(8/6-2)35『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―人類の選択―物質界の再考

『永遠の仏陀』を読む

34 妖怪とは、要するに「生産性」のない人間であるのに、人を欺き、世を欺く人のことである。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

62 ある時、間違った宗教の信者が、小さなミミズに姿を変えられ、池に投げ込まれるのを見た。たくさんのミミズが、猛魚に、バクバクと食べられていた。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に「四弘誓願」を立て、『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、「正しき心の探究」と「地上仏国土ユートピアの実現」のために「四正道」と「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

『主エル・カンターレよ、
主のため、世のため、隣人を救い助けるために、
仏国土ユートピア建設のために、
われらの今世の使命を、光の使命を果たすために、
主への道に立ちはだかる、あらゆる障害を取り除きたまえ。
あらゆる悪霊・悪魔を遠ざけたまえ。
われらを真なる幸福へと導きたまえ。』
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はじめに、今日の一日を振り返りつつ、天御祖神が始まりとされる武士道について、経典『現代の武士道』から学びます。
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■『現代の武士道』
第1章 武士道の根本―武士道の源流―
3 武士道の源流に存在する「天御祖神」
〇「相撲の起源」と「日本刀の起源」は天御祖神まで遡(さかのぼ)る

この天御祖神は、かなり体が大きい方で、「このあたりから、実は力士も、もうすでにいたのではないか」と言われています。注連縄(しめなわ)のようなものを丸く土俵に巻き、そこで褌(ふんどし)一つで相撲を取っているものは、今、スポーツになっているかもしれませんが、伝統的には御神事なのです。

「神様の前で、何も隠すところはない、恥ずべきところはない」という立派な体をお見せし、筋肉の躍動美を見せながら、奉納相撲をするわけです。そうすることで、収穫祭など、そういうものを祈念していたものだと思います。

そこには、「神様の前では何一つ隠せないのだ」というような意味合いがあります。そして、「人間の一番素晴らしい技を奉納し、見ていただく」という意味が相撲にはあったのだと思うのですが、起源は、おそらく天御祖神あたりにあるのではないかと思います。

私の「宿命通力(※仏の六大神通力の一つ)」により、その当時に生まれていた人たちの霊査をすると、どうも力士のような方がよく出てくるので、相撲をやっていたのでしょう。体を鍛えるというか、「いざというときには警備の仕事もあるので、備えなくてはいけない」ということで、相撲を取っていたのだと思うのです。

それと同時に、やはり、その当時、すでに「剣の道」も何かしらあったのではないかと思います。今と同じものではないかもしれませんし、形は違うかもしれませんけれども、今の相撲に太刀持ちがいるように、なんらかの剣を持っていたのではないかと思います。

というのも、かなり古代まで遡っても、剣は出てくるのです。これは転生の過程で知っているものもあるでしょう。また、神様からの指導霊もうけるので、そういうものが武器として出てくるということはあっただろうと思うのです。

あるいは、「天御祖神は宇宙から降り立った」と言われています。

この『現代の武士道』という本を読む人は、宇宙人の話はあまり聞きたくはないかもしれないので、深入りはしませんけれども、もし、そのとおりに、はるかなる昔に、宇宙から富士山の裾野に降り立ったとしても、そのときには、やはり何らかの「武器」を持っていた可能性はあると思うのです。身の回りを回るために「武器」を持っていた可能性はあるので、「日本刀の原型」に当たるようなものを持っていたのではないかという気はします。

また、今の鉄器や青銅器等とは違うかもしれませんが、昔の話には、不思議な金属が出てくることは出てくるので、そういうものを使った武器があったのではないかという気はしています。最初は、地球上にないような武器を持っていて、そこから、地球で取れる鉱石から刀がつくれないかというよなというようなことで、努力していった歴史があったのではないかと思います。

「刀はどのようにしてつくったか」というのは、なかなか難しいことです。

私も、小学校の三年生ぐらいのころに、父親から、「刀というのは、鉄鉱石を火でドロドロに溶かして、水につけたり叩いたりして、だんだんにつくっていくものだけれども、では、その刀をつくるための鉄鉱石を溶かす容れ物はどうやってつくったのだ」というようなことを言われ、「なるほど。鉄が溶けるなら、その溶けた液体の鉄を入れる容れ物はどこにあるのだろう」と不思議に思ったことがありました。

それを「学校の先生に訊いてみなさい。どうやって刀はできたのだ。どうやって、鉄を刀にして打ったのだ。その理由を説明してもらってくれ」と言われ、聞いたことがあったかと思いますが、答えは十分になかったような気がします。

砂鉄などを溶かすには、どうも、木炭のようなもので熱を加えて炭火で溶かすようなのですが、現代人は、普通、その型自体も金属でつくるものと思ってしまいます。ところが、型は金属ではなく、「砂」なのです。

