96 徳島県では小松島市の金長狸(きんちょうだぬき)が、全国トップレベルの霊格を持つが、海運業で全国につながったこととも関係するだろう。また「犬神」信仰も中心的であるが、犬が、狐や狸を追い払うために飼われていたことも、関係あるだろう。
【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】
5 あなたの心の中の日記帳が、閻魔帳(えんまちょう)に転載されるのだ。
【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇大乗仏教の中心は六波羅蜜多―②持戒波羅蜜多
釈迦の教えの四番目の柱は、利自即利他の教えです。これは、いわゆる六つの完成といわれる六波羅蜜多(サス・パーラミター)の思想です。波羅蜜(パーラミター)とは、内在する叡智という意味であり、多とは、その叡智があふれ出てくるさまをいいます。
二 持戒波羅蜜多(じかいはらみた・スィーラ・パーラミター)
これは、戒を保つ完成とも言われています。戒とは、いわゆる五戒であり、不殺生、不偸盗、不邪婬、不妄語、不飲酒の五つの禁止事項を守ることです。曰く、殺してはならない、他人のものを盗んではならない、不倫を犯してはならない、虚言を言ってはならない、飲酒癖によって身を持ち崩してはならない。この五項目です。
【大川隆法『黄金の法』より抜粋】
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○持戒波羅蜜多
次なる修行方法、修行目的として、「持戒波羅蜜多」があります。これは「戒(いまし)めを保つ完成」とも呼ばれています。
修業というものに関して人びとがよく感じるのは、「戒律を必ずともなうのではないか。なんらかのストイックな生き方を意味するのではないか」ということです。こうした考えは、仏教だけではなく他の教えにもあります。・・・こうした戒律が何のために与えられるのかと言えば、修行者には地上的な誘惑が多いので、それから身を守るために一定のガイドラインを設けておくということなのです。
「正しい思い」「正しい行い」と言われても、凡人の頭ではなかなか理解できません。そのため、「少なくとも、こうしたことを守りなさい。この掟は破らないように」といった防波堤として、戒律があったのです。
釈迦は戒律を非常に大切なものと考えましたが、その理由の一つは教育効果という面にあります。ある程度のルールが与えられなければ、修行者たちは毎日の修行において、みずからを律していくことが困難なのです。
【大川隆法『釈迦の本心』第三章「六波羅蜜多の思想」から抜粋】
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今日の一日を振り返り、反省を実践するために『真説・八正道』から禅定について学びます。
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第9章 正定
○心の平静は幸福への第一歩
「正定」に入ります。正定には極めて難しい部分があります。というのは、この世界においては、「方法論的確立」と「その結果・効果についての確認」ということが十分にできていないからです。「どのように定に入ったら、どのようになるのか」という部分が、各人の経験に任されてしまっていて、十分に追跡調査ができないからです。その意味で、極めて難しい面があると思います。
そして、「なぜ、正しく定に入るという項目があるのか」ということですが、それについて話をしていきたいと思います。
すると、結局、これも一つの「幸福のための技法」であると思えるのです。人間を不幸にする問題の一つは、「心が波立つこと」です。「苛(いら)立ち」、そして「不安定」です。
「心の安定」ということは、思いのほか大事なことです。心が波立っていて、あるいは”心に渦をつくって”いて、幸福な人はいません。不幸なのです。
ですから、「今、あなたの心はどうなっていますか」と問われて、非常に透明感があり、落ち着きがあるならば、少なくとも、「幸福への第一歩」は踏み出しているわけです。ところが、心境が上がったり下がったり、考えがあちらへ行ったり、こちらへ行ったり、揺れに揺れて夜も眠れない状況であれば、残念ながら、不幸といわれる現象になっているのです。
では、「水のように波立っている心を治めていく、静めていく方法として、どういう方法があるか」ということですが、これについては、以前、「心の針」の話をしたことがあります。
人間の心は、ある意味で、時計の針のようなものです。そして、心が乱れているというのは、針が、振り子のように、下のほうを揺れて動いているということです。これをメトロノームのように、上のほうをゆっくりと動くようにしてやる必要があるのです。
