。

しかし、これからは、いよいよ、「エル・カンターレの法」の完成のほうに持っていかなくてはなりません。「宇宙の法」を説きつつ、「エル・カンターレの法」の完成を、だんだんに目指していかなければならない時点に、今、立っているのです。

あなたがたに説く「本物の信仰」とは何かというと、それは、すべての宇宙の秘密に迫りつつ、みなさんが現在ある理由、そして、「今どこにいるのか」ということを知らしめるところまで行く教えです。

その教えを説けるのは一人しかいません。それを、今、「エル・カンターレ」という名で呼んでいます。「エル・カンターレの法」は、ただ一人しか説けないのです。

「エル・カンターレ」と「エル・カンターレの法」と、「エル・カンターレの法を、まっとうに護持していこうとしている集団、僧団」に対する帰依の心をお持ちください。

その法は、帰依しないかぎり学ぶことができないものなのです。この世の学校では、まったく教えてくれません。この世の学者は教えてくれないのです。また、他の宗教でも学ぶことはできません。

ましてや、テクノロジーの進化によってそれが解明されることは、絶対にありえないのです。テクノロジーには限界があり、この世の利便性を増すことはできても、宇宙の理法にまで絶対に届きません。

これは「信仰のみ」によって知ることができるものなのです。学問は最後には信仰によって乗り越えられなくてはいけないものであるわけです。

【大川隆法『本物の信仰』第二章「本物の信仰」より】
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第5章 無我観の効用
5 無我で注意すべき点
①無我は無個性の勧めではない

しかし、一つ忘れてはならないことは、「無我とは無個性の勧めではない」ということです。無我になるということは、個性をなくして無個性になることではありません。寒天のように誰でも同じような存在になることではないのです。

無個性は仏の本来の意思に反しています。たとえば動植物を見ても、いろいろな動物や植物がいますが、仏の意思は、それぞれが発展・繁栄していることをもって、世界の偈術が成り立っているのを、よしとされているのです。

そのように、「人ひとりの個人が、違ったかたちではあるけれども、なんらかのかたちで、自分自身の自助努力によって、仏の世界の一部をかたちづくろうとする過程が尊いのです。頭のいい人は頭を使って、身体の丈夫な人は身体を使って、女性は女性として、男性は男性として、親は親、子は子として、年寄りは年寄りとして、それぞれ、自分のできること、個々の光の参画、参加によって、天国をつくっていこうとする。その個性を非常に重視することが大事なのです。

無我というのは「無個性」ということでは決してありません。そして、個性というものは、決して、奪っていく、取り込んでいく考え方ではなくて、自分自身のそのユニークな光でもって、世を照らしていこうとする動きなのです。個性というものは、取り込みにくいのではなくて、一種の光である。サーチライトである。灯明である。蝋燭(ろうそく)の炎はいろいろあり、その炎は色も違うけれども、世の中を一人ひとりが個性的に照らしていこうとするところに、実は理想世界ができてくる、ということを言っているのです。

【大川隆法『心の挑戦』第5章「無我観の効用」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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