最後に、「おかめ」あるいは、「お多福」と呼ばれる妖怪についても書いておこう。下ぶくれした、おメン顔をした女性妖怪である。その本質は、「本質を悟られないこと」にある。おそらく妖怪の総大将を張る大天狗をも超える霊力を持っている。
妖怪「お多福」は、一見幸福を呼ぶものである。しかし、仏教的に心をコントロールするのではなく、「コントロールすれば、心は何とでも見せられる」と考えている。この点、妖怪の中心部分に存在すると思われる。人間とは「お面をつけていきている存在」だと考えているのだ。形にとらわれ、外見や所作が美しければ、心も美しいと考える。心が美しければ、外見も所作も美しくなるとは考えない。ここに本質的な妖怪性があるが、常人には見抜くことは不可能なので、その存在だけは伝えておく、例えれば、国民的俳優や有名歌手の「心」は読めますか、という公案だ。それが読めないため、この世的には大変人気が出ることもある。実例は挙げないこととする。
心の勉強には限りはないのだ。
二〇二三年 二月一三日
幸福の科学創始者兼総裁 大川隆法
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
1 信仰心なき者に、良き未来はない。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―⑥般若波羅蜜多(パンニャー・パーラミター)
智慧の完成です。この智慧こそ、釈迦の教えの中核であり、釈迦の光は、黄金色に輝く知性の光線なのです。すなわち、釈迦は知性的に法の全体像、体系を説くことを使命としている光の指導霊だからです。実在界の智慧の宝庫の扉を開く鍵を持っているのは釈迦なのです。
【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○般若波羅蜜多
六波羅蜜多の最後の徳目は、「般若波羅蜜多」です。
「般若(はんにゃ)」という言葉は、『般若心経』などによって有名ですが、これは「智慧」という意味です。それも単なる知識的な知恵ではなく、深いところから出てくる叡智のことなのです。
これは「般若の智慧」ともいわれています。深いところから、こんこんと智慧があふれ出てくるさま、湧き出て止まらないさまが、真の智者の姿です。般若の智慧を得る段階に至ると、この世的なる学問や経験は、砂と砂金にふるい分けられ、砂金のみが一層光の輝きを増すのです。
人格が完成して、ある程度の人物、偉人となるためには、確かに、数多くの読書や経験を経ることが必要であり、そうして得た知識や経験は珠玉のごとく輝いています。
しかし、そうした知識や経験も、般若の智慧が出てきたときには、もはや光を失っていくように見えます。それほど、般若の智慧は偉大なものなのです。というのは、心の窓を開かなければ、般若の智慧の智慧に至ることは決してできないからです。
八正道を中心にして、みずからの心を正していくと、やがて心の窓が開き、みずからの守護霊・指導霊たちは、地上の人間をはるかにしのぐ智慧を出す力があります。なぜなら、実在世界においては、それぞれの霊たちが、過去世で経験したことや学んだことをすべて持っているからです。
地上においては、表面意識はわずか一割程度になり、残りの九割近くは潜在化しています。しかし、霊的世界においては、反対に、潜在化していた九割の部分、すなわち過去世の知識の部分が表面意識として顕在化し、地上に生きていたときの意識が、残りの一割として潜在化していくことが多いのです。
したがって、比率だけを見ると、霊人は地上の人間の約九倍の智慧を持っていることになります。これが霊人の本質です。同じ霊格であっても、地上に下りている人間の智慧と比較して、霊人は約九倍の智慧を持っているのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
そして、主から頂いた奇跡の一年も残りわずかとなっています。
主から本年一年に賜りましたご指導に対して、心からの感謝を捧げます。「エル・カンターレへの感謝・報恩研修」は年末まで開催しています。個別対応もいたしますので、ぜひ受講ください。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。
三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。
そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。