私は専門家ではないので、緻密な作り方についてはよくは知りませんけれども、砂を固めて形をつくり、そこに木炭で火をかけ、鉄鉱石を溶かしたものを流し込むわけです。もちろん、青銅の方が先だったかもしれませんが、形を取って、火にかけたり水に通したりしながら叩いて精錬し、だんだんに鋼鉄の刀をつくっていくのではないかと思います。

ということで、「相撲の起源」も、「日本刀の起源」に当たるものも、おそらく、天御祖神の時代からあったのではないかと、私は考えています。

【大川隆法 『現代の武士道』第1章「武士道の根本―武士道の源流―」より抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、教典『真説・八正道』より反省の本質を学びます。妖怪性からの脱却をはかり、「反省からの発展」さらに「中道からの発展」を目指しましょう。
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■『真説・八正道』第3章「正思」
6「正思」のための三つのチェックポイント
③「謙虚さ」を妨げるもの―嫉妬心と自己顕示欲

〇職場などで、他の人の幸福を邪魔したくなる女性の「嫉妬心」の問題
また、気に障ったらお許しいただきたいのですが、例えばかなり長く勤めているOL、結婚していない女性等のなかにも、そうしたことをする人はいるでしょう。もちろん、気立てもよく、仕事もできる人もいますが、なかには、無意識下に若い人たちの邪魔をし始める人もいるのです。若い女性の結婚の邪魔をしたり、若い男性をいびったりすることもあると思います。

若い女性の結婚を邪魔する場合には、「浮ついている」「化粧が云々(うんぬん)」「仕事をする気が全然ない」「遊びに来ている腰掛だ」といったことを言っていじめたりします。また、男性に対しては、「仕事をしないで女の子の尻を追いかけている」などといびったり邪魔をしたりするわけです。こうしたことは無意識化にやっているのですが、やはり人の幸福を邪魔したい気持ちが働いています。

こうしたものは、みな、自己正当化をして、プライドを固めていった結果なのです。そして、自分が、神仏から、あるいは多くの人たちから愛を受けて生きているということを見落とした結果なのです。

自分がもっともっと愛を受けたいと思っているのに、他の者が愛を受けている姿を見ると、我慢がならないのです。そして、表となり裏となって、いろいろなことをして引き落としにかかるのです。

こうしたものも、「正しい思い」のところでチェックしなければいけない部分です。これは、「嫉妬心」「やっかみ」「嫉み」「妬み」といった言葉で表される思いと言ってよいでしょう。

「人間は太陽の光を浴びて生きているような存在である」ということを決して忘れてはなりません。太陽の光は、善人にも悪人にも、同じく光を投げかけています。植物に対しても、毒麦であろうが、小麦であろうが、同じく光を投げかけています。

ところが、そのように惜しみなく与えられている光を、スポットライトのように自分一人に集めたいという気持になってくるわけです。

〇「自己顕示欲」は自分の人生を正当化し、他の人の心の安らぎや愛を奪う
そして、自己顕示欲という問題も出てきます。「謙虚さ」ということを考える上でもいちばん大事なのは、「自己顕示欲」の問題です。

この自己顕示欲との闘いも、極めて難しいものです。「スポットライトを浴びたい」という気持ちの裏にあるのは、「自己の人生を正当化したい」という考えです。それゆえに自己顕示欲が出てきます。

自己顕示欲がなぜいけないかといえば、他の人の心の安らぎを奪ってしまうからです。また、本来であれば他の人に流れるべき愛を、自分のほうへ持ってこようとするからです。

そういう人は、他の人にも同じように陽の光が当たっているのが我慢できません。「陽の光は、自分の鉢だけに当たるべきである」というように考えるのが自己顕示欲なのです。

○周りからの「嫉妬心」には、「自己顕示欲」を牽制する効用もある
なお、「正思」の基準としてチェックしなければならないもののなかに、「嫉妬心」という項目がありますが、実は、この自己顕示欲を牽制するものに嫉妬心というものがあるのです。嫉妬心にはマイナスの面もある一方で、”嫉妬心の効用”ともいうべきプラスの面もあると言えます。

すなわち、「自己顕示欲に生きた人」に対しては、「他人の嫉妬心」というものがぶつけられることになっているのです。こうして牽制が利くことによって、それぞれの位置が決まってくるわけです。

あまりの自己拡張が許されなくなるのは、他人の嫉妬心によります。これも一つのバランス感覚と考えてよいかもしれません。

ただ、この嫉妬心というものには愛がありませんので、行きすぎると悪になることは当然のことです。これも、自己愛だけの裏返しということになります。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」128pより抜粋】
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今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
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■『永遠の仏陀』
第5章 永遠の仏陀 
〇人類の選択

