77 年齢とともに顔つきが良くなっているかどうか。
【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。
新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。
4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】
この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
ここからは、伊勢支部御巡錫御法話―『信仰心と国を愛する心について』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『信仰心と国を愛する心について』
4日本は世界史のなかの奇跡
〇日本人としての「信仰心」を信じ、世界に指針を示すべきとき
さらに、そうした国家が続いた理由として、本当は、陰で、「信仰心」というものが国をまとめていたのです。
アメリカは、スティツ(合衆国)に対する信仰、要するに、そうした「諸州が集まって一つの国をつくるのだ」ということに対し、「みんなが、それを承認して参加したい」ということでもって政治ができている国です。
一方、日本の場合は、「神に向かって、みんながまとまろう」としてできている国であるわけで、それを忘れてはならないと思います。
そういう意味で、日本は世界に誇るものを数多く持っています。
歴史的には、いろいろなものの形がなくなっていくし、日本は「木の文化」なので、遺っているものは少ないでしょう。古い時代のものは、石や、そうしたものでつくっていないので、遺っていないものもありますが、現実には、世界に誇るべきものがあることを知っていただきたいと思います。
また、「最低でも二千年は統一国家を維持してきた」ということは、やはり、日本の神々には相当の力があったし、思い入れもあったのです。
その意味で、日本は、世界の手本になるべきものを数多く持っているし、我々は、そういうものを発見して、次に、これを世界に出していくときが、今来ているのではないかと思います。
今まで、日本には、受け身で過ごしてきた部分もかなりあるでしょう。しかし、これからは、日本からさまざまな考え方や意見を世界に発信し、世界の人々に「あるべき姿」や指針を示すことこそ、今、いちばん必要とされていることだと思うのです。
一部の唯物論的な考え方にすべてを引っ繰り返されないようにしなくてはいけません。「現に神社・仏閣が存在し続けている」ということは、いくら学校教育で、”洗脳”されていると言っても、日本人の本質において、信仰心のところは消すことができないでいるわけです。やはり、これを信じて生きていくことが大事なのではないでしょうか。
おそらく、その流れのなかに、日本の生き筋はあるだろうと思うのです。
【大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第一章「信仰心と国を愛する心について」より抜粋】
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このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれています。また、信仰についてさらに重要な経典が『本物の信仰』です。これらは「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。お持ちでない方は、絶対にいただいてください。お勧めしています。
さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』についてです。
『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。
私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。
それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介したのち、解説を加えます。
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「三宝というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。
参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】
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それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介します。
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菩提心の言葉『修行の誓い』
仏弟子 ここに 集えるは
三宝帰依を 誓うため
三宝 すなわち 仏・法・僧
仏とは 仏 仏陀なり
法とは 仏の 教えなり
僧とは 仏の 御弟子なり
仏陀ありてこそ 法はあり
法ありてこそ 僧団(さんが)あり
僧団(さんが)は 理想の 担い手なり
仏国土への 導きなり
仏弟子 ここに 誓えるは
三宝を 篤く 敬いて
帰依の心を 示すため
仏・法・僧は 光なり
心を 照らす 鏡なり