引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。
『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』の総論を振り返ります。
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第10章 総論―八正道の現代的意義
何のための「真説・八正道」なのか
最後に、総論として、反省法全体を通しての締めくくりをしておきたいと思います。
「何のための『真説・八正道』なのか。いったい何のために、この『真説・八正道』はあるのか」ということです。それを三点、挙げておきたいと思います。
①八正道の現代社会への適応
「真説・八正道」の生きの第一点は、釈尊が説いた「八正道」は、二千数百年の歳月のなかに埋もれてしまって、現在、その正しい精神が伝わっていないということです。仏教学者によってさまざまに解釈されたに止まっていて、「いったい、どのように八正道を使えばよいのか」「その真意がどこにあったのか」ということが分からないままになっていたのです。
それゆえに、今、この「人類の秘宝」ともいえる八正道を、現代の社会に適応させるかたちで、また、実用性を加えるかたちで説いたということです。八正道は、決して、みなさんが使えない内容ではないはずです。それを明らかに説いたところに、「真説・八正道」の第一の意義があります。
②修行目標としての八正道
「真説・八正道」の意義の第二点は、みなさんに明確な「修行の目標」を与えたということです。
「悟り」という言葉のニュアンス、および、解釈は各人違っているかもしれませんが、この「悟り」というものに関しては限界がありません。「これで悟った」ということはないのです。「悟りの入り口に立つ」ということ、また、「悟りを、ある程度、維持する」ということはあっても、悟ったかどうかは、あの世に還ってみないことにはわかりません。生きている間中、修行は続くのです。
したがって、「自分はもう充分だ」と思ったときに、それが転落の始まりとなります。心境がある程度のレベルまで来ても、その後はさまざまです。さらに向上していく人、現状維持で止まる人、心境が下がってくる人など、さまざまな人がいます。その人の一年というものを取り出して輪切りにすると、やはり、進んだところ、後退したところがあるのです。
そういう意味では、現時点において、ある程度の心境に達している人も、「一ヵ月後にその心境にいる」ということを意味しないし、一年後は、なおさら測りがたいものです。
そのために、幸福の科学でも、試験制度などによって、ある程度「悟り」を測っていますが、これは決して誤解してはなりません。”その時点においての実力と心境”はあるかもしれませんが、それは条件が変わってきたときに、明らかに違ってくるのです。
その人に、いろいろな事件が起きてくるでしょう。いろいろな人生模様が展開してくるでしょう。そのときに、まったく同じ状態でいられるかどうかは、まだまだ、それからの修行の問題です。そのつど、そうした事件や出来事を乗り越えていくために、「真説・八正道」が与えられているのです。一度悟って、それで終わりではないのです。
したがって、「いろいろな環境の変化のなかにおいて、この真説・八正道を使って、そのつど、自分の心の曇り、垢を落としていく」ということ、そして、「正念」で語ったように、「正しい未来に向けての自己実現をしていく」ということが非常に大事なのです。やはり、その人の立場や役割に応じた現象がさまざまに起きてくるのでその中で自分の心境を維持するための全力の戦いを続けていかなければなりません。
その意味で、この「真説・八正道」の修行は、今世の修行を終えるまで、死ぬまで「終わり」ということはないし、おそらく、来世でも続くでしょう。かたちは多少変わるでしょうが、この修行は来世でも続くこととなります。
③ユートピアの原理としての八正道
「真説・八正道」の意義の第三点は、実は、「ユートピアの原理そのものである」ということです。
わたしは、ユートピアの原理を、「小さなユートピアから大きなユートピアへ」「私的ユートピアから公的ユートピアへ」という言葉で、さまざまなところで語っています。その意味は、どこにあるのでしょうか。
まず、ユートピアというのは、「心の世界」と「この人間世界、地上世界という外界」の二つの世界から成り立っています。そして、「小さなユートピア」「個人のユートピア」はどこから始まるかというと、実は、みずからの心を支配し、「心の王国」を守り抜くことから始まっていくのです。
