(4/13-1)103『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む ④法宝にたいする帰依―日本は世界史のなかの奇跡

『菩提心の言葉「修行の誓い」』を読む

75「公私混同」かどうか。出世と共に、答えが変わってくる。
76「公平無私」は悟りにも近い。

【大川隆法 箴言集『仕事への言葉』より】
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おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

新しき日を 迎えるにあたり、
主エル・カンターレに
心より お誓いいたします
本日も
正しき心の探究と
愛と
知と
反省と
発展の
幸福の原理を実践し
一層 悟りを高め
地上ユートピアの建設に
力を尽くして まいります。
生命ある限り
この仏法真理を 弘めます。
どうか 私の
今日の誓いを
お聞き届けください
ありがとうございました(合掌)

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し①10:00~、②13:00~、③19:00~と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

4月21日は主の伊勢支部御巡錫記念日です。2013年4月21日大川隆法総裁先生が伊勢支部に御巡錫されて御法話『信仰心と国を愛する心について』を賜りました。この御法話は経典『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』の第一章に所収されています。経典をお持ちでない方は支部や精舎、書店にてぜひとも拝受ください。【1800円(税抜)】

この聖なる日に向けて、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

ここからは、伊勢支部御巡錫御法話―『信仰心と国を愛する心について』を振り返ります。そののち、『仏説・正心法語』をともに読んでまいります。
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■『信仰心と国を愛する心について』
4日本は世界史のなかの奇跡
〇二千年の歴史を持つ「神の国・日本」に誇りを持とう

とにかく、私が本章で述べたいことは、「『日本が神の国である』ということに対して、もう少し誇りを持っていただきたい」ということです。卑屈になってはいけません。

特に、近代というか、この百年ぐらいの間に、日本は、近隣の国から、すごく悪い国のようにいろいろ言われていますが、そういうものの陰には日本に対する、うらやましく思う心や嫉妬の心が必ずあるものです。

やはり、「そういう目で見ないで、二千年くらいの長い目で日本を見て、どう思いますか」と問い返すだけの力を持っていただきたいとおもいます。

日本は、現存する世界の国家のなかで、ある意味では「最古の国家」なのです。もちろん、文明としては、もっと歴史があるところもあると思いますが、そうしたところは、国家としては何度も滅びており、続いていません。

日本の場合、「百二十五代、天皇が続いた」という史実は、歴史の時間軸とぴったり一致するかどうかは分かりませんが、「神武即位の時から計算すれば、二千七百年たっている」ということになります。(※神武天皇即位は紀元前660年・西暦2025年は皇紀2685年です)もし、古代の時間が”間延び”しているとしても、少なくとも二千年近い歴史があることは、ほぼ確実なのです。

例えば、奈良あたりの前方小円墳の巨大な遺跡は、少なくとも三世紀ごろからつくられていることは分かっているので、それを見れば、考古学的に、どれほど左翼的に判断しても、千八百年ぐらいの歴史があるのは確実でしょう。つまり、日本には、エジプトのピラミッドに匹敵するような、そうした大きな墳墓をつくれるだけの巨大な力をもった” 
王様”がいたのであり、「その王朝が現在にまで、連綿と続いていて、その歴史や系統図を全部示せる」ということは、珍しいことなのです。

イギリスも古い国だといいますが、あの国は、一〇六六年のノルマン人の上陸から国ができたので、そこから見ると、まだ千年もたっていません。(※2066年に建国1000年)日本の半分も歴史がないのです。また、アメリカの建国は一七七六年です。(※2076年に建国300年)

それから、中国も、「五千年の長い歴史がある」と言っていますが、それは異民族がたくさん入ってきて国をつくった歴史なので、決して統一王朝ではありません。

漢民族の国のときもあれば、モンゴル人に支配されたこともあります。あるいは、突厥(とっけつ)、匈奴(きょうど)というような、中央アジアの民族から支配されたりと、いろいろなところに支配されて国ができているので、決して統一王朝ではないのです。

