(6/19-1)170『無限の言葉「仏説・伝道経」』について考える ②カーシャパ三兄弟に対する伝道―煩悩の炎を鎮め、平安の境地に入れるか(涅槃寂静)

『無限の言葉「仏説・伝道経」』

18 「心」を見つめよ。「欲」しか見えなかったら、道は、はるかに遠い。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

明日20日は津支部にて13:00~天御祖神記念館の臼田館長をお招きして、三重県本部大会を開催いたます。主エル・カンターレの御名と天御祖神の御名を日本に世界に告げ知らせることは三重県本部、伊勢支部の聖なる使命です。この日皆様津支部に参集して、共に天御祖神記念館の建立事業を盛り上げてまいりましょう。

7月7日は主の御生誕日です。7月7日13時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館より中継します。当日の本会場の別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館に全国・海外支部の代表者が参集し、全国・海外の中継会場を結んで、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の式典とさせていただきます。7/7(日)~7/15(月・祝)まで、「御生誕祭」を開催致します。

7/14(日)は、津支部にて御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。

御生誕祭に合わせて発刊予定の『地球を包む愛』ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal 
ver.」を通して、すべての人の心を救済されようとしている主の大いなる愛を学び取り、エル・カンターレ信仰を深めると共に、天御祖神様の御名を全国・全世界に伝える決意を固めます。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法 
東京ドーム講演集』から第10章の「未来への選択」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九五年に、未来は、仏教の縁起の理法の寄る辺に従い、私たちの心と行動を変えることによって、世界を変えることができること。宗教は公器であり、正しい宗教である「幸福の科学」の教えが世界に広がることによって、人類は真なる幸福を得ることができることを、全世界に伝えるべく、獅子吼されました。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■未来への選択
○煩悩の炎を鎮め、平安の境地に入れるか(涅槃寂静)

諸行無常、諸法無我という教えに続いて、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)という教えがあります。

あなたがたは、涅槃という言葉を、「この世を去った、あの世の世界のこと」と考えているかもしれません。そう、それもまた涅槃の世界―「涅槃界」であります。

しかし、釈迦仏教における涅槃とは、この世を去った、あの世における理想の世界のことのみを言うのではありません。そうであれば、生きている人間には、涅槃の世界というものは永遠に訪れないことになります。死後のみが、その世界であるならば、人間がこの地上に生まれてくること自体が間違いなのではないでしょうか。

しかし、人は繰り返し、繰り返しこの世に生まれてきます。そして、欲望の苦しみのなかで、「その苦から、いかに逃れるか」ということで、その苦と格闘し、浮きつ沈みつしながら人生を流れています。

そのなかにおいて、実在界におけるところの理想の世界を体現することができるでしょうか。身をもって知ることができるでしょうか。

それができたならば、それを「悟りを開いた」と称し、その悟りを開いた人間のことを「仏陀」というのです。

それは不可能なことではありません。ゴーダマ・シッダールタが仏陀となりえたがゆえに、二千五百数十年にわたる仏教の歴史はあったのです。

さすれば、その方法は、可能なるものであり、また、正しい方法に則って修行をするならば、教えが正しく説かれ、弘(ひろ)まり、人々に受け継がれ、体得され、実践されたならば、その法を伝えられた人々もまた、自ら修行をして、悟りの世界に入ることができるのです。それが伝道の持つ意味であり、大乗仏教の始まりでもあります。

では、涅槃の境地とは、いかなる境地でしょうか。

あなたがた一人ひとりは、肉体から発するところの、さまざまな悪しき精神作用に執(とら)われているはずです。それを「煩悩」と称します。

煩悩は、燃え盛る炎にも似て、自ら自身から炎を出して、自ら自身をその炎によって焼き尽くします。また、煩悩は、鉄から出た錆(さび)にもたとえられます。錆は、確かに鉄から生まれ、鉄そのものを滅ぼします。

同じように、煩悩は、みなさんの生きるエネルギーのなかから生まれてきたものでありますが、そのエネルギーを生んでいるところの、あなたがた自身をも滅ぼす性質を持っています。

この煩悩の炎を鎮めること、吹き消すこと、そこに現れたる平安の境地、平和の心、これが涅槃の境地です。

その涅槃の境地に入ることを「解脱」といいます。

【大川隆法『大川隆法 東京ドーム講演集』第10章「未来への選択」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第六の経文である『無限の言葉「仏説・伝道経」』についてです。