帰依は 仏を 頼りとし
法の 力を 信ずるなり
僧団(さんが)の 規律を 守るなり
われら 仏陀の 教団は
三宝帰依を 最初とし
三宝帰依を 守り抜き
永遠なる 誓いと するものなり
ああ
生命は 永遠なり
仏陀と ともに 永遠なり
仏陀と ともに 下生して
久遠の 法を 伝えるなり
地上を 去りても 永遠に
仏陀の 法を 学ぶなり
師弟の 契りは 永遠に
来来世まで 続くなり
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菩提心の言葉『修行の誓い』は英語経文ではこのように訳されています。
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■Words of Aspiration for Enlightenment■
―The Pledge of Discipline―
We, Buddha’s disciples, have gathered here
To pledge our devotion
To the Three Treasures
The Three Treasures are Buddha
Dharma and Sangha
Buddha is the Enlightened One
Dharma is Buddha’s teachings
Sangha is a group of Buddha’s disciples
Only when there is Buddha
Can there be Dharma
Only when there is Dharma
Can there be Sangha
Sangha is the vehicle of our ideals
The guide to the Land of Buddha
We, Buddha’ disciples. Have so pledged
To sincerely respect the Three Treasures
And to show our true devotion
Buddha, Dharma and Sangha are the light
The mirror that reflects in our minds
Devotion is trusting in Buddha
Believing in the power of Dharma
And following the ways of Sangha
We, In Buddha’s order
Begin with devotion to the Three Treasures
Abide by this devotion the end
And embrace it as an eternal pledge
O, life is eternal
With Buddha, our life is eternal
With Buddha we descend to earth
And convey to others the eternal law
We will continue to learn Buddha’s law
For ever
Even when we have left this earth
The bond between master and disciple
Lives on for ever
Through all our future lives
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〇仏陀は「自分が宇宙の理法をつくった」と知った
天上界にある神々、高級諸神霊も、地上にある仏陀の悟りに帰依していたのです。
なぜかというと、仏陀は、いきている人間としての悟りを得たのではありますが、同時に、「自分は宇宙の理法そのものと一体である」ということを知ったからです。
転生輪廻もそうです。「あの世とこの世を行ったり来たりしながら、魂を磨き、悟りを得る」という仕組みをつくったのです。
仏教学者などは、「仏教は創造主を認めていない」というような言い方をするのですが、仏陀は、この地球の歴史を超えた歴史について洞察することもできました。そういう、言葉では語れないような「大宇宙の理法」を知ることができ、「自分が法である」ということを知ったのです。
そのため、「仏陀とは何かといえば、法である。仏陀は法である。仏陀を見る者は法を見る。法を見る者は仏陀を見る」ということなので、仏陀の法から「仏陀とは何か」を知らなければなりません。
「仏陀」と「仏陀の説く法」とは一体であり、その法を見れば、「仏陀とは何者であるか」ということが分かるのです。
【大川隆法 『本物の信仰』第二章「本物の信仰」より抜粋】
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〇三宝は仏・法・僧の順に尊い
要するに、伝道をして、教団がどんどん大きくなっていきますから、大勢の人を指導していくシステム、これがどうしても必要でした。現代のように衛星放送はありませんから、直接指導にはどうしても限界があります。(もちろん衛星放送にも限界があります)そういうときに、「仏陀が直接指示を出せるものについては、仏陀の指示あるいは教えに従いなさい。それが直接得られないものは、仏陀が説かれた法に基づいて判断しなさい。法の解釈に問題があるところ、あるいは法がないところについては、偉いお坊さんたちで相談して決定したことに、僧団の中に他の僧侶たちも、あるいは尼たちも従いなさい。そして在家の方々にも、その僧団の決定に従いなさい」―これが仏・法・僧に帰依するという意味なのです。
