(8/6-2)37『永遠の仏陀』を読む―永遠の仏陀―永遠の仏陀の光、いまここに―「空」はなぜ重要なのか

『永遠の仏陀』を読む

36 妖怪はまっとうな信仰心を持っていない。
37 妖怪は、他人を騙すために、信仰心を悪用する。
38 ゆえに、妖怪は、「仏・法・僧」に「三宝帰依」できない。

【大川隆法『妖怪にならないための言葉』より抜粋】

60 ある時、仏像盗んで、売り飛ばした男が、ワニの姿に変えられて、その皮からハンドバックが作られるところを目撃した。

【大川隆法『地獄へ行かないための言葉』より抜粋】
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〇「正思」のための三つのチェックポイント
・周りからの「嫉妬心」には、「自己顕示欲」を牽制する効用もある

なお、「正思」の基準としてチェックしなければならないもののなかに、「嫉妬心」という項目がありますが、実は、この自己顕示欲を牽制するものに嫉妬心というものがあるのです。嫉妬心にはマイナスの面もある一方で、”嫉妬心の効用”ともいうべきプラスの面もあると言えます。
すなわち、「自己顕示欲に生きた人」に対しては、「他人の嫉妬心」というものがぶつけられることになっているのです。こうして牽制が利くことによって、それぞれの位置が決まってくるわけです。
あまりの自己拡張が許されなくなるのは、他人の嫉妬心によります。これも一つのバランス感覚と考えてよいかもしれません。

○正思によって、「悪しき思い」を一つひとつ点検する
以上、幾つかの基準から「正思」というものを考えてみした。

このように、「正しき思い」というものの点検は、いろいろな要素から成り立っています。「愚痴」「不平不満」「足ることを知らぬ欲望」から始まって、いろいろな悪しき思いを一つひとつ点検していくのが筋です。

そして、みなさんの理解しやすいようにあえて整理するならば、「素直さ」「自助努力」「謙虚さ」の三点を中心として、これに反する心が自分にないかどうかをかんがえていくということです。そうすれば、「正しき心」のチェック、「正しき思い」のチェックが極めて容易になるだろうと思います。こうした点検をお勧めする次第です。

以上は、現代的で、分かり易い「正思」の解説である。伝統的な仏教教学を加味すると「貪」「瞋」「癡」の「心の三毒」の反省が中心になるし、少し難しくはなるが、「慢」「疑」「悪見」の三つを加えて、「六大煩悩」と称し、常にこれらを点検する反省的瞑想が大切である。

「貪」とはむさぼる心、「瞋」とは、カーッと怒る心、「癡」とは、仏法真理が欠如した状態、「慢」とは、うぬぼれ、天狗の心、「疑」とは、誤てるマスコミや唯物論・無神論的科学の傾向、「悪見」とは、宗教的にも、道徳的にも、常識的にも間違っていて、粉砕されるべき考え方の数々である。

【大川隆法『真説・八正道』第3章「正思」131pより抜粋】
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こんばんは。主から頂いた奇跡の一日も残りわずかとなりました。
皆様と共に、一日の終わりに「主への感謝」と「復活の祈り」を捧げます。

三宝帰依を寄る辺として、主エル・カンターレへの信仰を貫くために、一日の始まりを希望と共に『エル・カンターレへの祈り』と『仏説・正心法語』で始めました。

そして日中は主のため、世のため、隣人を救うために、地上仏国土ユートピアの実現のために「六波羅蜜多」の実践をなすべく、私たちは御仏の御手足として働きました。本日も本当にお疲れ様でございます。

引き続き、純粋なる信仰を「復活の祈り」と共に主に捧げると共に、信仰・伝道・植福に私たちの最大の感謝と報恩の誓いを捧げさせていただきましょう。

そして一日を感謝と反省で締めくくるために、常に主の御言葉と「八正道」と共にありましょう。

今日の一日を振り返りつつ、1991年7月に説かれました『永遠の仏陀』を振り返ります。
そののち、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第五章 永遠の仏陀 
〇永遠の仏陀の光、いまここに