ちなみに、現在の中国(中華人民共和国)は、一九四九年に毛沢東が建ててから始まった国なので、まだ百年もたっていません。(※中国共産党は2049年に建国100年を迎える)

そういうことを考えると、やはり、これだけ連綿と続いた国家があるのは、「世界史のなかの奇跡」だということを知らなければならないでしょう。

【大川隆法『日本建国の原点―この国に誇りと自信を』第一章「信仰心と国を愛する心について」より抜粋】
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このメールマガジンでは、日々の活動で「仏説・正心法語」からどのように活動のエネルギーを引き出していくかという視点で、お届けしたいと考えています。この経文に関する主の御解説は経典『信仰論』に説かれています。また、信仰についてさらに重要な経典が『本物の信仰』です。これらは「法力」という名の悟りと救済力と得るために必要な経典です。お持ちでない方は、絶対にいただいてください。お勧めしています。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第二の経文である『菩提心の言葉「修行の誓い」』についてです。

『正心法語』を読んだあとに、私たちが読む経文がこの「菩提心の言葉『修行の誓い』」です。私たちは、この経文を毎日読むことによって、三宝帰依の精神を日々新たにして、信仰の原点に立ち返ることができます。

私は、個人的に「菩提心の言葉『修行の誓い』」は「第二の降魔経でもある」と認識して毎日何回も読んでいます。悪魔や悪霊、不成仏霊にとって一番苦手なのが三宝帰依や仏への信仰心、そして仏への精進の誓いだからです。また、いろいろなお祈りを毎日捧げている中で、仏から霊指導を頂くうえで最も大切なことは、「信仰心」である点においても、「菩提心の言葉『修行の誓い』」は個人的にもよく読誦する経文です。

それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介したのち、解説を加えます。
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「三宝」というのは、三つの宝と書いてあります。三つの宝とは何であるか。「仏宝」「法宝」「僧宝」―この三つが三宝である、と言われています。なぜ宝であるかというと、これは世を照らす光だからです。世の人々を救う光、そういう尊いものであるという意味において、これが三宝と言われているのです。
参考経典【大川隆法 『三法帰依とは何か』】

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それでは、『菩提心の言葉「修行の誓い」』の全文をご紹介します。
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菩提心の言葉『修行の誓い』

仏弟子 ここに 集えるは
三宝帰依を 誓うため
三宝 すなわち 仏・法・僧
仏とは 仏 仏陀なり
法とは 仏の 教えなり
僧とは 仏の 御弟子なり
仏陀ありてこそ 法はあり
法ありてこそ 僧団(さんが)あり
僧団(さんが)は 理想の 担い手なり
仏国土への 導きなり
仏弟子 ここに 誓えるは
三宝を 篤く 敬いて
帰依の心を 示すため
仏・法・僧は 光なり
心を 照らす 鏡なり
帰依は 仏を 頼りとし
法の 力を 信ずるなり
僧団(さんが)の 規律を 守るなり
われら 仏陀の 教団は
三宝帰依を 最初とし
三宝帰依を 守り抜き
永遠なる 誓いと するものなり
ああ
生命は 永遠なり
仏陀と ともに 永遠なり
仏陀と ともに 下生して
久遠の 法を 伝えるなり
地上を 去りても 永遠に
仏陀の 法を 学ぶなり
師弟の 契りは 永遠に
来来世まで 続くなり

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菩提心の言葉『修行の誓い』は英語経文ではこのように訳されています。
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■Words of Aspiration for Enlightenment■
―The Pledge of Discipline―