この地球ができて、四十六億年以上の歳月が流れた。
それは、わが一千億年の孤独のなかでは、
ほんの、ついきのうのことのようにも思える。
されど、我は、この地球のすべてに関し、
最終の権限を有するものである。
わが宣べ伝えるところの仏法真理を守り、
広げ、実現することこそ、
人間としての真なる生き方であるのだ。
我は、ふたたび、おまえたちに法を示した。
おまえたちに、人間として生きてゆくための則を示した。
その則を守りて、素晴らしき仏国土を建設するか否かは、
おまえたち人間の所業にかかっている。
わが教え、人々の心にしみわたり、
仏国土がこの地上に湧出すれば、
おまえたちは真実の仏の子と言えよう。
されど、わが教え説かるるも、
その教え、伝わらず、
その教え、人々を救うに至らず、
その教え、歴史の波間に、反故(※ほご)として捨て去られたならば、
もはや、人類は地上に住むことが許されなくなるだろう。
そのことをも、私はおまえたちに厳しく警告しておこう。

この、わが説く教えに従って、仏国土を築くか。
あるいは、このわが教えを一顧だにすることもなく、
人類そのものが滅亡し去るか。
選べ、選ぶのだ。
いずれを取るかを。
繁栄をとるか、滅亡を取るかを。
わが念いには厳しいものがあるということを知らねばなるまい。

■□■□■※新版において削除された箇所■□■□■

わが教えは、
ある時は、愛となり、
ある時には、厳しい剣ともなるであろう。
親は、子に対して、その真実の成長を願うからこそ、
厳しく、その教えを説き、
その教えの実現を迫ることもあるということを知っておくがよい。

もう一度、くり返して言っておく。
すべては、おまえたちの選択であるのだ。
この地球を創り、地球に人類を住まわせたところより、
「この法を下に、仏国土を創り、幸福な生活を営め」というのが、
わが教えであった。
その事実を、もう一度、私はおまえたちに告げているのだ。
それを、信じて行うか否かは、
おまえたちの選択にかかっている。
しかし、仏国土実現の意欲なく、努力なく、希望なく、
停滞と堕落を選び取るならば、
人類を待ち受けているものは滅亡である。
それだけを、私ははっきと言っておく。

※反故(ほご)=ものを書き損じたりして、不用になった紙。転じて、役にたたない物事。むだ。ほぐ。ほうご。

【大川隆法『永遠の仏陀』第5章「永遠の仏陀」より抜粋】
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※参考
■□■□■※新版において削除された箇所■□■□■
かつて地球によく似た美しい星、
金星にも、姿形は違えども人類は住んでいた。
その人類をも、我はかつて指導していた。
しかし、究極において彼らは、
我が教えの本なる仏国土建設という理想を実現することなく、
怠惰に明け暮れ、進歩を止め、
停滞の長きにどっぷりと浸かり、
それより抜け出す意欲なく、
生存を重ねていた。
我はまた、この金星の人類を滅ぼした者でもある。

 【大川隆法『永遠の仏陀』平成3年7月7日初版より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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■『釈迦の本心』
第4章 空の思想
5 物質界の再考

実在界の姿を知ったうえで、三次元の物質界、つまり地上界を見ると、いかなる世界に見えるでしょうか。

それは海外旅行にもたとえられるかもしれません。初めて海外を旅行し、異国の風土に触れた人が、一ヵ月ぶり、あるいは一年ぶりに日本へ帰ってきたとき、日本の姿が非常に不思議に見えることがよくあります。たとえば、人口密度の高さ、車の多さ、道の狭さなどにあきれてしまったりします。

同じように実在世界を知ってしまうと、地上界、物質界にある人々の姿が、何ともこっけいに見えることがあるのです。その滑稽さの原因の一つは価値観にあります。

高いところから眺めてみると、地上の人びとがせっせと働いている姿が、まるで蟻が砂糖の粒を運ぶ姿のように見えてきます。蟻にとって至上の価値を持つは、巣の中に食糧を運び込むことでしょうが、それを眺める人間からすれば、それがはかなく虚しいものに見えることが多いのと同じく、実在界を知った人間には、物質界は非常にはかなく虚しいものに見えてくるのです。

ただ、それは最初の見方であり、次なる見方として、「はかなく虚しい物質界は、なにゆえに存在しているのか」ということに考えが至るようになります。そして、そのはかなさの奥にあるものを深く見つめていくと、「それは大いなる修行の材料として与えられている」ということに気がつくのです。

さらには、「肉体や物質は霊と対立するものではない。肉体も物質も、霊と同じ素材からできており、その現われ方が違っているだけだ」ということにも気づくようになります。霊をつくっているものは、仏の光、仏のエネルギーですが、物質界を構成しているものも、同じく仏の光、仏のエネルギーであることに気がつくのです。

