(6/18-1)169『無限の言葉「仏説・伝道経」』を読む ①釈迦の伝道宣言―「執着すべき自分も、自分のものもない」と言いきれるか(諸法無我)

『無限の言葉「仏説・伝道経」』

17 悲しみの時にも、信仰を失わない人は、本当に美しい。

【大川隆法 箴言集『人格への言葉』より抜粋】

おはようございます。「一日一生」。今日も、主のため、世のため、人のために、信仰に、伝道に、植福にさらに一歩進めましょう。

7月7日は主の御生誕日です。7月7日13時より、別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館より中継します。当日の本会場の別格本山・聖地エル・カンターレ生誕館に全国・海外支部の代表者が参集し、全国・海外の中継会場を結んで、主への御生誕への感謝と「復活の祈り」を捧げる最大の式典とさせていただきます。7/7(日)~7/15(月・祝)まで、「御生誕祭」を開催致します。

7/14(日)は、津支部にて御生誕祭期間の後半における信仰心の結集の機会として、「『地球を包む愛』セミナー」を開催し、全国・海外の主要な精舎・支部にて、導師団を結成し、一同にて御生誕祭版「復活の祈り」を捧げると共に、「主の願われる夢の実現」に向けて救世運動を前進させ、全世界にエル・カンターレ信仰を打ち立てる誓いを捧げてまいります。

御生誕祭に合わせて発刊予定の『地球を包む愛』ならびに、楽曲CD「天御祖神の夢/天御祖神の降臨―Renewal 
ver.」を通して、すべての人の心を救済されようとしている主の大いなる愛を学び取り、エル・カンターレ信仰を深めると共に、天御祖神様の御名を全国・全世界に伝える決意を固めます。

この聖なる日に向けて、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

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さて、ここからは、主の御教えを世界へと広げるために、教典『大川隆法 
東京ドーム講演集』から第10章の「未来への選択」を共に振り返ってまいります。主におかれましては、一九九五年に、未来は、仏教の縁起の理法の寄る辺に従い、私たちの心と行動を変えることによって、世界を変えることができること。宗教は公器であり、正しい宗教である「幸福の科学」の教えが世界に広がることによって、人類は真なる幸福を得ることができることを、全世界に伝えるべく、獅子吼されました。経典をお持ちでない方は、支部や精舎、全国の書店でお求めください。仏弟子必携の一書です。【税抜き1800円】
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■未来への選択
○「執着すべき自分も、自分のものもない」と言いきれるか(諸法無我)

二番目の旗印、諸法無我とは、いかなる意味でしょうか。「諸々の法は無我である」―この無我とは、そして、無我であるところの諸々の法とは、何でしょうか。これは「教え」という意味ではありません。「一切の存在」という意味でのダルマ、法です。

この世の中には、ありとあらゆる存在がありますが、それぞれは独自の存在のようにも見えます。しかし、はたして、それに実体があるか。それを釈迦仏教は探求したのであります。そして、その結論として、「すべての存在は無我である」「われなるものはなし」と言いきったのです。

それは、どういうことでしょうか。あなたがた一人ひとりに分かるように言うとするならば、「われという存在はない。わがものという存在もない」ということです。これは、しかし、「真なる認識において」という意味ではあります。

あなたがたが「自分だ」と思っているその自分は、本当に、自(おの)ずからなる性質を有し、宇宙において唯一独自の、無比の、常なる存在であるかどうか。「これが私だ」と言いきれる存在であるかどうか。「これが変わらない私である」と言いきれるかどうか。

しかし、すでに諸行無常の教えで説いたように、あなたがたは、生まれ、成長し、老い、病に罹(かか)り、そして、死んでいきます。この肉体の変化一つを取っても、誰も止めることはできません。老いを止めることができる人はいないのです。

今、あなたがたが「わがもの」と思っているものでさえ、自分のものにしておくことはできません。

あなたがたが「わが家だ」と思っている家も、いずれ朽ち、地上のものではなくなります。あるいは人手に渡っていきます。

楽しい学校生活をしていても、その学校もいつまでもありません。やがては、建物が消えたり、あるいは新しくなったり、よそに移ったりします。そして、先生も生徒も別の人たちになっていきます。

「このまま幸福な状態をじっと抱きしめていたい。時間を止め、空間を止め、このままの私、このままの世界で止めておきたい」と思っても、残念ながら、一切の現象は滅びに向かって変化しています。

この世に存在するもので、その内に滅びの性質を持っていないものは、何一つないのです。この世におけるありとしあらゆるものは、すべて滅びに至ることが、その誕生より決まっているのです。