そのために、どうするか。今までは、主として、心の内の問題、思いの問題といった中身の問題について述べてきたわけですけれども、外側から入っていこうとするのが、この「正定」なのです。つまり、技法によって、一定の心境を取り戻そうとするわけです。
【大川隆法『真説・八正道』第九章「正定」より抜粋】
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続いて、地上への執着と煩悩を断つ修行法として『漏尽通力』を共に学びます。
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第六章 心の平静と祈り
5 心の平安
祈り本質について話をしてきましたが、祈りもあまり毎日毎日、行っていると、それがまた心の平安を害することにもなりかねません。一つの執着となるからです。
人間の願い事というものは、数限りなく出てくるものですが、たいていの人間は、そうした願い事というものを同時にそう多くはもっていません。たいてい、いちばん強い願い事が一つあり、次に「その次」ぐらいの願い事が二つ三つあるのが普通です。そして、いちばん強い願い事を、日夜、祈っていると、それがまた執着になってくることがあって、心の平安を失いがちです。
そういう意味では、「時折、自分の願望を祈る」ということはあってもよいけれども、毎日毎日、祈るよりは、日々、神仏に感謝の祈りを捧げるほうがよいと思います。日々、神仏に、「ご指導ありがとうございます。日々、私を生かしてくださってありがとうございます。今日も一日を与えてくださいましてありがとうございます」という謙虚な祈りを捧げていて、時折、自らの自己実現に関する祈りをするのがよいと私は思います。
そうではなくて、毎日毎日、「自分の思うようになってください」という祈りをするならば、これは雨乞いと同じであって、非常に騒がしい声を、毎日、天上界の霊たちは聞いているのと同じです。「雨を降らせてほしい。雨を降らせてほしい」と言ったとしても、「今はそういう時期ではない」ということもあります。
そのように、あまり、自分の欲とかかわる祈りは、毎日毎日してはいけません。たまにするのはよろしいが、普段は感謝の祈りを中心にしていくことです。
「感謝の祈り」というものは、何かを求めるものではないのです。ただお返しをしていく行為です。日ごろ、健康で生きているということ自体が、ひとつの奇跡です。健康で幸福に生きているということは、ひとつの奇跡なのです。奇跡というのは、何かを変えられれば奇跡だというわけではありません。現在ただいまが奇跡であるのです。
「非常に健康で、多くの人たちに愛されながら幸せに生きている」ということは奇跡です。こうした奇跡に接したならば、それに対するお礼が大事です。感謝が大事です。「日々、多くの人たちの恩によって生きている自分」というものを発見したならば、その根源にある神仏への感謝を忘れないことだと思います。
そうした祈りを忘れないときに、心に大きな平安が訪れます。
高級霊たちは、無所得のままに奉仕をしています。何を貰うでもなく、一生懸命、地上の人間たちの幸せを願って生きています。守護霊たちもそうです。何を得ることもなく、本人を一途に守護しています。そういう人たちに対して、やはり、大いなる感謝を持つべきです。
人に感謝をして、その人の頭が低くなったとしてもその人の地位が下がったり、その人の値打ちが下がることはありません。感謝することによって、人間は一段、二段と大きくなっていきます。多くの人のありがたさに気づくということは、それほど大事なことであるのです。
そのように、感謝の祈りを中心にした祈りを続けていくことが、心の平安につながり、神仏の思いや神仏の幸せ、神仏の光を心いっぱいに受けることとなっていきます。祈り方向性が正しいかどうかは、自らの心が平安であるかどうかを確かめてみればよいのです。心が平安であれば、その祈りは正しい祈りです。
しかし、心が常に、悩みや苦しみ、嫉妬心や猜疑心、怒りや妬み、嫉(そね)みといったものでいっぱいのまま祈っても、その祈りは天には通じないと思わなければいけません。いくら、きれいで美しい祈りの文句を唱えたとしても、「その祈りをすることによって、自分の欲を叶えてほしい」というようなことであれば、そうした祈りは虚しいのです。天国まで届きませんし、届いたとしても聞き届けられません。
「常に、心の平安を忘れないように」ということを、私は特に言っておきたいと思います。
【大川隆法 『漏尽通力』第6章「心の平静と祈り」より抜粋】
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ここで、反省の基礎を学ぶべく経典『信仰告白の時代』より第3章『反省の原点』を学びます。経典をお持ちでない方はこの機会にぜひご拝受ください。【税込み1800円】