それはちょうど、水蒸気が冷却されると水になり、さらに冷却されると氷になるのに似ています。水と氷は別もののように見えます。それは、水は水で、「私は霊だ」「私は実在界だ」と言い、氷は氷で、「私は肉体だ」「私は物質界だ」と言っているようなものです。しかし、両者はもともと同じものからできており、外観が違うだけなのです。

したがって、最初は「水と氷は違うものだ」と感じますが、さらに深く感じ取り、見極めていくと、「それらは本来、同じものであって、現われ方が違っているだけだ」と感じられるようになるのです。

ここに至ると、三次元世界の意味は、消極的なるものから積極的なるものへと、一八〇度の転換を見るようになります。三次元世界のなかにも、仏の創られた偉大な計画があることを、人びとは感じるようになるのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第4章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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■伊勢支部精舎の理念■
100 パーセントエル・カンターレ信仰
―天御祖神と共に―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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・「信仰心と国を愛する心」という問題について言えば、やはり国民の信仰心がなくなったら、その国は衰退に入っていくし、いずれ滅びると私は思います。
・みなさんには、どうか強い信仰の思いを全国に発信していただきたいと思います。
 ―「信仰心と国を愛する心について」 ―2013 年4月21 日 伊勢支部精舎御巡錫―
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■伊勢支部の行動指針■
【菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して妖怪性を払拭する】
私たち、伊勢支部信者は、エル・カンターレ信仰をキチッと確立して、天御祖神の武士道精神のもと、仏教的精神を打ち立て、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設します。
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大宇宙の根本仏 唯一なる 主エル・カンターレよ
伊勢支部精舎は、今年落慶16周年を迎えました。
2009年1月24日、日本の中心とも言われる伊勢の地におおいなる光の灯台を賜りましたことを仏弟子一同・伊勢支部信者一同心より感謝申し上げます。

そして、2013年4月21日に、伊勢支部精舎に御巡錫を賜り、御法話『信仰心と国を愛する心について』をお説きくださいました。主の御慈悲に心より感謝申し上げます。

私たち伊勢支部信者一同、主への純粋なる信仰の下、「主の復活の祈り」を通して
エル・カンターレ信仰を確立し、「愛」と「知」と「反省」と「発展」の四正道を日々実践し、主の御名と御教えを伝えます。

そして、われらが愛する、この伊勢の地を、三重の地に主の悲願である仏国土ユートピアを必ずや建設いたします。

私たち、伊勢支部信者は、菩薩の本懐である六波羅蜜多を推進して、自らの心に巣くう妖怪性を払拭します。そのために、三宝を熱く敬い、「愛」「知」「反省」「発展」の四正道に帰依して、エル・カンターレ信仰をキチッと確立し、「天御祖神」の武士道精神のもと、仏教的精神を復活させて、伝道に邁進し、隣人を救い、私たちの愛する街に、必ず仏国土ユートピアを建設するために、以下のことを改めてお誓いいたします。

①私たちは、主から頂いた仏性を輝かせ、自らの善きものを隣人に分け与え、一切のみかえりを求めません。主から頂いた教えを必ず伝え伝道します。【布施波羅蜜多】

②私たちは、自らの戒を持ち、戒を守り、仏法真理の教学に力をつくします。
そして法友の育成・養成に力を尽くします。【持戒波羅蜜多】

③私たちは、主の御心を実現するために、目標を明確に持ち、実現するまで計画を実行しつづけます。【せん提波羅蜜多】

④私たちは、主の御手足となる本物の菩薩になるために、救世活動を日々の精進として積み重ねます。【精進波羅蜜多】

⑤私たちは、常に主を信じ、主を愛し、主と一体となるために反省と瞑想を重ね、祈りの生活を送ります。【禅定波羅蜜多】

⑥私たちは、主から既にすべてを与えられていること、主から愛されている自分を発見し、エル・カンターレ信仰さえあれば、あとは何もいらないという絶対幸福をえて、隣人と分かち合います。【般若波羅蜜多】

私たちは、主への報恩として 日本に 全世界に 「天御祖神」と共に、エル・カンターレ信仰を弘め地球ユートピアを実現してまいります。

主よ、私たちの信仰心が主の復活の力となり、主から預かりました伊勢支部精舎が、光の灯台として、一人でも多くの方に主の光を届けることができますよう、お導きください。主よ、まことにありがとうございました。
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66 尿が出なければ、人は死ぬ。腎臓などに感謝したことはあるか。
【大川隆法『病のときに読む言葉』より】
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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
■□■
FAX:0596-31-1778
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エル・カンターレ・大好き

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