したがって、そのために、この真説・八正道によって、各人が自らの心をユートピア化していくことこそが、「外の世界に光を点灯していくこと」にほかならないわけです。
はるかなる上空から霊的な目で見たならば、この八正道によって目の鱗を落とし、神仏の光を得ている人たちは、ちょうど、”ロウソクの炎”のようにも、”灯台の光”のようにも見えます。それは、神仏の火が、一点一点、いろいろなところから灯ってくる姿であり、「上空から見た夜景に似ている」とも言えましょう。闇に沈んだように見えた町に、一つひとつ、光が灯っていく姿でもあるわけです。
そして、これが「すべての始まり」であるということです。この「各人の心をユートピア化していくこと」から、「世界のユートピア化」は始まるのです。
これなくして、理想を一挙に実現することもできなければ、政治改革も経済改革も宗教改革もありえません。制度的なものや環境的なものに騙されてはならないし、「〇〇のような人が来れば、そうなる」とは、「□□のような環境が出れば幸福になる」とか、そのようなものではないということです。
○「悟り」という名の本当の幸福をつかむための「自己変革」
それぞれの環境において、それぞれの課題や問題を背負いながら、光を灯すことです。そして、その光を灯す方法こそが「真説・八正道」であるということを知っていただきたいのです。この真説・八正道によって、人々に、自らの”ロウソクの芯””ランプの芯”に光を灯していただきたいと思います。
そうした光を灯すのは、一人ひとりの仕事です。ランプに火をつけるのは、各人の仕事なのです。私は火のつけ方はお教えしますが、火をつけるのはあなた自身であるわけです。火がつかなければ、それはつけようとしていないからではないでしょうか。
この「火をつける」ということが、「自己変革」ということです。「自分を変えていこう。自分の心を、より神様仏様の心に近い方向に向けていこう」という気持ちのない人は、幸福の科学に来ていただきたくないのです。
そのような人のために、私は幸福の科学を運営しているのではないからです。幸福の科学は正しい道を示し、「その方向についていきなさい」と言っていますが、やはり、その内容において、”ランプの芯に火をつけ、光を灯す”のは、それを志す一人ひとりの人に自分でやっていただきたいと思います。
それが、その人の、「悟り」という名の本当の幸福でもあるからです。
【大川隆法『真説・八正道』第十章「総論」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第七章 『漏尽通力』講義
4 漏尽通力と観自在力
さらに次なるテーマとして、「漏尽通力と観自在力」について話をしておきたいと思います。本書『漏尽通力』のなかでも、「観自在能力」ということで説明が入っています。この観自在力については、また時を改めて一冊のテーマとして書物をつくりたいと考えています。
では、現代における漏尽通力と観自在力の関係をどう考えるのか、どのように理解すればよいのかということについて、私の見解を明らかにしておきたいと思います。
それは、観自在力と漏尽通力は、「内に向かうベクトル」と「外に向かうベクトル」という相反するベクトルを意味すると同時に、両者のベクトルのつり合いを取れることが人間性の安定感となっているということです。
これがどういう意味を持っているのでしょうか。霊的能力が開発され、発展していくにつれて、さまざまなことが分かるようになっていきます。人の気持ちはもちろんのこと、実在界の諸霊の姿や考え方、あるいは現実に自分の周りにはない世界が見えてきたり、また過去の事実が分かったり、未来のことについてある程度の予知ができたりと、さまざまな現象が起きてきます。さらに、拍車をかければ、どんどんどんどんと進んでいくことになります。
この「現実に立つ自分」という肉身のわれを考えたときに、観自在能力が巨大化することによって、人格のバランスを崩すことにもなっていきます。それゆえに、観自在能力が高まれば、高まるほど漏尽通力がまた強くなっていく必要があるのです。
この両能力は、霊的能力を駆使するという面において共通していますが、「外に向かうもの」と「内に向かうもの」という二つの方向性がある点で違っているわけです。つまり、観自在力が「外を見ていく能力」であるのに対し、漏尽通力は「自分の内をどのように引き締めていくか」「自分の内部をどのようにつくっていくか」といった自己確立ということと非常に大きな関係があるのです。