行け、
行きて、わが言葉を伝えよ。
永遠の仏陀の言葉を伝えよ。
永遠の真理を伝えよ。
永遠の法を宣べ伝えよ。
永遠の仏陀、東の国にてよみがえり、その声発するを、
この日本に、くまなく伝えよ。
全世界の人々に伝えよ。
億万の民に伝えよ。
幾十億の民に伝えよ。
来世の人々に向かっても伝えよ。
地下にある者たちにも伝えよ。
「おまえたちは、魂の牢獄から、魂の煉獄から、
いま、解き放たれたる時が来たのだ」と、
告げ知らせるのだ。
永遠の仏陀の光が、
ここに、
いまここに、
臨んでいるのだ。

信ぜよ。
見よ。
聴け。
そして、
知るのだ、この言葉の力を。
知るのだ。この言葉の意味を。
知るのだ。この希望の福音を。
すべては、ここに始まり、
すべては、ここに終わる。

永遠の仏陀を信じる時に、
あなたがたもまた、
永遠の生命として
生き続けることとなるのだ。
(完)
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あとがき(旧版)

『永遠の仏陀』とは、永遠の真理であり、永遠の法でもある。

仏陀とは、人にして、法なり。法にして、人なり。しかして、地域を超え、時代を超えた、最大の愛の顕現でもある。

本書は人類の宝である。至宝である。

これを決して無駄にしてはなるまい。あなたがたは、このダイヤモンドの山を無駄にしてはなるまい。それをまた、自分ひとりのものにしてもなるまい。

すべては、ここにある。すべての教えの本が、ここにある。すべての悟りの本が、ここにある。

今、永遠の仏陀、あなたの前に現れ、あなたと共に歩んでいるを知ることだ。

一九九一年 七月
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法
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改訂新版・あとがき

ある時には、静かに淡々と語られ、ある時には、厳かに胸を打つ言葉がつづられ、仏陀の説法とはどのようなものであるかが、本書によって、あまねく人々に伝えられたと思う。

言葉の流れは、第五章『永遠の仏陀』に入って、激しく、かつ、急となる。読者は、仏陀の奥にある「エル・カンターレ」の意識と姿を、一瞬、垣間見ることができる。しかし、深くは理解しなくてよい。釈迦とキリストの奥に存在(あ)る「光体」の煌きを、かすかに、感じ取るだけでよい。それから後は、実在界の神秘のままでよいのだ。

この十数年の活動で、何かと世紀末の闇を打ち砕くことに成功を収めつつあると思う。外には、ある時には華々しく見えたことであろうが、内にあっては、真剣かつ、緻密かつ、着実な毎日の積み重ねであった。

一九九一年に語られた私の本書での呼びかけに馳せ参じ、地涌の菩薩として身命を惜しまず活躍された、幾万、幾十万の光の子たちに、心からの感謝を捧げる。

一九九七年 7月末 
幸福の科学グループ創始者兼総裁 大川隆法

【大川隆法『永遠の仏陀』より抜粋】
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続いて、仏陀の教えに原点回帰すべく『釈迦の本心』を共に学びます。
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第四章 空の思想
7 「空」はなぜ重要なのか

それでは、「空」の思想はなぜ重要なのでしょう。仏教は「空」の思想をなぜ持ち出してきたのか。なぜ、目に見えぬ世界の話をするのか。なぜ、目に見えぬものが現われたり、現われたものが目に見えぬものになったりするのか。そうしたことについて考えてみましょう。

実はこの領域に、後代において禅宗が発生する源流があると考えられるのです。禅では、「禅問答」といわれる奇抜な問答をすることによって、相手に仏性や実相世界を悟らしめることが、往々にしてあります。「まったく別のものを持ってくることによって、現在の自分の立場や考え方を、鏡に映すように悟らしめる」という方法が、禅にはあるのです。

その意味で、「空」の思想は禅の源流をなしていると言えます。ただ、禅の思想そのものは、釈迦の思想から少しそれていった面があります。

結局、目に見える世界を実在だと思うからこそ、それに執(とら)われるのです。人びとは、肉体を見れば肉体に執われ、異性を見れば異性に執われ、食物を見れば食物に執われますが、執われのなかには、決して心の安らぎはありません。

心の安らぎは、執われを取り去ったときに現われます。無執着の境地にこそ、幸福感はほとばしり出てくるのです。釈迦はそれを知っていました。

それゆえ、釈迦は第一段階の否定として、「諸々の比丘、比丘尼たちよ。おまえたちの目に見え、当然のごとく実在だと思われる、おまえたちの肉体やさまざまな物質、山川草木(さんせんそうもく)などは、ほんとうは『空』であり、仮の姿にしかすぎないのだ」と、「色即是空(しきそくぜくう)」を説いたのです。そのときの仏弟子たちのショックは、どれほど大きいものだったでしょうか。