『無限の言葉「仏説・伝道経」』は、仏陀の伝道宣言にあたる経文です。私たちが日々、主の教えを学び、主への信仰を深めているのは、伝道のためであるといっても過言ではありません。この経文を毎日読誦することで、私たちの使命が伝道であることを確認することができます。主の願いは、主の言葉、教えが日本中に、そして世界中に広がることです。
それでは、この経文の主の解説を主の経典『仏陀の証明』から以下ご紹介いたします。
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●カーシャパ三兄弟に対する伝道
(前回の続き)
そして仏陀自身も、このあと、ベナレスから、ガンジス河の南に渡って、マガダ国のウルヴィルヴァー(ウルヴェーラ)のセーナー村に向かいました。

その途中で、『悟りの挑戦(下)』(幸福の科学出版刊)第五章「無我中道」で述べたとおり、三十人の青年とその妻たちが戯れているところに出会い、そこでまた次第説法(『仏説・正心法語』第四の経文)をして彼らを出家させてしまったのです。

そのあと、ウルヴィルヴァーのセーナー村に到着します。そこに、ウルヴィルヴァー・カーシャパという、当時のマガダ国では非常に有名な、当代一番の宗教家がいました。カーシャパは五百人もの出家弟子を持っていて、年齢は「百二十歳に達していた」と仏伝ではいわれています。

仏陀は、その事火外道、火祭りをするカーシャパのところへ行きます。そして、洞窟に泊めてもらい、そこで火龍を調伏して神通力を見せるなど、さまざまな神通力合戦をして、このウルヴィルヴァー・カーシャパを折伏したのです。仏陀は、神通力をどんどん出して神通力合戦をしたあと、最後には法論をして、「あなたはまだ阿羅漢になっていない」と言い切ります。すると、百二十歳の高名なカーシャパが「まいりました」と、まだ当時三十五、六ぐらいの歳だった新進宗教家のゴーダマ(釈尊)に帰依したのです。

カーシャパたちは、ほら貝の形に髪を結っていたのですが、カーシャパは、ほら貝の形に結っていた自分の髪を切り、頭をそって仏陀教団に出家してしまったのです。

その時に、仏陀は、カーシャパの弟子たちを強制的に自分の弟子にしようとしたわけではなく、「あなたを信じてついてきている人が五百人もいるのだから、彼らをまず自由にしなさい。彼らの意思に任せなさい」とカーシャパに言っています。ところが、カーシャパが出家してしまったので、その弟子たちも、「ずっとあなたについてきたので、あなたが出家するのなら、私たちもついていきます」と、五百人がみんな頭を剃って出家したのです。

そして彼らは、ほら貝結びをした髪の毛や、匙やお椀といったいろいろな火祭りの道具をどんどん河に投げ捨てました。河の中流には、ウルヴィルヴァー・カーシャパの弟で、ナーディ・カーシャパという人が、三百人の弟子を率いて、やはり事火外道をやっていたのですが、上流から祭具や髪の毛がどんどん流れてくるので、「これは、兄に何か一大事があったに違いない」と、駆けつけるのです。

そして、「どうしたんですか、お兄さん。このほうが優れているのですか」と弟が聞くと、「この方が、あの有名な仏陀なのだよ。悟った方が出たので、私は弟子になったのだ。このほうが優れているのだ」と兄は答えました。すると弟も、「そうですか、この方は仏陀なのですか。お兄さんがそう思うなら、このほうが優れているのでしょう」と、割にすぐ悟ったわけです。そして、その弟子たちも、「では私たちも」といって、神を剃って出家してしまったのです。

さらに下流には、その末弟のガーヤー・カーシャパという人が、これもまた二百人の弟子を抱えて修行していたのですが、兄が二人とも仏陀の弟子になってしまったので、自分も拝火教まがいの宗教をやめてしまい仏陀の弟子になります。これで合計千人がマガダ国で仏陀に帰依してしまったのです。

当時、これはマガダ国中が震撼したような非常に大きな事件でした。マガダ国で一番の宗教家である三兄弟が、丸ごと折伏され、帰依してしまったのです。仏陀の持っていた弟子はたかだか六十人です。彼らは各地に散っていて何十人かに説法していますけれども、ほとんど弟子を持たない仏陀が、単身乗り込んできて、千人を折伏してしまったのです。これは大事件でした。