霊的能力自体は、自分だけではなく他力によって開かれる面もそうとうあります。しかしながら、この漏尽通力という霊的能力は、他力だけによって得られることは決してありません。これは、あくまでも、「自分づくり」「自己づくり」に伴って現れてくる能力であるのです。
それゆえに、心しなければならいこととしては、観自在力が高まってくればくるほど、自分づくりに力を配分していくことが必要になってくるわけです。
5 修行の本道
さて、霊的能力の高まりとともに、自己内部の研鑽、自己確立ということがどうしても必要になり、「確立すべき自己」も次第しだいに大きくなっていきます。要求されるものもまた、大きくなっていくわけです。
ここにおいてある人は孔子のように「人間完成の道」を考えることもあるでしょう。あるいはレオナルド・ダ・ヴィンチやスウェーデンボルグのような方を考えることもあるでしょう。また、プラトンやソクラテスといった方を考えることもあるでしょう。
いずれにせよ。私たちが大切にしなければならない指標とは、いったい何でしょうか。それは、霊的能力が伸びていくことを実感できたとしても、その伸びを実感すればするほどに、この世的にも世の中の人々のためになるような業績・実績を残していかねばならないということなのです。
この部分で、バランスが取れないと、やはり安定を欠くようになっていくわけです。霊的能力の発展が確認できればできるほど、この世において愛を還元していく、自分の幸せを還元していくことが大事になります。
それゆえに、進んだ修行者であればあるほど、自らが生かされていることへの感謝、またそのような恵まれた能力を与えられたことに対する感謝をもって、これを世に、人々に還元していく方法を取っていかなければならないのです。
これが、ある面では、ダ・ヴィンチのような芸術となる場合もあるでしょうし、スウェーデンボルグのような現実でのさまざまな発明・発見や霊界ものの書物を含めて百五十冊も書くこととなったり、プラトンのような哲学体系になったりしたかもしれません。彼らに共通しているものは、自分自身の霊的能力を伸ばし、自己満足に耽るのではなく、それで得た者を知的遺産、霊的遺産として後世の人々に遺そうとして努力したということです。また、同時代人に対する教育という効果やそのほかの効果によって、自分の得たものを流布していこうとした点、彼らにも享受できる機会を与えようと努力した点が発見されるのです。
すなわち、ここに、単に滝行をしたり千日回峰行をしたりして「悟りを得た」と自称している天狗たちとの違いがあります。悟れば悟るほどに、霊的能力を伸ばせば伸ばすほどに、より多く愛が無限に湧き出て、多くの人々に還元せざるを得なくなるような自分となっていかなければならないのです。
この部分が欠けている人であるならば、霊的能力の発展そのものをも疑っていく必要があります。それは、違った方向に曲がっていくこともありうるからです。
霊的能力の発展は、他の人によってはなかなか確認することができません。これは自分だけの自己確認であります。
それゆえに、この「愛の還元」の部分、「現実生活への適用」の部分をこそ、あなたがたは、日々点検し、確認していかなければならないのです。これは、人間の目で確認できることなのです。
どれだけ多くの人を幸せにしたか。彼らによき感化を与えて教育したか。また、人生に迷っている人に対して一転語を与え、救うことができたか。
そうしたことを考えてほしいと思います。そこに修行の本道があるのです。(完)
【大川隆法 『漏尽通力』第7章「漏尽通力」講義 より抜粋】
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あとがき
本書は霊能力の全体像を説き、悟りに至る道を歩むものへの手引書とするために編まれたものです。
第1章の「霊的人生観」、第2章の「霊的現象論」は、本書のガイダンス的な部分であり、初心者にもよく分かるように書かれています。第3章の「霊能力の諸相」、第4章「漏尽通力」は、本書の核の部分であり、真理学習者にとっては上級用の内容を含んでいると考えます。第5章「仏法真理と学習」、第6章「心の平静と祈り」は漏尽通力の実践面への展開であり、一般人にも分かる内容となっていると思います。
とまれ、釈迦仏教の神髄の一つを、現時代において公開できたことは、私にとって大いなる喜びであります。
一九八八年 三月
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き
(4/1-2)91『真説・八正道』を読む―総論―八正道の現代的意義―漏尽通力と観自在力