できあがった順もこの通りですから、仏・法・僧はこの順なのです。まず仏の教えがあって法があるのです。ですから仏の考えと法とのあいだに矛盾がある場合には、仏は法を解釈すること、あるいは新しい法を説くことは可能なのです。この順は仏あって法なのです。
【大川隆法 『三法帰依とは何か』会内経典より 引用】
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続いて経典『永遠の仏陀』より、仏弟子の使命について学びます。
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〇僧団の仕事
我がこの地に降り、仏陀の悟りを得て、
法を説きはじめてから刊行されたる、
仏法真理の書籍の群れを見よ。
これは宝の山であるのだ。
このように、宝の山が積まれているというのに、
それに気づかぬ人の多きことよ。
目はあって、なきがごとし。
耳はあって、なきがごとし。
手はあって、なきがごとし。
ああ、愚かなる人々よ。
仏法真理の宝の山が、
いま、この時代に、天より降り注いで、
どこででも手に入れることができるというのに、
それを知らないでいるとは。
地に生きたる、幾億、幾十億の人々が、
一行の仏法真理も知ることなくして、
この地上を去るということは、
耐え難い悲しみである。
仏陀として、
この世に生命(せいめい)をうけ、教えを説いておりながら、
その一行の仏法真理をも、
同時代に生くる人々に、
分け与えることができなかったとするならば、
これは海よりも深い悲しみである。
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
これこそが僧団の仕事であるのだ。
おまえたちは、すでに学んでいるはずだ。
仏法真理を学ぶには、三宝帰依の姿勢が大事であると。
三宝とは、仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)である。
仏(ぶつ)とは、仏(ほとけ)、現成(げんじょう)せる仏陀を指す。
法とは、これ、仏陀の説く教えをいう。
そして、僧とは、
この仏法真理を弘めんとする、
地上につくられたる、弟子たちの集団をいうのだ。
これほどの宝が、天より振り注ぎ、
そして、山と積まれているにもかかわらず、
同時代に生きる人々に、
その一行の仏法真理も気づかせることなくして、
この地上を去らせることになるとするならば、
そこに、僧たちの使命はないと言わざるをえない。
【大川隆法『永遠の仏陀』第三章「不滅の力」より抜粋】
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現代においては、主の本体意識である本仏・エル・カンターレの魂が地上に降臨されて、新しい「宇宙時代」を地球人としてどのように乗り越えるべきであるのか、そして宇宙創成の秘密にせまる「宇宙の法」そして「エル・カンターレの法」が今後40年間で、説かるかもしれないチャンスを私たち地球人類は迎えています。この教えが説かれるのかどうかは、ひとえに私たち地上にいる光の天使・菩薩の働き次第となっています。
現在、全国、全世界の信者の信仰心を結集して、主の復活の祈りを捧げさせていただいています。真剣な祈りを捧げさせていただきながら、主の新復活を願うと共に、主が再度降臨くださった後に、説かれる主の法の重さに耐えられるだけのサンガをつくらなければなりません。そうであるからこそ、主は地上に再び復活くださることができるのだと思います。
コロナハンデミックの後の世界や、ウクライナを中心としたヨーロッパの戦乱や、中国が覇権を狙うアジアの危機が目の前に転載させている中で、私たち地球人類がどのように生きるべきか、世界中が「救世主からのメッセージ」を待ち望んでいます。サンガの力を合わせて、日本中に、そして世界中に『地獄の法』を届けてまいりましょう。
奇跡の時代を生きる私たちです。仏弟子の使命は伝道ですが、伝道の生命となるのは主の御説法です。主の説法壇を御護りするのが私たち仏弟子の使命です。
『仏説・正心法語』は光であり、仏の生命です。今日も『仏説・正心法語』の全編読誦を通して
仏の生命を日々、心の糧として、主からいただく奇跡の一日一日を大切に生きてまいりましょう。
ここで、教典『地獄の法』より「救世主からのメッセージを」抜粋して、再度確認させていただきます。
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〇「2050年ぐらいまでに決着はつく」と思っている
そうした設計図を引くに当たりまして、世界人口は八十億を超えたところですけれども、「西暦二〇五〇年までに―今は二〇二三年ですから、(説法当時)あと二十七年ぐらいです―もしかしたら四十億人ぐらいまで減る可能性もあり」ということまでいちおう考えた上で、今、世界の方向性を変えようとしております。
私が講演を始めたときには(※1986年初転法輪)「世界五十億人」と言っていたので、三十億人も増えたわけです。・・・