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■『反省の原点』
3 誤まてる人生観の形成
もう一度、言いましょう。「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六つから、みなさんの人生はすべてかたちづくられているのです。わずかそれだけのことで、五十年、六十年、八十年を生きた結果、地上を去ると、天国と地獄が分かれます。こんな単純なことで、天国と地獄が分かれてしまうのです。恐ろしいことです。
一人ひとりの人生のストーリーを聞いてみれば、確かに、どの人の人生も、複雑であり、難しくもあるように聞こえます。だた、人類として生きている姿を見たときには、そう大きな間違いはありません。すべての人間が、先ほど言った「生・老・病・死」のなかを生きているのです。
赤ん坊は、なすすべもなく、泣きながら生まれてきます。苦しみのなか、真っ暗闇の母の胎内から生まれてくるのです。赤ん坊が泣きながら生まれてくるのは、自由を奪われたことの悲しさの表われです。本来、天上界で持っていた自由を失ってしまったのです。赤ん坊は、「この世界は苦しみである」と感じているのです。
私が言っている「苦しみ」とは、楽(快楽)と比較して苦(苦しみ)が多いという意味での苦しみではありません。この世は自分の自由にならない世界であるという意味において苦しみがあると言っているのです。
霊界において、私たちは自由自在です。現に霊となれば、眼がなくても、ものを見ることができます。耳がなくても聞こえます。背中でも、手の先でも、どこででも聞こえ、味わえます。香りを嗅ぐこともできます。手足、眼、鼻、口、このようなものは要らないのです。すべて思いのままの世界が展開します。すべてが感覚器官であって、自由自在です。自分の身体の姿さえ変えることができます。目の前に咲いていない花があったならば、「あの花が咲けばいいのに・・・」と思った瞬間、その花が咲きます。これが霊界なのです。
このように、霊界とは、想いがそのまま自由自在に展開する世界なのです。そうした自由自在の世界から生まれてきて、五体に宿ったときの不自由さを、赤ん坊は泣いているのです。何ひとつ思いどおりにいかず、言葉さえ発することができません。「ミルクが飲みたい」ということさえ言えず、おしめひとつ「替えてほしい」と言えません。そうしたスタートを切って、この不自由な物質界のなかでの魂修行が始まっていくのです。
すべての人が、自由自在の世界から生まれてきて、不自由な物質界のなかで、不自由な肉体を使って数十年を送るのです。食事ひとつとるのにも、お金が要ります。職業を得て稼がなければ、お金は手に入りません。そうしいた、何ひとつ自由にならない世界です。眼、鼻、口、身体と、すべてを動かさなければ、この世では何ひとつ自由になりません。こうした世界のなかを生きていき、やがて本来の世界を忘れていくのです。
速い人は、小学校のころから、心の曇りをつくっていきます。他の子供と比べて、自分の家族にないものがあると、それに対して不平や不満を持つことがあります。親の職業を恥ずかしく思ったりすることもあります。あるいは、片親であったり両親がなかったりすることに対する不満もあるでしょう。自分の家が貧しいとか小さいとかいう不満もあるでしょう。
さらには、中学生ぐらいになってくると、もっと字が書芽生えてきます。他人との比較がいっそう鮮明になると共に、異性というものが現われてきて、異性の目というものを気にするようになっていきます。そして次第しだいに、心のなかに「偽我」といわれる偽物の自分が育ってくるようになります。
そして、この世での生活に溺れ、物質を手に入れて満足したり、あるいは、肉体を使って満足することに、たんだん、のめり込んでいきます。これには、眼をよろこばせる楽しみもあれば、耳をよろこばせる楽しみ、鼻や口その他をよろこばせる楽しみもあるでしょう。
こうした感覚器官は、本来、不自由な地上生活に便宜を図るために与えられたものであるということを忘れ、やがて、この六根を通して得られたものがすべてだと感じるようになっていきます。いつのまにか、魂の自由というものが根本的に見失われて、肉体の感覚から発する自由しかないと感じるようになっていくのです。
【大川隆法『信仰告白の時代』第3章『反省の原点』より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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Lord EL Cantare is my All. 主こそ私のすべて。
We are The One, with our Lord. 我々は主と共に一体である。
One for All. All for The One. 一人は主のため、隣人のために。みんなは主の悲願のために。