当会でいえば、一九九一年の東京ドームでの「御生誕祭」や、一九九四年の映画『ノストラダムスの戦慄の啓示』の公開などのように、非常に世の耳目を引くようなことだったのです。「新進の宗教家が、大教団を一気に折伏してしまった」と、人々はびっくりしたのです。

このあと、サンジャヤの弟子であったシャーリプトラ(サーリプッタ)とマウドガリヤーヤナ(モッガラーナ)という、のちの二大弟子が仏陀に帰依し、弟子二百五十人を連れてきます。

こうして、総計千二百五十人が帰依したのです。仏伝によく出てくる「弟子千二百五十人とともに、〇〇の園にいた」という表現の「千二百五十人」の意味は、カーシャパ兄弟の弟子千人と、シャーリプトラ、マウドガリヤーヤナが連れてきた二百五十人のことなのです。

こうしたことが起きたわけです。伝道宣言をなして、しばらくしたら、そうした大きな他教団まで折伏してしまっているのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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つづいて本日の引用箇所で紹介されていたお釈迦様の伝道のエピソードを、参考に以下紹介いたします。
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昔、インドで、青年三十人ほどが、それぞれの妻を連れてピクニックに出かけ、林のなかでお酒を飲んだり、歌を歌ったりして戯れていました。その青年の中の一人はまだ歳も若く、奥さんがいなかったので、彼だけは遊女を連れてピクニックに来ていました。

ところが、みんなが遊び興じているうちに、その遊女が他の人の財布など、いろいろな高価なものを持って逃げてしまったのです。

そこで青年たちは、「許せない」といきり立って、何とかしてその遊女をつかまえようと、林のなかを走って追い求めていましたが、あるころで禅定をしている一人の沙門に出会いました。「沙門」とは、生まれつきの僧侶階級であるバラモンではなく、クシャトリヤなどの武士階級から出家した自由修行者のことをいいます。

青年たちは、この沙門に「尊師は一人の女を見ませんでしたか」と尋ねました。その沙門は禅定を解いて、目を開けてゆっくりと振り返ると、「若者たちよ。きみたちは婦女を探してどうしようというのですか」と訊き返しました。彼らは、「遊女が友人の財物を取って逃げたのです。私たちは、友人として友を助け、その女を探しし出すために、この林のなかを徘徊しているのです」と答えました。

そこでその沙門は、「あなたがたは、婦女を尋ね求めることと、自己を尋ね求めることと、いったい、どちらのほうが勝れていることだと思うか」という質問をしたわけです。

すると、彼はしばらく口をつぐんだ後で、「我々は、自己を尋ね求めることのほうが勝れていることだと思います」と答えたのです。「ならば、若者たちよ、お座りなさい。きみたちのために法を説きましょう」と、その沙門は諄々と真理の話をしていったわけです。

青年たちは、ピクニック気分もすっかりどこかに吹き飛んでしまい、ついに頭を剃って出家しその沙門に弟子入りをしてしまいます。このような事件がありました。

この沙門は、ゴーダマ・ブッダ、つまり釈迦だったのです。釈迦は、この青年たちに「婦女を尋ね求めることと、『自己』を尋ね求めることと、いったいどちらが勝れているのか。どちらがあなたがたにとって大切なことなのか」と、はっきりと問いを発しています。つまり、釈迦自身の言葉として、『自己』を求めることの大切さが語られているということです。

【大川隆法『悟りの挑戦(下)』(幸福の科学出版刊)第五章「無我中道」より抜粋】
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お釈迦様におかれましては、教団設立初期に、山林での青年に対する伝道において、この世的なものを追い求めるのではなく、心のなかにある真なる自己を探求することの大切さを説いておられます。これは、幸福の科学における『正しき心の探求』と一脈通じる頃があるのではないかと思いました。

また、カーシャパ三兄弟やシャーリプトラ、マウドガリヤーヤナに対する伝道では、当時外道といわれる間違えた教えを説く指導者に対して、その教えの間違いを指摘し、折伏して、仏陀への帰依と正法への帰依とサンガへの帰依の三宝帰依による伝道を成し遂げています。

このように『無限の言葉「仏説・伝道経」』を考えるうえで、釈尊在世時のたくさんのエピソードが下敷きにされていることを知るだけでも、経文の理解が進むのではないかと思います。それだけ、深い内容の経文であることは間違いないようです。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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TEL:0596-31-1777
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文責:蒲原宏史 

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