We, Buddha’s disciples, have gathered here
To pledge our devotion
To the Three Treasures
The Three Treasures are Buddha
Dharma and Sangha
Buddha is the Enlightened One
Dharma is Buddha’s teachings
Sangha is a group of Buddha’s disciples
Only when there is Buddha
Can there be Dharma
Only when there is Dharma
Can there be Sangha
Sangha is the vehicle of our ideals
The guide to the Land of Buddha
We, Buddha’ disciples. Have so pledged
To sincerely respect the Three Treasures
And to show our true devotion
Buddha, Dharma and Sangha are the light
The mirror that reflects in our minds
Devotion is trusting in Buddha
Believing in the power of Dharma
And following the ways of Sangha
We, In Buddha’s order
Begin with devotion to the Three Treasures
Abide by this devotion the end
And embrace it as an eternal pledge
O, life is eternal
With Buddha, our life is eternal
With Buddha we descend to earth
And convey to others the eternal law
We will continue to learn Buddha’s law
For ever
Even when we have left this earth
The bond between master and disciple
Lives on for ever
Through all our future lives

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〇法宝にたいする帰依
次に「法」というのがあります。「仏の説く法、これに帰依せよ」といいます。この「法に帰依する」というのは何かというと、「この教えに従っていきなさい。あなたがたの身も心も投げ出して、これを信奉しなさい」―これが「法帰依」です。・・・

当時のインドで、釈迦も遊行をして、いろいろな所で、いろいろな教えを説いています。現代のように、通信網や交通網が発達していませんでしたし、いろいろな地域に弟子達が住んでいるからです。彼らはお布施を得て生活していますから、あまり一か所に集まると生活ができないのです。街の人たちの負担が大きくなりすぎるので、いろいろな所に分かれて、そこそこの人口のある大きな町で修行していたのです。・・・

このようにいろいろな所に集まって修行していました。これもサンガ(僧団)というのです。こういう所ができていたのです。

そこでは、いろいろな問題が起きてきますけれども、そのときに、仏の教えが聴ける場合には仏の教えに従いなさい、ということです。たとえば、「ここで、こういう問題が起きています。これを、どうしたらよいのでしょうか」「この人の身の振り方で、このような問題が出ます。どうしたらよいのでしょうか」と、直接に仏陀の教えを聴けるときには、仏陀のその教えに従いなさい。ところが、いろいろな所で修行していますから、仏陀の指示、教えを、いつもいつも直接聴けるわけではありません。そのときには、仏陀が説いた法、教えに基づいて、ものごとを判断していきなさい。そういうことなのです。そして、法に基づいて、どうしたらいいのか、それぞれの正邪を判断したり、あるいは、物事の解決を判断します。また、在・
・の人の悩みにこたえていきます。

このように、「仏陀自身の意見を聴けないときには、仏陀が説かれた教え、伝え聞いて勉強している教えに基づいて、あなたがたは判断していきなさい」―これが法帰依です。

【大川隆法 『三法帰依とは何か』会内経典より 引用】
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仏の教えに従って正しい判断をすることが「法帰依」ということでした。仏弟子の法帰依の伝統は、2600年の時を越えて、今もなお続いていることがよくわかります。現代においても、混沌とする社会情勢に対して、私たちはどのような考え方をとるべきあるのかを大川隆法総裁先生は、御法話や霊言通して教えてくださっています。

そして、ありがたいことに教えの多くは、「経典」という書籍の形で出版されて、広く私たちが主の考えや天上界の考え、そして必要があれば、地獄霊や悪魔の考え方まで、教えてくださっています。2025年の時点で主の経典に当たる著作は3200書を超えています。大変ありがたいことです。
今、皆様にお願いしていることは、一カ月に一冊程度は最低でも主の経典を購入して、一カ月に一冊以上主の経典を読みましょうとお勧めしています。まもなく主の経典は海外経典を含めて3100書を越えますので、主の教えについていくために、私たちも精進を重ねてまいりましょう。