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◆映画「ドラゴン・ハート」伝道植福について
5月23日(金)に全国の映画館にて公開されます映画「ドラゴン・ハート」は大川隆法総裁先生制作総指揮による28作目の映画となります。この映画の大成功に伊勢支部信者全員の信仰心を結集させていただきます。皆様の尊い布施をどうぞ、この映画伝道植福に託して、私たちに縁ある方々の心と魂を救うべく、この映画を主の御名と共に、全国・全世界で広宣流布してまいります。映画伝道植福への喜捨を何卒宜しくお願い致します。
大宇宙の すべての根源であり 地球の創造主であられる
主エル・カンターレ 大川隆法総裁先生
映画『ドラゴン・ハート❘霊界探訪記❘』を賜り
心より感謝申し上げます
本作は 未知なる世界に飛び込む勇気を与え
人類に真実への目覚めを与える映画です
全世界の人々に
霊的真実と主エル・カンターレの御存在を
弘めてまいります
仏弟子一同 力を合わせて
一人でも多くの方を 主のもとへと誘(いざな)ってまいります
■映画『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』四つのポイント■
①「天国・地獄」の存在を知らしめ、全人類の魂を救済する映画です。
映画では、霊界探訪記として現代の地獄の有様を詳細に描いています。つまり、今死んで地獄に落ちるとしたらどんな世界なのかということがリアルに映像体験できる映画です。死後の世界を詳細に紹介することで、「あの世はない」「霊界なんてばかばかしい」と考える人の間違えた考えをカブト割りする映画です。この映画は、このままでは地獄に落ちてしまうたくさんの方々に救いの縁を届ける「魂の救済」映画です。正しい霊界観や信仰を持たない人にこそ届けたい映画です。
②地球の霊的中心地・シャンバラの危機を救う映画です。
今、地球の霊的中心であるシャンバラは、地上世界で、信仰心が薄れ、神仏や霊的世界を信じない人が非常に増えていること、巨大な唯物論科学国家である中国が、インドやネパール等への覇権を強めていることによって、非常な危機にあります。現に中国・洞庭湖のほとりにあるシャンバラの入り口は発見するのが相当難しくなっています。
シャンバラという地球の霊的センターが護られていることで、魂修行の場としての地上世界も安定いたします。もし、シャンバラが崩壊するようなことがあれば、地球を護る霊的結界が失われ、宇宙の邪神やダークマターの悪想念による更なる地球介入を招く事態となります。
本映画は、霊界思想を地球の霊的センターとしてのシャンバラの存在を全世界へと知らしめることによって、崩壊への危機にあるシャンバラを護るという「神の戦い」そのものを描いた映画です。
③全世界の人々が主なる神エル・カンターレと出会い、一つなる道を示す映画です。
この映画は、全世界の人々に造物主エル・カンターレのご存在を知らしめる映画であり、本年の幸福の科学の活動テーマである「日本全国・全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てよう。なお、一歩を進める」の中心となる作品です。
主人公たちの地獄巡りは、現代社会の諸相そのもの。しかし、そうしいた人類の、かつてない混乱、混迷の先には、大いなる規模、救い主の存在があることを示す映画であり、宗教の違いや、民族や国家の枠を超えて、全人類が、主なる神への共通認識の下、一つになる道を示される希望の映画です。
④仏弟子(まだ気づいていない仏弟子)たちがドラゴン・ハートに目覚め、霊的覚醒をうながす映画です。
この映画は、川で河童を追って溺れた主人公の二人が、霊界の天日鷲神に出合い、「霊界探訪で本来の自己に目覚めることができたなら地上に還してあげる」と告げられ、地獄巡りなどの一種の修行を経て、魂の親エル・カンターレと出会い、本来の自分の使命に目覚めるという、宗教的なメッセージが込められた映画です。
純粋な信仰心、そして、救世への本物の念いの確立が求められている今、私たち仏弟子や、まだ目覚めていない一般の方たちの中にいる仏弟子予備軍に対して、霊的覚醒を促す導きの映画であり、私たちのドラゴン・ハートに導かれた旅は、映画公開までに、すでに始まっていると言えるのが本年の活動です。
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100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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エル・カンターレ・大好き
(3/28-2)87『真説・八正道』を読む―正定―心の平静は幸福への第一歩―心の平安