したがって、「これが私である」と執着すべき自分も、そうあなたもなければ、「これが私ののものである」と執着すべきものはありません。

お金も、建物も、人間関係も、どれ一つとして、永遠にそのままで置いておくことはできないのです。親しい人も、やがては別れ、死んでいきます。そのような、常なるもののない世界に、あなたがたは生きているのです。

すべては流れ、すべては滅びていく世界のなかで、欲望に執(とら)われ、執着に苦しんでいます。われならぬ肉体が発するところのさまざまな欲望によって、苦しんでいます。我ならぬ肉体が発するところのさまざまな欲望によって、苦しんでいます。物質欲、金銭欲、情欲、名誉欲など、いろいろな欲望によって、支配されているはずです。

しかし、そのほとんどは、この世において、自分というものを永遠不滅の存在であるかのように錯覚していることから始まっているところの「迷い」なのです。

政治の世界においても、そうです。自民党、新進党、社民党、共産党と、いろいろな政党がありますが(1995年説法当時)、すべての政党は、二十一世紀には地上から消えてなくなります。その、やがてはなくなるものの運命と、自らの運命とを一つのものと見て、闘い、苦しみ、疲れ、人々は死んでいきます。

すべては泡沫(うたかた)のごとき、存在であるのです。執(とら)われより苦しみは生まれてくるのです。

【大川隆法『大川隆法 東京ドーム講演集』第10章「未来への選択」より抜粋】
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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいりたいと思います。本日も全国・全世界の信者の信仰心を結集し ①10:00~、②13:00~、③19:00~(各回約50分)と世界同時に主の奇跡を願い、復活の祈りを捧げさせていただきます。皆様の祈りの結集をお願いいたします。

さて、ここからは、私たち仏弟子の生命ともいえる、「仏説・正心法語」について共に考える機会を得たいと考えています。本日は、『仏説・正心法語』第六の経文である『無限の言葉「仏説・伝道経」』についてです。

『無限の言葉「仏説・伝道経」』は、仏陀の伝道宣言にあたる経文です。私たちが日々、主の教えを学び、主への信仰を深めているのは、伝道のためであるといっても過言ではありません。この経文を毎日読誦することで、私たちの使命が伝道であることを確認することができます。主の願いは、主の言葉、教えが日本中に、そして世界中に広がることです。
それでは、この経文の主の解説を主の経典『仏陀の証明』から以下ご紹介いたします。
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本章では『仏説・正心法語』のなかの「無限の言葉『仏説・伝道経』」を解説したいと思います。

これは、短いけれども非常に格調の高いお経であり、今後このお経が全国各地で読誦されることによって、このお経自体が大きな仕事をするであろうと思います。

伝道に関するお経、つまり伝道経というのは、仏教で伝わっている経文のなかに直接にはないのです。伝道は行動の原理であって、お経としてはなかなか明文化されていないのですが、今回、こうしたかたちで明確に経文としたことよって、日々、唱和し、それを力と変えていくことが可能になったと思います。

さて、この伝道経のよって立つところである、仏教における伝道とは、いかなる位置づけがあるのか。一部の学者が言うように、釈迦(釈尊)というのは、学者のごとく、教学、教えのみ説いて、大乗運動的なものは何もしなかったのか。それは後世の産物なのか。あるいは、伝道に熱心なのは、昨今のいわゆる新宗教のみであって、伝統的な仏教においては、そうしたことはないのか。

こうした疑問は、宗教あるいは仏教に対してそれほど詳しくなく、先入観で考える人にとっては、当然出てくる疑問ではあります。

実は、この伝道自体は、釈尊自身も明確に意識していたことであり、弟子に支持していたことでもあるのです。その根拠として、経文のなかにある、釈迦の「伝道宣言」について、少し説明してみたいと思います。

釈尊は、菩提樹の下で悟り、それから鹿野苑(サールナート)に赴き、かつて一緒に修行していた五人の修行者に、「初転法輪」(しょてんぼうりん)といわれている最初の説法をします。そして釈尊を含めて六人が阿羅漢となります。

「阿羅漢」といっても、初期の基準は、そう難しいのであるとは思えません。四諦・八正道の教え、縁起の理法、無常観―こうしたものを理解して悟った、この世からの解脱をなしたという段階です。

そのあと、ベナレス(ヴァーラーナシー)の有名な富豪の息子だったヤサが、早朝から河原で悶々と悩んでいるのを、朝の経行(きんひん・合掌して歩き回る修行)をしていた釈尊が見つけて、「ヤサよ、こちらへ来なさい。あなたは何を悩んでいるのか」と声を掛けました。そして、釈尊はヤサが女性のことで悶々としているのを見て、それが実につまらない執着であるということを、ヤサに説いて聴かせます。釈尊はこのヤサに対しても、第三章で述べた「次第説法」(しだいせっぽう・「正心法語」第四の経文)を当然しています。それは「施論・戒論・生天論」と、だんだんに高めていく説法です。