ところで、幸福の科学の会員の条件は「正しき心の探究」を一生を通じて実践することでした。正しき心とは、ずばり「仏の心」であり、「仏の考えていること」です。だから、私たちは、「正しき心の探究」のために、毎日「正心法語」を読誦して「正心」を宗として、「法語」を則として、生きていく誓いを日々新たにしています。この「正しき心の探究」をこの世で実現するために、「現代の四正道」である「愛・知・反省・発展」を日々私たちは実践して、地上ユートピア創りに努力精進を重ねています。

そして、具体的に仏の御心を知るために、御法話や霊言を拝聴して、大川隆法総裁先生の著書を毎日少しずつ読むことが必要となります。最近は、たくさんの方に主の教えに触れていただくために、小説や楽曲や映画もたくさん作っていただいて、一人でも多くの方にお届けできるように、主は数多くの教えを説いてくださっています。主に心からの感謝です。

仏の生命を日々、心の糧として、主からいただく奇跡の一日一日を大切に生きてまいりましょう。

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〇勝鬘夫人(シュリ―マーラー)の修業の誓い
1400年前、日本に仏教を流布した聖徳太子が愛したお経に勝鬘経(しょうまんぎょう)がございます。このお経の中で、仏陀を心から尊崇してやまない在家の王女のシュリ―マーラーが仏陀に仏道修行の情熱的な誓いを十ヵ条として立てています。この十ヵ条を受け取った仏陀は大変喜ばれたとされています。本日は菩薩修行の十の誓いを以下ご紹介いたします。
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「王妃シュリ―マーラーの誓約」【十大受章】
永遠の仏陀に帰依すると誓ったシュリ―マーラーが自らの修業のあり方を十ヵ条の大きな誓いとして誓約します。小乗仏教では、在家の修行者が守るべき戒に、殺さず、盗まず、嘘をつかず、不倫をなさず、酒を飲まず、の五戒が有名ですが、大乗(一切の衆生救済)の観点からは十分ではなく、大乗の仏弟子における以下の十戒を世尊に宣言して、仏陀がこれを祝福する章です。
勝鬘夫人(シュリ―マーラー)はこのように戒を立て仏陀に誓います。

●十大受章
(一) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、お受けした戒をまもり、それを犯す心を起こしません。

(二) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、目上の人たちを敬い、先輩をさげすむような慢心を起こすことはありません。

(三) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、どんな人に対しても怒りや他人を攻撃する心を起こしません。

(四) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、他の人の外見や財産・境遇がどんなに幸せそうに見えても、嫉妬の心を起こしません。

(五) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、自分のものか他人のものかにかかわらず物惜しみする心を起こしません。

(六) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、自分のために財物を蓄えることはしません。もし財物を受けることがあれば、すべて貧しく苦しんでいる人々に用います。

(七) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、自分の利益のために四摂法(布施・愛語・利行・同時)を行じることはありません。一切の衆生のために、全て対して愛着を持たないこと・怠け心を起こさないこと・何事にもこだわらないことをもって人々を受け入れます。

(八) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、身寄りのない人、牢獄につながれた人、病等で困り苦しむ人々をみれば、けっして見捨てずに必ず安穏ならしめて、わたくしの務めによって人々に楽を与え、苦しみを取り除いたうえで、その人々に執着しません。

(九) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、もし世に蔑まされた者や戒を犯すものを見ても、決して見捨てません。わたくしが人々を導く力を得たときには、どこであっても、そのような人々と出会ったときには、折伏すべきは折伏し、摂受すべき人は摂受いたします。なぜなら、折伏・摂受の二つの方法で仏法を永遠ならしめることができるからです。仏法が永遠であれば、六道輪廻(苦しみの転生輪廻)のなかでも、天道(天上界)と人道(人間界)に生まれるものは満ち、悪道(地獄・餓鬼・畜生・修羅)に堕ちる者は減少していくことでしょう。それが如来の転じられた法輪にしたがって、わたくしも仏法を弘めることを得るでしょう。わたくしには、この幸いが見えるがゆえに、どんな人でも救い取・
・・、決して捨てることはありません。