物質を電子顕微鏡で見たことがある人ならば、それが事実であることが分かります。物質という固形化したものであっても、拡大して見れば、隙間だらけの小さな粒子の集まりにかすぎません。人間の目の前に実在しているように見えているのは、目の錯覚にしかすぎないのです。

このように、釈迦はまず、この地上にしばられる心を地上世界から遊離させ、真実の価値世界に目覚めさせるために、「空」を説いたのです。この第一段階の否定は、禅の根本と相通じています。

しかし、「色即是空」を説くだけではまだ不十分であり、次に「空即是色」を説かなければなりません。そこで、釈迦は次のように説明したのです。

「地上のありとあらゆるものは、実は仏の念いによってできているのだ。仏の念いは、目に見えるものでも、手に触れることのできるものでもない。しかし、仏の念いが言葉となったとき、それはやがて具象化し、現われてきたのである。

この地球という星も、そこで生きるさまざまな動植物も、仏の念いがあってできてきたものである。そうした仏の念い、また、その念いを伝えるための高級諸霊の活動があって初めて、この世界ができてきたのだ」

ここには、釈迦の思想の特徴である、バランスのとれたところ、偏らないところが、明らかに表れています。

結局、「空」の思想とは何かと言えば、一つには、執着を取り去るための修行方法であり、もう一つには、世界や人生の成り立ちを教え、天地創造の秘密を解明するものなのです。この二つの意味合いがあるために、「空」は大切な思想とされていたのです。

【大川隆法『釈迦の本心』第四章「空の思想」より抜粋】
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明日も、皆様とともに主の新復活を祈り続けてまいります。
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If You build it, He will come. あなたがそれを建てたとき、彼はやってくる。
When You believe It, You will see It. あなたが信じるとき、あなたはそれを見るだろう。
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「神戸正心館エル・カンターレ像開眼祈念植福」について
2024年、主エル・カンターレを信じる皆様と共に救世活動に邁進できますこと、心より感謝申し上げます。
本年も、全国、全世界の天変地異調伏と疫病調伏と発展・繁栄の未来を創造する誓いを込めて、「神戸正心館建立祈念植福―エル・カンターレ像開眼祈念植福―」に伊勢支部信者の信仰心を結集させていただいています。

【趣旨① 「神戸正心館建立」エル・カンターレ像開眼祈念植福を祈念して】                                                  
奈良時代に様々な内乱・大飢饉・疫病が流行った時には、聖武天皇が詔を発し、行基菩薩が勧進役となって、東大寺の毘盧遮那仏が建立されました。結果、様々な病気が無くなったと言われています。

災厄に対して信仰心と法力で戦うのは宗教の使命です。当時、お金や材木の布施・人夫などで携わった人々は延べ二百六十万人ものぼるとも言われており、人口の 半数にもあたりました。そのように、毘盧遮那仏建立は、国家を挙げて、国民にエル・カンターレ信仰を伝える一大伝道事業でもありました。
この度の神戸正心館建立は〈天変地異調伏祈念〉という願いが込められています。エル・カンターレ下生を全世界に告げ知らせ、数多の天変地異を調伏せんとする  信仰心の結集運動が神戸正心館の建立です。これは、あらゆる厄災から人々を護らんと願う大いなる愛の実践そのものでもあります。

【趣旨② 「神戸正心館建立」は一大霊場づくり】
また、昨年末には、<聖地>エル・カンターレ生誕館が別格本山となりました。   その光が淡路島を参道として本州に流れてくる神戸の地に、神戸正心館は建立されます。
神の戸が開き、聖地が一大霊場として大きく広がることで、主エル・カンターレ御降臨とその奇跡が日本全国、全世界へと広がって参ります。

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。゜+. With Savior 。゜+.
100%エル・カンターレ信仰
―天御祖神とともに―
伊勢から世界に伝える強い信仰
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E-mail:ise@sibu.irh.jp
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https://hsise.com/
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TEL:0596-31-1777
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FAX:0596-31-1778
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文責:蒲原宏史 

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