ヤサは、富裕な豪族、あるいは貴族と言える立場の子弟であって、金でつくったサンダルを履いていたというのですから、その豊かさがわかると思います。そのヤサを、釈尊は説法で出家させます。ヤサが出家してしまったので、ヤサの両親が釈尊を訪ねてきて、「跡継ぎがなくなるので困ります」と言ったのですが、釈尊の説法を聴いて、ヤサの両親まで帰依してしまったのです。このヤサの両親が、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)といわれる在家信者の第一号、第二号ということになります。ヤサは交友関係がかなり広かったようで、そのあと、ヤサの友人たち五十人あまりが、続々と釈尊に帰依して出家をしています。

こうして、釈尊自身を含めて修行者が六十一人になり、弟子たちにひと通りの教えを説いて、彼らが一定のレベルの解脱を得た時に、釈尊は「伝道宣言」をなしたのです。

自分自身を含めて六十一人の時です。この時に、もうすでに「伝道宣言」を発しているのですから、教団のかなり初期の段階から伝道宣言が出ています。初転法輪で最初の五人の阿羅漢への説法をなしてまもなく、修行者が六十一人の時に、伝道宣言をなしているのです。

その時の伝道宣言を、渡辺照宏氏の訳で紹介してみます。

「修行僧たちよ。私は神々および人間たちのあらゆる束縛から自由になった。

修行僧たちよ。汝もまた神々および人間たちのあらゆる束縛から自由になった。

修行僧たちよ。遍歴に出るがよい。衆生の利益のために、安楽のため、世をいつくしむため、人々と神々との利益、安楽のためである。同じ道を二人でいっしょに行くな。

修行僧たちよ。はじめよく、なかほどよく、おわりもよい法、内容も言葉もそなわっている法を説け。安全で清らかな修行生活を示すがよい。世の中にはけがれの少ないものがいる。彼らは法を聞かなければ退歩するが、聞けば法を悟ることができるはずである」
(渡辺照宏著『新釈尊伝』〔大法輪閣〕より)

これは伝道宣言です。こうしたことを言って、六十一人が各地に散ったのです。そして仏陀(釈尊)の教えをもとにして伝道を開始したのです。

【大川隆法『仏陀の証明』幸福の科学出版 より抜粋】
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今回、仏典のヤサの物語を聞いて、ピンと来たのがキリスト教の『新約聖書』との対比でした。聖書では、同じように大金持ちの息子の青年がイエス様を慕ってやってきて、(モーセの)戒律を待っているので一緒についていきたいというのですが、イエス様は「全財産を貧しいものに分け与えてからついてきなさい」といったので、その青年がしょんぼりして帰ったという話です。その時に有名な「富めるものが神の国に入るのは、ラクダが針の穴を通るほどに難しい」という聖句が残されています。(マタイ19章・16節)

「ラクダ」と「綱」が同じ意味の単語であるため、翻訳の間違いであるとも言われていますが、金持ちの息子ヤサを弟子にした釈尊と、それをしなかったイエス様との対比がはっきり出ています。

また、聖書では、イエス様は72人の弟子に、奇跡の力を授け、二人一組で伝道の旅に送り出しています。当時のイスラエルは治安が相当悪かったので、二人一組にしたともいわれています。61人の仏陀の伝道師、72人36組のイエスの伝道師、何かつながりを感じるエピソードでした。

主におかれましては、「無限の言葉『仏説・伝道経』」にこのような思いを寄せていることが大変印象的でした。

『短いけれども非常に格調の高いお経であり、今後このお経が全国各地で読誦されることによって、このお経自体が大きな仕事をするであろうと思います。

伝道に関するお経、つまり伝道経というのは、仏教で伝わっている経文のなかに直接にはないのです。伝道は行動の原理であって、お経としてはなかなか明文化されていないのですが、今回、こうしたかたちで明確に経文としたことよって、日々、唱和し、それを力と変えていくことが可能になったと思います』

私たちの持つ、仏を信じることができる幸福、悟りによってあらゆる苦難・困難を幸福に変える力を伝道経を毎日読誦することによって、より一層高めて、隣人をすくい助ける伝道の力、主の御名と御教えを宣べ伝える力にしてまいりましょう。

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本日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。

この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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文責:蒲原宏史 

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