(十) 仏陀にお誓いいたします。わたくしは今日から悟りを得る日まで、正法(真実の教え)を受けて忘失することはけっしてありません。なぜなら、正法の忘失は大乗(広く人々を救う教え)を忘れることであり、大乗を忘れることは波羅蜜(仏道の成就)を忘れることであり、波羅蜜を忘れることは、すなわち、大乗を願わないことにほかならないからでございます。もし菩薩の道をゆく者が心を大乗に定めないなら、摂受正法(しょうじゅしょうほう・真実の教えを受け入れ堅持すること)はできず、それぞれの思いのままにふるまって永く世間の凡庸な人々の境涯を超えることができません。

わたくしには、人々が大きな過ちを数知れず犯しているのが見えます。また、未来に正法を摂受して、菩薩の道をゆく偉大な求法者たちが無量の福利を得るのも見えます。それゆえ、わたくしはこれら大いなる誓約を、わたくしの身に受けます。
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2600年前の在家の女性にこれだけの信仰者がいたことは、とても驚くべきことです。今の時代の直弟子にとっても十分に通用する普遍的な菩薩誓願となっています。

エル・カンターレ本仏降臨の奇跡の時代に生きる私たちも、純粋な信仰において、シュリ―マーラーに引けを取ってはならないのではないかと思いました。精進に精進を重ねて共に本物のエル・カンターレ信仰を貫き通してまいりしましょう。

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ここで、仏教の基本に立ち返るべく、教典『心の挑戦』を学びます。経典お持ちでない方は、ぜひお求めください。【1800円税込み】
―本書は、神秘的な宗教の世界に憧(あこがれ)、仏教的世界観を探し求めている人生の旅人たちにとって、絶好の案内書となることでしょう。―『まえがき』より
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第4章 般若と許す愛
6 宗教的境地と修行

本章では、「般若と許す愛」について、いろいろと述べてきました。最後に、気をつけなければいけないことについて述べてみたいと思います。

それは、宗教的見地というものは、「自他一体」「善悪不二」という立場をとりますが、これはあくまでも、修行を積んできた結果、その奥深いところまで洞察できるようになった境地というのであって、「善も悪も区別がつかない」ということと一緒ではないということです。

善悪が区別がつかないということと、善悪不二とは違います。善悪の区別がつかない者に対しては、善悪の違いを教えることが大事な大事な教育なのです。それを経てこそ、善悪を超えることができるのです。

善悪を超えるためには、まず善悪を知らなくてはならないのです。善悪を知るためには、「善悪とは何か」「善とは何か、悪とは何か」ということを、きっちりと学ぶことが必要です。

ですから、この般若の智慧というものも、単なるお人好しで終わってはなりません。単に「あれもこれも一緒」ということであってはなりません。また、自分が修行をしないことの言い訳のために使うような、般若の智慧であってはなりません。これはあくまでも、限りなく「無我」を求めていく心、限りなく「空」に近い心でもって、すべてを見ていこう、統合して見ていこうという、大きな悟りの境地であるわけです。

それを間違えて、ものの違いを一切なくして、「すべては善も悪も一緒。正教も邪教も一緒」というようなうものの考え方をしていくとするならば、これは「自分は進歩している、進化している」と思いながら、まったく逆転して、まっさかさまに谷底に落ちていくことを意味します。

ですから、般若修行というのは、絶えざる修行の果てに生まれてくるもの、修行の努力ののちに現われてくるものであるということを、常々よくよく考えておいて、自らが天狗にならないように戒めることが大事であると思います。(完)

【大川隆法『心の挑戦』第4章「般若と許す愛」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord.  我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」映画伝道について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。

映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります

仏弟子一同 力を合わせて 
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります

■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■

①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。

②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。

シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。

本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。

③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。

主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。

④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。

純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
□■
エル・カンターレ・大好き

文責:蒲原宏史

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