この増えた人たちが、地上だけが全世界だとおもって、地上の陣地取りと地上での利便性と唯物論的な繁栄だけを求めるようになったら、「転生輪廻をして魂修行をするという神の計画」と「地球という星の持っているところの宇宙的な意味合い」としては、地球は魂の教育の場として非常に貴重な場であるので、地球人だけの勝手にはさせないという力も働いてくると思っております。
ですから、「二〇五〇年ぐらいまでには、決着はつく」と思っております。
ただ、そのためにはもうちょっとだけ時間がかかりますので、私は、家内から尻を叩かれながら、「最低、九十歳まで現役で働いてください。できたら九十五歳まで働いてください」と言われています。九十三歳ぐらいまで働けば二〇五〇年ぐらいが来るのではないかと思うのですが、「そのあとは、存在しているだけでもいいから百歳まで頑張ってください」とか言われているのです。・・・
私が粘っていたほうがいいのではないかと思うので、できるだけ粘ります。
【大川隆法 『真実を貫く』第三章「地球の危機を乗り越えるために」より抜粋】
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主が「2050年ぐらいまで、粘って頑張る」と言ってくださっていますので、主は必ず復活します。それを信じて、鋼鉄のようなサンガ組織をつくりつつ、主の愛を伝道によって広げてまいりましょう。
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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第5章 無我観の効用
1 無我の真意
「無我」ということについては、これまでも、くり返しくり返し、みなさんにお教えしています(『悟りの挑戦(上・下)』『沈黙の仏陀』等参照)。
しかし、みなさんのなかには、「どうして、そんな古臭い教えを、いまさら持ち出すのだろうか」と思っている方もいるかもしれません。また、「どうして、そんな抽象的なこと、観念的なことを、くり返しいうのだろうか」「言葉としては知っているが、なぜ、それがそんなに大事なのだろうか」という方も多いと思います。
そこで本章では、無我というものについて、単に思想的な面からだけでなく、何のための無我なのか、という論点から、「無我観の効用」という、仏教にとってはまことに珍しい響きを持った題で述べてみたいと思います。
普通の仏教者は、「効用」を説くことを、あまり好まないのです。もちろん、宗教のなかには現世利益的な利益誘導も数多くありますが、無我などの、仏教の伝統的な思想を、この世的な効用論として説こうとする人は、非常に数少ないと思います。
本章では、そういうことをふまえたうえで、あえてプラグマティズム(実用主義)的観的論点に立って、何のための無我観なのか、無我を学ぶといったいどうなるのか、ということを勉強してみたいと思います。
無我とは、簡単にいうと、「『我なるものはない』と思いなさい」という教えです。
こういうことを聞くと、「『我なるものはない』と言ったって、現にここにあるではないか」「『我なるものはないんだから殴ってもいたくないよ』と言って、目の前にいる人を殴ったら、やはり痛いではないか」「だから、そういう教えは間違っているのではないか」という人もいるでしょう。
あるいは、「現在は生きているから、ここに存在するではないか。これは無我ではないのではないか」という考えに対して、「いや、人間は原子・分子の集まり出てきているのであって、結局、二酸化炭素と水分になるものなのだ。だから、何ら実体のあるものではないのだ」と、唯物論的に考えていく方もいるかもしれません。
あるいは、「人間の心というものはないのだ。それは脳の作用にしかすぎないのだ。あるいは神経の作用にしかすぎないのだ」というように無我を考えている方もいるかもしれません。
しかし、いずれも正しい考えではありません。もちろん、「存在論としての無我」というのは非常に難しい思想を持っているわけですが、「釈迦の説いた無我という思想は、単なる存在否定ではなかった」ということを、まず原点として知っていただきたいのです。
修業を勧めている釈迦が、「あなたは存在しない」「私は存在しない」というようなことを、くり返し説いたわけではなかったのです。そうであれば、修行も要りません。努力も要りません。精進も要りません。また、釈迦が地上を去るときに、「一切のものは無常である」「執われることなく、怠ることなく、精進に努めなさい」と言った。不放逸(ふほういつ)の勧めの趣旨にも反すると思うのです。
存在としての無我、要するに「あなたがたはみんな、死んだら何もかもなくなるのだ」というようなことが、ほんとうの無我の思想であるならば、死に臨んで釈迦が弟子たちに、「怠ることなく努力していきなさい。精進をしなさい」と言ったことが嘘になってしまいます。そうではありませんか。
【大川隆法『心の挑戦』第5章「無我観の効用」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
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文責:蒲原宏史
(4/14-1)104『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む ⑤三宝は仏・法・僧の順に尊い(1)―日本人としての「信仰心」を信じ、世界に指針を示すべきとき
